第三十三話 アシュと女神教の確執
人通りの多い道をリリアに引きずられる様にして歩きながら塔を目指す。
分かりやすい目印があるため迷わないで済んでいるが、円形に取り囲んでいる建物は入れ違いになるように建てられているため、目的地が別なら迷いそうな構造だ。
同じような建物が似たような構図で並んでいる上、大体が高い建物なため視界が同じように見えてしまうのも要因の一つだろう。
ルドー達と一緒にトラストと、なぜか依頼されているはずのイシュトワール先輩もついてきた。
いい加減苦しいのでリリアの手を掴んで首から引き離しながらルドーは先輩に声を掛けた。
「先輩もついて来るんですか」
「やー持ち場もなくて暇だし、俺も歌姫の像は見てねぇからよ。女神像ならいざ知らずだが」
「そ、そういえば女神像全然見かけないですね。いつもなら教会の度に見かけるのに」
両手を頭の後ろに組みながらついて来るイシュトワール先輩に、トラストもおずおずと会話に入ってくる。
トラストはイシュトワール先輩に色々と質問したい様子でメモとペンを持っている手が震えていたが、一応自重して耐えるように制服に仕舞い込んでいた。
女神像とは文字通り女神を模した像だ。
世界宗教の女神教は一神教で、創造神の女神が人を土から作ったとされている。
世界各国に教会が立ち並び、町のあちこちに女神を模した像があるのが常だが、言われてみればこの街に入ってからあまり見かけない気がする。
教会は街に入ってから既に何か所か通り過ぎているので、教会がないわけではないのに不思議だ。
街に設置が少なくても、教会には目立つように玄関口に設置されていることが多いためだ。
歩きながらリリアも悩むように目線をあげた。
「歌姫の像があるから設置しにくいとか?」
「ガキですらあの調子だから信心深そうだしなぁ」
ルドーは先程走り去っていった少年を思い出す。
子ども特有の純粋さなのか、それともあれがこの街の常なのか定かではないが、腐ったトマトを投げても嗜めるような声は聞こえなかったから周囲はあの行動に肯定的なのだろうとルドーは結論付ける。
歌姫の像があって身近に接しているせいか、自然と信心深くなるのだろうか。街を守った伝承があるなら尚の事。
しかし歌姫も結局は役職、与えるのは女神のはずでは。
「あれ、でもそれだと変だな、歌姫も役職だから大元辿れば作ったのは女神ってことになるよな?」
ふと思って呟いたルドーだが、周囲から変な空気を感じて振り向くと、怪訝な表情でこちらを見つめる面々がいた。
楽しそうにしていたリリアでさえジトっと眉間に皺を寄せている。
「お兄ちゃんの学習本、歴史全然進んでないの?」
「えっ」
「その様子だと女神教宗教戦争まで進んでなさそうだな」
「あのあの、学習過程としては大分前半になるかと思うんですが……」
その場にいる全員からのジト目に責め立てられる様な口調、イシュトワール先輩からも残念なものを見る目線を向けられて、ルドーは思わず顔をそむけた。
文字の書き取りや算数の計算など、学習そのものがあまり得意ではなく、特に暗記的な歴史の勉強は全く進んでいないのがとうとうリリアにばれてしまった。
こうなってしまうと定期的に進捗を聞いてきて面倒だから黙っていたのだ。実際村にいた時でさえ文字の練習はどうしたのだと定期的に聞いてきていたのを何とか誤魔化していた。
顔を背けたまま冷汗をかいて明らかに誤魔化そうとする様子のルドーに、トラストは指で頬をかきながらも分かりやすく説明してくれる。
「歌姫は確かに大元を辿れば女神様が授ける役職ですけど、この街は女神教団体の方と確執があって女神教より歌姫の派閥なんですよ」
「だからこの街は歌姫像も相まって歌姫の方を信仰してるからあんま女神像は置いてないってわけだわな」
「あ、それもあったんですね。でも納得です」
イシュトワール先輩の補足に、トラストが納得したように拳で手を叩いた。
二人の話にルドーも何となく納得したが、細かいところを知っておかないとまた同じ轍を踏みそうな気がして流石に不安になる。
何度も腐ったトマトをぶつけられるわけにはいかない。
「確執ねぇ、宗教戦争とか色々面倒そうだけど、さっきの事もあるしもうちょっと詳しく知っときてぇな。でもどうすっかな、学習本はエレイーネーに置いてきちまってるし」
「はーいそんなあなたにこのアシュの街の歴史を記したパンフレット、一部三セルズでどうぞ!」
「なんかめっちゃタイミングよく出てきた! ってカゲツか? 何してんだお前」
屋台から突然パンフレット共に手が延ばされてきて通りがかりに面食らったルドーだが、その手の先を見ると魔法科一年、要するに同級生のカゲツがいた。
短い薄茶髪に薄荷色の大きな瞳、子どもにしか見えない小さな体型の彼女は、一見すると子どもが親の屋台の手伝いをしているようにしか見えなく、周囲から微笑ましいような形で見られている。
チッチッチッと指を振りながらパンフレットをひらひらと振りかざしてカゲツは続ける。
「なにってルドー君、バイトですよバ・イ・ト! どんな時でもお金になるなら励み惜しみませんや私は!」
「自由行動に制限ないからって流石に自由過ぎんだろ」
「ちゃーんとネルテ先生には許可とってますよぉー。式典までの自由時間だけです。で、買うんですか買わないんですか」
パンフレットをこれ見よがしに目の前にひらひらとかざしながら、モノをよこせと言わんばかりに反対の掌を差し出してくる。
一応三セルズは日本円で言う所の三百円くらいのため、観光客向けのぼったくりでもない良心的価格ではあるものの、一文無しのルドーにはそれを払うだけの余裕もなかった。
「田舎の小市民なお陰で三セルズどころか一セルズもねぇよ」
「やややっ! そんなぁ売上貢献してくださいよぉ!」
パンフレットを振り回しながらふくれ面で非難してくるカゲツは、すぐさまルドーから視線を外して同行しているリリアやトラスト、果てにはイシュトワール先輩にも声を掛けるが、リリアもトラストも同じく金なしなので拒否、先輩に至っては依頼の際に同じものを貰っているので要らない始末だ。
「あぁーん誰も買ってくれないなんて! 同級生が冷たいですやっ!」
「でもない袖振れないもん……」
流石に可哀想になったのか、リリアが少ししょんぼりしながら両手をばたつかせて抗議するカゲツを見ている。
すると屋台の裏方から別の人間が出てきた。
「あらぁ、カゲっちゃんの同級生ってことは同じ魔法科のみなはん? ほんなら一部だけサービスしとくわぁ」
ラベンダー色の髪に薄水色の瞳、庶民らしい素材のワンピースに紺色のエプロン姿の小柄な少女が裏から出てきたと思ったら、涙目になっているカゲツとルドー達を交互に見た後、両手を合わせて頬に当てた後、ゆったりと一部をこちらに渡してきた。
「えっでも金ないんだけど」
「ええよええよ。カゲっちゃんに免じてこれはサービスやけ。あ、でも礼は倍返しでお願いしますねぇ」
ゆったりとした口調だがおっとりした感じはない。
倍返しと言われてもないものはないのでどうしろと言うのか。
ルドー達がそう思っているのが分かったのか、その少女はルドー達をゆっくり見渡した後、スカートをつまんで軽く頭を下げて挨拶する。
「私は基礎科一年のオリーブ・サンフラワアていいますけ。今後も贔屓によろしゅう頼んますわ」
「サンフラウ商会の後継が基礎科にいるっつってたなそういや」
イシュトワール先輩が後ろで思い出したように顎に指をあてた。
サンフラウ商会と言えば片田舎のルドー達の農村にまでキャラバンが出張販売しに来ることが出来るかなり大規模な商会だ。
世界規模の大きな商会であり、各国様々な街に支店を出していて、片田舎のルドーとリリアでさえその名前を覚えているほどだ。
そんな世界規模の商会の後継と聞いて、ルドー達は思わず全員襟を正すようにわたわたと姿勢を正した。
「あっ私髪飾り好きでキャラバンが村に来た時いつも買ってます!」
「俺も服とか色々世話んなってるな……」
「さっ参考書が丁寧で新刊いつも楽しみにしてます」
「はーい、そんな感じで頼んますねぇ」
倍返しとはつまりサンフラウ商会を御贔屓にと言うことだと理解したルドーは、ゆったりとニコニコしながら両手でパンフレットを差し出されて、恐縮しながら受け取りつつ将来働き始めたら積極的に買おうとそんな風に思った。
パンフレットを一部貰って別れたルドー達は手を振るオリーブとカゲツに見送られながら塔を目指して歩を進める。
「政治腐敗して教会を追われた元幹部が街に逃げ込み暴走、大量の魔物を発生させるも歌姫がその身を犠牲に魔物の発生装置ごと石化して街を守ったと。ソラウ王国が建国して間もなくの事件となると、なるほど、歌姫が信仰されるわけか」
早速貰ったパンフレットを広げて読んでいくと、ちょうど知りたかった部分が子どもにも分かりやすい様に簡潔にイラスト付きで描かれていた。
いかにも悪役っぽい感じで描かれている女神教から追放された元幹部が、魔物を何らかの機械で大量召還して街に放っている所に、歌姫が歌で魔物を石化させ、本人も石化していく様子が描かれている。
多少尾鰭はついているだろうが、原因が元女神教幹部で、建国して間もない時期にこんな事件が起きたのなら確かにあまり女神教が発展しないのも当然と言えば当然か。
さらにこの童話のような見た目のパンフレットが街中に溢れるほど置かれているなら、小さい子供が歌姫に憧れて尊敬するのもまた当然と言えるだろう。先程の腐ったトマト少年の行動にようやく納得がいった。
今は他者利益を優先して奉公活動している女神教だが、どうやら過去には色々と政治的にごたごたしていた部分があり、それが宗教戦争やらなんやらに発展して今なお爪痕を残しているようだ。
学習本の歴史学で学ぶ部分ではあるものの、ルドーはこの辺りはどうにも目が滑りがちになる。
「お兄ちゃん、帰ったら自主勉強しようね」
「気が向いたらな」
「お兄ちゃん!」
『勉強つまんねーし程々で頼むわ』
リリアの追及をかわしながら人通りの多い路地を抜けていくと、ようやく広場が見えてきた。
各国主要人物たちが参加する式典のメイン会場となっているここは警備の関係で立ち入り禁止となっており、その手前の少し開けた場所までしか一般人は入れないように魔法と魔導士で制限されている。
他国の王侯貴族が物珍しいのか人通りも多く、チラチラと広場の方に視線を投げている人が多い。
なにやらプラカードみたいなものを持っている人たちもいる。これもカリスマがなせる業と言うものだろうか。こっちを見てと書かれている、アイドル扱いじゃないかそれ。
広場に辿り着いたルドーは目指していた塔と、その多い人混みの方をげんなりと見つめる。
田舎出身のせいで人混みは今一慣れなくて苦手だ。塔の方に行くにはその正面にある広場を避けないといけないので大回りしないといけないが、人混みが多すぎて道が見えなくてよくわからない。
どうやって塔の下まで行こうかと人混みの中道を探してあちこち視線を投げては悩んでいたルドーは、見覚えのある人物が目に入ってきて思考が止まった。
これだけ厳重に警戒されている原因がそこにいてはならない。
広場の喧騒の中、その二人は塔の方を見つめて会話しており、こちらに背を向けていて気付いている様子ではなかった。
「お前先戻ってろ」
「え、残りのところ一人でどうすんのよ。あんま詳しくないでしょ」
「施設っぽいとこねーだろ、街の中歩くだけならどうにでもなるわ」
「今日はあくまで下見だって事忘れないでよ、なんかイベント事か人多いし。戦闘厳禁だってアーゲストも言ってたじゃん」
「わーてるっつの、一々言うな。いいからさっさと戻れや」
「あーもーはいはい、知ーらない。戻りますよ戻ればいいんでしょ」
この場でルドーだけが遭遇したことがある、髪を使って戦う魔人族のカイム。
そしてその隣で肩をすくめてやれやれと踵を返したクロノが、ルドー達と正面から邂逅した。




