第10話:鏡に映らない町と、ひとりぼっちの少年
塔の第九階層――そこは霧に包まれた静かな町だった。
どこか懐かしく、けれど異様な寂しさが満ちている。
「ここ……人の気配がまるでないね」
来夢がつぶやき、アオラが眉をひそめる。
「でも、“記録”の痕跡はある。この場所……本当はたくさんの人がいたはずなんだ」
石畳の道。崩れかけたレンガの建物。
壁に貼られた古びたポスターには、誰かの笑顔が描かれている。けれどその“顔”が、なぜか見えない。
「……顔が、映ってない……? これも“記録の消失”?」
アオラは小さくうなずく。
「うん。おそらく“記録されなかった者”たちの町……“鏡に映らない記憶”だよ」
「鏡に映らない……?」
「存在していたのに、誰の記憶にも残らず、記録にも書き込まれなかった者たち。
ここは、そんな記憶の“捨て場”なんだ」
来夢が歩を進めると、町の奥からかすかな歌声が聞こえた。
♪らら らら おかえり らら……♪
その声に導かれるように、二人は朽ちた広場へ。
そこにいたのは――ぼろぼろのマントを羽織った、小さな少年だった。
少年はこちらに気づくと、微笑んだ。
「……やっと、誰かが来てくれた」
来夢が駆け寄る。
「あなたは……ここに、一人で?」
「うん。ずっと待ってたんだ。“僕を覚えてくれてる誰か”を」
少年の瞳は透き通るように美しく、けれどそこには深い孤独があった。
アオラが声をかける。
「君の名前は?」
「……ないよ。忘れられちゃったから」
その瞬間、空にひびが入った。
霧が強くなり、広場を包み込む。
「来夢、気をつけて! “無き者”が出てくるかもしれない!」
――記録されなかった存在を“消す”ために現れる、記録の異形《無き者》。
少年の背後に、影のような“手”が現れた。
それは彼の存在ごと、飲み込もうとする――。
「……やだっ! また、消えたくない!」
来夢は即座に前へ出た。
「この子は――ここにいるよ! ちゃんと、“ここにいた”って、私が記録する!」
来夢の胸元が光り、アオラがその光を受けて姿を変えた。
青く輝く魔法の輪が、少年を覆う影をはじき返す。
「アオ……!」
「任せて、来夢。“記録”は、君の想いから始まるんだ!」
一陣の風が吹き抜け、闇が引いていく。
少年は震えながら、ぽつりと呟いた。
「ありがとう……。僕、もう一度名前をもらってもいいかな?」
来夢は微笑み、そっとその頭を撫でる。
「そうだね。……“キオク”って名前はどう?」
少年の瞳が光る。
「“キオク”……僕の、名前……」
その瞬間、空に走ったひびが消え、霧がゆっくり晴れていく。
失われかけていた町に、色が戻っていった。
「……記録、されていくね。キオクっていう、存在が」
アオラが穏やかに言い、来夢も頷いた。
「うん。これで、この町も……もう、忘れられないよ」
(つづく)
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次回予告(第11話):
『名前のない扉と、記録の墓標』
塔の第十階層には、名も持たない扉と、記録に刻まれた数々の“終わり”が眠っていた。来夢とアオラ、そしてキオクの次なる試練が始まる――。




