第二十三話 遺跡の底
魔人族を名乗った狼男から吹き荒れる赤黒い魔力の余波に、ルドー達魔法科の面々は圧倒されて身を守るようにしながら立ち尽くしていた。
厄介なことにルドーが目指していた水路の穴がちょうど魔人族の左背後に位置している。
聖剣を回収するにはどうにか目の前の狼男を掻い潜らないといけない。
あれがないとルドーはまともに戦うどころか、狼男の攻撃を防ぐことすら困難だった。
狼男の様子を見ていたネルテ先生は、生徒達を守るように前に躍り出て、両手を構えながら不敵に笑う。
「なるほど、確かに相当な魔力だ。それにこれは……」
狼男が大きく咆哮して構え、すぐさま拳を振るって赤黒い魔力が飛んでくる。
魔道具製造の施設でルドー達が見た時とは比べ物にならないような大きさだ、あれで手加減でもしていたというのか。
しかしこちらに当たるより前に大きな衝撃音と共に弾け飛んだ。
「同系統の魔法の使い手か、腕が鳴るじゃないか」
ネルテ先生が同じように腕を振るって緑の魔力を放出し、拳を作って相殺していた。
強力な魔力同士の衝突相殺に大きな突風が発生して、ルドー達は思わず腕で顔を庇いながら足を踏ん張って耐えていた。
メロンが大きく悲鳴をあげて、エリンジからも思わず噛み締めるような声が漏れた。
猫毛の少女は身を守るのが精いっぱいの様子でしゃがみ込み、体格の大きいフランゲルは風圧につい後ろにひっくり返った。
狼男はネルテ先生の相殺行為に一瞬驚いたような表情をするも、逆に面白いというように不敵に笑いながら舌なめずりをして更に身構え直した。
続けて攻撃してくるつもりだ。
すかさずネルテ先生は叫んだ。
「エリンジ! フランゲル! 君たちは火力が強いから後ろから私の援護をして! メロン! イエディ! 君たちはルドーを援護してあげて! ルドーはさっさと聖剣引き上げて加勢しなさい!」
「えっ!? 先生まさかここで!?」
「こいつを捕まえられたら一件落着ってね! 少なくとも課外学習の制限はなくなるさ!」
驚愕して両腕をブンブン振るメロンにそう言いつつ身構えるネルテ先生だが、あの魔法攻撃の規模では狭い一本道で生徒を庇いながら逃げるのが難しいことからの判断だろう。たとえ逃げたとしても通路でも狙われて崩され塞がれたら逃げ切れない。
ネルテ先生は同時に通信魔法も発動した。
『緊急連絡! 地下層にて例の魔人族と会敵! 全員万一に備え入口から脱出すること! 最初に入口から出たチームは出入りの確保と他生徒の確認をしなさい!』
狼男に特に反応がないことから、魔法科の面々とイスレにのみ絞って通信魔法を飛ばしている様子だ。
ルドー達の様に万一はぐれた場合を想定して全員に連絡したのか、通信魔法を使えないルドー達の頭にもネルテ先生の声が木霊した。
狼男が大振りの攻撃を繰り出し、タイミングを合わせるようにネルテ先生も大きく振りかぶって攻撃魔法を相殺する。
あまりの火力の余波に、相殺しても吹き飛ばされそうな程の風圧が周囲を襲い、古い石壁がパラパラと崩れ、衝撃が水路の水を揺らした。
しかし間髪入れずに双方共に連撃が繰り出され、まるでボクシングで激しく殴り合っている様な魔法の応酬が発生する。
見えない程の素早い攻撃の応酬に、衝撃がまるで竜巻のような豪風が吹き荒んで地響きが起こる。
「援護など侍従がする仕事だろうが! というか激しすぎてどうすればいいのだ!」
「相手の隙を作れ」
「それが分からんと言っておるのだ戯けめ!」
エリンジとフランゲルがそれぞれ構えているものの、戦闘の余波が激しすぎてフランゲルに至っては立っているだけで精一杯の様子だ。あまりの圧倒的な戦いに心なしか足もガクガク震えているように見える。
エリンジも激しい攻撃を繰り出しながらも隙を見せない狼男にどう攻撃するべきか考えあぐねている様子だ。下手に攻撃すると逆にネルテ先生の一手の邪魔にならないか考慮しているのだろう。
ルドーはネルテ先生が攻撃している隙に水路に飛び込もうと試みたが、狼男はこちらもしっかり見ているようで、ルドーが動いた瞬間走る先に向かって大きな攻撃魔法が複数飛んできて牽制され後退を余儀なくされる。
何発かが進路先の岩壁に当たって大きく抉れた。ルドーがそのまま走っていたら粉々になるような威力だ。
聖剣を持っていない今下手に当たると気絶するどころでは済まない、当たり所が悪ければそれこそ致命傷になりうる。
水路に行くに行けない状況に焦って狼狽えるルドーだが、相手は待ってくれない。
「メ、メロン、あの、これ、出来る……?」
「うえっ!? 確かに水魔法が得意だけど私そこまで練度ないよ!」
「でも、多分、あの聖剣、ないと厳しい」
イエディと呼ばれた猫毛の少女が何やらメロンにゴニョゴニョ耳打ちしていたが、思ったような様子ではなくメロンが両手をブンブン振り回している。
ネルテ先生と狼男は今のところほぼ互角のようだ、つまり決定打が打てていない。
エリンジがいても更に後ろに生徒を控えさせている分そこを狙われれば不利になるのはこちらだ。イエディが聖剣を必要と判断したのはそこだろう。彼女も授業でその並外れた威力は見ているのだから。
今は魔法の使用許可が下りているから、聖剣の雷魔法は戦力としては確かなのだ。
「先生、探索で色々見本、見せてた。だから多分魔力、向こうが多い。援護、多いほうがいい」
「あぁーんもう! やるっきゃないって訳ね! ルドー君行って!」
メロンにバンと背中を思ったより強くたたかれて、ルドーは水路に向かって走るように促された。
メロン達が何を考えているのかは知らないが、今は信じて走るしかない。
水路に向かって走り始めたルドーに、狼男がすかさず牽制しようと赤黒い魔力を溜め始める。
魔力を溜め始めた一瞬の隙をついたのか、イエディが素早く動いた。
「グアッ!!?」
同じように牽制の攻撃が飛んでくると思ってルドーが身構えていたら、狼男は突然片手で目を押さえた。
狙いがそれた攻撃魔法はそれでも飛んできたが、確実に当たる軌道ではない。
避けきれないが掠りはするだろうとルドーは身構えたが、その瞬間水路の水が小さな塊となって宙に浮いて攻撃魔法の緩衝材となり、軌道をさらに逸らして当たらない方向に捻じ曲げてルドーの後方の壁に衝突させていた。
追撃を許さないとでもいうようにエリンジがすかさず虹魔法を大量に撃ち込んで援護する。
狼男は片手で目を庇いながらも手をあげてその攻撃を防いだが、弾幕が多いのでそのすべてを防ぎきれず、あちこち身体に被弾しているがビクともしない。
ネルテ先生の追撃も続き、ここがタイミングなのかとフランゲルも大雑把な炎魔法を放った。
「わぁ! やった! 上手くいった!」
「魔法、私の方が弱い。出来るの、目潰しくらい」
「いやそれ最低限でもえげつないよ!」
メロンがイエディに喜びのあまり抱き着き飛び跳ねていたが、狼男が周囲の魔法を吹き飛ばすほどの怒りの咆哮を大きく上げたことに悲鳴を上げて二人飛びあがっていた。
ネルテ先生が再び身構えて攻撃を相殺し始める。
狼男はよほど怒っているのか攻撃魔法はどんどん苛烈さを増していき、少しずつネルテ先生の相殺が押し負け始めたようだった。
ルドーは大きく息を吸って水路に飛び込んだ。
農村育ちであまり泳ぎは得意ではないものの、夏になれば近くの湖で水遊びぐらいはしていたのが幸いして全く泳げないわけでもない。しかしそれでも素人レベルでしかない泳ぎでなんとか底に辿り着いた。
灯りのない水路の底は闇が支配していて何も見えない。水面の方から戦闘の魔力の光が時折ビカビカと漏れてくるだけで、それすら水底までは届かずに真っ暗だった。
浮かばない様に必死に水をかき分けながら手探りで進んでいると、微妙に水の流れが早い部分があることがわずかに感じられた。
穴が開いていてその先に水がないとなれば、どこかからか水が空間に漏れ出している部分があるはずだ。
水路の流れに従うように進んでいけば、しばらくして崩れた穴のようなものが開いている所に辿り着く。
何があるかは光が届かないせいで視認できないので感触で確かめるしかないが、手探りで何とか人一人通れそうな小さな穴であることが確認できたルドーは、水の中にも響いて来る戦闘の振動を感じながら、息が続くかどうかも分からないのに一か八かその穴に勢いよく飛び込んでいった。
穴の奥に進んでいくと、穴は下方向に向かっているのかどんどん水の流れが激しくなっていく。
泳いでいるのか流されているのか分からないままただ流れに任せてひたすら進んでいく。
随分と長く息が続かない、流石に苦しくなってきていたが、水流が激しいせいで戻ることももう難しそうだった。
限界が近くなってきたと思ったら、突然流れが切れて空中に放り出された。
空気に触れたことで急いで口を開いて肺に息を吸い込む。
相変わらず灯りがないので周囲は何も見えないまま、ルドーが頭から落下していると何か固いものにぶつかって転げ落ちた。
捕まろうとしたがツルツルとした表面に突起物もなにもなく滑り落ちるように転がっていったが、何かが右手に当たって思わず掴んだら、いつものバチッとした感覚が走って稲妻が周囲を一瞬照らす。
握り慣れた感覚と一瞬の灯りに照らされた見覚えのある黒い刀身に緑の石。
「聖剣! はぁー、良かった見つかった……あ?」
一瞬走った雷の光で間違いなく聖剣であることはわかった。
だが何かに突き刺さった状態で聖剣にぶら下がったルドーが声を掛けたが反応がない。
まさか手を離していたあの間に何か良くない事でも起こったのか、聖剣を見つけることが出来たのに戦えないのでは意味がない。
焦るルドーは叫ぶように聖剣に呼び掛けた。
「おい、おい聖剣! 寝てんのか!? 今またあの狼野郎が来てるから休んでる暇ねぇんだって!」
『……うああ、ルドーか?』
叫ぶようにルドーが何度も呼びかけ続けると、ようやく返事が返ってくる。
しかし明らかに聖剣の様子が変だ。
いつも五月蠅い聖剣から思ったより苦しそうな声が聞こえてきた。
まるで呻くように声を響かせているが、いつもよりずっと弱々しい。
気を抜くとまた意識を失いそうな、そんな口調だ。
聖剣がまた意識を失わない様にと、ルドーは必死に声を張り上げた。
「あぁ俺だよ! どうした!?」
『……抜いてくれ、これから、早く……!』
「これ?」
『……よくねぇやつだ、刺さったままじゃ自我が持たねえ……』
「なんかわからねぇが抜けばいいんだな?」
どうにも刺さっているものが良くないらしく、あまり調子が良くなさそうだった。
掴んでいた右手の聖剣の柄を両手で掴み、体をひねって逆上がりの要領で反動を付けて上に飛びあがる。
両足で着地した後、踏ん張って腕に力を込める。思ったより深く突き刺さっていたのかすぐには抜けず、唸りながら全力で引き抜くとやっとのことで抜けたが、今度は抜けた時の反動で体勢を崩し、ルドーは情けない声を上げてそのままなにかから滑って五メートルほど落下して地面に激突した。




