第二百十話 不調を見守る者たち
どんよりとした空間を、不安定に漂っている。
言いようのない圧迫感が、押し潰してくるように襲ってきていた。
「助けてくれなかったんだね」
ニグの声がルドーの頭に響いた。
頭を抱え、耳を押さえても、その声を塞ぐことが出来ない。
「助けてくれるって言ったのに」
目の前に現れた、顔が見えないニグが、責めるような声をあげる。
あの時、たった一瞬目を離した。
ヒルガを助けるためには仕方なかったなんて、言い訳は出来ない。
縁祈願に目を付けられていたことを、もっと自覚しなければならなかった。
「また、助けてくれなかったんだね」
「やめろ……」
空間がどろりと溶けて、赤く染まっていく気がした。
目の前のニグが、グニャリと歪む。
かつて救えなかった、前世の妹の幼い姿に変わる。
三歳の幼い小さな少女が、何もない空間に首を絞められ、両手足をばたつかせ始める。
不安定に漂う空間。
ルドーがどれだけ近寄ろうと手を伸ばしても、全く動くことが出来ない。
間もなくして、小さな妹はぐったりと動かなくなる。
「ずっと助けられないままだね」
「やめろ……」
ぼたぼたと、血の滴る音が聞こえる。
あちこちに血だまりのような、赤い水たまりが空間に漂っている。
血に染まった、動かない手が横たわっている。
「……うそつき」
血塗れになった、歩く災害のボスが、恨むように目の前にいた。
「うわああああああああああああ!!?」
ルドーは寮の自室で寝ている所を、ベッドから飛び起きた。
今にも発作を起こしそうなほど荒い呼吸。
ぐっしょりと濡れた冷汗が、寝具をうっすらと濡らしている。
『……うなされてたどころじゃねぇな。大丈夫か?』
壁に立て掛けられた聖剣から、パチリと小さく声を掛けられた。
ルドーは息を切らしながら、悪夢を振り払うように頭を振る。
すると以前風邪を引いた際、差し入れられた荷物の段ボールが、あちこちで焼け焦げてボロボロになっているのがルドーの目に入った。
「……なんだこれ?」
『軽く魔力暴走してたぞお前。なんだ、思い出せねぇトラウマとなんか繋がっちまったか?』
どうやらルドーが夢を見たまま、魂の奥に引っ込んでいるはずの魔力が暴走したらしい。
聖剣の指摘に、ルドーは夢の内容を思い出す。
死んでしまったニグが、妹へと変わり、歩く災害のボスが目の前に現れる。
ニグはルドーの傍に居たために、縁祈願に殺された。
ルドーはそれからどうにも寝る度に、責め立てられるような悪夢ばかり見る。
魔力暴走の影響か、鈍く痛む頭を押さえつつ、ルドーは起き上がった。
『調子悪いなら今日はもう休んじまえよ』
「いや、何かしら動かねぇと……」
『ならせめて飯くらい食えよ』
「どうにも食欲湧かねぇんだよ……」
ルドーの思ったように動かない、気だるい身体を無理矢理動かす。
食事はここ数日の喉を通っていないが、それでもルドーは空腹を感じられなかった。
冷汗にびっしりと濡れた服を制服に着替え、重たい足取りで基礎訓練へと向かう。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん大丈夫?」
廊下をゆっくりと歩いていると、背後から聞こえたリリアの声にルドーは振り返った。
するとリリアの姿に、死んだニグの姿が重なって見えてしまう。
ルドーがニグを助けたいと思ったのには、同じ農村民であった双子の妹のリリアと、少なからず重ねてしまった部分がある。
ニグと同じように、リリアもまた失ってしまったら。
目の前で真っ赤に引き裂かれていくリリアが一瞬過った。
最悪を想像して、そして死んでしまったニグに対する申し訳なさから、ルドーはその場に蹲って動けなくなった。
「お兄ちゃん、お兄ちゃんってば!」
「悪い、ちょっとだけだ、すぐ起きるから……」
『お前ホント休んだ方が良いぞ』
蹲るルドーに駆け寄るリリアを抑え、ルドーはゆっくりと立ち上がった。
警告する聖剣を無視して、ふらつく足取りで廊下を進み始める。
基礎訓練のアスレチックで、ルドーは尽く下の水に落下し続けた。
今までどうやって身体を動かして進んでいたのか、ルドーには思い出せない。
「あら、珍しく上手くできてないじゃない」
「あの、体調不良なら無理しないほうが……」
体力がないため毎回落ちっぱなしの、アリアとトラスト。
同じようにずぶ濡れの状態で、アリアは皮肉げに、トラストは心配そうにルドーに声をかけてくる。
しかしルドーにはそれに答えるだけの余裕がなかった。
無言でザパリと水から上がったルドーに、アリアが顔をしかめ、トラストも不安そうな視線を向ける。
「お兄ちゃん、無茶しないでよ」
「大丈夫だ、今だけ、今だけだから……」
絞り出すようにリリアに返して、ルドーは水に落ち続ける。
基礎訓練は結局、まともに動くことが出来なかった。
「ルドーくんルドーくん、落ち込んでるときはこれだね!」
「メロン、全部、今のルドーくんには、重たい」
調子の悪そうなルドーがリリアと食堂の席につく。
すると待ってましたと言わんばかりに、メロンがずらずらと食事を机に並べ始めた。
トンカツに牛丼にステーキ、唐揚げに焼きそばに果てにはローストチキンと、次から次へと。
いつものルドーでも、一食なら平気だが、全ては食べきれない量。
しかもメロンの後ろにいるイエディの指摘通り、油が多く重ためのものが、テーブルいっぱいに広がる。
ルドーの隣でリリアが絶句し、どう対処しようと狼狽える。
これでどうだと言わんばかりに、えっへんと胸を張ったメロンに、ルドーは申し訳なく口を開いた。
「……悪いメロン、今はちょっと食欲なくて」
「なんですと!? このレパートリーの匂いに刺激されないなんて!!」
「だから、メロン、これは、今は逆効果」
「おいしそうだよ?」
「ご飯食べられないの?」
大量に並べられた料理につられて、レイルとロイズがひょこひょこと現れた。
ぴょんぴょんと低い身長で机の料理を眺めようと二人飛び跳ね始める。
その横から、ライアがとてとてとルドーに近寄った。
「ルドにぃ、ご飯食べなきゃだめだよ」
「……悪い、ライア、喉が受け付けねぇんだ……」
食事をとる様子のないルドーに、ライアがくしゃっと心配そうな顔になった。
ライアは以前ルドー達が食欲をなくした時と同じように、食べる様子のないルドーの口に、食事をとらせようとおにぎりを突っ込んできた。
しかしそんなライアの目の前で、ルドーは胃液ごとおにぎりを吐いてしまっていた。
酷い様子でえずいていたルドーに、ライアは同じようにおにぎりを突っ込もうとはしなくなった。
食事をしないルドーは、ライアを筆頭に三つ子を心配させっぱなしにしている。
「ルドにぃ、まだご飯食べれない?」
「気持ち悪い? またおえってしちゃう?」
「ちょっとまだ気分悪いかな……」
泣きそうな顔のライアの横に並んだ、レイルとロイズも聞いて来る。
七歳の三つ子を心配させていることは居たたまれないが、胃が受け付けないものはしょうがない。
なんとか食事をしようとしても、咀嚼した瞬間吐き出してしまうのだ。
今並べられている料理の匂いでも、ルドーは気分が悪い。
三つ子の後ろにいる保護者のカイムも、顔をしかめてこちらをじろりと睨み付けている。
多分これは心配している顔なのだろう。
それがわかっていても、身体の気だるさのせいで、取り繕う事すら今のルドーには出来なかった。
「リリア、これ」
「わっぷ! ク、クロノさんこれなに?」
食堂の椅子に座り込んだままのルドーの横で、クロノがリリアの顔にベシャッと何かを投げつけた。
カイムと三つ子がその様子に、困惑顔で振り返る。
クロノはリリアに投げつけたものと同じものを、リリアにボスボスと無造作に押し付けていた。
見たことがない形状のものに、一体何事かと、イエディの横でメロンがブンブン両手を振り回し始めた。
「なにそれなにそれ! どこにあったの、クロノちゃん!?」
「見たことない。食べ物、で合ってる?」
「クロノさんってば。あのこれ、なに? こんなに……」
「ゼリー飲料。咀嚼がダメならこれを喉に押し込め」
言うが早く、クロノは手元のパウチを開けたと思ったら、そのままルドーの口に突っ込んだ。
流し込まれた流動物を味わう前に、突っ込まれた時と同じように、ガッとパウチを口から取り出され、そのままルドーの顎をゴスッと抑え込まれる。
「おわぁー!? クロノちゃんそれは強引では!? むせてるむせてる!!」
「ルドにぃ!?」
「ル、ルドーくんの、背中、叩いてあげて」
無理矢理ゼリー飲料を喉に通され、クロノが手を放した瞬間、ルドーは大きくむせ込んだ。
リリアも度肝を抜かれたが、抱えたパウチが多くて動けそうにない。
様子に仰天したメロンとイエディが、叫んだ三つ子に即座に指示を出した。
ライアを筆頭に、三つ子が慌ててルドーの後ろに回ってポスポス叩き始める。
「ショックで食事が喉通らない時は、固形物は無理。水分飲ませて、可能なら栄養価の高い流動食。噛む動きで動機起こして、喉詰まって食べれなくなる時はあるから」
「……まるで実体験みたいに言いやがるな?」
激しく咳込むルドーの隣でされる会話に、カイムが唸るように指摘した。
涙目でルドーが目を向ければ、クロノは赤い瞳をカイムに向けた後、一瞬図星のような色を浮かべ、大きく溜息をついた。
「……とにかく、食べれないのに無理に食べさせない。水分だけ取らせればいい。それじゃ」
「え、あ、ありがと……」
「おい。てめぇ普段食事少ねぇの、それじゃねぇだろうな!」
「クロねぇ、カイにぃ、まってぇー」
噛み付くカイムの言葉を聞きたくない様子で、クロノは耳に手を当てて立ち去って行った。
クロノを追っていくカイムの後に、三つ子が慌ててパタパタ続いていく。
パウチを抱えたリリアは、クロノの説明を聞いて、ようやく落ち着いた様子のルドーをちらりと眺めた。
「お兄ちゃん、今のは飲み込めた?」
「……なんとか」
『まぁ、数日は食ってねぇから、とりあえずは安心か』
リリアも聖剣もほっと一息ついた様子で、小さく息を吐いた。
「しんどいときはたべるっきゃないっしょ!!」
「それ、メロンだけだと、思う」
並べられた料理を、恐ろしい勢いで手を付け始めたメロンに、イエディは呆れた声を返した。
魔法訓練では、組手を申し込んできたエリンジに、ルドーは完膚なきまでに叩きのめされた。
エリンジが今のルドーに組手を言い出す理由はわかっている。
立ち上がれなくなったルドーに、もう一度立ち上がれという、エリンジなりの励ましだ。
エリンジの徹底的な虹魔法の弾幕に、ルドーは反撃どころか、攻撃を防ぐ動きすら出来なかった。
無表情が失望したように、眉間に深い皺を刻んでいる。
「立ち塞がりもしないか」
「エリンジくん! そこまでしなくてもいいでしょ!?」
「リリ、分かってる。分かってるから……」
熾烈な攻撃をぶつけたエリンジに、リリアが猛烈に抗議する。
駆け寄ったリリアの回復魔法で鈍い痛みを感じつつ、ルドーは起き上がってリリアを制した。
組手の様子を見ていた他の面子から、厳しいエリンジの対応に非難の声が上がりはじめる。
「いやいや、あれは流石にやり過ぎじゃありませんかや?」
『動けない相手にボッコボコ(; ・`д・´)』
「弱者をいたぶる趣味はない、今回は見ていて不快だったぞ!」
「ハイハイハイ弱い者いじめは良くないと思います!」
カゲツ、ノースター、フランゲル、ウォポンがあげた声に、エリンジは不快そうな無表情を向けた。
「ルドーは弱者ではない。吠える元気があるようだな。いいだろう、全員まとめて相手してやる」
「うわああああああああ墓穴掘りましたやああああああああ!!?」
『ごめんなさい許してぇ!!! ヾ(;゜Д゜)ノ』
「どわああああああああ! せめて返事を聞かんかああああああああ!!!」
「ハイハイハイハイ逃げます逃げます!」
エリンジから大量の虹魔法の弾幕と爆発が発生し、途端に四人が逃げ惑い始めた。
情け容赦なく攻撃を加えて、爆発に吹き飛ばされていく。
友人として信頼しているエリンジを失望させた。
苛立ちに立ち去っていく無表情の背中に、ルドーは情けなさがさらに押し寄せてくる。
「どうやって身体動かしたか、思い出せねぇ……」
『重症だな。なんで休まねぇんだ、ルドー』
「今休んだら、本当に動けなくなるような気がする」
ルドーは思ったように動かない身体を、必死に動かして立ち上がろうとする。
立ち上がった拍子によろめいたが、傍に居たリリアが支えてなんとか倒れずに済んだ。
大きな溜息のようにルドーが息を吐いていると、突然赤褐色の髪が全身にビシッと巻き付いた。
悲鳴をあげる間もなく、髪で引き寄せられ、ジトリとカイムに睨み付けられる。
「カ、カイムくん!?」
『なんだなんだどうした』
「クロノ、あれの気配わかるよな。明日ツラ貸せ」
困惑して言葉も出ないルドーと、混乱しているリリアや聖剣。
それも無視してカイムは、組手でまたアルスを叩きのめしていたクロノに呼び掛けた。
あれの気配。
女神深教の祈願持ちのことだ。
ワスラプタの一件を思い出し、ルドーは縛られたまま身体をこわばらせる。
ルドーの反応にカイムは一瞬視線を向けたが、すぐクロノに視線を戻した。
「わかるけど、なに?」
「森に戻る、念の為だ。警戒しときてぇ」
「森に? 中央魔森林?」
「あぁ。あー、エリンジ!」
困惑するクロノをそのままに、カイムはルドーを縛り上げたまま横を向いた。
カゲツ、ノースター、フランゲル、ウォポンを一度に相手にしていたエリンジに、カイムは初めて名前を呼んだ。
名前を呼ばれたエリンジは、ぶちのめしている四人も忘れて、驚いた無表情で振り返った。
「なんだ」
「てめぇしか転移が使えねぇ。万が一の緊急脱出頼みてぇ。明日行けるか」
「構わん」
カイムに名前を呼ばれて頼られたことが嬉しいのか、エリンジは先程までの不機嫌から一転して、上機嫌の無表情になった。
説明もないまま進んでいく話に、ルドーとリリアと聖剣はひたすら困惑する。
とうとうルドーも声をあげた。
「カイム、一体何の話してんだ……?」
「俺の家の近くの里に戻る、明日だ。てめぇは連れてくぞ、ルドー」
「おうち帰るのー!?」
「やったぁ!!」
「とうちゃん、かあちゃん、元気かなぁ!?」
カイムの話を聞いて呆気にとられたルドー達をよそに、話を聞いた三つ子が大喜びで叫んだ。
中央魔森林の中、人間から身を隠してひっそりと暮らしてきた、魔人族の里。
理不尽に森に追いやられた人間の祖先が、中央魔森林の瘴気に適応進化し、亜人へと変わった魔人族。
今は壊滅したマフィア、鉄線に人攫いに遭い、奴隷や魔力源としてカプセルに入れられていた人たち。
その里に、カイムはルドーを強制的に連れていくという。
初めてカイムに名前を呼ばれたことにも気付かず、ルドーは困惑の声をあげた。
「……人間怖がってんじゃねぇか? 俺連れてって大丈夫か?」
「今のてめぇだから連れてく。文句なんて聞かねぇからな」
赤褐色の髪に縛られたまま、指を突きつけられて、ルドーはカイムに宣言された。
カイムの意図が汲めないまま、シュルリと髪から解放される。
通信魔法で誰かと連絡を取り始めたカイムを、リリアに支えられながら、ルドーは呆然と眺めていた。




