第百八十一話 戴冠式の余韻と狩猟罠
厳かな空気が場を支配している。
窓から覗く曇り空は、まるでこの先の不確定な未来を暗示しているようで。
「あー……ちゃんとできた気がしない……俺はダメ人げ……あぁ言っちゃダメだ……国民にも言及したことに……うぅ……」
「弱味を口にするな、誰が聞いているかわからん」
「先が長そうだねぇムスク」
クスクス笑う声が、この厳かな空気を多少紛らわせた。
ジュエリ王国王宮、人払いされた王族来賓の一室。
終わった戴冠式に疲れ切った男。
この度ジュエリ王国の国王となったムスクが、来賓用の絢爛なソファに、屍の様に横たわっていた。
新たな国王の、威厳をどぶ川に捨ててきたかのような態度。先が思いやられる。
正面にいるエリンジは、眉間に皺を寄せて睨み付けていた。
その横でムスクを労わるように、聖女のピナがクスクスと苦笑いしながら、その背中をそっとさすっていた。
「……それで、わざわざ人払い指定しての話って何かな……まぁ想像は大体ついているが……」
顔をソファに押し付けたままのムスクの、くぐもった声が聞こえる。
戴冠式で見せた、勇者であり、国王となった時の、威厳ある姿など、もうどこにも見当たらない。
どうやらムスクは、このまま話を続けるつもりらしい。
呆れたため息を大きく吐き出した後、エリンジは改まって、決意するように小さく息を吸いながら話しはじめた。
「心理鏡の捜索、その後の保有を、王命によって保証して欲しい」
「心理鏡か……このタイミング、ウガラシの連中の対策に有効なのだな?」
ソファから顔を上げず、くぐもったままの声に、エリンジは目を見張った。
詳しい事情を説明する時間が要されると思っていたが、その必要がないと驚いたからだ。
ムスクは、勇者としての仕事以外が壊滅的だと思われがちだが、もう一つ有能な部分がある。
政治に関する的確な判断力だ。
他国を侵略したがるような、野心家ばかりの王族の中。
妾腹で生まれたムスクが、幼少期に憎悪渦巻く王宮で生き残れたのも、政治判断力によるもの。
的確に危険を判断し、ひっそりと逃れ続けていたのだ。
生まれながらに身の危険に晒され続け、自然と政治的な状況判断を強いられるようになる。
元々の才覚もあって、その分野を学んでいないのに、かなり能力に長ける様になっていた。
ウガラシの女神降臨祭。
来賓として招かれていたムスクも、転移魔法で逃がされるまでの間、その惨状を目撃している。
同様の襲撃を警戒しての、最低限の国内貴族のみで行われた、ジュエリ王国の戴冠式。
デルメ公爵がいるその場に、子息であるエリンジが同行する理由は本来ない。
そのエリンジが、公爵本人を置いて、新たな国王となったムスクに嘆願を願い出た。
それも人払いまで指定して。
つまりウガラシでの一件の話であると、ムスクはその時点で察していたのだ。
「……有効である可能性が高い。その為に心理鏡を、なんとしてでも取り戻さなければならない」
「ウガラシの後なのが幸いかな……マフィアに奪われた古代魔道具の捜索を命じても、どこから見ても不自然にはならない……」
続けたエリンジの説明に、ムスクはソファに突っ伏したまま、淡々と事実だけを述べる。
それは是とも非とも答えていない。
ぬか喜びしないようにと、エリンジは慎重に言葉を待った。
「……君たちは、ウガラシに現れた連中について、どこまで知っている?」
ソファに伏せる頭を少しずらし、赤錆色の瞳だけ覗かせて、じっとエリンジを観察するように、ムスクは続けた。
シルバー・フェザーによって情報統制されたエリンジには、女神深教について、詳しく話す事は出来ない。
説明を求められても、何も答えることは出来ないのだ。
信用を損ねてはならないと、エリンジは握る拳に力を込めながら、慎重に口を開く。
「強力で、危険な連中だ。そのままでは攻撃が通らん。攻撃が通るようするために、心理鏡がいる」
淡々と、エリンジは事実だけを話す。
じっと見つめてくる赤錆色の瞳に、どこか見透かしてくるような光を感じる。
まるでその本心を見透かしてくるような、クロノのような瞳だ。
延々と思われるような、重苦しい沈黙が続いた。
ムスクが何を考えているか、エリンジにはわからない。
だがしばらくして、くぐもった小さな息が吐かれた後、ムスクは再びソファに瞳を隠した。
「……長生きしてるとな、あいつらの影は、どうにもちらつく。本能が叫ぶんだ。逃げろと、敵う相手ではないと」
むくりと、ムスクは起き上がった。
改めてエリンジと向き直り、じっと赤錆色の瞳で見つめられる。
「気を付けろよ。敵は長い間、巧妙に隠れていた。巻き込まれたことに責任はない。それでも戦うなら、強くなければ生き残れない」
じっと見据えてくる赤錆色の瞳には、歴戦の戦士の闘志が宿っていた。
国王ではなく、国を守る勇者としての警告。
「俺は最強の魔導士を目指す。見ていてくれ」
向けられる瞳を真正面から見つめ返して、エリンジはそう力強く応えた。
「結局めんどくせぇことには巻き込まれんのかよ……」
その日の魔法訓練を終えた後、運動場でルドーはネルテ先生に呼び止められた。
曖昧な内容で、散々チュニ王国に転送し続けていた依頼状。
その正式依頼をエレイーネー越しに出されてしまったために、ルドーには依頼を受ける以外の選択肢が無くなってしまった。
その内容は、グルアテリアから奪われた古代魔道具と、ユランシエルの騒動で紛失した、マー国の古代魔道具、この二つの捜索か、破壊。
チュニ王国にも正式に通されたと、ネルテ先生から告げられた依頼内容に、辟易とした気持ちを抑えきれず、ルドーはその場に大きく項垂れてしまっていた。
「心理鏡を探さないといけないってのに、なんでさらに古代魔道具二つの捜索も加わってんだよ」
『まぁまぁ、ついでに見つかったらその時考えりゃいいじゃねぇか』
「ほんとごめん、うちの国の管理が杜撰なばっかりに……」
グルアテリアに関連のある事だと言われ、隣で話を聞いていたヘルシュも項垂れる。
自国の古代魔道具が、知らぬ間に行方不明になっていたことは、ヘルシュも知らなかったようだ。
二人して頭を抱える。
古代魔道具関連の事件。
遺跡調査での大鍋、マフィア組織鉄線での玉の枝、そしてウガラシでの復活の首飾り。
ルドーにとって碌な事件がない。
チェンパスの持っていたマワの弓矢も破壊され、古代魔道具が破壊できるのは、実質聖剣のみ。
故に破壊できる人物がルドーしかいない。
そのために回ってきた依頼だが、今までの経験から、ルドーには嫌な予感しかしなかった。
「いつまで頭抱えてんのよ。依頼されんだから腹くくりなさいよ」
「そりゃないよアリアさぁん」
「他人事みたいに言いやがって!」
情けない声をあげるヘルシュの横で、ルドーは掛けられた声につい言い返した。
にやつく表情がふたつ、頭を抱えるルドーとヘルシュを見下ろしていた。
ヘルシュの様子を見に来た、アリアとフランゲルだ。
「だって他人事だもの」
「ふはははは! 面倒事ばっかりだなルドー貴様!」
アリアとフランゲルから掛けられる笑い声に、ルドーはがっくりと肩を落とす。
二人は心配して言っているのではない。
明らかに面白そうな事がありそうだと、声を掛けているだけなのだ。
このままでは娯楽にされてしまうと、ルドーは恨みがましい声をあげる。
「アリアもフランゲルも楽しんでるだろ」
「そりゃあね? いい見世物になりそうだもの」
「やっぱりな! そういう奴だよなお前らは!」
「ハイハイハイ助けがいるなら協力します!」
「唯一の救いだけど、ウォポンお前は自己洗脳魔法どうにかしてから言えよ……」
「ごもっともですよホント……」
相変わらずハイライトの無い瞳で、ウォポンはハイハイ言いながら右手をあげる。
協力は助かるが、まず自分の問題も解決してくれ。人の事言えないけど。
長く大きな溜息を吐いた後、ルドーは夕食でも取ろうと気分を切り替えて歩き始める。
「はぁ、とりあえずそろそろエリンジも戻るだろうし、一旦そうだ――――うわああああああああああああああああ!!?」
魔法訓練を行う運動場から廊下に移り、しばらく歩いたところだった。
突如、ルドーはぐわんと胃がひっくり返った。
脚が強烈な勢いで引っ張られる。
気が付けばルドーは、食堂に向かう中央ホール近くの廊下で、足を罠縄で縛り上げられ、上下さかさまになって吊り下げられていた。
びよんびよんと、作動した罠の反動で、ルドーは逆さ吊りのまま上下する。
横を歩いていたフランゲル一行、一瞬呆けた後、指差して爆笑し始めた。
「あはははははは! ちょっとなによそれ!」
「ふはははははは! 良いざまだなルドー!」
「笑うな! 助けろよ! 聖剣、なんだよこれ!?」
『問題ねぇよ、大丈夫な奴だからよ……ククッ』
フランゲル一行と一緒になって、聖剣もゲラゲラバチバチ笑い始めた。
危険物なら聖剣は警告を発する。
つまり聖剣は分かっていて放置した、この状態は危険ではない。
そこまで理解したルドーは、なんとか必死に背中にある聖剣を引き抜いて、足に絡まった罠の紐をバッサリ切り落した。
廊下の床に、顔面からゴスッと不格好な着地をする。
「いっででででで……なんなんだよ全く……」
「……あれ? ルドにぃが引っかかってる?」
フランゲル一行と聖剣に大爆笑されながら、ルドーが痛む顔面を押さえていると、少し離れた場所から小さな声が聞こえた。
ライア、レイル、ロイズの三つ子が、廊下の先、曲がり角の壁越しにチラチラとこちらを見つつ、ヒソヒソと話している。
「なんで? はんにんを狙ったんだよね、レイル?」
「そのはずだけど、あれ、なんでだろう?」
「もう一回かけ直す? ルドにぃ大分いたそうだったから、効果は抜群!」
三つ子はルドーが切り落した罠を、こっそり指差しながら会話していた。
こしょこしょと話し合う会話から、どうやらこの罠を設置したのは三つ子のようだ。
だから聖剣は警告を発しなかったのだろう。
だが、やっていい事と悪いことがある。
「……おい、ライア、レイル、ロイズ、何してんだよ」
三人の様子に怪訝に思いながらも、ルドーはジト目で声を掛ける。
ルドーの声が自然と低くなってしまった。
声を掛けられた三人は、バレていたと思っていなかったらしい。
三者ともにビクッと肩を震わせた後、おそるおそるというように、ゆっくりとこちらに首を回す。
「……ルドにぃ、怒ってる?」
「カイにぃだったら怒る」
「でもルドにぃ、いつも怒らないから怖い」
怒られるだろうかと、反省したようにビクつく三つ子。
しかし先程の会話からも、ルドーを狙っての事ではないことは分かっていた。
つまりこれは事故だ。
罠を仕掛けたのは感心しないが、悪意があっての事ではない。
怯えた表情の三つ子に、ルドーは何となく怒る気も失せて声を掛けた。
「あーったく……怒らないから事情話してくれないかー?」
「ルドにぃ、怒ってない?」
「怒ってないって、痛かったけど」
「……ごめんなさい」
「僕もごめんなさい」
「いいって。そんでどうしたんだよこんなことして」
ルドーが静かに声を掛ければ、三つ子はそれぞれしょんぼりしながら、とぼとぼ近寄って素直に謝ってきた。
やはりルドーに対して、悪意があってやった事ではないらしい。
未だに後ろで腹を抱えて笑っているフランゲル一行を無視して、ルドーは立ち上がらず、三つ子と同じ視線のまま、話をじっと待った。
反省した表情で俯く三つ子。
しばらくもじもじとした後、ライアがぽそりと話し始めた。
「……最近、クロねぇがいじめられてるの」
「クロノが?」
ライアの話に、ルドーは目を丸くした。
「あれ相手にか!?」
「黙って虐められるようなのじゃないでしょあれ」
後ろで笑っていたフランゲル一行からも、フランゲルとアリアの驚愕の声が上がる。
しょんぼりしながら下を向き、ぽそぽそと話したライアに、ルドーは怪訝な表情を向けた。
手に持つ聖剣からも、パチパチと怪訝な火花が散る。
クロノがいじめられている、あの化け物相手に。
とんだ命知らずがいたものだ。
ルドーはそう思ったが、ライアたちはそう思っていないらしい。
ライアの黄色い瞳が心配そうに下を向いていた。
その様子を見ていたレイルとロイズが続ける。
「カイにぃ気付いてない。いっつもカイにぃがいない時に、なんか投げつけられてる」
「カイムが見てない時に?」
『投げつけられてるだぁ?』
「だから、僕たちで犯人見つけるんだって、罠作った! ルドにぃが引っかかったけど……」
そういったレイルとロイズの話はこうだ。
カイムが手洗いや呼び出しなど、何らかの理由で席を外し、クロノと三つ子だけになった途端、クロノの背後から、毎回頭に向かって何か投げつけられているそうだ。
大体がぐしゃぐしゃに丸められた紙らしいのだが、クロノは広げて読んだ後、肩をすくめてゴミ箱に放り投げる。
心配するライアに、その内諦めるから、放って置けとクロノは伝えて。
「でも、クロねぇのこと心配なの。それでこの間、こっそりこれを見たら……」
そう言ってガサゴソと、ライアはポケットから小さな紙を引っ張り出した。
くしゃくしゃに丸められたような、皺くちゃな跡が残った小さな紙には、一言だけ書かれている。
“近寄らないで”
「うっわ、いじめ典型例」
「ド直球だな。俺様でもあれには怖くてこんなこと出来んぞ」
「えぇ、あの人相手にマジで? だれがしてるのそんなの」
「ハイハイハイ陰湿だと思います!」
横から覗いてきたフランゲル一行もドン引きしている。
明らかな虐め内容もそうだが、クロノ相手にそれをやるという意味で。
「つまり、お前たちはその犯人を捕まえようとして、あの罠を仕掛けたって?」
ルドーが考えをまとめながらそう聞き返せば、三つ子は揃ってコクコクと頷いた。
要するに、三つ子はクロノが何者かに嫌がらせをされていて、カイムが気付けない所で起こっているため、自分たちでなんとかしようと、罠を仕掛けて犯人を捕まえようとしていたらしい。
そこにたまたまルドーが通りかかって、罠が誤作動してルドーが吊り下げられた、という事だった。
事情が分かったルドーだが、まだ色々と分からないことがある。
「クロノの事だろ、カイムには相談しないのか?」
クロノがそういう目に遭っているなら、しかもカイムの目が逸らされているタイミングで起こっているなら、カイムに関連している可能性もある。
ならばカイムにまず相談すべきではと、ルドーは三つ子に聞いた。
すると三つ子は、特にライアが途端に顔を輝かせた。
「そこ! そこなのルドにぃ!」
「俺たちが捕まえて、カイにぃに報告するの!」
「それでー、カイにぃがクロねぇちゃんに、もう安心しろって伝えればいいの!」
「あら、恋のキューピット作戦も同時進行だったの」
「えぇ……」
三つ子の報告に、アリアが感心したような声をあげて、ルドーはひたすら困惑した。
恋のキューピットがなにかよくわからないが、要は三つ子は、犯人を捕まえた後、カイムの手柄ということにして、クロノに報告させようとしていたようだ。
それでカイムに一切相談せず、突っ走って罠を設置していたらしい。
「なるほどねぇ。ほんと健気で可愛いわよねぇ」
「いたんすかキャビンさん……」
三つ子の後ろから、ジャージー牛の頭をしたキャビンが、頬に手を当てながら現れた。
「私も知らなかったのよねぇ、最近妙にコソコソしちゃって、罠作り始めて。楽しそうだから眺めてたのよぉ」
「いやカイムには報告案件では……?」
「うーん、罠作るくらいなら、魔人族ではよくある事だったから、報告するほどとは思わなくってねぇ」
「森でいっぱい作った!」
「お手伝いでやってたの!」
「まだまだいっぱい作れるよ!」
「えぇ……」
えっへんと誇らしく胸を張った三つ子に、ルドーは困惑の声をあげた。
森で暮らす魔人族にとって、狩猟罠は日常の一部らしい。
それで三つ子も簡単に罠を仕掛けることが出来たという事だ。
話を整理すれば、クロノが何者かに悪意を投げつけられていて、心配したライアたちが、犯人を罠で捕まえて、カイムに報告しようという話だった。
罠に巻き込まれたルドーは、小さく息を吐きつつ、どうしようかと思い悩む。
「うーん、事情は分かったけど、やっぱ一旦相談したほうがいいと思うぞ」
「ダメ?」
ルドーの指摘に、ライアがこてんと首を傾げる。
事情は分かったものの、そもそも問題としているクロノが、放っておけと三人には伝えているのだ。
ここをどうにかしないと、ルドーには話がややこしくなりそうな気がした。
「ダメっていうか、カイムもそうだけど、そもそもクロノに詳しく聞かねぇと……クロノは?」
「クロねぇ、カイにぃと一緒にどっか行ってる」
「お外!」
「夜には帰ってくるって言ってた」
「えぇ……」
『なんだまだ無断外出再開か』
魔法訓練の時はカイムと一緒にいたのに、クロノはまたカイムと一緒にエレイーネーの外に行ってしまったようだ。
これでは話が聞けない。
「いいじゃない、要は犯人捜しでしょ?」
「そうなの! 犯人捕まえるの!」
「え?」
背後から掛けられたアリアの声に、ルドーは嫌な予感が加速した。
座り込んだまま後ろをゆっくり振り返って見上げれば、面白そうな事にニヤリと笑う、フランゲル一行の怪しい笑顔。
「不届き者を捕まえて突き出せばよいのだろう!」
「まぁ、正義の味方っぽいよねぇ」
「ハイハイハイご協力いたします!」
「えっえっ」
「ルドにぃ!」
「お願い!」
「手伝って!」
わらわらと群がってくる、三つ子の可愛らしい笑顔。
断れることを微塵も考えていない、元気いっぱいのニコニコ顔に見つめられる。
聖剣がまた堪え切れないように、ゲラゲラ笑い出す。
逃げ道を塞がれたルドーは、フランゲル一行と共に、三つ子の犯人捕獲作戦に取り込まれた。




