第六十一話 未熟者の戦い方
「……通信魔法、使えない」
倒れている事に気付いたリリアが、起き上がるより先に通信魔法を使う。
転移門を通っていったライアの事を、その先に唯一いる相手に伝えたかったのに。
どこに飛ばされたか知らないが、きっと先生たちの通信妨害の範囲内だ、肝心な時にいつも役に立つことが出来ない。
悔しさに歯噛みしながら立ち上がるが、傍で倒れているのはノースターのみ。
「お兄ちゃん?」
リリアが周囲を見渡すが、ルドーはもちろん、エリンジも、トラストも、ビタもいない。
倒れたままのノースターに近寄ってしゃがみ、回復魔法をかけると僅かに身じろぐ。
薄暗い周囲は、煙と酒の匂いが充満している。
妙に鼻につく花のような甘い香りの煙は、薄暗い部屋を更に見通しが悪い状態にしていた。
「あー! 今のキシキブの転移魔法? こっちに飛ばしてきたってことは面倒事の後始末押し付けてきたな」
「地下に潜る準備をしてるって時に……。まぁでもつまりうちらをなめてかかってきたって事かい? ならさっさとぶちのめして売っぱらっちまえばいい」
人の声がしてリリアは身体を固くしながら声の方向に振り向く。心臓の鼓動が大きく早く感じられた。
髪の長い、色々と着崩していて今にもあられもない姿になりそうな、煙管を持って煙を吐く色っぽい臙脂色の髪と同じ色の瞳をした垂れ目の女性が床に敷かれた布団にくつろぐように横になっており、その隣に右が水色、左が黄色のオッドアイの、水色の髪をツインテールに、髪色と合わせた水色の小さなフリル付きのメイド調ミニワンピに動きやすいようショートパンツを履いた、リリア達と同い年くらいの少女が立っていた。
周囲は薄暗く、名も知らぬ二人の近くにある煙を放つ紫色の蝋燭のみがわずかに灯りを照らしているのみ。垂れ幕のように布が掛かっているせいでどこかの室内であることしかわからない。
隣で気が付いたノースターも、リリアと二人を見た後身体を強張らせている。
「……エレイーネーじゃん。あーあー、悪の組織ぶちのめすのは早いんだ。あーやだやだ」
「でも制服ってことはまだ学生だろう? おチビちゃんと同じくらいじゃないかい」
「じゃーどれくらい出来るか、いわゆるテストってやつ? やってみる?」
意地悪くにたりと笑った水色ツインテールの少女が動く。
その腕に抱いていた、継ぎはぎだらけの不格好な、ライオンとゴリラを足して二で割ったようなぬいぐるみを投げるように放り投げると、ぬいぐるみが突然巨大化した。
人より大きい、中規模魔物ほどの大きさになったぬいぐるみは四足歩行で走り込んできて二人に突っ込んでくる。
リリアは咄嗟に結界魔法で防いだ。
しかしかなり強力なのか、結界魔法こそ破壊されなかったものの、中にいた二人諸共猛烈な勢いで後ろに大きく押し出される。
そのままぬいぐるみは仁王立ちになった後、結界魔法を打ち砕かんと恐ろしい威力で叩き壊し始める。
結界魔法が壊れないようにと、おもわず歯を食いしばって口から声が漏れた。
「おやまぁ、戦えもしない子たちかい? うちらもなめられたもんだね」
そう言って臙脂色の髪の女性は大きな酒瓶を引っ張り出してゴクゴクとラッパ飲みし始める。
かと思ったら突然飛び上がってぐるりと回転すると、そのまま結界魔法を斜めにその手で叩き切った。
ざっくり割れた結界魔法の隙間から、まるで酔っ払いがふらふらしながら倒れるように入り込んできて、そのままふらりと動いたと思ったらノースターが吹っ飛んで壁に叩き付けられる。
「よそ見してていいんですかね」
思わず叫んだリリアに、ツインテールの少女が呟いたと思ったら、ぬいぐるみが結界魔法の裂け目を掴んで強引にこじ開けて破壊した。
真正面からぬいぐるみが拳を振り上げていたのを見ているだけだった。
叩き潰すように殴られてそのまま一緒に抉れた地面に食い込んでいく。
全身に痛みが走る。
結界魔法をかけ直したがそれごと叩き潰されている。
遠くでノースターが叫んでいるのが聞こえた。
なんとか薄眼で見やると、立ち上がったノースターが、壁に叩き付けられた影響でふらついているのが見える。
ルドー君にころされる、そう声にならず口で言っているのが見えたが、正面にふらふら歩いてきた女性にふらりと殴られていた。
壁に叩き付けられて鼻血を出している所が見える。
服の内ポケットから瓶を数本取り出そうとしたところを、またふらりと今度は蹴られてガラス瓶が割られ、床に液体が散らばり割られたガラスが粉々に砕け散っていた。
「魔法薬かい、厄介だが使えなきゃ意味がないねぇ」
そのまま必死に立ち上がろうとするノースターを、ふらりふらりと殴って蹴ってはどんどん血まみれにしていく。
なんとかこちらに手を伸ばそうとしたノースターが、強烈に腹を蹴られて唾を吐きだしながら倒れ、ピクピクと痙攣して動かなくなっていった。
「あーあ。あっちはほとんど防御すら出来なかったですねぇ、退学ってやつですか。あなたはどうですかね、恵まれた聖女さん?」
ノースターが攻撃されている間も、リリアもまた攻撃され続けていた。
結界魔法を何とか張っているが、その度に結界魔法ごと叩き割られて粉々になった結界がぬいぐるみの両手に大量にこびりついている。
「あーあ、こんな簡単な相手だからこっち押し付けてきたんですかねキシキブは、これなら自分でやったほうが早いのに、めんどくさ。ほらほら聖女ちゃん、このままあっさりやられて売られちゃうんですかね、エレイーネーなのに? その制服が泣いてますよ?」
結界魔法が破壊される破壊力で、地面に軽いクレーターが出来る威力で、自分よりも圧倒的に大きいものに殴られ続ける。
ドクドクと全身から血が流れる様な感覚が強くなっていく。
実際に地面に伏している手からは既に血がたくさん流れている。
軋んでいるリリアの全身からもきっと血が流れている事だろう。
恍惚とした表情で両手を頬に当てながらそれを見ているツインテールの少女は、それはそれは意地汚い表情をしていた。
「エレイーネーって、こんな弱っちいんですかい。私一体何にすがってたんでしょうね」
「レモコ、やり過ぎて殺しちゃったらバラさないと売れないじゃないか。面倒だから程々にしときな」
「はーい。どうにもつい力入っちゃいまいて」
ふらりと女性が、倒れたノースターをズルズルと引き摺りながらツインテールの少女に近寄る。
その指先がピクピク動いているのが見える。
わざわざ移動させてきたこの距離なら届く。
リリアは伏せたまま手を向けてノースターを瞬時に回復した。
回復魔法の白い光がノースターを包む。
すかさずノースターは胸元の内ポケットから瓶を取り出して二人に投げつけた。
倒し切ったと思って油断していた二人の顔付近で割れたそれに咽ている間にノースターが距離を取るように走ったが、女性がふらりとすかさず足を払って転ばしていた。
「ふぅ、またやり直しかい。痛い目みる時間が増えるだけだよ」
そう言って女性がまた酒瓶を取り出してラッパ飲みし始める。
こぼれた酒が口元からだらしなく滴っていたが、不意に目を見開いた。
そのままふらふらと千鳥足になってノースターに近寄って、ふらりとまた殴ろうとするが、流石にダメージが回復したノースターは、ギリギリ何とかかわして地面を転がっていく。
「逃げ場所なんてないよ、面倒だねぇ」
そういってまたふらりふらりと攻撃しようと近寄っていく間、むせて咳込んでいたツインテールの少女は、涙目になってリリアに更に攻撃する。
「何が、聖女だ、何が、エレイーネーだ、恵まれた、奴なくせに」
息継ぎしながらまた攻撃が再開されて、結界魔法を張るもまた叩き割られる。
なんとか耐えられるギリギリで視界がぼやけて定まらなくなってきていた。
だが――――
――――――兄が耐えてきたものはこんなものじゃない。
大量の剣に串刺しにされた光景は未だに夢に見る。
その後光に包まれていなくなった時の事は何度も思い出す。
毎日のように悪夢に見る。
黒焦げになった回数は百を超えるだろう。
いつも即座に回復魔法をかけているが、それまでの間に感じた痛みが全くないわけないだろうに。
その痛みに比べたら、リリアの今の痛みは大したことではないのだ。
ノースターが倒れていた時、ピクピクと動かしていた指の先に、普段使っていた魔法文字が見えた。
攻撃してくる二人からは見えない角度から、リリアにだけ見えるように。
『(あと三十秒、伏せて)』
ふらりふらりと歩いていた女性が、不意にその足を止めた。
ひたひたと素足で歩いていた足が、床にへばりついたかのようだった。
女性は足を見て、なんとか動かそうと引っ張っているがべったり素足が石の平らな床にへばりついて離れない。
「……さっきの投げてきたやつの本当の効果はこれかい、だが私の動きを止めた所で逃げられやしないよ」
「部屋に充満しているこの煙と、さっきから飲んでるお酒、二つが体内で作用してそれで身体強化してる」
倒れたノースターが上半身だけ起こしたまま割られたグルグルメガネを外し、血の流れ続けている鼻を拭う。
その下にあった素顔に、女性は思わず目を見張った。
グルグルメガネの下にあった黄土色の大きな瞳を合わせると、恐ろしく整った顔立ちで思わず誰もが目を引いてしまうだろう。
まるで綺麗にカットされた輝く宝石のような完成度のその素顔に、女性は思わず舌を巻いていた。
「思ったよりいい男じゃないか。その顔にその声なら高値で売れそうだね」
「流石に売られるのは御免かな」
女性のような高い声でそう言ってニヤリと笑ったノースターに、悪あがきかと女性は動けない足で見ていたが、不意に女性がぐらりとよろけた。
足が地面から離れたのかと一瞬誤解しそうになったがそうではなく、女性が膝をついて頭に手を当てた。
本当に眩暈でふらついてしゃがんだ様子だった。
「……視界が、なにを」
「最初に割った二つの瓶、失敗じゃないんだ。割らせるのが目的だったから」
女性はどんどんと息が荒くなってくる。顔色も悪い。まるで急激に病気になってそれが悪化していっているようだ。
「部屋の煙は臭いで何となく効能は分かった。酒を飲んだ後に明らかに身体能力があがった様子があったのも。そこから逆算して大体の成分は見当がついたから、後はそれを利用すればいい」
「成分を利用? あれだけでそんな無茶苦茶な理屈が通ると思ってるのかい?」
「魔法薬は魔力を多少使うからある程度融通が利く。僕の場合費やしてる魔力が多い分その融通の範囲が広い。必要な成分の入った魔法薬は二つ。割れたらあっという間に気化して、空気よりも密度が小さいから上に溜まる。それでもこの煙には負けるから、ちょうどあなたが立っていた頭当たりに溜まってたんだ」
だから必要だったのは、魔法薬が効くまでの時間稼ぎ。
たとえノースター本人が倒れたとしても、その効果は持続したまま、どちらにせよ女性は倒れる。
女性はどんどん咳込み始め、追加で飲んだ酒のせいでその成分がよく身体に回っている様子で、薬が身体を回っている状態で戦闘をしたこともあり、あっという間に昏倒して泡を吹いて倒れた。
そしてその気化した薬は酒を飲まなくても、多少なりとも身体に作用する。
空気より密度の小さいそれは、煙より下に溜まる。
だからあえて攻撃を受けるふりをして伏せる必要があった。
「ちょっ、こっちにも多少なりとも効果入れてるって事?」
ツインテールの少女が慌てる。
彼女の目がずっと掠れている事に、見えていないものがあることに気付いていない。
ほんのわずかな魔力のきらめきが、叩き続けたぬいぐるみの両腕に大量に散らばってまとわりついている事に気付いていなかった。
それは叩き続けていた様子を間近で見てやろうと薄汚い笑顔で眺めていた少女の周辺にも散らばっていることに。
「さっきから聖女とかエレイーネーとか、うるさい」
叩き続けていたぬいぐるみの右手が、突然爆発した。
ツインテールの少女が突然の事に大声をあげて狼狽した。
リリアには攻撃魔法が使えない。
それが彼女の聖女としてのデメリット効果。
魔物には浄化魔法が効くが、人にはまるで効果が出ないそれでは、反撃が出来ない。
攻撃以外の魔法が使えない、兄とは真逆の効果。
「だって、制服着てるじゃない! 結界魔法に回復魔法に! 聖女じゃないならなんだっていうの!」
「私そんなの興味ない」
またリリアを殴ろうとしたぬいぐるみの左腕が爆発して破裂する。
リリアは攻撃魔法を使っている訳ではない。
ぬいぐるみの両腕が破壊されてツインテールの少女が慌てる。
叫ぶような声でぬいぐるみに命令して、その頭で頭突きを食らわせようとしたが、今度は頭が爆発した。
「私がいないとお兄ちゃんはすぐ無茶をするの」
温存していた魔力でリリア自身の身体に回復魔法をかける。
そのままゆっくり、ニッコリと笑いながら立ち上がる。
「私がいないとお兄ちゃんは平気で怪我をするの」
ずっと結界魔法を張り続けながらも殴られ続けていたのは、結界魔法に魔力を過剰にのせて砕かせるのが目的だった。
砕かれ続けて粉々になった結界魔法の過剰魔力が、どんどん周囲に散らばって、窓についた雨粒が集まって大きくなるように、少しずつ集まって、大きくなっていく。
「エレイーネーを捨てても構わないって!?」
「だって私、お兄ちゃんの傍にいること以外に興味ないもん」
頭も爆発して胴体だけになったぬいぐるみを、軽くツインテールの少女に向かってニッコリ笑いながら押し倒す。
結界魔法を割り続けてまとわりついた、一種の地雷魔法のような状態になったそれを、周囲に過剰魔力がたくさんまき散らされている少女に向かって。
これは攻撃魔法ではない。
向こうが勝手に魔力の地雷原に突っ込んできただけだ。
ニコニコと、ルドー曰く危険な笑みを浮かべたリリアは、呆然とそれを見ているツインテールの少女に向かって断言する。
「だから、お兄ちゃんの傍に行くの。邪魔しないで」
周囲にまき散らされた過剰魔力の地雷原に、かすれた目でずっと気付けなかったツインテールの少女が、ようやくそれを認識した時には手遅れだった。
過剰魔力の地雷爆発を真正面から受けたツインテールの少女は、黒焦げになって、ぬいぐるみだった黒焦げの何かに押しつぶされて倒れた。
これは攻撃魔法ではない。
だから当たるほうが悪い。倒される方が悪い。
「……あれ、移っちゃったかな」
『(ルドー君もだけど、この子も大概怖い……)』
倒れたツインテールの少女が起き上がってこないことを確認しながら、最近の魔法訓練のせいで沢山聞かされた口癖が不意に頭を過ったリリアが困ったように首を傾げ、ノースターはそれを引いた目で見ていた。
「あんまなめんじゃないよ」
唐突にリリアは蹴り飛ばされた。
血が地面に掠れてぽたぽたと滴っている。
泡を吹いて倒れたはずの女性が、足の皮膚を引き千切って石の床に残したまま、リリアを蹴り飛ばしたのだ。
「身体が限界を迎えるのは慣れてるんだ。そんじょそこらの修羅場くぐってきたわけじゃないさね」
そのまま女性がリリアを見ていたノースターの背後から首をがっちりと掴んで吊り上げる。
ギリギリと折れる直前の、強烈な力を加えてノースターが白目をむき始めた。
壁に叩き付けられたリリアはなんとか意識を失わずに済んだが、クレーターが出来るほどの蹴り付けにダメージが大きくて目が霞み身体が動かないせいで自身の回復もままならない。
今リリア自身を回復してノースターに近寄らないと回復が間に合わない。
「弱い者いじめすんの気に食わんわぁ」
突如として女性の周囲に大量の光る魔力の鳥が羽ばたいて渦巻き始めた。
まるで竜巻のように大量に沸いた白く光る魔力の鳥は、そのまま女性に大量に降り注いで攻撃し始め、女性は思わずノースターを手放して悲鳴をあげる。
なんとか魔力の鳥を振り払おうと両手両足を攻撃するように動かしても、当たる度に破裂して攻撃をさらに加える。
「身体能力強化ねぇ、あの子より弱いな。いやあの子を比較対象にしちゃダメか」
魔力の鳥が大量に周囲を覆って逃げ場が無くなった瞬間、狙ったかのように大きな鳥が勢い良く突っ込んできて女性の腹部に直撃した。
大きく爆発して女性は仰け反り血を吐いて、今度こそ床に倒れて動けなくなった。
「あっ、倒したら情報聞けないや。やっちまった、またカイムにどつかれる……」
「ま、魔人族の……?」
いつの間に現れたのだろうか、遺跡で見た狐目の白髪長身男がそこに立っていた。
リリアはよろける身体に回復魔法をかけながらゆっくりノースターに近付き、ゲホゲホと噎せ返っているノースターにも回復魔法をかけながらその男を見つめた。
「助けて、くれたんですか?」
「遺跡で同胞たちが受けた君の借りは、えーとなんてったっけな、これでトントンってことで」
「え?」
狐目の男はリリア達に攻撃してくる様子はなく、そのまま部屋を物色するようにあちこちひっくり返し始める。
あーでもないこーでもないと言いながらあちこちから書類を引っ張り出している狐目の男を、回復したノースターとしばらく呆然と眺めていたが、あることを思い出してリリアは狐目男に大声をあげる。
「ライアちゃんが! ライアちゃんが危ないんです!」
聞き馴染のある同胞の危険を耳にして、狐目の男は勢いよくリリアに振り返った。




