第七十九話 鬼ごっこ
混乱しながらエレイーネーに戻った一行は、魔法訓練を終えて運動場から戻ってきたネルテ先生に一通り報告を終えた。
「魂がひび割れてる? なんだいそれ初めて聞いたよ。大丈夫なのかい?」
「いや俺に言われましても、今まで普通に暮らしてたからわかんないっすよ……」
ルドーがウェンユーから告げられた内容に、ネルテ先生も頭に疑問符を浮かべて困惑していた。
エレイーネーでも聞いたことのない話らしく、どうするべきか協議が必要だそうだ。
今までルドーにとって全く支障がなかったため、どうにも大袈裟にされている気がしてならない。
しかしネルテ先生に勇者として万全を期すためにも必要な事だと言われればそうだとしか返せない。
リリアの傍でまた知らない間に魔力暴走しないためにも、対策出来るならするべきだ。
「でもこれで暴走の原因は少しわかったかな。忘れているトラウマを思い出しかけて、また忘れてるんだ」
「また忘れた?」
「トルポで化け物に会ってからの記憶がなくなってるんだろう? 多分丸ごとごっそり忘れてるんだと思うよ」
少し納得したように話すネルテ先生にルドーも考える。
トルポで魔力暴走したと周囲から言われたあの時、確かにルドーはあの化け物が目の前に来てからの記憶がなかった。
気が付いたらリリアが腕の中にいて、安心して抱きしめたことだけ覚えている。
ようやく身に覚えのあることが出てきたが、それでも記憶がないのでまだルドーには実感がわかない。
とりあえずネルテ先生からは協議が終わったらまた連絡すると伝えられた。
ウォポンの方はヘルシュが一緒にネルテ先生に報告していたが、自分自身に対する洗脳魔法は盲点だったそうで、対策の魔法訓練が追加で入ることになったそうだ。
ただ一体いつからウォポンが自分自身に洗脳魔法を施していたのか定かではないので、かなり苦戦を強いられるかもしれないとネルテ先生が事前に二人に説明していた。
「……」
「エリンジ、クロノどうだった?」
「見つからん」
「カイムは?」
「見つからん」
『また外出てんじゃねぇか』
「ライアちゃんたちもいるし、戻っては来るだろうけど……」
エリンジは戻ってからクロノに謝ろうと校内を探していたようだが、あちこち回っても見つからなかったようだ。
いつも飄々として単独行動、化け物並みの身体能力のクロノが泣くほど話すのを嫌がっていたことを縛ってまで強要しようとしていたので、相当嫌がられていたことは確かだ。
エリンジは後から後悔するタイプなのか、無表情にも大分落ち込んでいる様子がルドーにはわかる。
リリアの言う通り戻ってくるだろうことは予想が付くが、しばらく気まずくなりそうだ。
翌朝、また授業に出てこないのではないかというルドーの予想に反して、クロノはカイムと一緒にライアたちに囲まれて普通に朝食を食べに食堂に出てきていた。
それを見て一瞬躊躇したエリンジの背中をすぐさま小突いて謝りに行かせている間、ルドーはリリアと一緒に少し離れた所から見守る。
「クロノ、昨日は悪かった」
「……こっちも都合があるって言ってる。魔力についてもう詮索してこないで」
かなり怒っているのか、クロノからは入学初期にエリンジをぶっ飛ばした時の様な低い声が返ってきていた。
巻き込まれたライアたちがクロノの機嫌を機敏に察して不安そうにカイムに寄っていく中、ルドーはリリアに目配せしてどうしようかと相談する。
首を振って返してきたのでとりあえず様子見しようという結論に達した。
リリアと二人で視線をエリンジの方に戻す。
かなり反省している無表情だとルドーにはわかるが、クロノにそれが伝わるだろうか。
カイムは後ろを向いて座っているのでどういう反応をしているのかルドー達からは見えない。
「……本当に済まなかった」
「次やったらもう本気で学校辞める、この状況私に利点少ないんだから。はぁ、もう謝罪はいいよ、分かったらあっち行って」
諦めたようにクロノは首を傾けて肩をすくめた後、いつもの飄々とした調子でエリンジをしっしと追い払うように手を振った。
一応エリンジの謝罪はクロノに受け入れてもらえた様な反応だった。
帽子のせいで表情こそわからないが、あまり考えたくないというようなクロノの反応から本当にギリギリのような感じではあるが。
エリンジは改めてクロノに頭を下げた後、ルドー達の方に戻ってきた。
謝罪は受け入れられたものの、クロノの反応から後味が悪いような無表情だ。
まぁ仕方ない、興味本位もあるだろうが、パートナーであるクロノがエレイーネーにそれなりにいるようになっているのに未だ魔法を使えないままである事をエリンジなりに多少は心配して、強引でこそあるもののあくまで善意でやった事があそこまで裏目に出る形になったのだから。
直球タイプのエリンジと秘密主義のクロノでは、やっぱり人としての相性が悪過ぎる。
ルドーがもう一度見やればライアたちがクロノに群がって心配するような言葉をかけている。
横に座ったエリンジの方を見れば、まだ少し落ち込んでいるのか、無表情に少し食欲がなさそうだ。
ルドーは思わず大丈夫かと声を掛けた。
「……あいつに対して失敗ばかりだ」
「まぁ今回はギリギリだったな」
「いい加減デリカシー学んでよこの朴念仁」
「リリ?」
「なんでもないよ?」
『女ってこええな』
訓練には体力がいると、エリンジは食欲がないながらも無理矢理朝食を口に突っ込んでいた。
後は時間が解決してくれるのを待つしかない。
朝食の後、ライアたち三つ子はクロノを心配しているのか、基礎訓練まで引っ付いてきていた。
流石に危ないからとクロノとカイムが二人掛かりで保護科の教室に戻るように諭そうと色々話しているが、逆にライアがクロノの足にへばりついて離れない始末だ。
基礎訓練を開始しようとしていた魔法科の面々はそわそわとそちらの方を見ていて訓練を開始できない。
ルドーも手助けの声を掛けるべきか迷っていると、ネルテ先生がやってきて二人の方に歩いて行く。
「クロノ、昨日は私もやり過ぎたよ、悪かったね」
「もういいです、それよりライアたちが……」
「うーん、心配して離れないか」
クロノの足元にへばりついて離れなくなったらライア。
魔法科の面々が見守る中、ネルテ先生もしばらく悩むように顎に手を当てていたが、ピコンと閃いたように左手人差し指を上げた。
「いっそ一緒にやるかい、おチビちゃんたち」
「はぁ!?」
ネルテ先生の提案にカイムが驚愕の声を上げるが、三つ子は逆に顔を輝かせて期待するように見上げてくる。
話を聞いていた魔法科の面々も全員驚いてどういうことかと集まり始めた。
「大丈夫だよカイム、同じ内容はさせないさ。簡単だよ、ここを使って三人を捕まえる鬼ごっこさ」
「鬼ごっこ!」
「なにそれここ色々あるし面白そう!」
「やるやるー!」
「ちょっ!? まっ!? 何を勝手に!?」
既にやる気満々の三つ子に大慌てで止めようとしているカイム。
楽しそうな三つ子のその様子に、ルドーはエリンジと一緒に顔を見合わせた後、カイムの方に近付いて声を掛けた。
「いいんじゃねーの? 三人とも元気有り余ってるのに一人で相手してるからいつも疲れてんじゃんお前」
「てっめ、他人事だと思って……!」
「相手してやる、当事者として言っている」
三つ子の相手をすれば気もまぎれるかと考えたルドーの読みは当たったらしい。
エリンジは落ち込んでいたのが嘘のようにカイムに任せろと頼ってほしそうな無表情に変わった。
「いいじゃん! やろうやろう!」
「楽しくなってきたね」
「精々逃げるがいい! 全力で捕まえてやろう!」
「「「カイにぃー!!!」」」
「あぁもううるせぇ! どうなっても知らねぇぞ!」
ルドーとエリンジに続くように魔法科の面々からも賛成の声が続々と上がって、それに便乗した三つ子にお手上げだというように、カイムは叫んだ後近場の地面に歩いて行って座り込んだ。
カイムの許可が貰えたと三つ子は大はしゃぎだ。
クロノは帽子の下でぽかんとでもしているのか、首を傾げたまま動かずじっと眺めている。
ネルテ先生が腕輪に情報を追加したようで、体力少ない組は三人のうちだれか一人、それ以外は三人全員を一回以上捕まえるように書かれていた。
ルドーとエリンジも当然三人捕まえる組だ。
リリアは誰か一人になっている。
ネルテ先生が手を叩いて開始の合図をすれば、三つ子はきゃあきゃあはしゃぎながら一斉に三方向に走り始める。
思ったより走るのが早くて魔法科一同大慌てでそれを追う。
「なっなんだと!? 小さいから軽いにしてもあの飛び石をいとも簡単に!?」
「嘘でしょう一周ループを難なく登っていますわ!?」
「ラっライアちゃん!? どこに消えたの!?」
カイムのように髪を使っている様子はないが、子ども特有の、いやそれ以上の体力で障害物を難なく登って走って伝っていく。
アスレチックに苦戦して、体力組がようやく半周出来るようになってきていたばかりの魔法科一同、驚愕しながら必死に三人追いかけ始める。
あまりの事に判断を間違えたかもしれないとルドーは思ったが後の祭りだ。
「……思ったより捕まえるの苦労するぞこれ」
「いい訓練にはなる」
「えーと、パニック起こして逃げてる要救助者救助、みたいな?」
リリアが逃げていく三人の理由付けをして現実逃避している。
その間にも既に追いかけ始めた面々が捕まえようと三つ子に近付いていた。
崖を難なく乗り越えたロイズが、追いかけて登っていたメロンがすぐ下に来た瞬間別方向に飛び上がって別の足場に飛び移り、メロンが捕まえようとして滑って下にいたイエディもろとも水場にバシャンと落ちた。
回転する伝い棒を横に伝って移動していたヘルシュのところにレイルが戻ってきて、そのままブンブン回って勢い良く回転させ始め、ヘルシュはそのまま遠心力に振り落とされてまたバシャンと落ちている。
ライアはいつの間にか姿が分からなくなって、トラストが観測者で必死に探していたら、後ろから飛び掛かられて踏み台にされ、上の足場に飛び上がられた勢いでトラストも水に落下する。
続々と脱落していく面々を見て、聖剣が大きく笑いだした。
『おぅ、いいようにおちょくられるの間違いじゃねぇのか?』
「マジかよ」
「行くぞ」
「言い出したのそっちだ、助けねぇからな俺は」
地面に座ったまま介入しないとばかりに胡坐をかいて肘をついたカイム。
肩をすくめた後腕を組んだクロノと、片手を腰に手を当てて逆の手を額にかざしニカニカ笑うネルテ先生が一緒に様子を見るようにアスレチックに近寄らずに眺めている中、ルドーはリリアとエリンジと一緒に三つ子を捕まえようと走り出す。
三つ子を捕まえさえすればいいので今回は移動経路の指定はない。
ルドーは足場のない壁ゾーンを両手で突っ張って移動して先を行くロイズをまずは目指したが、ロイズはルドーが近寄った瞬間ニヤニヤ笑って飛び上がり、ルドーの両肩に足を掛けるように乗り上げてきた。
突然の衝撃に思わずルドーの手が滑る。
なんとか落ちない様にと慌てて歯を食いしばって踏ん張るものの、ロイズはその様子を見てルドーの上でさらに宙転して背中に足で数撃入れられ、流石に抵抗虚しく落下した。
ロイズがそのまま壁を突っ張らずにぴょんぴょん壁飛びして先に跳んでいくのを、落下しながらルドーは眺めていた。
身体を冷たい水が包んで沈んでいく。
リリアもいい様にライアに翻弄され、不安定な足場で、大きな突起が大量についているスポンジ状の障害が回転する先で翻弄するように近寄ったり遠ざかったりされており、リリアが意を決して走り込んだ瞬間足場をさらに揺らして不安定にさせ、なんとか足場にしがみ付いたと思ったら回転する障害がぶつかってバシャンと水場に落下した。
エリンジは回転しながら往復するように移動している吊り輪に捕まって遊んでいるレイルを狙い、一つ後ろの吊り輪に捕まって捕まえようと追いかけ始めたが、レイルは吊り輪で身体を大きく振って勢いをつかせて一回転させ、その勢いのまま宙転してエリンジの背後に回り込み、エリンジの背中を蹴って場所を入れ替えるように吊り輪に捕まり、放り出されたエリンジはなんとか先の吊り輪に捕まりなおそうとしていたが、吊り輪でブンブン勢いを付けたレイルはエリンジが手を伸ばしていた吊り輪を支えていた回転部分を蹴り飛ばし、まんまとしてやられたエリンジも水に落ちた。
ただでさえ体力無い組のアリアとノースターが落ちない様に必死に移動している所に三人で向かってはイタズラするように周囲を回って、良いように翻弄されて抵抗虚しく二人とも水に落ちている。
いい子にしなさいと声を掛けるキシアとビタの周囲に大人しく来たかと思ったら、一瞬にっこりと笑って飛び上がって二人が捕まっている手の部分や脇や横腹を狙われてくすぐられ、捕まることが出来なくなった二人も水に落ちていく。
カゲツは登り棒のところで挟まれるようにロイズとライアに上と下を取られ、魔道具のおもちゃで釣ろうと必死になりながら商い魂で饒舌に交渉していたが、横から飛んできたレイルにおもちゃを取られながら滑り落ちて水に落下する。
フランゲルを筆頭にウォポンとアルスが体格差を生かして捕まえようとローラーのような足場を追いかけていたが、ペンギンが腹ばいするようにシャーッと三人滑ってきて、そのままボーリングのピンのように吹っ飛ばされて水にバシャバシャ落ちていった。
「いやぁ愉快愉快。元気いっぱいでいいじゃないか」
その後何度も挑戦しては何度も水に叩き落され、全員ぐしょぬれ状態になりながら、きゃあきゃあはしゃぎ続けている三つ子の方を見上げている。
結局時間が終わっても誰一人として三つ子を捕まえることは出来なかった。
カイムもかなり体力があったが、三つ子は三人分でその比ではなかった。恐ろしい。
様子を見ていたネルテ先生はニカニカ手を叩きながら笑い、聖剣もこらえきれない様に大声でゲラゲラ笑い続けている。
うるせぇ。
「おいチビども時間だぞ戻って来いや!」
「やだー!」
「まだやるー!」
「誰も捕まえてないもん!」
「はいはい、また明日ね」
未だ逃げ続けるロイズとレイルを、カイムが大きく溜息を吐きながら髪を伸ばして難なく捕まえ、いつの間にか消えていたライアは、飛び上がったクロノが何もない空間を掴んだと思ったら姿を現してきゃあきゃあ言いながら抱えられて一緒に飛び降りてきた。
ルドー達全員あんなに苦労して捕まらなかったのにこんなにあっさり捕まえている。
格の違いを見せつけられたようでルドーは思わず両肩を下げて凹んでしまった。
「……ライア、おい何だ今の」
「あぁ気付いてなかった? なんか透明化魔法使えるようになってる」
「はぁ!? ただでさえ面倒なのに!」
「はいはい、気持ちはわかるけどそんな言い方しない」
「あらら、訓練させたほうがいいかね」
クロノが告げた言葉に、カイムをはじめその場の全員が驚く。
ライアがちょこちょこ消えていたのは、透明化魔法で姿を消していたかららしい。
いつの間にそんなことを覚えたのだろうか。
流石にネルテ先生もクロノに抱えられたまま消えたり戻ったりしているライアを本職の顔で見始めた。
ライア本人は意識して使ってないのかクロノに抱えられたまま笑い続けている。
クロノは何故ライアが透明化して消えていたのにあっさり捕まえることが出来たのだろうか。
バシャバシャと水を滴らせながら集まったルドー達はカイムに近付いて感想を述べ始めた。
「悪いカイム、侮ってたわ。凄いなこいつら」
「ほんとにね、大変だったんじゃない?」
「並ではない、将来有望だ」
「体力有り余り過ぎ……子どもこわい」
「一人でこの三人相手は無理だろう! もっと声を掛けたまえ!」
「ハイハイハイいつでも相手出来ますよ!」
「しばらくこの調子で基礎訓練したほうが良さそうですわね」
「ふん、どうしてもというなら手伝う事もやぶさかではありませんわ」
「並の魔道具でもこれは耐えられないですや! 新たな商品開発の予感ですや!」
「いやぁやられちゃったね、まいったまいった」
『(魔法薬の使用許可ください……)』
「あわわわわ、捕まえられる様な魔法、なにか考えたほうがいいかも……」
「もう! 狙ったように人を何度水に落とせば気が済むのよ!」
魔法科全員でロイズとレイルを吊り下げたままのカイムを労わるように声を掛け続けると、また唸るようにカイムから返ってくる。
「うるせぇ慣れ合わねぇっつってんだろこっちくんじゃねぇ!」
「いやだからなんで私の後ろに隠れるのよ」
唸りながらライアを抱えたままのクロノの後ろにカイムがまた逃げ込んで、顔半分だけ出して唸って周囲を威嚇し続けている。
まるで野良猫のような反応につい全員で笑い始めた。
この日から基礎訓練はアスレチックに加えて三つ子を捕まえる鬼ごっこ形式に変更になった。




