第二百十三話 波乱の予感の見学遠征
不穏な状況のまま時間だけが過ぎていき、あっという間にレペレル辺境領への見学遠征の日が来てしまった。
ネルテ先生先導のもと、レペレル辺境領直通の簡易転移門をくぐって、ルドーたち魔法科の生徒はその場に降り立った。
切り揃えられた雑木林のほとりのような場所。
少し離れた所に木造建築が立ち並び、訓練場のような柵で囲われた場所も見える。
そこまで見て、ルドーはある異変に気付く。
トルポで聞いたことがある、ドロドロと地面を揺らす雪崩のような音。
近場ではないものの、もうすでにそれが起こっていた。
「大型魔物暴走」
たどり着いた途端、クロノがポツリと呟く。
その場にいた全員が、ビクッと体を揺らした。
「えぇっ!? もう起こってんのこれ!?」
「なんだと!? ついていきなりは話が違うぞ!」
「ヤバイわヤバイわ! 避難、避難しないと!」
大型魔物暴走経験のないフランゲルたちを筆頭に、他の面子も慌て始めた。
だがルドーが冷静になってクロノの方も向いても、特段動く様子が見られない。
クロノは以前のトルポの時のような、焦っている様子はない、いつもの慣れた態度だった。
引率のネルテ先生の方にルドーが振り向いても、同じよう平然とにこやかに佇んでいる。
「ほらほら慌てない! ここじゃ大型魔物暴走は日常茶飯事なんだから」
「しかし規模が大きそうだが、加勢はいらないのか?」
「必要ないよ、ボンブ」
ネルテ先生と同行しているボンブが、心配そうに眺めていたが、心配ないとネルテ先生が片手を振った。
それでもボンブがさらに意見しようと口を開いた瞬間、遠くから恐ろしい轟音が響いた。
広い中央魔森林のある方向。
かなり距離のあるここからでも、発生した魔物が数千か、数万か。
それほどの数が一斉に巻き上がって、次々霧散していくのがはっきりと見える。
今までルドーも規格外と思われる戦闘を、それなりに目の当たりにしてきたと思っていた。
だがそれでもこれは圧倒的だった。
「ほらね、辺境伯はご健在のようだ。さて、そろそろ案内人が来ると思うんだけど……」
「おっ、遅れてしまって申し訳ありません!」
声の上がった方向を向くと、女性がバタバタこちらへ走ってきた。
濡鴉色の長い髪をなびかせ、蒲公英色の瞳が印象的な、大きな丸眼鏡をかけた、動きやすいワンピースドレス姿。
走り寄ってくる女性は手元に書類の束を持ったまま、泥濘んだ地面にブーツを取られた。
あわたたたと目の前を通過したあと、雑木林の木にドカンと正面衝突する。
「あいったたたた……」
「えーと、きみがサラセパかい?」
「はっはい! はじめまして!」
引き気味の生徒たちの前で、ネルテ先生がおずおずと声をかけた。
女性は慌てて姿勢を正し、ビシッと敬礼の姿勢をとった。
そのままネルテ先生の右手をガシッと掴むと、ブンブン振って激しい握手をし始める。
「あなたがネルテさんですね、エレイーネーでのお噂はかねがね! 今年は例年と違い、引率もとのことなので、全力で歓迎させていただきます!」
「よろしく頼むよ」
サラセパにブンブン右手を振られながら、矢継ぎ早にまくし立てられるも、ネルテ先生はいつものようにケラケラ笑って対応していた。
その背後ではまた魔物が数千打ち上げられる。
あまりにも異質な光景。
流石にみんな不安だった。
「あの、大型魔物暴走は大丈夫なんですか?」
トラストがおずおずと上げた声に、サラセパは振り返って答えた。
「辺境伯が仕上げに入りましたから、あと数時間すれば収まりますよ! 今回は二日続いた大型魔物暴走ですが、規模としては小さいものになるので、ご心配いりません!」
サラセパの話から、どうやらこの規模の大型魔物暴走は、まだ序の口の部類らしい。
ブンブンと握手し続けるサラセパをネルテ先生が一旦止める。
全員が不安顔で顔を見合わせていると、唐突にサラセパがルドーの方に、ぎゅるんと身を乗り出した。
「おぉ! あなたが噂になっている双子勇者ですね!? 古代魔道具を使って古代魔道具を破壊する、前代未聞の勇者が出たと! ファブに古代魔道具はありませんが、有望株の為徹底的にしごいてくれと、辺境伯より直接仰せつかっております!」
「でぇっ!? 徹底的にしごいてくれって!?」
『わお、面白そうなことになってんじゃねぇか』
「わぁ! 本当に剣が喋った!」
ルドーの右手もガシッと掴んで、サラセパが勢いのままブンブンと握手に振り回す。
どうやらルドーは知らない間に、化け物辺境伯に目を付けられていたようだ。
以前ウガラシで顔を合わせた時は、そんな様子は微塵もなかったのに。
徹底的にしごいてくれというが、見学遠征のはずなのに、ルドーは一体何をさせられるのだろうか。
冷汗を垂れ流し、振り回される手を振りほどけないルドーの横で、ネルテ先生が声を掛けた。
「サラセパ、そろそろみんなの荷物を運びたいんだけど」
「はっはい! それでは旧傭兵舎の方にご案内を……うわぁ!? クロノワールお嬢様!?」
ようやくルドーから手を放したサラセパが、全員を案内しようと振り返った瞬間、目の前をクロノが通り過ぎていった。
クロノは以前と同じような、感情を見せない為に、目の下まで深く帽子を被った状態で。
両手をあげて仰け反らせ、メガネがずり落ちたサラセパは、慌てて直して姿勢を正しながら、クロノに声を掛けようとする。
「あ、あの! 基礎科から魔法科に転属されて、在籍されているとは聞いていましたが、その……え、ちょ、ご気分を害しましたか!?」
クロノは勝手知った様子で、サラセパをガン無視して、スタスタと先の方に歩いて行った。
ガン無視されたサラセパが、手を伸ばしたまま涙目になっている。
「終わった……お嬢様の気分を害した……クビが確定だ……」
「あー、大丈夫だよサラセパ。あの子あれが平常運転だから」
遠くで大型魔物暴走の音が、少しずつ収束を始める。
どんよりとし始めたサラセパを慰め、ネルテ先生が案内を再開させた。
先を進んで、あっという間に見えなくなったクロノの方向に向かうように、ルドー達魔法科も歩き始める。
『お嬢様だってよ、全然似合ってなくて笑えてくるぜ』
「確かに普段のあの感じ全然だけど、やっぱあいつもお嬢様ってことか」
「キシアさんやビタさん、それこそアリアさんでもそんな感じするのに、クロノさん全然そんな感じしないもんね」
「私でもってどういうことよ!」
ルドーとリリアの会話に、聞こえていたのかアリアが噛みついた。
全員で雑木林のほとりを、サラセパに歩きながら先を進む。
少しずつ音が小さくなっている大型魔物暴走を背景に、トラストがまたおずおずとネルテ先生に声を掛けた。
「あの、毎年の見学遠征は、先生方は付き添わなかったんですか?」
「そうだね、毎年レペレル領への見学遠征は、スペキュラーの担当だ。といっても辺境伯領への引き継ぎ程度だけど。だから私はレペレル辺境領はそんなに詳しくない」
「えっ、あの役に立たない話の長さ、引継ぎなんてできるのです?」
「スペキュラー様は辺境伯様と、エレイーネーの同期で付き合いは長いのですよ。私も昔から良くしてもらってます。年を取るごとに話はどんどん長くなってますけど」
トラストの横で驚愕の声をあげたビタに、サラセパはニッコリ笑って応えた。
学生時代からの付き合いという事で、お互い慣れている様子だったようだ。
ウガラシでスペキュラー先生が、化け物辺境伯と知り合いだという事は、ルドーも何となくわかっていたが、まさかそこまで古い付き合いだったとは。
ボンブと並んで歩いていたネルテ先生も、初耳のように驚愕していた。
「えぇ? あいつ辺境伯と同期だったの?」
「一番行動を共にしていたらしいですよ。今よりデメリットの喋りは酷くなかったそうですから」
「あぁそっか。あの喋りの長さ、スペキュラー先生の役職、観測者のデメリットだっけ……」
サラセパの補足に、ルドーもレペレル辺境伯に以前あった時、スペキュラー先生のデメリットについて抜け道を伝えられたことを思い出した。
よくよく考えれば、親しい相手か観測者の役職持ちでなければ、役職のデメリットなど知りようがなかった。
話が長いので、誰もスペキュラー先生のところには近寄らない。
思ったよりスペキュラー先生には、知らない情報が多々あるようだ。
「それより、今回私たち一週間もどこに泊まるのよ」
「ねーねー、美味しい食事は出るのでしょうかー!?」
スペキュラー先生の話より、これからのことが気になるアリアとメロンが声をあげた。
確かにルドーも、一週間の見学遠征とは聞いていたが、どのような生活になるかはネルテ先生からまるで聞いていない。
ただ先程サラセパが旧傭兵舎へ案内と話していたので、泊まるのは集合寄宿舎のようなところのようだ。
「今は使われていない旧傭兵舎に、エレイーネーの皆さんには毎年泊まっていただいております。旧と言っても設備自体は新傭兵舎と変わりませんので、レペレル辺境領で生活する傭兵の皆様と同じ体験となります」
「現場で戦う奴らがどんな生活をしているか。それもこの見学遠征の目的の一つだよ」
サラセパの説明に、ネルテ先生が補足を付ける。
どうやら現地での見学は、大型魔物暴走がどういうものかだけでなく、それを食い止めている人たちが、どういった生活を強いられているかも含まれているらしい。
サラセパとネルテ先生の話に、歩いている魔法科はざわつきだす。
「つまり現地に行かないと、どんな料理かわからないってことだね!」
「メロン、食事から、離れて」
「しかし防衛の最前線ならば、かなりの税が投入され、待遇もそれなりなのではないか?」
「まぁ確かにレペレル辺境領への税金はファブではかなりの額よ、フランゲル」
「あぁそっか。アリアさん一応ファブ出身だもんね」
「ハイハイハイ僕はどんな環境でも適応できます!」
「しかし休む間もなさそうではありますや」
『夜に大型魔物暴走が来たら寝れる気がしないよ(; ・`д・´)』
それぞれが憶測を話し出す中、ルドーも気になる点をエリンジと話し始めた。
「旧傭兵舎に新傭兵舎か。やっぱ傭兵がかなり重宝されてるんだな」
「レペレル辺境領のもと、大型魔物暴走を防ぐ手練れの傭兵団だ。ファブはその傭兵団を他国に派遣することで成り立ってる傭兵派遣国家。学習本で読んだだろ」
「分かってるけど、改めてなんかすげぇなって」
学習していないのかというエリンジの非難の無表情を、ルドーは感慨深いだけだと応酬する。
ファブが魔物暴走に手を焼く他国に、傭兵団を派遣していることは有名だ。
確か一番恩恵を受けているのは、隣国のランタルテリア。
ランタルテリア出身が魔法科にいないので、その辺りの詳しい内情までは、ルドー達は知らない。
「はん、通りで汗くせぇ場所だ」
「カイムくん、クロノさん追いかけなくていいの?」
「別に逃げようとしてるわけじゃねぇんだ。問題ねぇよ」
近付いて来る旧傭兵舎の臭いでも嗅ぎ付けたのか、カイムが顔をしかめたまま感想を述べた。
先を行ったクロノを追いかけなかったカイムに、リリアが心配そうに声を掛ける。
だがどうやら今のクロノは特に問題ないと、カイムは判断しているらしい。
クロノは自身の家族であるレペレル家を避けているが、どうやらサラセパへの対応を見るに、レペレル辺境領の相手も避けているということなのだろうか。
ルドーはちらりとアルスの方に視線を向ける。
この間レペレルの館にあるクロノの部屋に行こうと思案していたアルスは、いつもより硬い表情でキシアの隣を歩いている。
だが旧傭兵舎に滞在するとなると、そもそもレペレルの館には行けない。
事情を知らないキシアも、何か察しているのか心配そうな視線を、アルスの方にチラチラと向けている。
このまま思いとどまってくれればいいのだがと、ルドーはひっそり思っていた。
「さて着きました! ここが皆さんが一週間滞在する、旧傭兵舎です!」
前方からサラセパの声が聞こえて、ルドーも視線を戻して正面を向いた。
そして目に入ってきた建物に絶句する。
木造建築の二階建て、かなり年季の入ったボロボロのコテージのような寄宿舎だ。
同じような部屋割りなのか、窓が均一に並んでいる。
庶民としては上等の部類に入るが、貴族組、主にフランゲル一行から、非難が囂々と上がり始めた。
「なによこれ! お化け屋敷みたいじゃないの!」
「こ、こんなところに一週間滞在しろというのか!?」
「うわぁ、床とか壁が抜けそう。大丈夫かなぁ」
「というか既に抜けて穴が開いてますね……」
「隙間風も酷そうですわ、全く防犯意識はどうなっているのかしら」
「あ、あちこち傷もついてますわ……耐久性は大丈夫なのでしょうか?」
『僕は寝られればなんでもいいけど(‘_’)』
「生活力なしの魔法薬バカと同じにしないでくださいや。しかし確かに補強が必要ではありませんかや?」
魔法科が困惑していると、奥の方からガコンガコンと硬い音が響いた。
ルドーたちが音の方に一斉に視線を向けると、一人さっさと先を歩いていたクロノが、建物の敷地奥で何やら作業している。
クロノは旧傭兵舎の奥の方から、木材を大量に運んで来ては、ガコガコとその場に乱雑に置いて広げていた。
「クロノ? 何してるんだ?」
「恒例行事の材料準備」
「恒例行事だぁ?」
思わずボンブが声を掛けると、クロノは簡潔に答え、その返答にカイムが困惑している。
「わああああ!? クロノワールお嬢様が喋った!?」
「サラセパ、説明してくれるかな?」
クロノが話したことに、サラセパは想像以上に驚いた反応を示していた。
だがネルテ先生が促したことで、気を取り直したように姿勢を正して説明を始める。
「あっ、はい! まずこの旧傭兵舎をご利用する魔法科の皆さんで、建物の修繕に取り組んでいただきます!」
「ええええええええええええ!!?」
想定外の修繕作業に、魔法科の全員が驚愕に叫んだ。
ルドーは攻撃魔法以外使えない、つまり手作業の修繕作業となる。
一拍遅れてルドーも叫んだ。
「でぇっ!? 建物の修繕!?」
『釘と金槌でトンカンやれと』
「はい! ちなみに魔法の使用は禁止です!」
「えぇ!? 修繕魔法も使用禁止!?」
更なるサラセパの追撃に、全員が絶望顔に染まった。
サラセパの横で、ネルテ先生はケラケラと笑いながら、パンパンと手を鳴らした。
「ほらほら、さっさと取り掛からないと夜になっちまうよ!」
「せ、先生! 知ってたんですか!?」
「いんや? でもここでの生活は、レペレル辺境伯に一任してるしねぇ」
トラストの悲鳴に、ネルテ先生は笑顔で答えた。
どうやらネルテ先生も寝耳に水のようだ。
だが笑って受け流す当たり、経験の違いが如実に表れている。
どうやらクロノが運んでいたのは、建物修繕の為の角材らしい。
やることを理解したカイムとボンブが、角材の方に近寄って相談し始めた。
「釘とか道具はどこだよ」
「奥の資材倉庫ね、カイム」
「クロノ、この木材で叩くだけで大丈夫か? 強度が不安だ」
「増建築はいくらでもしていい決まりだよ、ボンブ。好きにしていい」
中央魔森林の中で生活している魔人族、流石に建物の修繕は慣れているのか、適応が早い。
淡々と相談しながら修繕作業を始めたクロノ、カイム、ボンブ。
魔法科の生徒達もそれを見て、慌てて作業に取り掛かる。
思っていた遠征見学とは違う、波乱の幕開けが開始された。




