表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
198/236

第百八十四話 少女の小さな背中

 

 取り残された廊下に、ぽたぽたと水滴が滴る音が響く。

 すすり泣く声、嗚咽する呼吸。


 全員が気まずそうに視線を彷徨わせる。


「うーん、こっちもこっちでどうにかしないと……」


 カイムに完膚なきまでに拒絶されて、失恋した頭に羽の生えた少女。

 罠の網に絡まったまま、悲しみに体を震わせている少女を、どうしたものかとルドーは眺めていた。


『聖女だっつーんなら、森にももう帰せねぇんじゃねぇか?』


「だよねぇ。訓練しないといけないし……」


「廊下にずっといるってのもなぁ。なぁ、その、立てるか?」


 ルドーが声を掛けると、泣いていた少女はビクッと体を震わせる。

 しかし、またすぐに思い出したかのように、しくしく泣きだしてしまう。


 名前も何もわからないので、ルドーはなんと声を掛ければいいかわからない。

 ライアもレイルとロイズがぴったり引っ付いたまま、不安そうに少女の方をじっと眺めていた。


「あぁーもう、まずはいい加減そこから脱出しなさいよ! ほらあんたたち、突っ立ってないで手を貸す!」


「ハイハイハイ手を貸します手を貸します!」


「まぁ、可哀想なのは確かだしね……」


「まるで漁の網だな! 酷い絡まり具合ではないか!」


 アリアの鶴の一声で、フランゲル達がわらわらと少女に群がる。

 涙に震える少女に、細心の注意を払いながら、絡まった網をそっと少しずつ解いて外していく。


 アリア自身も加わって、罠の網を解いていく様子に、ルドーはリリアと顔を見合わせた。


「……アリア、なんか今回はやたら優しいんだな」


「ね、少し意外かも」


「ちょっと! 私の事なんだと思ってるのよ!?」


「さっき俺が罠にかかっても、思いっきり笑い飛ばしてたじゃん。いつもこういうの手を出さず見てたし、なんか新鮮だなって」


 ルドーが正直にそう言えば、アリアは手を止め、ジトリとルドーを睨み付ける。


 しかしルドーの指摘にも、思う所はあるようだ。

 しばらくしてアリアは盛大に溜息を吐き、手を動かしながら続けた。


「まぁ、なんというか……他人事に思えないのよね。必死になって空回ってるところ」


 網を少しずつ解きながら、アリアはじっと少女の方を見据える。


「あー、前期のあれ状態の、アリアさんそっくりですもんね?」


「あんたも同じだったでしょうが! 黒歴史掘り返さないでよ!」


 茶化すようにヘルシュが言えば、アリアは大声で言い返し始める。


 ヘルシュの言う前期のあれ状態。

 ニン先生が言っていた、「勇者聖女症候群」状態の事だろうか。


 確かニン先生の説明では、前世の記憶も持っている転生者、しかも勇者や聖女は、「中二病」とかいう状態になって、現実が見えなくなるという話だったような。


 あの時聞いた説明は、ルドーには結局よく分からなかった。

 だがあれ以来、ヘルシュとアリアの態度はガラッと変わった。


 確かに前期のアリアは、言っている事の半分もルドーは分からず、常に空回りし続けていた。


 少女のカイムに対する、恋慕が空回りしている姿。

 アリアから見れば、その時の自分と少女が重なって見えた。

 だからアリアは、どうにも少女を無視できないという話だ。


「なるほどなぁ、同じような状態に見えたから、放って置けないと……うん?」


 言われてみたら確かにと、ルドーが納得して頷いていたが、何かが引っかかった。


 同じような状態。

 もしそれに、原因が存在するとしたら。


 言葉にした後、ルドーと同じことを、アリアとヘルシュも感じたらしい。

 なにか電流でも走ったかのように、二人は急にすっと真顔になる。


「ハイハイハイ解けましたよ!」


「目元が真っ赤ではないか! あいにくハンカチは持ち合わせがないぞ!」


 ルドー達が話している間に、ウォポンとフランゲルが少女を網から救出した。

 まだ若干泣き晴らし、俯いたままの少女。


 ルドーやリリアが動くよりも先に、アリアが少女の顔に、ポンポンとハンカチを当てて涙を拭く。


 そのままヘルシュとアリアが、意味深に目を見合わせ頷いた後、慎重に声を掛けた。


「あのー、そのー、きみ……ひょっとして、前世の記憶あったりする?」


「……え?」


 悲しみに暮れていた少女は、驚きに顔を上げた。

 罠からの救出作業で、同じ目線で座り込んだままのヘルシュの声に、少女は目を向けて固まる。


 知らない言葉を言われた反応ではない。

 どうしてそれを、という、明らかに意味が分かっている反応だった。


 少女の反応に、ヘルシュとアリアが明らかに動揺し始める。


「あ、あるのね? その反応、前世の記憶、持ってるのね?」


「え? なんで……キミラバのマンガに、前世の記憶を持ってるサブキャラは……」


 動揺した少女が、呆然と呟いた言葉。

 しんと、一瞬空間に重い沈黙が走った。


 少女の言葉の意味は、何一つルドーには理解できない。

 だがヘルシュとアリアには、思い当たる反応だったらしい。


 ルドーとリリアが困惑の声をあげるより先に、二人叫びはじめた。


「うわああああああああ! 確定! 確定だこれ!」


「「勇者聖女症候群!!」」


「戻って! 戻ってきなさい貴方! 現実を直視するのよ!」


 そのままアリアは、少女の両肩をがっしりと掴み、ガクガクと揺すり始めた。

 余りの狼狽えっぷりに、少女の目から涙が引っ込む。


 ルドーは慌てて止めようとアリアに声を掛けた。


「お、おい、急にやったら驚いて怖がるんじゃ……」


「うるさいわよ! 分からない奴は引っ込んでて!」


「えぇ……」


「ど、どうしたんだろう……」


『あー、そいつも前世持ちって事だったって訳か』


 困惑するルドーの制止は、アリアに大きく遮られてしまった。


 リリアもアリアの反応に困惑して狼狽えている。

 アリアとヘルシュの反応に、聖剣(レギア)が面倒そうにパチッと弾けた。


 どうやらこの少女も、前世の記憶持ちらしい。


 道理で外界から隔離された中央魔森林育ちの魔人族、しかも基本一人で行動していたのに、カイムや三つ子に比べて、妙にこちらの世界に馴染むのが早かったわけだ。


 アリアとヘルシュは必死になって、少女をガクガク揺すり続ける。


「貴方! 今中二病状態なの、分かる!? 自分の世界に浸っちゃってるのよ! 戻ってきてお願い、直視出来ないわ!」


「中二病は見ている方もダメージをくらう……お願い、ちょっと一旦立ち止まって……」


「えっ、えっ?」


 必死過ぎるアリアとヘルシュに、完全に困惑状態の少女。

 急に必死になったアリアとヘルシュの様子に、よくわかっていないウォポンとフランゲル。


「ハイハイハイさっぱりわかりません!」


「なんか知らんが、冷静になれと言うのなら間違いないな!」


「いや、違うと思うんだけど」


「ま、まぁ、泣いてるよりは、いいんじゃない?」


 騒ぎ始めたフランゲル達に困惑しつつも、ルドーとリリアも声をあげた


 カイムに失恋し、悲嘆に暮れていた少女を気遣っているというには、何か違う気がする。

 しかしこの調子なら、少女は彼らに任せても大丈夫そうだとルドーは感じた。


「あー、そんじゃ、その子はアリアとヘルシュに任せるか」


「え、お兄ちゃんいいの?」


『ま、あの状態じゃほっとけないだろ。色々とフラッシュバックするだろうしな』


 ヘルシュとアリアに捲し立てる様に説明され始めて、少女はぽかんと口を開けていた。

 とりあえず失恋のショックは紛らわせたようだ。


 訳が分からないままだが、嫌がらせ問題は一旦片付いた。


 そう思ったとルドーが溜息を吐きながら振り返ると、キャビンの傍に居た三つ子が、まだ不安そうな顔をしている。


「……ルドにぃ。クロねぇ、大丈夫?」


「うん、カイムならきっと、引き留められるって」


「きっと大丈夫だから、もう遅いし、夕ご飯食べに行こう?」


「……うん」


「行ってご飯食べながら、カイにぃ待ってよう。ライア」


「カイにぃちゃんならやってくれるよ、大丈夫だよライア」


「全く難儀なものよねぇ」


 しょんぼりするライアを励ますレイルとロイズを連れて、ルドーはリリアとキャビンと一緒に、遅い夕食に向かう。

 クロノを追いかけたカイムが走っていった方向に、ルドーはまたちらりと視線を向け、小さく溜息を吐いて歩き始めた。




 普通に歩き去ったはずなのに、相変わらず恐ろしいほどにクロノの動きは早かった。

 見えなくなった姿を追いかけながら、カイムは胃のあたりがムカムカする嫌な気分を、必死に押し殺す。


 リンソウの時のように居なくなる。

 またあの時の様に、どれだけ探しても見つからなくなってしまったら。


 漠然とする不安の中、足を必死に動かし、クロノならこの後どこに向かうか、カイムは混乱する頭を巡らせた。


「ちょっと今虫の居所悪いの。あんま構ってこないでくれる?」


 カイムの考えが纏まるより先に、前方から聞き覚えのある声が響く。

 安堵するように、カイムは声の方向に急いだ。


「今度こそお前を倒して――――ぐわああああああああ!」


 続く少し高い声をした、男の悲鳴と激しい衝撃音。


 廊下を曲がったところで、ハイシェンシーが壁に大きくめり込んで、クレーター状態になっていた。

 その手前にいるクロノを見つけて、カイムは息を切らしつつ、その姿に近寄る。


「ぐっ……お前、なぜ魔法を使わない。その抑え方、自分で自分を縛っているだろ」


 聞こえてきた会話に、カイムは躊躇うように足が止まった。


 クロノにも魔力があることは、カイムも知っている。

 なぜか魔法が使えないと、頑なに魔法を使わないことも。


 最初は魔力がある癖にと、また人間特有の傲慢さかとカイムは苛立ったものだ。

 だが圧倒的すぎるクロノの身体能力に、使う必要もないのかと、カイムは一人勝手に納得していた。


 しかし聞こえてきた会話に、クロノが自身で魔法を縛っている事を、カイムは初めて知る。


 クロノはハイシェンシーに対し、苛立つようにドスッと肩に蹴り入れる。

 肩を貫通して、クレーターにまた軽くヒビが入った。


 かなり重たい攻撃に、ハイシェンシーからグフッと声が漏れる。


「余計な詮索しないでよ。加減なく殴られてミンチになりたいっての?」


「戦いに全力で応えなければ、相手に失礼だとは思わないのか!」


「いい加減にしてよ。そっちの主人と、その国危険に晒したいわけ?」


 自身だけでなく、主人も危険に晒されると聞いて、ハイシェンシーは驚愕に黙り込んだ。


 クロノが魔力を抑えている事と、今の話の国に対する危険は、カイムにはどう考えても結びつかない。


 しかしクロノはいつも通り詳しく説明しないまま、話は終わったとばかりに、ハイシェンシーを一撃で倒す。

 大きくドスッと、ハイシェンシーは首に拳で一撃を入れられ、クレーターの中でガクリと気絶して動かなくなる。


 いつもよりずっと、クロノの攻撃の仕方が荒い。


 カイムはゆっくりと足を進め始めた。

 ペタペタと響く素足の足音から、もう既に、クロノはカイムに気付いているはずだ。

 だがクロノは、カイムの方に振り返ろうともしない。


 拒絶するかのように、帽子の鍔を握って深く被り直している。

 近寄るカイムは、クロノの後ろ姿からそれを見る事が出来た。


「……おい、クロノ」


「なんで追ってきてるわけ? 好きにしろって言ったじゃん」


 カイムの声に、クロノは振り返らない。

 いつもの平坦な声が、カイムには少し震えて聞こえた。


 逃げる癖がついている。


 追いかける前に、アリアにそう叫ばれて、カイムは思考がグルグル巡回していた。


 臆病者だと言いながら、自分が危険に晒されるような状況に、クロノはいつも平然と飛び込んでいく。

 いくら危険だと叫んでも、こちらの声には答えないまま。


 つまり、クロノは誰かを頼ることを、極端に恐れている。


 腕が千切れても、足が潰れても、クロノは自己再生の力があるせいで、自分の怪我を鑑みない。

 恐ろしく頑丈で、カイムもまだ敵わないと思えるほど強い。


 その圧倒的な強さ。


 カイムは自分自身の至らなさに不安で、クロノに傍に居てほしいと思っていた。

 だがカイム自身が至らなかったから、クロノはリンソウで逃げてしまった。


 中央魔森林にいた時の、どこか遠くを見ていた姿。


 常に周りに気を配っていたのは、周囲に危険がないかを常に警戒して。

 ルドーが縁祈願(ゆかりきがん)を倒せなかったと聞いた時の、あの真っ青な表情。


 実際のところ、クロノは恐怖に咄嗟に逃げ出してしまう程、本当は恐ろしく脆いのだ。


 アリアの叫びで、カイムはようやくそれを理解した。


 こちらを振り向こうとしないクロノを、じっと見据えながら、カイムは口を開く。


「好きにしろって、そう言ったのはてめぇだろ」


「……それで追いかけてくる意味がわからないんだけど」


 低い声で応えるクロノ。


 カイムがじっと観察すれば、その肩と腕が、わずかに震えているのがわかった。

 逃げ癖があると聞いて、隣で見続けたその姿をずっと思い起こして。

 カイムが考えていたことが、この時確信に変わった。



 一体いつからなのだろうか。

 クロノは心の大半を、恐怖に支配されている。



 カイムとクロノでは、いつも見えているものが違う。


 詳しく説明した、女神深教の祈願持ち。

 不老不死だと語ったその相手。


 クロノはあいつらの襲撃に、常に怯え続けていたのだ。


「……俺だけずっと舞い上がってて、バカみたいじゃねぇか」


「良いじゃん別に、舞い上がったって。平和な証拠なんだから」


「てめぇ、なんでずっとその平和に、てめぇ自身の事勘定に入れねぇんだよ」


 顔を隠すように帽子の鍔を握って、こちらを振り向かないクロノの背中に、カイムは話し続ける。


 ふとした時に漏れる、自罰的な呟き。


 クロノはいつだって、最後にクロノ自身が、カイム達と一緒にいると考えていない。

 そう考えているからこそ、クロノの口から、時折その言葉が漏れる。


 だがそれは同時に、助けを求めているようにも、カイムには聞こえて。


 動かないクロノにカイムは、その背中にゆっくりと近寄る。

 強さに大きく見えていた背中が、今はずっとちっぽけに見えた。


 そこにいるのは、年相応の小さな少女に、カイムには見えて。


「ほんとは勘定に入りてぇんだろ」


「っ……」


 カイムが確信に触れて、クロノの肩が大きく震えた。

 恐怖に怯え続けているクロノの本心。


 振り返らない背中をじっと見据えながら、カイムは言葉を続ける。

 ペタペタと、ゆっくりと、その背後に近寄りながら。


「やろうと思えば、てめぇはリンソウの時みてぇに、いくらでも振り切って逃げられる」


「……」


「でも、そうしねぇのは、戻ってきたのは、本当はこっちにいたいからだろ」


 クロノのすぐ真後ろまで近寄ったカイムは、その足を止めた。

 堪える様に震え続けるその肩を見ながら、カイムはそっと、帽子の鍔を握っていない左手に触れた。


 カイムの髪で縛り付けるのは容易い。

 だがそれでは止める事は出来ても、クロノの心情は解決しない。


 カイムが握ったクロノの左手に、拒絶するような動きはない。

 つまり、それが答えだ。


「怯えたままでいい、怖がったままでいい。ただ、逃げんな」


 細い糸を手繰り寄せる様に、カイムはクロノの左手を引いた。

 振り返らないままの彼女を、壊れ物を扱うように、そっと、しかし強く後ろから抱きしめた。


「言われた通り好きにする……てめぇがいねぇのは、もう俺が嫌なんだよ、クロノ」


「っ、なんで、いつも……欲しい言葉を、くれるの」


 強く抱きしめた腕の中で、クロノは崩れ落ちる様に、震えて泣き出し始めた。

 大きかった背中が、どんどん小さく、縮んで見えてくる。


 圧倒的な強さに追いつけていないカイムでは、クロノの恐怖を全て拭い去ることは出来ない。


 それでも、クロノが自身で抱えきれない恐怖を、吐き出させるように。


 カイムは、震えてしがみ付くように泣き始めたクロノを、黙ったまま強く抱きしめ続けた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ