第五十一話 地獄の果て
話を聞いて呆然としていたルドーを気にもせず、ゲリックにここでは狭いと言われて部屋から外に促される。
少女がやたら部屋から出るのを嫌がったが、このままだと一人取り残されるぞとゲリックに言われると、ルドーの腰元までしかない身長で足元にべったりとへばりついてついてきた。正直歩きにくい。
部屋に灯していた蝋燭を拾い上げて持ったまま進むゲリックに続く。扉の外は何もない殺風景な外の風景だった。
どこまでも真っ暗で吸い込まれるような闇が支配しており、何となく落とした視線の先は、まるで何の栄養もない汚れた固そうな土の地面が、薄暗い灯りの中見る限り延々と続いている。
全員が外に出た瞬間ガラガラと部屋が音を立てて崩れる。
どうやらルドー達がいたあの部屋はゲリックが魔法で作り上げていたものらしい。
「俺の知ってる地獄とはだいぶ違うような、いや見た事はないんだけど」
「そりゃあそうでしょうとも。ここはこの世界の地獄ですよ、異世界転生者」
「えっ」
周囲を見渡しながら言ったルドーの言葉に、ゲリックは意味深に返す。
驚いて声を上げるルドーに、ゲリックは何でもないというように歩きながら前を向いたまま右手を振った。
「魂を見ればわかります。別の世界の人間の魂は色が違う」
「……やっぱ悪魔なのか?」
「地獄を取り仕切っているという点では悪魔ですかね」
振り向きもせず歩き続けるゲリック。
ついて来いとでも言わんばかりに右手を頭の上あたりで振っていた。
真っ暗でどこにいるかも、どこに向かっているかもわからず、ただ導かれるままルドー達はゲリックの持つ蝋燭の灯りを頼りに付いていく。足元にへばりついた少女がやたら怯えていた。
『……ルドー、気を付けろ』
「うん?」
聖剣に言われて注意を払うとなにやら唸り声がする。
人とも動物とも取れる様な、それでいて不気味で聞き慣れない音だ。
ズルズルと引きずるようにしながら大きな何かが近付いて来る。
少女も気付いたようでカタカタ震えてさらに強くしがみ付いて泣きじゃくり始めた。
「さて、さっそくお手並み拝見といきましょう」
ゲリックがルドーの足元で泣いている少女を強引にベリッと引きはがして、ルドーの背中をポンと押す。
蝋燭の灯りに照らされた、ねばつくスライムのような、灰色のなんだかよくわからないものがこちらに近付いてきていた。
ドロドロに溶けた頭部のようなところに、顔のような、三つの黒い穴が開いている。
魔物とは圧倒的に形状が違う。
わずかに魔力のようなものも感じる、なんだこれは。
聖剣を構えたまま得体の知れないものを見上げて固まったルドーに、ゲリックはしょうがないというように声を掛けた。
「ほらほらボーっとしてると貫かれますよ」
『ルドー!』
「くっそなんだってんだよ!」
スライムのような粘性の身体がゴワゴワと動いて、一瞬にして大量の棘となり襲い掛かってくる。
病み上がりであまりうまく動かない身体を何とか鞭打って身を翻し、側転して躱した後聖剣を振り上げて雷魔法を叩き込む。
しかし雷魔法で一瞬黒く焦げたと思ったら、すぐに再生してどろどろと何事もなかったかのように顔のような三つの穴がこちらを向いていた。
「あ!? 効いてねぇ!?」
「火力が全然足りてないんですよホラホラもっと強く撃つ」
「病み上がりでこき使うな畜生!」
もう一度、今度は言われた通りに火力をさらに上げて雷魔法を叩き込むが、やはりすぐ再生して効いている様子がない。
通常の魔物や中型魔物ならとっくに屠れるだけの威力を叩き込んでいるがてんでダメだった。
どれほどの火力を当てればいいのだろうか。
悩んでいるルドーにゲリックがそうじゃないと言わんばかりに顔の前で手を振っていた。
「違う違う、段階的に火力を調整してたら時間がいくらあっても足りませんよ」
「どういうことだよ!」
「あなた古代魔道具使ってるんですよ、外部の魔力使ってるんです。遠慮しなくていい、一撃で倒すと考えて撃てばいいんです」
「そうすると俺の身体にもダメージ入るんだって!」
「それがそもそも間違ってます。あなたの先入観です。本来そう言う使用効果なんてないんですよ」
「えっ?」
思わず剣を構えたままゲリックを見る、泣きじゃくる少女の頭を撫でながらこちらの様子を観察している彼は口だけニヤリと薄笑いを浮かべているが目だけが細めて真顔のままだ。
ドロドロした流動体を前にしたまま固まっているルドーに、しょうがないと言わんばかりにゲリックは説明し始める。
「最初に手にした時のダメージのイメージがずっと付き纏っている。自分の身体が焼け焦げるほどのダメージを最初に負ったから、強い魔力を使うと自分もダメージを受けると勝手に思い込んでいる。そのせいで攻撃の際無意識に自分で自分に追加で攻撃を入れてるんですよ」
「……本来は自分にダメージ入れずに魔法が使える?」
「外部魔力を使う古代魔道具で怪我なんか普通しません。あなたの方がイレギュラーです」
森の中で魔物に襲われて最初に手にした時に、聖剣に受け入れられるまでずっと雷魔法の攻撃を受け続けたルドーは、その第一印象が強すぎた。
使えば自分も傷付く代物であるとその時勝手に思い込んだのだ。
その強すぎる印象のせいで自分にも攻撃を無意識に向けていたせいで本来の威力を出せずにいた。
「魔法はね、想像。まぁ要するに考えたことを考えた通りに使える、考え方次第です。本来はそれを体力付けて制御するもんですが、外部魔力の古代魔道具ならその制限もなく思った通りに使えるんですよ。あなたの場合それが逆に足枷になっていた。ダメージは負わない、相手を一撃で倒す。そう思って聖剣を振ってみなさい」
「……感覚でやれってそういうこと?」
『だから最初から言ってるだろ』
「わかんねぇよそれ!」
改めてねばついたよくわからない敵を見る。
流動するそれは泣いているのか怒っているのかよくわからない。
こいつを一撃で倒す、ダメージは決して負う事はない。
今まで感じたことがないやたら真白な、スッキリとした感覚。
そのまま振り上げれば想像以上に聖剣を早く振り下ろすことが出来た。
今まで剣先からレーザーのように伸びていた雷閃が、聖剣を振り下ろすと同時に何もない上空からもっと大きく降り注いだ。
雷閃に焼かれて周囲が熱を帯びる。黒くグズグズと縮れていくそれをじっと眺めて、ルドーは驚愕に目を見開いていた。
いつもだったらこれだけやれば身体が動かなくなるなり黒焦げになっていたはずなのに、その感覚すらない。
その様子にゲリックは満足そうにしたり顔でニヤリと笑った。
「ふむ、ようやくといったところですか、まぁ及第点ですかね」
『おいどういうことだよ、倒す勢いで焼いたはずだぞ』
聖剣の声にルドーが改めて見ると、焼ききったはずのそれはまた空中でグズグズと再生し始める。
一撃で倒す、そうイメージしたはずなのに倒し切れていなかった。
思わずゲリックを見たが、彼はさも当然という様子でしたり顔をしたまま首を振った。
「あぁお気になさらず。大丈夫ですこれがデフォルトなので」
「どういうことだ?」
「死んだ人間をどうやってもう一度殺せますか?」
なんでもないというように言い放ったゲリックに、理解しきれず一拍置いて、その言葉の意味がじわじわ分かってきたルドーは恐ろしさに身震いした。
「まて、待ってくれ、死んだ人間……?」
「ここは地獄です。死んだあとに強烈な未練を残して、それがよくない未練ならばああやって先に進めずここに溜まります。あそこまで原形が分からなくなれば、もうなにを恨んでたかもわからないくらい自我も崩壊してます。魂だけの実体のないものなので倒しようもない。気を付けてくださいね、ここには腐るほどたくさんいますから。対処方法は手が出せないくらい遠くに吹っ飛ばすくらいです」
そう言ってゲリックが指を鳴らせば、目の前の流動体がフワっと浮かんだかと思ったら、遥か彼方に音を立てて飛んでいった。
ゲリックにしがみ付いたままの少女は既に何度か会っていたのだろうか、まるで発作でも起こしたかのようにしゃくりあげて泣き続けている。だからあれ程怯えていたのか。
遥か彼方に飛んでいったそれを呆然と眺め続けていたルドーに、ゲリックは続ける。
「速さは今のをより極めれば行けるでしょう、火力も然り。後は本体の落下対策ぐらいですかね」
「……なんであんたこんなに俺の強化に協力的なんだ?」
「あなたが聖剣を持ち続けるなら、いずれ相対する。私の目的はそれです」
『お前……』
「今は知らなくていい、素直に受け取っておきなさい。さて、落下対策といきましょう」
パンパンと手を叩いてこちらに来るように指で促す。
近寄るとゲリックが信用しきれないのか、少女がゲリックから離れてまたルドーの足元にしがみ付いた。
「落下対策って言ったって、手から落ちたらどうしようもないから今まで紐でくくってんだけど」
ゴム製の紐はとっくに焼け落ちている。
聖剣が遠くに飛んでしまったら、引き寄せるための風魔法がデメリットで失敗するルドーには取り返す手段がなかった。
「古代魔道具を使って新しく作ればいいんです」
『えっ』
「いやなんでお前が驚いてんだよ」
「古代魔道具が往々にして自身の事について詳しく知らないのは仕組み上仕方ない。特に聖剣は戦闘特化であまり分析に詳しくない。だからいつも曖昧な言い方でしか伝えられなかったんでしょう」
「……こいつの性格で特に曖昧になってたって事?」
「そういうことです」
ぎゃいぎゃい抗議するような声が聖剣から上がるが、じゃあ知ってましたかとゲリックに言われて黙り込んだ。
古代魔道具そのものがその本体の事に詳しくない。
聖剣が黙っていることもあるだろうが、通りで全然説明してくれないわけだ。
「聖剣を持ったままイメージしなさい。落としても取り戻せるように、守るために戦うために、何が必要なのか、具体的に強くイメージしなさい」
困惑するもののゲリックに言われるままルドーは聖剣を持ったまま目を瞑る。
落としても取り戻す。
手を伸ばせばすぐに届くように、手元から離れても戦えるように。
集中するように深呼吸すると、周囲からバチバチと静かに雷の魔力が溢れてくる。
そのまま両手を伸ばすようなイメージをしていると、大きくバチンと音がして両手に振動が入った。
「……いけましたね、お見事」
ゲリックの声にルドーが目を開けると、両手に聖剣と同じ黒色の金属に、波打つような金の装飾が施された大きい腕輪が嵌まってバチバチと雷が瞬いていた。
『えぇ、こんなことできんのかよ』
「おまえ自分の事なのに知らなさすぎじゃね?」
『うるせぇ好きでやってんじゃねぇよ』
「はいはい喧嘩しない。試してみてくれます?」
ゲリックに促されるままルドーが聖剣を手から離すが、まるで風魔法でも使っているかのように宙に浮かんだ。
そのままゆっくり手を動かすと、思ったようにブンブンと色んな方向に回転し始め、果てにはバチバチと雷魔法も放出できた。
「すっげぇ、こんな使い方出来たのか」
「これなら落としても即座に戦える。幅も広がるでしょう」
「目ぇ回んねぇの?」
『不思議と回んねぇな。むしろ身体が軽いわ』
「ぴえっ!」
あんまりにも近くでブンブン聖剣を振り回し続けたので、勢いに驚いて少女が泣き始める。
不味いちょっとやり過ぎた。
「……ほんと喋んないなお前、名前なんだっけ、ラー……ラー……うーん思い出せねぇ」
「ショック性の記憶障害と言語障害が少々入ってます。優しくしてあげてください」
『いやそれここだと無理だろ』
そのままゲリックの住まいで夕食をごちそうになる。
何もない荒野のような場所にそぐわない洋館がドカンと建っており、その中は調度品が程よく設置されて生活感があるものの、どちらかと言うと幽霊館のような仰々しい雰囲気を醸し出していた。
やたら広い食堂で長い背もたれの椅子に座り、まるで最後の晩餐のようだ。
味覚が死んでいるという彼の食事はどれも毒々しい原色にいろんな薬品の匂いが混じってとても食べられる味はしないが、薬が入っているせいか痛んだ身体には物凄く効いた。
少女の方もゲリックが怖いのか出された食事をなんとか必死に食べているが、食べるたびに顔が緑になったり青になったり、苦しそうに食べている。
今更だが食べてよかったのだろうか、地獄に入ってから食べ物を食べたらいけないような話を聞いた覚えがあるが、あれはあくまで前世の世界での話だ。この世界に適用されるのだろうか。
優雅にナプキンで口元を拭きながら食事を終えたゲリックが話し始める。
「さてこれで最後になりますが、元居たエレイーネーに戻りたいですかね」
「いやそれはまぁもちろんだけど……」
「では、あなた達を元いたエレイーネーに戻します。その代わり、時が来たら私の目的のために協力してもらいましょう」
そう言ってゲリックが立ち上がり傍に近寄って右手を差し出すと、大きく不気味に紫と緑の魔法円が現れた。
周辺を紫の煙が舞い、激しい轟音と突風が吹いている。
『気を付けろ、契約魔法だ!』
「つったってこれしないと帰れねぇじゃん多分……」
おどろ恐ろしい空気を感じながら、足元に少女が怯えてしがみ付いて来るのを感じる。
生身の人間が来られるはずのない地獄にいるなら、多分自力脱出は不可能なのは、今まで見てきたどこまでも続いているいつまでたっても日の光がない真っ暗な外の様子で何となく察しはついていた。
古代魔道具とリリアの転移魔法が偶然作用しての暴走、転移魔法がルドー単体では失敗する今、脱出手段はなかった。
選択肢はない。
ルドーは意を決しゲリックの手を握る。
握った双方の手に氷のように恐ろしく冷たい鎖が素早くまとわりついて、ガチンと固まったと思ったら、鎖が消えてルドーとゲリックの右手の甲に黒い蛇の紋様が浮かび上がる。
「契約は完了、お疲れ様でした。歌姫に会ったらよろしくお伝えください」
「なんだって?」
魔法円が眩しく光り輝く、周囲が見えなくなるくらい眩しい。少女が必死にしがみ付いて来るのをその背に手を回して支える。
ルドー達は地獄から脱出した。




