第二百十二話 侵食する恟然
魔人族の里からエレイーネーに戻った翌日。
ルドーはその日の魔法訓練の組手で、エリンジに徹底的にしごかれていた。
大量に振り注ぐ虹魔法の砲撃。
ルドーは雷魔法の盾で防ぎながら、エリンジの隙を伺っていた。
雷竜落で撃ち落として、エリンジを倒すことはできる。
だがそればかりに頼っていては、雷竜落が使えない状況に追い込まれるのが関の山だ。
数日動けなかった、鈍った身体を取り戻す。
ルドーは激しい虹色の砲撃魔法に揉まれ、エリンジの一瞬の隙に雷魔法を撃ち返す。
ハンマーアックスを振り回すエリンジと、ルドーは聖剣を打ち交わし続けた。
「だめだな、もうちっと動きの練度を上げねぇと……」
『調子戻ったと思ったら無茶苦茶するぜ。いいねぇ、どんどんやろうぜ』
「お兄ちゃんもエリンジくんも、無茶はしないでって言ってるのに!」
ゲラゲラ笑う聖剣の声が、運動場に響く。
地面に二人寝転がっているボロボロのルドーとエリンジに、リリアがすぐさま駆け寄って、回復魔法をかけ始めた。
回復が効いて起き上がれるようになった途端、ルドー、エリンジと続けざま、揃ってリリアにスパンと引っ叩かれるのは、もはやお約束である。
そんなお約束でさえ、今のルドーにはとても心地良く感じていた。
二人揃って頬を赤く腫らしながら、たった今の戦闘について意見を交わす。
「動きが単調でわかりやすい。読まれやすいぞ、もっとフェイントを入れろ」
「お前も魔法のゴリ押し戦法のくせに。まぁ確かにこっちからも攻めねぇとな……」
「アルスさん!」
キシアの悲鳴と大きな轟音が響き渡り、ルドーたちは咄嗟にそちらを向いた。
ふっ飛ばされてゴロゴロと転がっていく、ボロボロのアルス。
ぐったりと横たわっていて、もう意識もない様子だった。
あちこち怪我をして痣まみれに血塗れ。
悲惨な状態にされたアルスに、その場の全員が言葉を失って息を飲む。
その一方で、アルスをここまで徹底的に追い込んだクロノが、パンパンと両手を叩いて埃を落としていた。
「はい、今回もこれで終わり。次図書館で勝手に情報漁ったら、腕折って両足吹っ飛ばすよ」
「クロノさん!」
「迷惑だって言ってんのよ。私に勝てなきゃあいつらにも勝てない、何度言えば分かるの」
気絶したアルスに駆け寄って、回復魔法をかけ始めたキシアの非難も、クロノは冷たくあしらっている。
不気味に光らせた赤い瞳からは、殺意すら感じられる。
ルドーにはクロノの発言はおおよそ本気に見えた。
「もっとも図書館にも、あいつらの情報なんか置いちゃいないけどね。骨折り損ご苦労さま」
「クロノ、手加減出来るだろう? ちょっとやりすぎじゃないかい?」
「この程度でやりすぎなら、そのうちどこかで野垂れ死にますよ」
ネルテ先生の苦言に冷たく吐き捨てたあと、クロノは踵を返してその場から立ち去っていく。
あまりに異様な光景に、運動場にいた全員、気まずく息を潜める。
ライアたち三つ子でさえ、クロノの剣幕に怖がって、カイムにひっそり抱きついていた。
「……何もあそこまでやらなくても」
クロノの姿が見えなくなって、ようやくメロンからポツリと溢れた。
こぼれた言葉に続くように、リリアも心配そうな顔を向ける。
「まるで入学当初のエリンジくんみたい……」
「どういう意味だ」
例えに出されて、エリンジは不服そうな無表情をリリアに向けた。
だがエリンジは組手をすると、かなり徹底的に相手に攻撃を加える。
入学当初からルドーは組手で何度も叩きのめされているが、エリンジはその熾烈さをあまり自覚していないようだ。
だがリリアの指摘通り、ルドーから見てもここ最近、クロノは以前に比べて荒れてきている気がする。
女神深教の祈願持ちに対して、クロノは元々怯えが酷かった。
だがルドー達が詳しく知らなかった時も、詳しく話そうとしないだけで、あそこまで徹底的に攻撃を加えてくることはなかった。
いや、逃走を引き留めようとしたカイムとエリンジには、手をあげてはいたような。
それでも情報を欲する今のアルスほど、ここまで露骨でもなかった気がする。
アルスも女神深教についていったレモコの為に、必死で情報を求めてしまうのはわかる。
だがまるで、八つ当たりでもしているかのようなクロノの動き。
クロノの強さは、恐怖心を紛らわすための裏返しの行動。
どうにも最近のクロノの荒れ方は、ルドーには何か別に原因があるような気がしていた。
「やっぱあれか」
「ネルテ先生がこの間言ってたやつ?」
『休暇も戻ってなかったし、よっぽど帰りたくないのかね』
ルドーの意見に同意するように、リリアと聖剣も声をあげた。
クロノの様子がおかしくなった心当たり。
ルドー達はネルテ先生から聞かされた、レペレル辺境への見学遠征のことを思い起こしていた。
「エレイーネー一年の恒例行事でね。魔導士が一体何と対峙するものなのか、それを実際に目と肌で感じ取るための現地見学だ」
報告を受けて阿鼻叫喚となった教室で、ネルテ先生はそう話した。
レペレル辺境は、小さな片田舎出身のルドーでさえ知っているくらい有名だ。
魔の森接触面積最大、大型魔物暴走発生率世界最大。
人間よりも、魔物との遭遇の方が多いのではと揶揄される程の、圧倒的な危険地帯。
そんな場所にエレイーネーの一年は、毎年一週間泊まり込んで現地遠征を行っているらしい。
戦闘はしない。
レペレル辺境伯の邪魔はしない。
あくまで実際に魔導士が、何と対峙しなければいけないかを見せつけ、覚悟を植えさせるための行事だ。
任意入学の入学試験を突破しても、伸びしろに悩む一年が、ここで心を折られ、基礎科や護衛科に転属することも少なくないという。
そんな世界トップクラスに危険なレペレル辺境領は、クロノの生まれ故郷でもある。
ルドー達はエレイーネーに入学してから、クロノがレペレル辺境領に戻っている所を、一度も見かけていない。
理由があって家族を避けている様子のクロノには、レペレル辺境領への帰郷は、かなり心理的負担を及ぼすもののようだ。
「クロノちゃんがあの調子じゃ、レペレル領の美味しい特産品が聞けないや」
「メロン、多分、ないと思う」
こてんと首を傾げたメロンに、イエディがすかさずツッコミを入れた。
怪我が酷いアルスにリリアが駆け寄り、さらに回復魔法を追加し始める。
それでも意識が戻らない程、アルスはかなり強烈に攻撃を加えられているようだ。
メロンを皮切りに緊張が解けて、その場の全員が少しずつ話し始めた。
「むしろあれくらいでなければ、耐えられん場所なのではないか!?」
「やめて!? そんな地獄に行く心理状態に持ち込まないで!?」
「今からでも取り消せないかしら」
「ハイハイハイ提案だけなら行ってきますよ!」
フランゲル一行が怯えたように、見学遠征をどうにかできないか議論し始めた。
クロノの様子から、化け物級のクロノですら怯えるような場所なのかと、魔法科は全員レペレル辺境領を怖がっている。
実際トルポで大型魔物暴走を経験した一部は、その経験を思い出すようにぞわりと身震いしていた。
「クロノさんの解析が出来ないので、どれくらいの指標が必要なのか判断出来ません」
「え? 解析できないのか、トラスト」
「はい。ワスラプタの後、デバフがかかった状態が気になって」
ワスラプタを完全崩壊させる攻撃を放ったクロノは、デバフを解除した状態だった。
あれだけ化け物級の打撃を持っておきながら、それでもデバフを付けた状態だと判明して、まだ数日。
トラストは持ち前の知的好奇心と、レペレル辺境領の見学遠征の話を聞き、クロノに許可なく観測者で解析魔法を使ってしまったそうだ。
レペレル辺境領はどれくらいの危険があるのか。
クロノの状態を解析して、基準とすることで少しでも気を紛らわせようとしていたトラスト。
しかしその解析魔法は全く機能しなかったそうだ。
「こっそり観測者で解析しようとしたんですが、霧がかって見えなくなった上に、クロノさん本人に気づかれてしまって……」
その時のことを思い出したかのように、トラストは一気に顔を青くしていた。
トラストの観測者の役職は、相手にその居場所がわかるデメリットがある。
興味本位からの解析魔法を無意識に使ったことは予想されるが、そんなトラストに対して、クロノはかなり激しめに詰め寄って来たそうだ。
「あの時のクロノさん、恐ろしかったですわ」
トラストと一緒にいたであろうビタも続ける。
「“戦えないとか考慮しない。そんな知りたきゃ全力でぶちのめす、ぐちゃぐちゃの肉塊になって、死んだって後悔出来ないくらい。それでもいいなら力ずくで解析しろ”ですもの」
その時のクロノの剣幕を思い出したのか、トラストとビタが一斉に身震いした。
以前マー国の聖女で、魂まで見ることのできるウェンユーの診察も、クロノは拒絶している。
自身に関することを知られることを、極端に嫌がっているクロノ。
だがこうなってくると、そこにも何か深い事情がありそうだと、ルドーは頭を捻った。
領地に戻る。
毎年のことだ、エレイーネーの魔法科が領地に来ることは。
いつものこと。
それなのに酷く胸がざわつく。
「あの時期がもう近い」
戦祈願の剣に全身串刺しにされた、イシュトワールの姿が頭にちらつく。
怖い。
怖い。
怖い怖い怖い怖い。
怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い。
「助け……」
同じこと繰り返さないで頂けますか。
左腕の紋様が、冷たく言い放った。
最近様子が明らかにおかしいクロノに、何か事情が変わったのかと、ルドーは話を聞こうと考えた。
クロノの事だから、おおよそ話してくれない可能性の方が高い。
だがそれでもルドーはなんとなく、何かせずにはいられなかった。
夕食も食べ終えて、薄暗くなった夕暮れの校舎。
ルドーが歩いていると、誰もいない廊下の先で、小さな話し声が聞こえた。
遠めに見覚えのある黒い帽子に、クロノがなにかと話しているのだとルドーは気付く。
ルドーが声を掛けようか迷っていると、後ろからぐるっとルドーの口元に何かを押さえられ、声が出せなくなった。
カイムの髪だと気付いたルドーは、そのまま全身をグルグル巻きにされ、通路の角に隠されるように引き戻される。
赤褐色の髪に息が出来ずもがいていると、カイムが黙っているようにと、口に指を立てたあと視線を廊下の先に戻した。
ルドーもカイムの髪にグルグル巻きにされたまま、音を殺すように身を潜ませ、カイムの視線の先を辿る。
廊下の先にいたクロノは、背後に位置するルドーとカイムに、気付いていない様子だった。
紋様の浮き上がった左手を押さえながら、何やらブツブツ誰かと話すように呟いている。
「うるさい……」
「わかってる、前回と状況は違う……」
「同じ轍は踏まない。領地ではいつも通りに接する」
「大丈夫……誰にも助けは求めない。あの地獄はもう作り出さない、二度と……」
そのまま会話は途切れたのか、クロノは抑えていた左手から手を放した。
大きく溜息を吐いたクロノは、そのまま疲れたようにふらふらと、廊下の先へと歩いて行った。
クロノの姿が見えなくなって、カイムはようやくルドーを髪から解放した。
事情が分かったとばかりに、聖剣もパチリと小さく弾ける。
『契約魔法の相手が、なんか茶々入れてきてんのかね』
「……あのままほっといていいのか、カイム」
「今追っかけたところで、どうせ喋んねぇよあいつ」
クロノの姿が見えなくなった廊下を眺め続けるカイムは、少し顔が歪んでいた。
力不足を嘆くでもない、傍に居続けるための強い視線。
「俺にできることは、あいつが安心して事情全部話せるまで、強くなることだけだ」
「本気のクロノを倒せるくらい強くなれ、か……今だって手を抜かれて底が見えねぇのに」
「そんだけデカいの抱えてるってこったろ。悪ぃ、今のこと黙っててくれ、よく見とくからよ」
『まぁ最近ちょっと荒れてきたからなあいつ』
クロノの身を案ずるように、カイムもまた大きく溜息をついた。
大型魔物暴走の最前線、レペレル辺境領。
クロノにとってこの帰郷は、恐ろしい地雷原にでもなっているのだろうか。
だがルドーはここであることに気づいた。
契約魔法の相手が話しかけてきたということは、おおよそ大型魔物暴走だけが問題ではないのでは。
以前クロノの契約魔法の相手が、クロノに口止めして来たのは、女神深教に関することを、クロノがルドー達に話そうとしていた時だったからだ。
「なんかあんのか、例のあれと、クロノの領地と」
「……その話、本当?」
「ア、アルス……」
回復魔法が追いつかなかったため、アルスは医務室に運ばれていた。
ちょうど医務室方面から歩いてきたアルスが、追い詰められた表情でそこに立っていた。
どうやらルドーは推察を口に出してしまっていたようだ。
アルスはそれを聞いてしまった。
しまったというように、ルドーは咄嗟に口にバチンと手を当てる。
アルスは知らない。
女神深教の祈願持ちが、攻撃がまるで通らない不老不死であるだなんて。
女神深教の連中は、喜んで人を不幸に突き落とす連中だなんて。
その危険性から、エレイーネーの副校長、古代魔道具のフェザー・シルバーによって女神深教の情報は制限されている。
ルドーはアルスに女神深教について、詳しく話すことが物理的に出来ない。
レモコを引き戻そうと必死なアルスに、その情報を探ることがどれだけ危険か伝えきれない。
「レペレル辺境は、クロノの家があるとこだろ? つまりなにか情報があるんじゃないか?」
「……アルス、流石にそれは」
「なんの話だ」
切羽詰まった様子で話すアルスの後ろから、エリンジが合流してきた。
横に並んだエリンジに、アルスがルドーから聞いた推察を話し始める。
どんどん事態がややこしくなっていく。
「エリンジ、協力してくれ。レペレル辺境で、例のあれとかいう情報について知りたいんだ」
「辺境伯家のクロノの部屋か」
「何かあるかもしれない」
「……俺は協力しねぇ」
話している二人の横で、カイムが低い声をあげた。
「あいつは喋ること嫌がってんだ。嫌がることはしねぇ、勝手にしろ」
「こっちも必死なんだ。勝手にさせてもらう」
言い切ってしまったアルスに、カイムは顰めっ面で一瞥して立ち去っていってしまった。
今回はさすがにカイムの方が正しい気がする。
だが今のアルスは止まる様子がルドーにはまるで見られなかった。
「……なぁ、らしくないってアルス。流石にまずいだろ」
「俺はどこか楽観視してたんだよ。ワスラプタに行けば、レモコを連れ戻せる。そう信じ切ってたんだ」
嗜めるルドーの声に、アルスは奥歯を噛んだ。
「その結果、俺はレモコを連れ戻すどころか会うこともなくて。しかもレモコはマフィアより、もっとヤバそうな連中についていった……バカだったよ、ほんと」
ワスラプタでの一件は、アルスをかなり焦燥させてしまっていたようだ。
目の前で女神深教について行くのを、ルドーは止められなかった。
強く後悔しているアルスの姿に、ワスラプタの後悔からルドーは何も言えなくなってしまう。
「クロノが何かしら情報を隠しているなら、探る必要はあるだろう」
「エリンジ……」
一方カイムと違い、エリンジはアルスに協力的な姿勢を示した。
「クロノ一人の問題ではない。あれだけ危険な連中の情報がまだあるなら、共有すべきだ」
「だからって部屋漁りは違うだろ」
「クロノは貴族の館にも平気で不法侵入する。人のことは言えん」
「それはカイムや魔人族のために、マフィアの情報探し出してるからだろ!」
クロノの行動を例にあげるエリンジに、ルドーはつい大声をあげた。
だがルドーが何を言っても、もうエリンジもやめる気はなさそうだった。
トドメと言わんばかりに、聖剣までも肯定意見をあげる。
『まぁあいつは隠し事が多すぎるからな。いいんじゃねぇか、多少探っても』
「お前潜入が面白そうだから言ってるだけだろ……」
具体的な潜入方法を話し始めたエリンジとアルスは、もう止まらない。
今のルドーに出来ることは、レペレル辺境領に赴いたあと、この二人が暴走しないように見守ることくらいだ。
『もう腹くくれよ、ルドー。見て見ぬふりしたってやるだろこいつらは』
「見学遠征期間は一週間……長いな」
『まぁまぁ。見るだけなんだから、楽しませてもらえ』
そのまま男子寮に向かい始めたエリンジとアルスの後ろで、がっくりと肩を落としたルドーが続く。
どこまでも楽しそうに、聖剣がクツクツ笑い始めていた。




