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番外編・ネルテ先生の生徒観察記録.6

 職員室の机にて、大量に積まれた書類に埋もれて悲鳴のようなうめき声があがる。

 処理しても処理しても次々と積まれていく書類にネルテは根を上げるように書類に頭を突っ伏した。


「何休んでんですか、これとこれとこれも、あとこれとそれも」


「あーもう! 怒ってるのはわかってるけどそこまで強制してやらせることないだろ!」


「ありゃまあ大変そうで」


「お前も始末書大量に溜まってますよさっさとしろターチス」


「程々にしてくれ、集中力が切れるとまた飛んでっちまう」


 ネルテの机に次々と休む暇もない様に書類をドスドスと積み上げていくヘーヴ。

 マルスが鉄線殲滅戦で使い切った魔力をまた貯蔵しようとピスピス鼻息を立てて眠る中、黒のメッシュが入った銀短髪に切れ長の琥珀色の瞳をした、肩から黒いケープを半分だけ垂れ下げている旅人のような黒革の長ジャケットをラフに着こなした、保護科副担任のターチスに向かってもヘーヴは追加で書類をドスンと置いた。


「担当する幹部の場所に辿り着く前に失踪してんですよ、職務放棄もいいとこでしょうが。そのせいで確認が遅れて挙句逃げられたってのに」


「いやだからそれについては本当に申し訳なかったって、徹夜明けで集中力ギリギリだったから、殲滅戦も急な話で事前準備も何もなかったし」


「あちこち彷徨った挙句ソラウの海岸沿いで迷子になっていたことの何が徹夜ですか! あと急な殲滅戦は提案者のこいつに文句言ってください」


「時間との勝負だろうこういうのは、仕方ないじゃないか。あんまり協議期間長くすると情報が洩れる危険だってあるのに。実際こっちのことがなくても地下に潜っててあれ以上時間かけてたら見つけられなかったよ」


「だからってあんたはいつもいつも急すぎるんですよ! ほら、旅行行くならさっさとその間の仕事を先に済ませろ!」


 書類を置いた後その上からヘーヴに拳をダンと勢いよく叩き付けられ、真っ黒な顔で目だけがらんらんと輝いて恐ろしい顔で歯軋りしながら睨まれる。

 しかし悪いのはネルテのターチスの為反論も出来ず、反省するように渋々手を進める。

 ピスピスとマルスの寝息と、イライラしたヘーヴの歯軋り音が場を支配してなんとも気まずい沈黙が続く。

 時間は夜の七時を過ぎ、全員が黙々と事務仕事をこなしている中、ガラッと横引きの扉が開いて職員室内の空気も気にせずクランベリーがおっとりと長いブロンドをたなびかせながら入ってきた。


「あぁー小さい子どもって可愛いわね、ほんと癒されるわぁ」


「あれだけの活発さを前にそう言い切れるのは貴方ぐらいですね、クランベリー」


「あらやだヘーヴ先生またやつれちゃって、癒しが足りないなら回復(ヒール)しましょうか?」


「結構です、やったところで原因のこいつらが仕事しなけりゃ同じですから」


 ヘーヴはそう言って書類に目を落としたまま一瞬元凶であるネルテとターチスを睨むように目線をよこす。

 ネルテは知らんぷりをするように書類に視線を落としたまま、ターチスは一瞬身震いするように体を震わせる。

 しかしクランベリーはそんなことはお構いなしというように職員室の隅に置いてあったコーヒー製造魔道具に向かってマルス以外にコーヒーを淹れ始めた。


「まぁまぁ、一旦休憩したら? あんまり根詰め過ぎるのも身体に毒よー?」


「助かったー! ちょっと休憩したいとこだった!」


「あぁもうそうやって甘やかさないでくださいよ……」


 差し出されたコーヒーを受け取らないわけにもいかず、強制的に休憩に入られてヘーヴは抗議しているが、ネルテとターチスは救世主と言わんばかりにコーヒーを受け取ってなるべく時間を稼ごうとちびちび飲み始める。

 諦めたヘーヴはマルスにまた無意味になりそうなホットミルクを用意し始めた。


「クランベリー、あの三つ子たちの体調はどうで?」


「怪我の回復も落ち着いてきて、食事のおかげで栄養失調も大分マシになってきたわ。そろそろ一般教養の勉強を開始してもよさそう」


「森の中の隔絶された環境で、カイムくん一人で相手してたから一般教養は大分遅れてる様子ですからね。早めにしたほうがいいでしょう」


「久々の仕事が子どもの教養教育かー、資料どこやったっけな」


「何か言いました?」


「いえなんでも」


 保護科に配属された三つ子の言動は、七歳にしては少々幼い。

 アーゲストから受けた報告によれば、ほぼ一年という長い期間を奴隷として人ではない扱いをされた精神的負荷もあるだろうが、そもそも魔の森の中という隔絶された環境で、世話をする事で精一杯だったカイムに三つ子の一般教養の教育まで頭が回るわけがなく、そういった複数要素で遅れている教育はなるべく早めに開始する必要がある。


 保護科の仕事は保護した生徒の教育も含まれている。

 指定年齢がないためその範囲は多岐に渡り、専用の資料も多数用意されているが、如何せん今まで保護した生徒の数が少ない。

 実働していた期間の方が少ない為資料は大量にあれど埃を被っているに等しい。

 その事を呟いたターチスにヘーヴは目ざとく指摘するが、ターチスは誤魔化すようにコーヒーを啜った。

 その様子にヘーヴは溜息を吐いた後ネルテの方に向き直る。


「どうです、カイムくん馴染んできました?」


「ルドーが機転を利かせたおかげでクロノとの仲違いが何とかなったよ。まだ警戒心が強いけどみんな見守ってくれてるから少しずつ打ち解けてきてるかな」


「まぁ経緯が経緯ですから、長期戦は構えておきませんと」


 最初期のカイムの警戒心はかなり強く、教師たちでさえ唸って威嚇し中々近寄れなかった。

 アーゲストから聞く三つ子を攫われた経緯からその警戒心は仕方なかったが、周囲を威嚇し続けて三つ子を守るように保護科の教室に隔離し続けていたため、状態がどんどん悪化していて教師の間でも悩みの種になっていた。

 仲違いの原因が解消されてクロノとも普通に接するように戻り、そこから周囲とも少しずつ噛みつくようにではあるが言葉を返すようになってきている。

 三つ子は元々ライアを保護し、ロイズもビタとトラストが助けようとしていた経緯、レイルも二人からの影響もあるのか、三人ともあまりカイムほど周囲に警戒心を持っていない。

 時間はかかるだろうがカイムも悪い子ではないのでその内打ち解けるだろうとネルテは踏んでいる。


「はぁ、にしてもクロノの方は本当にどうしたものか。魔力の心配もあるからウェンユーに一緒に頼んだけど……また警戒度上げちゃったよ」


「エレイーネーに対する信頼度を上げないといけないのに更に下げてどうすんですか全く」


「だってまさか流石に泣くほど拒絶するとは思わなくって……本人はわかってるってことだけだよ進展があったの」


「何してんですか全く……にしても本人はわかっているとなると、余計信頼ないと話してくれないのでは?」


「だよなあ、あーやっちゃったなぁ……」


 失敗に落ち込むようにネルテは机に頭を突っ伏して横になる。

 本来魔力が多いにしても、あれだけ身体能力が出せるほど鍛えているならば、魔法の訓練をせずともクロノは魔法が使えていないと逆におかしかった。

 しかし一向に魔法を発動させる気配もなく、挙句魔力伝達の拒否。

 何か理由があるのかとネルテが指摘したが答えなかったが、否定もしなかった。

 だからこそ何か抱えているものがあるのかと、ネルテは心配もあってウェンユーに見てもらえるように頼んだのだが、完全に裏目に出てしまった形だ。

 こうなってしまったらもう信頼を取り戻すためには行動で示すしかないが、今までの経緯からかなり難しくなったとネルテは珍しく気落ちする一方だ。


「ウェンユーといえば、ルドーくんの魔力暴走の方は送られてきた診察報告書改めて見ましたけど、なんですかあれ魂がひび割れてるって」


「私に聞かれてもわからないよ、魔力の根源を見る際魂が多少影響してくるって報告書には書かれてあったけど、そもそも魂がなんなのかわからない。トラウマでひびが割れてるっていう話だけど、そのトラウマも忘れてるんじゃ対策のしようもない、どうすりゃいいのかね」


 お手上げだというように両手を肩の前で上に向けて首を振るネルテ。

 そのまま助けを求めるようにネルテが視線を向けたターチスとクランベリーも、コーヒーを啜りながらよくわからないというように顔を見合わせた後首を傾げる。

 マルスは相変わらずピスピス眠っていて話すら聞いていない。


「ルドー君本人はどうしたいと?」


「魂がひび割れてる状態が良くないって認識してるから、治せるなら治したいって感じかな。ただトラウマ自体を忘れてて忌避感もない様子だから、それが本心なのかどうか、どうにも判別しきれない」


「ニン先生の言う所の転生前のトラウマだと、いくらなんでも調べようもないですからねぇ、どうしたものか」


「カウンセリングも何回かしてみたけど、本人がトラウマ自体を認識できてない感じねぇ。いい状態ではないけれど、無理して思い出させても悪化する可能性もあるし、ウェンユーさんの言う通り本人がどうにかしないとどうにもならなさそう」


「はぁ……何が刺激になるかわかりませんからカウンセリングは続けてください、クランベリー」


「はいはーい」


 魔力伝達の授業でルドーが暴走しかけてから、クランベリーが定期的にルドーにカウンセリングを行っている。

 ルドー自体は何故カウンセリングを受けることになっているのかわかっていないが、鉄線戦で一番負傷が激しかったため知らない間に精神負担を受けているかもしれないと理由付けして納得させている。

 回復魔法も精神の負傷までは治せない。

 そう説明すれば丁寧なアフターサービスだと勝手に思い込んでルドーはカウンセリングを受け続けている。


 ウェンユーに診てもらった後は特にルドーも気にしているのか断られていない。


「エリンジくんと相談している例の件は?」


「あれね、相手がジュエリ国王族だからな。今は慎重に事を運ばないと」


「あの野心家一族の相手をするのはいつもいつも骨が折れますよホント」


 エリンジの出身ジュエリ王国は、魔の森の脅威にさらされている昨今珍しく時代錯誤の帝国主義を掲げる野心溢れる王族が上に鎮座している。

 国土も広く歴史も長い為王族を一人降ろしても似たような次代がすぐに台頭するため、それこそトルポのような王族全てを引き摺り下ろすような過失をされなければどうにもならない。


 クレイブ公爵家を筆頭に、貴族家総出で王族を抑え込んでいるため、今のところ侵略戦争に発展してはいないが、ついこの間の隣国トルポの失態に貴族共和制への移行、侵略するのに持って来いの隙が生まれたためか動きたくて仕方ないらしく、国に戻ったデルメが常時王城に居座って睨みを利かせて一触即発の危機的状況に陥っている。

 こればかりはトルポが貴族共和制を盤石の態勢に立て直して侵略の隙を埋めるしか方法がないが、それには少なくとも数ヶ月時間がかかる。


 そんな中エリンジがルドーの状態を鑑みて提案してきた、ジュエリ国に保管されている古代魔道具の使用。

 王族にクレイブ家が申請することで弱みを見せる可能性があるため、ネルテはクレイブ家当主デルメとも連絡を取り合ってどう動くか慎重に相談している。

 デルメは王族の怪しい動きこそあるものの理由もなく王城に居座り続けているため、そろそろガス抜きが必要だとして申請するべきタイミングを見計らっているところだ。


「国の保管する古代魔道具だから、国外には出せない。旅行はうってつけのタイミングだったよ」


「国の重要機密の為古代魔道具の詳細は分かりませんが、これで何かとっかかりでも見つかればいいですね」


 そう言ってコーヒーを一通り飲み終えたヘーヴはマグカップを片付けるように流し台で洗って乾かすように逆さに置いた後、席に戻ってまた書類に取り掛かり始める。


「古代魔道具っていえば、この間の大型魔物暴走(ビッグスタンピード)の時も出てきてたんじゃなかったー?」


「えっそうなの?」


「……報告書渡したでしょうターチス、読んでないのですか?」


「いやぁ見ての通り書類まみれなもので……えーっとどれだったかな……」


 クランベリーの言葉に疑問符を浮かべたターチスに対して、ヘーヴが苛つくように歯軋りしながら指摘すれば、ターチスは慌てて書類の山をガサゴソと探し始めた。

 ちびちびと三分の一程になったコーヒーを啜って時間を稼いでいるネルテも思い起こす。


 聖剣が言っていたそうだ、倫理観もなく使い過ぎて暴走状態になったと。

 誰にも手を付けられず放置しても暴走するが、かといって良い使われ方をされなくても暴走状態に陥りやすいという事だろうか。


 古代魔道具の暴走に関して各国にはまだ報告を上げていない。

 そんな中、国にそれぞれ保管されている古代魔道具を確認してくれと通達を出しても不信感を煽るだけだ。

 古代魔道具の暴走について、聖剣は未だ詳しく語らない。

 それは校長室に鎮座しているネイバーの持つ古代魔道具も同じだった。


「なんで国で保管していなかった古代魔道具が今年に限ってこうもポンポン出てくるんですかね」


「やっぱりなんか色々きな臭いよ今年」


「お得意の女の勘ってやつー?」


「まぁ中央魔森林に危険が多数発覚したのもありますし、あながち侮れませんね……」


 中央魔森林で遭遇した剣の男と化け物に対する詳細は未だ掴めていない。

 歩く災害については魔人族から詳細は多少聞けたものの、魔人族の間ですら噂程度の代物であるためその実態と詳細は分からないまま、剣の男に関しては情報すらなかった。

 こちらでも探知魔法を使ったりして場所を割り出そうと、何か情報はないかと調べはしているものの、場所は魔力が大きすぎる上に未知の領域である中央魔森林の中のせいかまるで割り出せず、詳細な情報も調べてもまるで出てこない。

 歩く災害はまだ森の中を徘徊して中央魔森林から出てこないらしいが、剣の男はグルアテリアに出張ってきた前例がある。

 戦争を誘発しているならばエレイーネーにとっては敵、情報は詳細に必要になる必須事項だ。


「……ターチス?」


 ネルテが考えに耽っていると、ヘーヴの低い声がして前を見る。


「あっ」


「あらあら、飛んじゃったわねぇ」


 ターチスの役職放浪者による転移魔法は、エレイーネーに設置されている転移不可魔法を突破して飛んでいく。

 書類を残して姿を消してしまったターチスに、ヘーヴがギリギリと歯軋りしながらぐしゃりと手に持っていた書類を握りしめて怒りを露わにし、ネルテはこのままだと巻き込まれると慌ててコーヒーを飲み干して、のほほんとしているクランベリーとピスピス眠り続けるマルスを横目に書類事務を再開した。


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