第百七十三話 立ち直りと苦言
「ルドー、大丈夫よ、大丈夫だから……」
幼い故に、忘れていた記憶。
それを少しずつ思い出して、リリアは恐怖に駆られていた。
兄が、ルドーが、魔力暴走を起こし、両親に宥められて、少しずつ落ち着いていく様子。
幼く少ない魔力を溢れさせ、苦しんでいた姿。
両親が幼くして亡くなった時、リリアは一人、恐怖していた。
リリアではルドーの魔力暴走を、止めることが出来ないと。
両親の死は仕方がない。
手の届く範囲の患者を、救いたい一心で治療してまわっていた。
その結果だったから。
寂しかった、悲しかった、もっと一緒にいてほしかった。
でも同じくらい、医者としての使命を全うした両親を、誇りにも思っていたから。
だからリリアには、両親の死は、ルドーが思っているよりも、ずっと早く深く受け止めていたのだ。
クロノの話を聞いて、リリアがショックを受けていたのは、両親の死の真相に関してではない。
両親の死を受け入れた後、幼いリリアがルドーの状態に、恐怖してしまったように。
リリアが瘴気痘を植え付けられた、あの時のように。
ルドーが病気で殺されてしまうのではと、そう連想してしまったからだ。
回復魔法は病気に有効だ。
だが、通用しない病気を、もし、あの時のリリアの様に抵抗する間もなく、植え付けられてしまったら。
回復魔法が効かない、特殊な病気。
もしそれにルドーが感染してしまったら。
苦しんでいる兄に、何もしてやれないのでは。
幼いルドーが苦しんでいた時、リリアが何も出来なかったように。
その事にリリアは恐怖していた。
させない。
そんなことには絶対にさせない。
半狂乱になったリリアは、ケイソ病の詳しい情報について、図書室で調べ直していた。
「本人の体内魔力を狂わせ、それによって免疫系統や神経を妨害、場合によっては破壊するか。道理で薬が効かんわけだ」
「聖女や魔導士の回復魔法が、ケイソ病に有効だったのもこれですね。魔力系統の狂いなら、回復魔法で正常化出来ます」
「つまり今トルポで流行っている疫病も、同系統ならば、同じ理論で治療は可能という事ですわね」
リリアと一緒に、エリンジ、トラスト、ビタが、ケイソ病に関連する、図書室の本を大量に積み上げていた。
ケイソ病の詳しい概要。
図書室で関連する書物を調べ、初めてそこでケイソ病が、魔力関連の病気だと気付いた。
その発展のトルポの疫病なら、きっとリリアの回復魔法も効く。
理解した構造に、リリアはようやく安堵して、大きく息を吐いた。
「特効薬が効かなかったのも、この魔力を狂わせる部分が変化した可能性がありますね」
「人体の魔力機構に関しては、まだ不明な部分も多い」
「ノースターさんに知らせませんとね。試作品はいくつか出来たといっていましたが、決め手に欠けるともおっしゃっておりましたから」
ほっと安心するように、ビタはぱたんと手に持っていた本を閉じた。
その横で、手元に寄せた一枚の紙に、調べ上げた情報をガリガリとまとめあげるトラスト。
安堵の息を吐いたリリアを、じっと見つめていたエリンジ。
視線に気づいたリリアは、見つめ返すように、きょとんとしつつも声を掛けた。
「エリンジくん、どうかした?」
「いや、戻ったな」
「戻った?」
「よくわからん。なんといえばいいかわからんが、戻った」
意味不明な事をエリンジに言われ、リリアは混乱するように首を傾げる。
「本当に強いな。だれにも頼らず、一人で先に進む」
「えーっと……何の話してるの、エリンジくん?」
「よくわからん」
「それじゃ私もわかんないよ……」
無表情に言い切ったエリンジに、リリアは更に混乱する。
一体リリアは、何をエリンジに言われているのか。
それはエリンジ本人もよくわかっていない。
用事は終わったと、本を畳んで片付け始めたエリンジの姿に、リリアは困惑の眼差しを向け続ける。
「うーん、ルドーくんならまだ諦めつくんですけど、エリンジくんとなると……」
リリアの視線に、トラストは呟いて溜息を吐いた。
双子の兄であるルドーならば、トラストもリリアが視線を向け続けても、まだ納得がいく。
しかしトラストでは絶対に敵わない、圧倒的な強者であるエリンジが相手ともなると、また話は違ってくる。
最近のリリアは、エリンジと、魔力伝達の影響よりも前から、行動を共にすることが多い。
トラストは、その事にとっくに気付いている。
アピールを怠っていたのは自分自身だと、何もかも至らない自分を、トラストは嫌悪する。
しかしそれでも諦め切れないと、エリンジを見ているリリアを、トラストはじっと見つめ続けた。
そんなトラストを、ビタも同じような表情で見つめている。
「……はぁ」
「二人とも、どうしたの?」
「……いえ、なんでもありません」
「同じくですわ……」
吐き出されるため息の音に、リリアは振り返った。
同じような疲れた表情で、トラストとビタは机に突っ伏する。
付き合わせて無理をさせただろうかと、リリアはそっと二人に回復魔法をかけた。
「もうちょっと病気について詳しく知っておかないと」
「病気にですか?」
「知っているのと知らないのとでは、対処方法が違うって、調べててなんとなく思ったの。もし万が一また起こったときに、きっと力になると思うの」
クロノが話した、対峙するであろう敵の実態。
不意に遭遇した際に、その知識を知っているかいないかは、きっと命運を分ける。
先を歩き続けるルドーに、少しでも手が届くようにと、リリアは努力し続ける。
力強く語ったリリアに、トラストはつい見惚れて呆けた。
見つめる先のエリンジが、リリアに対して、ずっと強いと言い続けていたと、そう思い出しながら。
「魔法訓練の前に昼食を取るべきだ」
「え? あっ、もうこんな時間! ごめんね三人とも、ギリギリになるかも」
「構わないですよ」
「下々の者を助けるのは当然の行いですわ」
一通り積み上げていた本を片付け、リリア、エリンジ、トラスト、ビタは、遅い昼食を取ろうと食堂に向かう。
ようやくルドーにリリアを会わせても大丈夫そうになったと、エリンジが一人リリアの後ろで、じっとその背中を見つめる。
リリアだけではなく、エリンジのそんな変化も、トラストは目ざとく見ていた。
「……あれ、なんか食堂騒がしい様な」
共通区画の中央ロビーに差し掛かった頃、食堂の方から大きな声が、ざわざわと響いているのが聞こえる。
立ち止まって何事かと全員が顔を見合わせた後、リリア達は足早に食堂の方向に向かった。
「シマスがあんなことになったって言うのに、クッキーを食べる相談? 一体何考えてるんだろうね、魔法科の連中は」
ようやく落ち着いて食事を再開できそうだと、ルドーが席に座り直した瞬間。
皮肉めいた大きな声が響いた。
嫌な空気にガラリと変わって、身体が緊張に硬くなる感覚。
赤い瞳をすっと細めたクロノが、即座にライアを抱きしめながら、ゆっくりと探るように頭を動かす。
響く声の様相に、レイルとロイズを引き寄せたカイムも、警戒心剥き出しの表情で、その様子を見守る。
わざと言い聞かせるような、大きく響いた言葉の内容。
横に立っていたメロンとイエディが、不安と困惑の入り混じった表情で、ゆっくりと互いに顔を見合わせていた。
「その場にいたって言うんだろう? なんで止められなかったんだろうね」
「あれだけの人数が死んで、よく平気そうにしてられるよな」
「ちょ、ちょっと、聞こえますよ……」
非難するように上がり続ける不快な声に、嗜めるような声が続く。
衝立の向こう側、基礎科の方向。
王侯貴族が知識を学ぶ、その方向から、大きな嫌な声は響いて来ていた。
食堂はその大きな声に嫌な空気を纏いながら、いつもの喧騒がゆっくりと静まるように、どんどん静かになっていく。
「やめんかいねベゴ、みっともない。被害者と関係があったわけでもないやろうに」
「そっちは魔法科の連中と仲がいいからだろ、オリーブ。でもこっちは領地を、国を治めてるんだ。肝心な時に役に立たないんじゃ、何の意味もないよ。あちこちに居場所がある商会の人間には、この重圧はわからないだろうね」
大きな嗜めるオリーブの声にも、最初に聞こえてきた非難の声が言い返す。
明らかに、魔法科のこちらに聞こえる、かなり大きな声量。
少し離れた所で、同じように食事をとっていた、フランゲル一行も固まっている。
優雅に食事をしていたキシアとアルスも、責められるように下を向いて、ザックとマイルズが慌てている。
シマスであれだけのことがあって、現場にいた資格持ちの魔法科が、何の役にも立たずにエレイーネーに戻ってきた。
そう主張する非難の声は大きく。
それなのに先程まで和気藹々と、クッキーについての話をしていた。
そんなルドー達は役立たずなのではないかと、その声の主は主張し、周りも同調するような空気。
「……ソラウ王国の、グラシュイッド公爵のところのご長男ですね」
「トラスト」
傍に忍び足で近寄り、ひっそりと声を掛けてきた相手に、ルドーは小声で振り返る。
後ろから不安そうなリリアと、険しい顔のエリンジ、固い表情のビタが続く。
いつも通りのリリアの様子に、ようやく落ち着いたかと思うも、食堂のガラリと変わった空気に、ルドーは全く安心できなかった。
「起こった出来事に、ルドっちゃんたちは精一杯対処したんやで。そのお陰でそれ以上の被害は食い止めることが出来た。基礎科のうちらには力はない、頼んで解決してもらう立場や。その非難はお門違いやで、ベゴ」
「どうだろうねオリーブ。今までだって、話を聞く限り問題ばかりじゃないか。卒業してから彼らに依頼を頼むにしたって、不安しか残らないよ」
続くオリーブの嗜める声にも、非難の声は言い返している。
だがその言葉の内容も最も過ぎて、聞こえる声にルドー達はバツが悪くなった。
行く先々で、特にルドーは、問題ごとに巻き込まれ続けている。
その場その場でなんとか解決出来たものもあるが、今回のシマスの一件は、決して解決できたとは言い切れない状況。
国や領地を治める立場として、基礎科に来ている相手には、その考慮も非難も当然。
発生し続けている問題に、彼らも振り回され続けている。
凄惨の一言に尽きる、今回のシマス国の一件。
それからまだ時間が経っていない状況で、巻き込まれたルドー達はただ、楽しそうに日常生活の話をしていただけ。
だが非難の声が上がるのも、仕方ないという状況だろう。
「逆に聞きたいね、あれ以上に何が出来たって言うのやら」
「お、おいクロノ……」
「後から偉そうに言うだけなんて、誰にだってできる。問題が発生した現場に立って、どれだけ的確な指示が出来るか。その後に負う責任を、こんなこと言ってくるようなやつに、真正面から受け止める覚悟があるのか。甚だ疑問でしかないって」
苛ついた様子で、しかし向こうに明らかに聞こえる大きな声量で、クロノは机に肘をつきながら言い切った。
フランゲル一行の机から、無言と無音と拍手が発生している。
こちらが言い返してくると思っていなかったのか、基礎科方向の空気がピリつき始める。
オリーブの、大きな溜息を吐く音が聞こえた。
「言われた通りやね。あんなこと言ったってどうにもならへん。それより、出来る対策をどうするべきか話し合うほうがずっと建設的ちゃう?」
「建設的? それより問題が発生しないように、事前対策に精を出す方がいいだろ。その為に魔導士がいるんだ、何のための魔法科なんだよ」
またしても非難の声が聞こえて、同調するような、そうだそうだと続く声が聞こえ始める。
どうやらクロノの反論は、向こうの神経を逆撫でしたようだ。
片手で頭を抱えながら、ルドーはどうしたものかと首を振った。
「無関係な奴ほど声が大きい」
「エリンジ」
「文句あんなら正面から言ってこいや。裏からぐちぐち、陰気くせぇわ」
「カ、カイムくんもやめなよ……」
言われっぱなしが癪に障るのか、エリンジもカイムも声を上げ始めた。
ルドーとリリアが二人でなんとか嗜めようとするも、苛つく表情の二人は、反省の様子が見られない。
エリンジとカイムの上げた声に、悪化する食堂の空気。
このままチャイムが鳴って解散しても、状況は良くならないだろう。
ピリつく空気に、どうすればいいかとルドーが頭を捻る。
突如、静まり返った食堂に、パアンという大きな破裂音が響く。
紙吹雪と紙テープが大量に舞い散った。
「はぁい! エブリバティ、はうあーゆー!!!」
「うわぁ!!! なにしてんすかネイバー校長!!?」
ネイバー校長がド派手に食堂に登場した。
紙吹雪を浴びながら、紫のローブを翻し、ルドー達の目の前、食堂の机の上にスタッと降り立ったネイバー校長。
突然の事にルドーは大きく叫び声をあげて、そのまま椅子ごとガタンとひっくり返った。
倒れて呻くルドーにリリアが慌て、駆け寄って回復魔法をかけ始める。
「はい! はうあーゆー!?」
「はぁ!?」
とても大袈裟な身振りで、ルドー達に向かってビシッと指差したネイバー校長。
意味が分からずカイムが大声をあげる。
掛けられた大声にどう返せばいいか、指差し大きく声を掛けられ、全員が混乱の渦に巻き込まれた。
「アイムファインセンキュー」
全員が混乱して狼狽える中、クロノがすっと手をあげて静かに返した。
物凄く平然と返したクロノに全員が驚愕する。
こんなにノリがいいやつだっただろうか。
求めた返答だったのか、ネイバー校長は満足するようにうんうんと頷く。
そのままバチンと大きな音を立てて消えたと思ったら、今度はパンパカパーンと、基礎科の方向から、くす玉が割れるような音が響く。
「はい! はうあーゆー!!!」
「えっ!? こ、校長!?」
先程のルドー達と同じ内容の声掛けに、困惑する声が続く。
どうやらネイバー校長は、今度は基礎科の方に移動したらしい。
同じようにびしりと指差されたのか、基礎科の方からも混乱する空気が漂い始めた。
「はうあーゆー!!!」
「えっ、えーっと、あー、おーけー?」
「はぁい! それでは緊急のイベント連絡チョモランマ!」
パァンと大きく手を叩く音。
すると即座に食堂の衝立に足が映えて、テコテコと脇に歩き始めた。
遮るものが無くなって、基礎科方面の机も見えるようになる。
護衛科がそれぞれを守るように配属しているのか、一人一人が座る机には、後ろに控えるようにしている相手がついていた。
ルドー達も含めて、全員が困惑の表情を浮かべて黙り込む中、その中心にいたネイバー校長が更に話し始める。
「緊急イベント……?」
「敵は凶悪面倒最悪! なのに一年ギスギスいやん! 問題発生緊急事態! そういうわけで、結束固めるフレンドフィーバー! 全科目合同訓練を実施します!」
「全科目合同訓練んん!!?」
両手をあげて、その場でくるくる回りながら、大きな声で発表したネイバー校長。
それにルドーは椅子ごと倒れたまま、驚愕の大声をあげた。
女神深教に関する情報は、情報統制の影響もあって、先生方を除き、詳しく知っているのはルドー達しかいない。
強大な敵に集中しないといけないのに、肝心のエレイーネー内で仲間割れしている場合ではないのだ。
ネイバー校長は一体どこから感知していたのか、食堂の空気にそれを察して、エレイーネー内の結束を固めようと、科目合同の訓練を命令したのだ。
告げられた発表に、食堂の全員が驚愕に固まる。
「あ、今からだと先生がいないので、日程は明日にします。それでは皆さんお達者ローリエ!」
バチンと大きく花吹雪が舞って、ネイバー校長は姿をくらます。
全科目合同訓練。
基礎科、護衛科、魔法科、保護科。
エレイーネー一年、全ての科目が強制参加の、ネイバー校長特別企画が、突如として発生したのだった。




