第百六十話 歩く災害の脅威
「新たな出会いに感謝しましょう。新たな門出に感謝しましょう。新たな己に感謝しましょう。新たな縁に感謝しましょう」
両手を大きく掲げたままの女性は、ドシャッという音と共に、歩く災害の一体に叩き潰された。
叩き潰される直前の、ニッコリとどこまでも美しい微笑みが、脳裏に焼き付いたまま。
べちゃべちゃと水音滴るその真っ黒な両手の下で、歩く災害はまだ足りないとでもいうように、女性の残骸に衝撃を発しながら、抉れた石畳を叩き潰し続けた。
同じ謁見広場にいたままのナイル公爵が悲鳴をあげる。
「自分が転移で連れてきておいて、それはないだろ……」
その光景にルドーはただただ恐怖していた。
避難しようと動いていた魔法科の全員も、恐怖に声を発することさえ出来ず、呆然と立ち尽くす。
あの女性ですら制御できない存在を、わざわざ転移魔法で連れてきたのか。
殺しても死なない、痛みも感じないのなら、原形も分からないほどにぐちゃぐちゃにされたあの状態からも元に戻るのだろうか。
頭を吹き飛ばしても元通りになった様子から、きっとそうなのだろう。
その女性の行動の理解不能さにも恐怖し、また得体の知れない歩く災害のその動きに恐怖し続ける。
ルドーが凝視し続ける歩く災害は、ギョロギョロと視点の定まらない、不気味でしかない瞳が、まるで得物を探すかのように動いている。
その動きはシャーティフでルドー一人を狙っていた時の動きではない。
最初に見かけた、トルポの中央魔森林で無差別攻撃していた時のものだ。
「逃げろ……逃げろ逃げろ逃げろ逃げろぉ!!!」
ルドーは本能で叫び、聖剣を振り上げた。
即座に上空が真っ暗になるほどの巨大な雷雲が形成されるが、雷竜落が発動するよりも早く、歩く災害が動いた。
近場で身を寄せ合っていた、生存した住民たちを感知したのだ。
一瞬で消えたと思ったら、わずかに残っていた破壊を逃れた、濁流の川になった水の上の建物が爆発する。
血と肉片が、衝撃に飛び散るように破裂して、ボロボロの建物にビシャッとこびりついた。
すぐ傍に他にも人がいたのか、恐怖の絶叫が耳を貫く。
「おい! 一回できたんだろが! あの魔力層破壊してくれ!」
『早すぎる……止めねぇと当たらねぇぞ!』
「どうやって止めるんだよあんなの! 逃げろ! 全員全力で逃げろ!!!」
まだこちらに向かってきていない隙にと、泣きじゃくってしがみ付くライアを庇いながらカイムが叫ぶ。
しかし先程攻撃するよりも先に動かれたため、まず攻撃を当てることが難しかった。
あのおぞましいほどに分厚い魔力層を貫く雷竜落でも、当たらなければ意味がない。
前回歩く災害を倒せたのは、ルドーが一人狙われ続けて、且つわざと生かされるように手を抜かれていた部分が大きかったのだと、この瞬間実感した。
そもそも恐ろしく重いのに早すぎる動きは、ルドー達では止めるどころか、見えさえもしない。
カイムですら支柱のある場所でなければ、動きを止めきれないのだ。
建物が破壊されて流れる濁流に取り残された所々瓦礫があるものの、避難経路の周辺にそのような支柱になりそうなものもないだだっ広い状態。
回避する足場も少ない濁流ばかりの水辺では、止めるどころか逃げることすらままならない。
断末魔が聞こえた方向から、新しくグチャッと潰れる音が響く。
それを聞いて焦るルドーがなぜ逃げないのかと背後に振り返って周囲を見たが、全員が恐怖に足を縛られているかのように動けない様子に、大慌てで聖剣を振ってバチンと雷を鳴らした。
全員が目の前を走った雷にハッと動けるようになる。
「早すぎて動きが止められねぇ! 俺の攻撃が当たらねぇとあれは対処できねぇ! 全員早く逃げるんだ!」
「に、逃げるったってどこに!?」
「いいから走れ! あれから早く遠くに逃げるんだ!」
我に返ったメロンの困惑の叫びに、歩く災害の反対を聖剣で指しながらルドーも叫ぶ。
逃げ場所など分からないのはルドーも同じだ。
それでもあれに認識される距離にいれば、たった今潰された住民と同じ末路を辿るだけ。
「おい! 上から見えるだろ! 誘導しろ!」
「わっ分かった! 皆の者続け!」
焦るエリンジが上空で呆然と飛び続けていたフランゲルに叫ぶ。
作られた避難経路はどこに続いているのかわからない。
上空から安全を確認しながら、アリアを抱えたままのフランゲルが先導する。
ドカンと大きい衝撃がすぐ後ろから聞こえて、衝撃に全員が押し出されてふらつきながらも振り返る。
女神像破壊犯の目の前に、歩く災害が襲い掛かってきていた。
青緑の大鎌を盾にするように構え、その刃を歩く災害の巨体の肩に突き刺し、ギュルギュルとひっかくような耳障りな大音量を発している。
振り下ろされた両腕も、青緑の大鎌で同時に防いでいるが、強力すぎる重い攻撃に、ズルズルと踏ん張り切れずに後ろに後退していた。
『あの魔道具で魔力を吸って威力を何とか殺してやがるが、相手の魔力が多すぎだ』
「対処しきれねぇって事か!?」
『一体だけでも厳しいだろうな、それが二体となると……』
聖剣の意見を裏付けるように、ルドー達の目の前で、青緑の大鎌からビシリとひび割れるような音が響いた。
魔力を吸収するあの青緑の大鎌は、複数には対処しきれない。
それは先程の戦闘で、ルドー達にもわかっていたことだ。
いくら古代魔道具を模している攻撃型魔道具といっても、所詮は模造品。
歩く災害が一体だけでも、おぞましいほどに多すぎる魔力に、青緑の大鎌が魔力を吸収しきれないようだ。
それが二体いれば、一体の攻撃を防ごうと魔力を吸収している間に、別の個体から攻撃が加えられる。
ならばルドーがやることは一つだ。
「えぇい! 聖剣! あいつになるべく当たらないようにしてくれ!」
『それしかねぇか! おい、動くんじゃねぇぞ!』
先程雷竜落を発動させようとしたために、上空には雷雲が立ち込めていたままだった。
女神像破壊犯がなんとか食い止めている歩く災害に向かって、即座に聖剣を振り下ろす。
轟音と共に竜の姿をした巨大な落雷が二つ、目の前の歩く災害に直撃した。
空間が全て真白になって、攻撃を受けた歩く災害のちらつく影だけが見える。
まるで痛みを感じているかのように、歩く災害がおぞましく咆哮をあげた。
女神像破壊犯がルドーの凄まじい攻撃に青緑の大鎌を引き抜いて必死に耐え、逃走を始めていた全員が、衝撃に吹き飛ばされて悲鳴をあげる。
「スペキュラー先生! フランゲルと協力して一番近い転移門まで全員誘導してくれ! カイム! エリンジ! 援護頼む!」
「承知した!」
「お兄ちゃん! 私も!」
「ライア! 泣くならお前もあっち行ってろ!」
「やだ! カイにぃと離れるのやだ!」
「だったら泣いてもいいからぜってぇ離れんじゃねぇぞ!」
一度歩く災害と遭遇して、トラウマがあるライアが恐怖で大きく泣きじゃくっているが、それでも絶対に離れたくないとカイムの背にがっちりしがみ付いた。
ルドーの指示に、スペキュラー先生が衝撃に吹っ飛んで倒れていた魔法科のみんなに走るようにしゃべり続けながら手を振る中、フランゲルが上空で目印のように大きく炎をあげる。
雷竜落の攻撃の余波の中、全員が避難経路を逃げるのを確認していると、謁見広場から大きな悲鳴とグシャッとまた潰される音がしてそちらを向けば、剣に腹部を貫かれて動けなかったナイル公爵が、歩く災害に叩き潰されていた。
魔力差別の酷いシマスで、上層の上位に君臨するはずのナイル公爵も、例に漏れず魔力は多い方だったはずだ。
それでも先程の剣の男の攻撃は防げなかったし、防御魔法をまたもあっさり突破されて、その真っ黒な巨大な拳を振り下ろされて原形をとどめないほどにぐちゃぐちゃになった。
潰れたぐちゃぐちゃの肉片に、先程までの人間と同じなのだと、ルドーには恐ろしくて認識できない。
雷竜落がようやく収まるものの、やはり一撃では倒し切れていない。
頭の天辺を狙ったそれになんとか目を凝らせば、魔力層が割れているのがギリギリ認識できた。
問題はこいつらの動きをいかにして止めるかだ。
一体を倒している間にもう一体に攻撃されてはダメだ。
「おい! お前も二体だと対処できないだろ! 協力してくれ!」
先程歩く災害をなんとか食い止めることが出来た女神像破壊犯に、ルドーは必死に呼び掛ける。
保護するという話を一向に聞こうとしないものの、人を助けようとする動きがあるなら、何とか協力してくれないか。
しかしルドーの願いは叶わず、女神像破壊犯は雷竜落が収まった瞬間、ルドーの叫びを無視して目の前の歩く災害を即座に拘束した。
青緑の大鎌を即座にガチャンとばらけさせ、大規模魔物を倒した時と同じように、部品が鎖に繋がれた状態で蛇のように歩く災害を巻きつけたと思ったら、恐ろしい勢いで振り回して謁見広場の歩く災害に向かって放り投げた。
歩く災害が二体、それぞれがぶつかって後ろに吹っ飛ぶ中、女神像破壊犯はガチガチとまた青緑の大鎌を元の状態に戻したと思ったら、濁流の川に点在する瓦礫を跳び伝って別方向に逃走を始めた。
吹っ飛ばされた歩く災害が一体、攻撃されたためか大きく咆哮をあげて女神像破壊犯を追いかけ始める。
「おい! だから協力してくれって! どこ行くんだよ!?」
『嘘だろ、あれの囮になるつもりか?』
「そんな! 魔力もないのに自殺行為だよ!」
一人で逃げていく女神像破壊犯に必死に声を掛けるも、彼女はこちらに見向きもしない。
飛行魔法で逃げられるにしても、歩く災害はそれよりも早く跳躍するから追いつかれる可能性が高い。
飛行の際に跳躍した歩く災害が、女神像破壊犯だけを狙ってその武器から離れるように攻撃したら、流石の彼女も防ぎ切れることが出来なくなるのではないか。
「……悪ぃ、あれ、追わせてくれ」
「カイム?」
逃げていく女神像破壊犯とそれを追う歩く災害に必死に呼び掛けていたら、カイムがじっとそちらの方を見つめて静かに声をあげる。
いつもよりもずっと静かなその声にルドーが疑問に思って視線を向けるが、カイムは横を向いて遠くを見つめるように、女神像破壊犯の逃げた方向を見つめたままじっと顔が動かない。
「思い違いだったらいんだがよ、嫌な考えが浮かんじまった。頼む、追わせてくれ」
「……カイにぃ?」
不思議そうな声を出したライアに、カイムは答えなかった。
カイムは視線をルドーの方に向けて、じっと返事を待つようにその深緑の瞳で見つめる。
不安そうなリリアと、謁見広場で倒れているもう一体の歩く災害を警戒しているエリンジも、その様子に顔を見合わせた。
カイムが何を考え付いたのか、ルドーにはその瞳からは想像も出来なかった。
だが真剣に訴えるその様子に、女神像破壊犯のその後も考慮すれば、返事は一つ。
濁流があちこち流れる瓦礫の中を、あれを追えるのがカイムだけなのもあった。
「わかった、無理するなよカイム」
ルドーの返答にカイムは無言で頷いて、即座に髪を伸ばして瓦礫に巻きつけて、女神像破壊犯の後を追うように跳んでいった。
ルドーとリリアが二人でその様子を見送っていると、警戒していたエリンジが大きく声をあげた。
「来るぞ!」
もう一体の歩く災害が大きく咆哮する。
全員が身構えた瞬間、恐ろしい速度で突っ込んできた。
ルドーは一歩前に出て、雷の盾を二つ前方に大きく展開して聖剣を構えた。
ドカンと爆発するように、歩く災害が雷の盾に大きな衝撃をあげて激突した。
「ギッギギギギ……くそ、これじゃ、攻撃、出来ねぇ!」
『盾から出力上げるんだ! おい! 今の隙だぞ!』
向かってきたのはどうやら雷竜落が直撃した方だったようで、魔力層が破壊されたためか、頭から黒い血液のようなものをダラダラ滴らせていた。
バチバチと周囲に雷を弾けさながらルドーはなんとか必死に踏ん張るが、圧倒的過ぎる攻撃に、ズルズルと大きく背後に後退していく。
重すぎる攻撃に、聖剣の雷魔法の盾の相殺が間に合わない。
ズシズシと攻撃の重みに耐えきれないように、どんどん押し潰されそうになっていく。
「お兄ちゃん踏ん張って!」
リリアがエリンジの傍で即座に魔力伝達を発動させる。
ハンマーアックスに増幅させた魔力を大量に注ぎ込み、エリンジが大きく振りかぶって、ドシュンとその柄から頭を発射させた。
魔力層のひび割れた場所に、ザクッと肉が引き裂かれる音と共にハンマーアックスの頭が刺さる。
エリンジの攻撃に歩く災害後ろに仰け反り、ボタボタと黒い液体を滴らせながらまた大きく咆哮する。
仰け反った動きにルドーはすかさず聖剣を振り上げて雷竜落を落とすが、やはり動きが早いせいで攻撃が避けられて間に合わない。
距離を取るように歩く災害が大きく後ろに下がって、外れた雷竜落が避難経路に当たって足場が大きく破壊されていく。
「あらあら。あらあらあらあら。どこにいったのかしら?」
またも謁見広場から聞こえる声に戦慄する。
ぐちゃぐちゃの肉塊になったはずの女性が、そんなことは最初からなかったように、全く変化なくその場に佇んでいた。
女性は周囲を確認するようにきょろきょろと首を振った後、女神像破壊犯が逃げて行った方向をひたりと見据える。
「新しい縁は気に入ってくれたかしら? 二人共仕事を終えたみたいだし、終わってないの私だけね。流石に終わらせないと」
女性の言葉にルドーはようやく、破壊行為をしていた他の二人の攻撃の音が止んでいたことに気が付く。
剣の男と同じように、あの二人もそれぞれやることを終えてウガラシから立ち去ったのだろうか。
女性は遅れた仕事を取り戻すかのような口調で、ルドー達には目もくれず、女神像破壊犯が逃げて行った方向に飛行魔法で恐ろしい速さで跳び去っていった。
咄嗟に声をあげようとするも、雷竜落が収まって歩く災害がまた咆哮したと思ったら、ハンマーアックスの頭を刺さった頭部からズボッと引き抜いて、周囲を流れる真っ黒な濁流に、突然大きく水しぶきをあげて飛び込む。
「なっなんだ!?」
『気を付けろ、不意打ちする気だ』
「この濁流では場所がわからん」
「リリ、わかるか?」
「……だめ。濁流の中、酷い状態が多すぎて、わからない……」
歩く災害は負傷している。
リリアに怪我人探知でその居場所を探ってもらおうと思ったが、この状況での濁流の中は、助けられない怪我人や助けられなかった死人がひしめいている。
気持ち悪そうにうっと口を押えて顔を青くしたリリアに、ルドーは周囲を警戒しながらも無言でその背中を落ち着かせるようにさすった。
放り投げられたハンマーアックスの頭を、エリンジが手を伸ばしてガチンとまた柄に戻しながら、警戒して周囲を見渡し続ける。
「……悪い、リリ、今は忘れてくれ。聖剣、分かるか?」
『大まかだがな。だが早すぎて警告が間に合わないだろうな』
『はぁ、全く。強くなる速度が遅すぎですよ、仕方ありません手を貸します』
「ゲリック?」
鎖が巻かれたままのルドーの右手が、また緑と紫に怪しく光った。
操られるようにルドーの右手がまた勝手に動き始め、聖剣をその手から離す。
空中に浮遊した聖剣をそのままに、周辺を探るように開いた掌がゆっくりと横に移動して、一定の場所ピタリと止まったと思ったら、ギュッとその手を握りしめた。
途端に大きく水しぶきをあげて、濁流の川から何かが強烈な勢いで生える。
まるで巨大なタコの触手のようなものが大量に、歩く災害に絡みついて上空高くに固定していた。
歩く災害がその拘束から脱しようと恐ろしい力で引き千切ろうとしている。
「よし! これならとどめさせる! 助かったゲリック!」
『それは良いんですがさっさとしたほうが良いでしょう、この後もっと酷い状態になります』
「え? 今以上に酷い状態ってなんだよ?」
「誰と話している」
「お兄ちゃん大丈夫?」
『契約魔法の相手はなんて言ってんだ?』
暴れる歩く災害だが、拘束から脱することができない様子に、とどめを刺そうとエリンジがリリアとまた魔力伝達を発動させる。
タイミングを合わせようとルドーが右手を固定させたまま、左手で聖剣を振り上げて狙いを定める中、ゲリックの言葉にルドーが疑問を呈して場を混乱させる。
だがその答えはすぐに判明した。
「ハハハハッハハァーン! これでもう誰も魔力に怯える必要はありません!」
「ゲッ! 忘れてたあいつ!」
ドカンとまた大きな爆発を起こし、剣であちこち怪我でもしたのか、血まみれのパピンクックディビションが王宮から飛び出してきていた。
王宮で一体何をしていたのか、さっさと歩く災害にとどめを刺そうとルドー達が慌てる中、突然パピンクックディビションが漆黒に不気味に光り輝く。
『っ! そうか、王宮に入ったのはそのためか! この国に保管されてたって事か! おい早くあれぶっ倒して逃げろ!』
「なんだよ聖剣!」
『俺の知る限り一番厄介な古代魔道具だ! 今の状況じゃあれに有利すぎる! とどめを刺せ! 早く!』
『あぁもう、何のために手を貸したと思ってるんでしょうか』
パピンクックディビションから放たれた漆黒の光は、周囲一帯に拡散するようにあちこちに飛び散っていった。
攻撃魔法かと全員が一瞬身構えたが、それはルドー達とは全く違う方向に向かう。
濁流の川の中、崩れたた瓦礫の下、先程歩く災害が叩き潰した場所、ナイル公爵。
光が収まったと同時に、おぞましい光景が広がり始める。
攻撃されて、大量に亡くなったであろう、ウガラシの住民。
沢山の死者が、一斉にその場に立ち上がって動き始めた。




