第百五十四話 飛行魔法特別実践講習
上空から惚色のローブをひらひらとはためかせながら、ネルテ先生の頭の横まで降りてきた男性。
ローブと同じ惚色の中折れ帽子から覗く、色の抜けたような麹色の短髪。
淡黄色の瞳がその帽子の下で怪しく光りながらも、生徒達を観察するようにゆっくりと見まわしている。
ヒラヒラとはためく麹色のローブの下に、ちらちらと黒いズボンと白いシャツが垣間見えた。
この人が件に聞いていた二年魔法科担任、オルナヴィ先生だろう。
地面に降りることなくそのまま空中を漂い、空中で座るように足を組んだ後、両手を頭の後ろに組んで気楽なポーズを取っている。
「んー、解析した感じ上玉ばっかじゃん。魔力は上々、制御も大分安定。この分なら二年と大差なく習得できるんじゃないかなぁ」
「挨拶に降りてこないのかい? オルナヴィ」
「いや、言ってなかったけど俺デメリットで地上に降りると地上酔いするから。そういうわけで、二年魔法科担任してる、オルナヴィ・マチスだ。以後お見知りおきをー」
風もないのに上空でマントをたなびかせたオルナヴィ先生は、空中でくるりと一回転した後中折れ帽子を指で軽く上げた。
「おねがいしまぁーす!!!」
「「「おねがいしまぁす!!!」」」
「お願いしますじゃねぇさらっと混じんなレイルロイズ! ボンブの居るあっちいってろ!」
「「カイにぃのいじわるー!!」」
両手をブオンと上げたメロンの元気な掛け声を合図に、ぼそぼそと同調して挨拶する魔法科の面々。
釣られるような三つ子の掛け声にも、オルナヴィ先生はうんうんと頷き返していた。
見学のレイルとロイズがカイムに叱られて、ぶーぶー抗議して動かないので、カイムが無理矢理二人をネルテ先生の横のボンブの方へ髪を伸ばしてズリズリ押し出し、後ろから三つ子の様子を見ていたキャビンもそちらの方へ移動する。
その様子を眺めつつも、オルナヴィ先生は中折れ帽子の鍔を掴んで周囲を見渡した。
「俺が呼ばれたって事は現時点で飛行魔法が使えるやつはいないって認識できたけど、一応確認ね。この中で飛行魔法で飛べる奴ー!?」
「いませーん!!!」
「よぉーっし、返答感謝! そんじゃあまず感覚で慣らすところから訓練してくぞー!」
元気に答え続けるメロンに、オルナヴィ先生の大きな声が響く。
オルナヴィ先生のどうにも軽薄な感じは、入学直後のネルテ先生の明るい様子を思い起こさせた。
魔法科の人間はどうにも軽い感じなのかとルドーは一瞬考えたが、三年担任のタナンタ先生はまたタイプがだいぶ違ったので、この二人が似た感じなだけかと思い直す。
入学直後のネルテ先生を思い起こしたついでに、入学直後にネルテ先生がどういう行動をとったのかもルドーは思い出した。
あの時はいきなり全員魔の森に放り込まれて、魔物との戦闘に駆り出されたっけ。
「ん?」
「どうした」
そこまで思い起こしてルドーは疑問を浮かべた。
エリンジの声掛けにも反応せずに考え込む。
同じノリのオルナヴィ先生、飛行訓練、感覚に慣らす。
ひょっとしてひょっとすると、かなり不味いことになっているのでは。
声をあげたルドーに、傍にいたリリアとエリンジとカイムが怪訝な表情をしている。
ルドーが冷汗をかき始めた所で、オルナヴィ先生がニヤッと笑って、ローブをブワリと広げながらこちらに向かって右手を振り上げた。
「そんじゃまずは一発行ってみよっか! 全員発射ぁ!」
オルナヴィ先生の掛け声と共に右手が振り下ろされ、足元から強烈に押し出される。
全員がドシュンと地面から噴き出すように上空高くに発射された。
「ああああああああああああ!!?」
上がる悲鳴、飛び散る涙、全員がバタバタと両手両足を振り回して事態の把握に努める。
悲鳴をあげながら風圧に歪む視界に目を凝らしてルドーが周囲を見渡せば、モネアネ魔導士長にぶっ飛ばされた時と同じ感覚。
うっすらと漂う雲が横に見え、先程までいたはずの運動場が豆粒のように小さく見える程、ルドー達魔法科の全員が上空高く吹き飛ばされていた。
事実を理解した魔法科の面々全員から悲鳴がまた上がる。
「キャアアアアアアアアア!?」
「飛行魔法のやり方飛行魔法のやり方飛行魔法のやり方」
「やばいやばいやばい高い高い高い死ぬぅ!!!」
「なんなのだこれはぁ!? どうすればよいのだぁ!?」
「普通説明してから実践するべきじゃないの!? どうなってるのよこれ!?」
「ハイハイハイ飛べます飛べます飛べます」
「飛べてませんわよ! 何をしてくれてますのあの殿方!」
「あっははははは! このまま落ちたらぺちゃんこだね!」
「落ちないように飛べって事ね!」
「無茶苦茶! 無理! 助けて! だれか!」
「ノースターさん! 飛行魔法薬ありませんかや!?」
『 』
「気絶してんじゃないですやぁ!」
大きく悲鳴をあげるキシア、知識を総動員するトラスト、事実を叫ぶヘルシュ、困惑の大声をあげるフランゲル、やり方の説明を請うアリア、自己洗脳魔法で乗り切ろうとするウォポン、オルナヴィ先生に抗議するビタ、楽しそうにしているアルスとメロン、かつてないほどの大声をあげるイエディ、魔法薬で乗り切ろうと声を掛けたカゲツ、肝心な時に気絶しているノースター。
上空に飛び上がった面々から発せられる大声を聞きながら、ルドーはどうしたものかと首を傾げた。
「うーん、俺多分デメリットで飛行魔法使えねぇんだけど。逃げ損ねたわ」
『お前感覚おかしくなっちまってるな』
余りの面白おかしさに、聖剣がゲラゲラ笑い始める。
周囲が大声で悲鳴をあげながら反応している横で、ルドーは何度もモネアネ魔導士長にぶっ飛ばされすぎたせいでもはや慣れつつある落下感覚。
しかしデメリットで飛行魔法も使えないからどうしようと、遥か上空を落下しながらルドーは腕を組んで悩む。
落下に頭が下を向く感覚、そんなルドーの様子に横から抗議の声が上がった。
「お兄ちゃん! 出来ないなら余計危ないでしょ!」
「おい! なに一人余裕ぶっこいてんだよぶっ殺すぞ!」
「きゃあー! カイにぃ! 見てみてたかぁーい!」
「はしゃぐなライア! 放れちまうだろが!」
「自力でどうにかしろという事か!」
「ホラホラー、いま飛ばないでいつ飛ぶのさ! 実践実践、とりあえずやってみるってね!」
落下する面々の横にマントをはためかせながら、まるでハンモックにでも揺られているように、横になって両腕を枕にし、足を組んだ状態でリラックスしているオルナヴィ先生が飛んで現れた。
落下する面々を笑顔で見守りながら、一人軽々しく帽子を押さえながら空中でくるんと一回転して、こうするんだよと言わんばかりに見本を見せつけている。
だが落下している面々からすれば、揶揄われているようにしか見えず溜まったものではない。
「なんでやり方を一通り教えてから飛ばしてくれないんですの!?」
「そうよ! 普通説明してから飛ばすもんでしょ!」
キシアとアリアの大声に、途端に魔法科の面々がそうだそうだと抗議する声をあげたが、オルナヴィ先生は笑って受け答えまともに取り合わない。
「得意不得意が個々人によって違うから、飛行魔法と一括りに言ってもやり方も千差万別で固定化させて教えようがないのさ。危機的状況で死なないように必死に覚えるのが一番手っ取り早いやり方ってね、ほらほら声上げてないでやってみなさい君たち」
オールラウンドに魔法が使えても、全く同じ魔力量を持つ者は存在しない。
個人個人の経験が全く異なるので、魔法の傾向そのものに違いが発生する。
出来ることと出来ないことがはっきりしている役職持ちなら、その傾向はさらに強まる。
つまり飛行魔法と名前を付けられてはいるが、空を飛ぶ魔法が該当するだけで、その中身は個人で全く異なるものなのだそうだ。
その個人個人と向き合って飛行魔法を指導していくのは、相当な時間と労力がかかる。
その上それだけ手間暇を割いても、個人の傾向で場合によっては習得できないのが飛行魔法だ。
ならば全員を空中に吹っ飛ばして危機感を煽り、生存本能と感覚から飛行魔法を覚える方が早いという。
ちゃぁーんと死なないようにするからねと、そう続けたオルナヴィ先生に、魔法科一同は抗議するだけ無駄だと、一斉に切り替えて必死に飛行魔法を試み始めた。
死なないようにする、ただし落下による怪我は考慮していない。
落下のダメージを少しでも減らそうと、全員無我夢中で祈るようにやりはじめた。
「だあああああくそが! そのふざけた聖剣だってもう少しマシな教え方すんぞ!」
『おう、誉め言葉として受け取っておくぜ』
「感覚を掴めか、今のところ落下の感覚しかわからん」
「落下の感覚が飛行魔法とは違う事だけは分かるよ!?」
「今んとこ誰も出来てねぇな」
リリアとエリンジとカイムが、それぞれ魔法でなんとか感覚を掴もうとしているのが、魔力の動きでルドーにも何となくわかる。
リリアは結界魔法を傘状に張って空気の抵抗を試みている。
だがそれは落下に対してのみ有効だろう、飛行魔法とはまた違う気がするし、傘のように掴む場所がないので結界だけ空中に残ってそのまま落下している。
エリンジはハンマーアックスに貯めた魔力に集中しているのか、表情にも動きにも変化はなく、ただ落下する感覚に身体を純粋に慣らそうとしている。
カイムは背中にしがみ付いて上機嫌のライアを庇いながら、髪を大量に伸ばして何らかの動きを模索しているが、強化すると重みが増すようで逆に落下速度が速くなっていた。
飛行魔法を諦めきったルドーは、落下の中横の三人を眺めた後下を見る。
どんどん迫る地上の地面を、逆さに落下しながら周囲にちらりと目をやる。
今のところ一番近い状態なのは、ゴテゴテの両手剣を振り下ろして最大火力の火炎魔法を下に向かって放出し続けているフランゲルか。
ヘルシュは風魔法が使えるはずなのに、モネアネ魔導士長とはまた勝手が違うのか、落下のスピードを相殺できるほどの風魔法が放出できていない。
ウォポンは飛べる飛べると自己洗脳魔法でなんとかしようとしているが、流石に自己洗脳魔法で出来る限界があるのか、身体はビカビカ光っているのに一向に飛ぶ様子がない。
アリアは光魔法をとりあえず使って下に向かってポンポン投げているが、何の変化もなくただ魔力を消耗している。
トラストは今まで培った知識を総動員しているのか、ブツブツ叫びながら大量の魔法を叫びながら片っ端から試しているようだが、どれもサポート系の魔法だ、上手くいっていない。
ビタは変化魔法で何かできないかと周囲を見渡しているが、変化させるものがなければそもそもうまく魔法が使えない様子で、表情がどんどん恐怖に歪んでいっている。
アルスは落下する感覚を楽しむかのように爽やかに笑いながら、氷魔法で何かしらの抵抗が出来ないかと、目の前に大きな氷結を盾のように出しているが、落下スピードが速すぎて雀の涙だ。
キシアは拡散魔法を前方に大量にポンポン出しては弾けさせて、少しでも落下スピードを相殺しようと試みていたが、これは飛行魔法とは違うのではと声に出して思い直してしまったようで、再び悲鳴をあげた。
ノースターは落下状態に真先に気絶してしまっているため論外だ。
カゲツがそんなノースターにしがみ付いて、制服をまさぐり大量に仕舞い込まれている魔法薬を引っ張り出しては、あーでもないこーでもないと、正解がどれかわからない様子だ。
メロンは両手を翼のように広げているが、上空では魔力の流れもなにもないのか 、魔法をそもそも使う様子がなくただ落下している。
イエディは練度がないのか完全に諦めたようで、先を落下するメロンの両肩にしがみ付いて一緒に落下している形だ。
全員の様子を一通り眺めたのち、地面が目前に迫ってきたためにルドーは聖剣を背中から抜いた。
「雷閃!」
地面を敵と認識して、両手で振り被った聖剣を思い切り振り下ろす。
即座に五本ほどの雷閃が渦巻くように発射され、地面に衝突して落下スピードをどんどん相殺していく。
「あれま、君は落下対策要らないかな」
横でオルナヴィ先生の感心したような声が聞こえる。
落下を相殺するルドーの横で、魔法科の面々が次々悲鳴をあげながら追い抜いて地面に向かって行く中、オルナヴィ先生は空中でくるりと回って手を振る。
すると地面に色とりどりのシャボン玉のようなものが現れ、激突に悲鳴をあげていた面々がぼよんぼよんと跳ねた後、バチンと弾けて地面にベシャリと叩きつけられていた。
「よっと、まぁ毎度のことだな」
『流石に慣れたもんだぜ』
一人地面になんなく着地し、雷の静電気で全身バチバチ弾ける。
逆立つ髪を何とかしようとパリパリ音を発しながら無理矢理撫でつけた後、地面に転がって口から魂が抜けたように放心状態の面々を上から眺めた。
ライアが一人だけ物凄く上機嫌ではしゃいでいる。
「もう一回! もう一回!」
「わぁ! なんも出来なかった! 感覚わかんない!」
「うーん、これじゃない感。飛行かぁ、どうすればいんだろ」
ライアの声に続いて、楽しんでいた様子のメロンとアルスが検討するように声をあげた。
「ふざけんじゃねぇ……何がもう一回だくそがぁ……」
「ルドー、なぜそう普通に着地できた」
「いや俺こうやって吹っ飛ばされるのもう何回目かもわかんねぇし」
「うーん、なんだろう、上手くいかない」
ライアの声に地面に突っ伏したまま唸り声をあげるカイム、素早く立ち上がって砂を払うエリンジ、結界魔法を改めて小さく両掌の中で試すように発動させるリリア。
「なんか見た感じフランゲルが一番近い気がするよな」
「ふははははは! 俺様の脅威にひれ伏すがよい!」
「いや出来てから言えよそれ」
「もう! 説明もなくぶっ飛ばしてんじゃないわよ!」
「ハイハイハイもう一回お願いします!」
「まって一回休ませてくれるかな!?」
ルドーが率直な感想を言えば、たちまちフランゲルは上機嫌になった。
ゲハゲハ笑うフランゲルの後ろでは、脳筋ウォポンが後先考えずにさらに次を要請して、ヘルシュが必死に止め始め、アリアは非難の声を上げ続けている。
「飛行魔法の訓練ですのに、落下対策をしてしまいましたわ、違いますわ、どうすれば」
「落下は解析しようがありません……知っている魔法も何も役に立たない……」
「空中には何の物体も存在しないので何もできませんわ……」
「怖い、無理、もうやめたい」
キシア、トラスト、ビタはまるで反省会でもするかのように、どよんと落ち込んで下を向きながら、己の力不足を嘆いている。
イエディに至っては落下の感覚が恐ろし過ぎたのか、腰を抜かして立てなくなっている様子だ。
「えぇいいい加減起きなさいですや!」
『いたぁい! 叩かないで(´・ω・`)』
気絶していたノースターを叩き起こしたのか、カゲツに何度かグーパンされていた。
落下状態に気絶しているノースターが一番飛行魔法を習得するまで時間がかかるかもしれない。
膨れ面でぶすくれているレイルとロイズを宥めているボンブとキャビンの隣で、様子を見ていたネルテ先生がニカッと笑いかけていた。
「流石に一発じゃ厳しいね、まぁわかってたけど」
「僕もお空飛びたい!」
「おれも!」
「ダメだ二人とも」
「大人しく見てましょうねぇ」
「「ずるいー!!」」
「あのー、俺役職デメリットで攻撃魔法以外使えないから厳しいんすけど……」
ボンブとキャビンがレイルとロイズを宥めているのを横目に、ルドーは空中で様子を見ながらマントをはためかせてくるくると回転していたオルヴィナ先生に声を掛ける。
ルドーの話にオルヴィナ先生は上下逆さまになった状態で空中でピタリと止まると、逆さまのマントもそのままに、ふむふむといった様子で顎に指を添えつつルドーの方を改めて見始める。
その状態で何故中折れ帽子が頭から落ちないのかは突っ込むべきところだろうか。
「飛行魔法適正無しだ、なるほど。君は確かにそもそもできないみたいだからやらない方がいいか」
「えぇ……それわかるなら先やってくださいよ……」
中折れ帽子の下、逆を向いているこの場合は上だが、怪しく光る淡黄の瞳で解析魔法でも使われたのか、確かにそうだから見学してていいよと、ルドーは戦力外通告を出された。
役職デメリットで出来ないものはしょうがないと、ボンブとキャビンに抗議を続けるレイルとロイズの方に歩いて行き、二人を一緒に宥めながら魔法科の面々の方を向く。
「それじゃあもう一発行ってみようか!」
オルナヴィ先生の無慈悲な掛け声と共に、また面々が抵抗する間もなくドシュンと遥か上空に吹き飛ばされ、遠くから悲鳴があがる。
そのまま上空へと飛び上がっていったオルナヴィ先生を目安に、ルドーは遥か高い上空に吹き飛ばされた魔法科の面々を、レイルとロイズの頭に手を置いて一緒に眺め続けていた。
「感覚を掴んできた奴は数人いたね、でも時間だから今日はここまで!」
本日何度目になるかわからない落下。
地面にそれぞれが突っ伏してもう顔もあげられない状態になったところでチャイムが鳴ったため、オルナヴィ先生はひらひらとマントを靡かせながら空中で一回転して大きく声をあげた。
結局のところ、ルドー以外の魔法科の面々は試行錯誤を重ねたものの、講習で飛行魔法を発動させたものはいなかった。
想像以上の難易度の高さに全員が疲弊している様子を、想定内だといった様子でネルテ先生はオルナヴィ先生と一緒にケラケラ眺めている。
「授業として協力してもらえるのは今回だけだけど、放課後の自由訓練なら時間が取れるから、希望者は声を掛けてくれとのことだよ!」
「二年の職員室に来るのが気まずかったらネルテ先生に声掛けてなー」
放心状態で誰も返事が出来ない中、ネルテ先生とオルナヴィ先生が揃って笑う。
ご協力感謝とネルテ先生がオルヴィナ先生と握手をしたところで、本日の魔法訓練は終了となった。




