番外編 ネルテ先生の生徒観察記録.16
マー国ワスラプタの水源騒動。
新興マフィア線連が動いたことによる今回の事件は、想像以上に生徒達に深い爪痕を残した。
水源に元々水が無かった事実に、マー国出身の生徒であるカゲツは、大きなショックと不安を抱えた。
線連に下った因縁ある相手であるレモコを、助け出すどころかワスラプタ地下で遭遇すらしなかったアルスは、己の不運を嘆いている。
そしてワスラプタの地下で、一般人の犠牲を目の当たりにしてしまったルドーが、一番心に深い傷を負っていた。
あまりにも悪い結末ばかり残した、ワスラプタの騒動。
それを思い返し、ネルテは魔法訓練の間、それぞれの生徒の訓練の様子を、細い目で観察していた。
「……やっぱり簡単には立ち直れはしないか」
人を襲う魔物に瘴気ばかりが蔓延るこの世界では、必ずしも全ての人を救い出す事は出来ない。
ウガラシでの女神深教の集団襲撃、その事実は生徒達に大きな壁として直面していた。
有象無象の大衆が目の前で亡くなっていくのも、生徒達にはかなりダメージが大きかった。
ただ知り合いがいた訳でもなかったため、どこか非現実めいた体験になったことも確かだ。
災害のような光景に、同じ事を繰り返さないよう、悲惨な現場をバネに生徒達は力を付けようと、日々鍛錬に励んでいた。
だがルドーは今回、犠牲になった一般人と、ほんの少しだけ地下で交流を持ったという。
ワスラプタでルドーが交流を持ったことで、ウガラシでもワスラプタでも、犠牲者が生身の人間だったのだと、あらためて認識してしまったようだ。
疲れたような気だるい、なまった動きをしているルドーを見て、ネルテは小さく溜息をつく。
本来ならルドーの疲弊した精神を休ませてやりたいところだ。
だが、古代魔道具の聖剣レギアを持つルドーの立場が、それを許してくれない。
マー国からの依頼。
王族所有の古代魔道具、願いの兵士の破壊を、ルドーは完膚なきまでに達成してしまった。
依頼としての実績を持ってしまった以上、他国ももうこれ以上彼を放置しておくことはしないだろう。
チュニ王国の勇者という立場が、今の疲弊したルドーを守ってくれてはいる。
しかし狡猾な政治家は王政界には山ほど溢れ、獲物を狙うように鋭く目を光らせている。
今回のように正式な依頼として通されれば、国という立場を通してルドーは動かざるを得ない。
様子のおかしいルドーに、リリアとエリンジが顔を見合わせている。
エリンジはエレイーネーに入学した当初から、最強の魔導士という高い目標を掲げていた。
リリアはルドーを追い続け、攻撃魔法が使えなくとも、出来ることを自ら鍛え続けてきた。
一方でルドーは、度重なるトラブルが、毎度毎度向こうから舞い込んで来るため、対処に追われ続けて今に至る。
状況に流され続けていたルドー。
彼には戦うことに対する覚悟が、エリンジやリリアと比べれば、まだきちんとできていなかったのだ。
ルドーがここで折れてしまうか、それとも立ち直って更なる地獄に足を踏み入れるか。
今回ばかりはルドー本人次第だ、ネルテには見守るよりほかに方法はない。
必要な覚悟を背負うには、ルドー本人の強い意志がいる。
ネルテのどんなアドバイスも、今は決して役には立たないのだ。
「はぁ、しつこく言ってくるから相手してあげたのに、それだけ?」
「ぐっ……」
面倒くさそうな声に振り向けば、クロノがアルスを完膚なきまでに組み伏せていた。
アルスが追っていたレモコは、女神深教の縁祈願についていってしまったらしい。
厄介なマフィアから、ウガラシを集団で壊滅させた相手への鞍替え。
アルスは女神深教の情報を持つクロノに、詳しい事情説明を求めていた。
だがルドーやネルテ達が、クロノから女神深教の祈願持ちについて詳しく知ったのも、まだ最近のこと。
副校長フェザー・シルバーから情報統制が敷かれたままのため、ネルテ達には説明できない。
その一方で、古代魔道具の魔法が効かないクロノには、副校長シルバー・フェザーの情報統制が効かない。
もっともクロノ本人が、女神深教に関して周囲に話したがっていないので、情報統制されているも同義。
ただ過去にレモコに対して後悔があったアルスは、はいそうですかと、いつものように一歩引いて頷くことは難しかった様子だ。
「クロノさん! 話を聞きたいだけですのに、どうしてこんな真似をなさいますの!」
「迷惑だからだよ。何を相手にしてるのかわかってる?」
アルスを庇いに行ったキシアに、クロノは逆に吐き捨てている。
「ウガラシをあんなにした連中だよ、生半可に挑んで勝てる相手じゃない。半端に情報探ろうとするなら本気出すよ、迷惑するのはこっちなんだから」
吐き捨てるだけ吐き捨てると、クロノはいつもの調子でスタスタと、魔法訓練から背を向けて歩き去り始めた。
アルスがレモコを女神深教から引き上げるには、確かにクロノの言う通り、今のままでは到底かなわない。
悔しそうに唇を噛んで地面を叩き付けた、アルス自身がそれを痛いほど痛感しているだろう。
最近になって分かったことだ。
どうやらクロノは女神深教に関して、極度のトラウマがあるようだ。
クロノの左手に付けられた、何者かによる契約魔法の制限もあるだろう。
だがクロノが女神深教の情報を頑なに話そうとしない理由には、そのトラウマも関連しているようだ。
自らにデバフを掛けた状態で、周囲が女神深教の情報を探る事さえ拒絶する。
アルスがレモコの為に女神深教を探ろうにも、クロノが完全に邪魔をする形を取り始めていた。
クロノよりアルスが強くならなければ、クロノはそれを許容しないと。
レモコを取り戻すには、どのみちそれだけの力は必要だろう。
アルスも本当はわかっているのだろうが、それだけの力を、急に身に着ける事は出来ない。
悔しさだけが残っている様子だが、アルスは無意識には理解している。
アルスに関しては、地道に力を付けていくしかない。
キシアに回復魔法を施されながら運ばれていくアルスに、ネルテは小さく肩を落とす。
一方で、マー国の状況に右往左往されていたカゲツには、ここに至って希望が見え始めていた。
「水不足って、砂漠を緑化すればいいんじゃないの?」
「……砂漠を緑化? なんですかそれ……」
水源に水はなかった。
その事実はどうあがいても覆すことは出来ない。
将来の不安に対して、商い魂強いカゲツは、商用ルートを新しく構築し、水の新しい輸入ルートを、魔法科の生徒を通じて模索し始めていた。
そんな中、事情を聞いたヘルシュが、素朴な疑問をあげていたのだ。
砂漠の緑化、ネルテでさえ聞いたことのない言葉に、カゲツが怪訝な表情をしている。
「植物生やせる役職持ってるなら、普通に緑化するより楽だろ?」
「いやですから、その砂漠を緑化ってなんなんですかや?」
「……あっそうだわ! 砂漠はこの世界でマー国にしかない上、砂漠悪化はここ三十年と最近。この世界に砂漠の緑化の概念が存在しないわ、ヘルシュ!」
「なんの話をしてるんだい?」
カゲツとヘルシュの話を隣で聞いていたアリアの叫び声に、ネルテも意味が分からず近寄っていく。
その後ヘルシュはアリアとともに、動揺してたどたどしい説明になったが、要は砂漠地帯に植物を生やして回復させることを言うそうだ。
確かにカゲツはハーブセラピストという、魔力で植物を生やしやすい役職を持っている。
普通に砂漠に植林するより、圧倒的にやりやすい。
さらに、ネルテ達教師陣だけが知っている、マー国の水源に関する、衝撃の事実が判明していた。
「あれ、その子たち前の、大丈夫かい?」
ネルテ達がワスラプタから脱出し、ルドーが雷竜落で願いの兵士を破壊した後。
マー国の行商人、ウーターという人物が、ネルテ達の元に訪れていた。
かつてワスラプタの出身だったという彼から、驚くべき話を聞いたのだ。
「封印された水源? あー……、それ、多分、僕のことだと思うよぉ」
「えっ?」
疲れ切った生徒達を休ませて、ワスラプタ出身であるウーターから、ワスラプタの事情を聞こうと教師たちだけで集まったら、とんでもないことをウーターは話し始めたのだ。
なんでも乾燥しやすいマー国では、水井戸師という、任意で水を生み出す役職持ちが生まれるそうだ。
ワスラプタの地下最下層の水源で囲われていたのは、場所ではない。
水井戸師という、この国特有の役職持ちが、密かに探し出されて囲われ続けていたのだ。
「三十年前、六歳の時だったかなぁ。ワスラプタから出発した直後の陛下とお会いしてねぇ。その力は誰にも話さず見せびらかず、秘匿しなさいって言われたんだよねぇ」
ウーターは、マー国の国王が行方不明になる直前、どうやらたまたま顔を合わせたことがあるらしい。
最近出現した役職の効果に困惑していたウーターを見かけて、血相を変えてそう言い含めたそうだ。
「今にして思えば、陛下は僕のこと守ってくれたんだろうねぇ」
崩れたワスラプタの方角を見ていたウーターは、昔を思い出すように遠い目をしながらも、どこか晴れた様子だった。
「こんな役職がマー国に知られたら、平民の僕じゃあどんな目に遭うかわからないし。でも水が無くてあえいでる人たちは放っておけないから、極秘ルートで仕入れたって、あちこち販売して配ってはいたんだよねぇ」
ウーターの話から、三十年前の水源騒動は、また違った姿を見せ始めた。
王族が不在のところを、水源を奪い、そのまま逃走した貴族。
もし、水源が場所ではなく人だったとしたなら、水源が三十年前に断たれたなら。
当時の水井戸師の役職持ちは、おおよそその貴族に、口封じに殺されてしまったのだろう。
ルドー達の詳しい状況説明から、マー国王族は、水源を囲う事に罪悪感を抱いていた様子だった。
その水源が、場所でなく、自由を奪った自国民であるならば。
確かに罪悪感を抱き、一人を犠牲にして成り立たせていたワスラプタの存在に、国王でさえ疑問を抱いても仕方ない話だ。
前の水井戸師が亡くなった後、新たに生まれた役職持ちに、国王は一体どんな心境を抱いただろう。
だが力を隠せと助言した事実から、きっともう同じ悲劇は望んでいなかったはずだ。
マー国にはまだ水がある。
もう水源として囲う事はないだろうが、砂漠を緑化し、水を配り続ければ、マー国にはまだ希望が持てる。
ヘルシュとアリアの砂漠の緑化話に、食い付いたカゲツを見ながら、ネルテはさらに、ウーターとの話を思い起こす。
「三十年前に、ワスラプタは廃して別の王都を築くってお触れがあったから、ワスラプタの住民はそれから移住を考えて大体引っ越したんだよねぇ」
「……旧王都を残す気はなかったってことかい?」
「少なくとも、国王陛下はそのつもりだったと思うよぉ。みんなそれを察したから、ワスラプタからあちこち移住したからねぇ」
突然の国王のお触れは、ワスラプタの住民を混乱させたが、水源が貴族に襲われた事実に不安を抱いていた住民は、それも致し方なしと納得したそうだ。
ただ、それでも移動できない住民は少人数おり、国王が行方不明になってうやむやになってしまった。
そのためひっそりと住み続けた少数の住民を、ウーターはワスラプタ出身もあって気にかけていたそうだ。
「ウーターさん! その話、その住民に、ニグって言う女の子を孫に持ってる、おじいさん知りませんか!?」
いつから話を聞いていたのか、ルドーがウーターに突然飛び掛かるように聞き込んだ。
「ニグ? あぁ、遠くの農村にお孫さんがいるっていう、おじいさんならいたかなぁ。何年か前に、寿命で亡くなってしまったけど……」
「……あぁ、そうか、それで連絡が途絶えた……いや、ありがとうございます」
ウーターの話に、ルドーは再びがっくりと意気消沈したように沈み込んでいた。
ルドーが地下で遭遇したニグという農村民の少女については、ヒルガがぺちゃくちゃ話したため、おおよその話はネルテも聞いている。
ルドーは縁祈願に、致命的になりうる攻撃を与えたため、その顔を覚えられた。
あの場にルドーがいたために、そのニグという少女は殺されたと、きっとそう思っている。
思い込んでしまったルドーに、そうではなかったとネルテが伝えても、きっと考えは変わりはしない。
ルドーには時間が必要だ。
起こってしまった悲劇に、気持ちを整理する時間が。
一方水不足のマー国で、水を無限に生み出せるウーターの存在は、秘匿しなければならないだろう。
今まで通り、ウーター本人が行商人という立場のまま、ひっそりとマー国に水を販売していく。
魔法訓練も上手くいかず、座り込んでしまったルドーに、リリアとエリンジが近寄っていく。
走り寄っていく心配そうな顔をした三つ子を、遠くからカイムが眺めている。
「……このタイミングで、いつもより予定が前倒しか。仕方ないと言えば仕方ないが……」
毎年年度末に行われている、ファブ国レペレル辺境での、現場実施体験。
大型魔物暴走最多国、ファブ国の要であるその最前線で行われる行事。
瘴気と魔物の実態を、肌で感じることで、魔導士を目指す魔法科生徒が、何と戦うのかを体験する。
異常事態ばかりが続いた今年度、同盟国連盟での会議はどうするべきか進んでいなかったが、現場責任者のレペレル辺境伯が今回動いた。
マー国の古代魔道具、願いの兵士をルドーが破壊できたと、その報告を聞いて。
化け物辺境伯が動くならばと、同盟国連盟もその決定に従い、予定が大きく前倒しになった、レペレル辺境現場体験。
傭兵派遣国家ファブ。
現場主義の血みどろくさいあの場所で、生徒達が新しく活路を見出せる機会を、辺境伯は与えるつもりだろう。
「全く、例年はいつも我関せず連盟の好きにさせているのに。何を考えているのやら、化け物辺境伯閣下は」
大型魔物暴走の最前線で、一人魔物を大量に屠り、ファブを守り続ける、化け物辺境伯。
一個師団以上の実力を持ち、化け物辺境伯が落ちれば、ファブは滅びるとされている防衛の要。
大型魔物暴走は、瘴気や魔物起因のため、発生が不確定だ。
魔の森に隣接するどの国でも、発生する可能性は少なからず存在する。
だがファブのレペレル辺境は、その発生率が段違いで多い。
その最前線の現場で、一週間の滞在。
少なくとも二回は大型魔物暴走と遭遇し、生徒達はその現場に心から震えあがる。
「どん詰まりだからこそ、死地に送り込む、か」
植林という希望を見出したカゲツとは違い、行き詰まっているルドーとアルス。
精神的に立ち止まってしまったルドーと、実力不足に直面したアルスには、レペレル辺境での現場実施体験は、新たな活路を見出せる可能性もある。
かなり強引ではあるが、厳しい現場を見てこそ、新たな境地を見つけられるかもしれない。
報告にあった勇者狩りは、腕が潰れてしばらく出て来ないだろう。
中央魔森林が近い為、歩く災害たちにも注意は必要になる。
女神深教に一番警戒していたクロノの出身のレペレル辺境だ、女神深教に対する対策について、一応確認しておいた方が良い。
「まぁまだ時間はある。それまで少しはゆっくりさせてあげよう」
予定は前倒しになったが、その分レペレル辺境での準備もまだ整っていない。
戦闘に慌ただしかった身体を休めるよう、ネルテは魔法訓練の様子を見守り続けた。




