第百五十三話 三度目のシマス国問題
スレイプサス監獄が破壊されたニュースは瞬く間に広まったが、同時に歌姫が再出現して監獄を修復し、脱走した囚人を再収監したニュースも恐ろしい速さで広まった。
なんでもスレイプサス監獄に、取材に訪れていた世界新聞の記者がいたらしい。
取材に使っていた記録魔道具の類は尽く破壊されてしまったようだが、目撃した情報を元に大々的に記事にした為に、アシュの時以上の衝撃が世界に走った。
そのためスレイプサス監獄から脱走した数人の囚人に関する情報には、あまり一般人に注目を浴びていないのは問題だ、実害があるのはそちらの方だというのに。
中央ホールに張り出された脱走した囚人、鉄線元幹部の男二人の手配書。
ルドーが対峙した斬撃を転移魔法で飛ばしてくる男、ボリジン。
エリンジが叩きのめした肉体戦闘派の男、キシキブ。
魔人族誘拐の実行犯である下っ端の脱走は阻止したものの、肝心の指揮塔とも言われる元幹部の脱走。
食堂で昼食を終え、通りかかった中央ホールの掲示板に新たに張り出された手配書を、ギリギリと歯を食いしばって睨み付けるカイムと一緒に、ルドーはエリンジ、リリアと共に眺めていた。
「全部とっ捕まえてくれりゃよかったのにな」
「歌姫出現時点で既に逃げられていたそうだ、どうしよもうない」
「結局監獄を破壊してきた相手は分からないままなの?」
「建物外からの攻撃だそうだ。それも一撃で崩壊、即座に転移で逃げたら何もわからん」
『囚人逃がそうとしてた組織集団も想定外の攻撃とか、ほんとわけわからねぇな』
パチパチ弾けた聖剣に同意するように、ルドー達は掲示板の前で目配せした。
脱走囚人と一緒にスレイプサス監獄に放り込まれた、囚人逃走を企んで船で接近していた集団。
クランベリー先生の回復魔法で復帰した監獄職員と共に、魔法で尋問した結果分かったことは、船で近付いていた集団は、逃げ伸びていた鉄線の人員だった。
指揮塔を失えば、マフィア組織などただのチンピラ。
そのまま別のマフィア組織に逃げたり、これを機にと足を洗って隠れ暮らしたりしている人員が多い中、何をトチ狂ったのか、スレイプサス監獄を襲って幹部を逃がそうと考えた集団が今回のものだった。
大まかな場所も分からなかった元鉄線の集団は、小型船を多数用意して少数で乗り込んで脱走させるつもりだった。
トルポとマーの近海を無造作に航海してその場所を割り出そうとしていたら、突然大きな爆発と共に、視覚阻害されていたスレイプサス監獄が破壊されて露になった。
それで大慌てで海に飛び込んできた囚人を、片っ端から船に乗り込ませていたのだという。
トルポの勇者と共にエレイーネーが駆け付けた時点で、先にあげた二人は一足早く船で逃げ出していたために、歌姫が出現した時点で捕まえられなかったのだろう。
マフィアの下っ端は取り換えが効く。
幹部は基本潜って表に出て来ず指揮だけしているのだろうが、元幹部が二人脱走してしまったら、また脅威が降りかかってくる可能性が高い。
ルドー達は気を引き締めていかなければならなかった。
「幹部が使ってた中央魔森林のアジトは大体エレイーネーで押さえてあるから、そこに戻ることも無いだろうし、これからは鉄線の連中との遭遇も気を付けねぇとな」
『お礼参りでもしに来てくれりゃあ、またとっ捕まえれて楽なんだがな』
「おれい? ルドにぃなにかいいことしたの?」
「あぁ違う違うライア、そう意味じゃないんだ」
「変な事教えてんじゃねぇ」
「ごめんて、悪いってカイム」
一通り手配書を眺めた後、魔法訓練のために運動場に戻ろうと全員で歩き出す。
共通区画から魔法科の校舎に続く簡易転移門のあたりで、魔法科の他の面々も合流してくる。
「ねーねー聞いたー? 今日の魔法訓練!」
「はい、楽しみですね。まだできるか不安ですけど」
「全くやる前から不安になっては、出来るものも出来ませんわよ!」
「ふははははは! ここで一番乗りしてこその勇者だ!」
「あら、頼もしいじゃないフランゲル」
「泥舟に乗ったつもりでいたまえアリア!」
「フランゲル間違えてる間違えてるそれ」
「ハイハイハイ出来たら高さで競いたいです!」
「おー! いいね、望むところだねー!」
「着地出来るようになってからしてね!?」
「メロン、危ないから、無茶はしない」
共有区間の廊下を歩く基礎科に護衛科がスレイプサス監獄の破壊と歌姫の再出現の話題で持ちきりの中、魔法科の方は今日行われる予定の魔法訓練の話題で持ちきりだった。
簡易転移門を潜って周囲が運動場に向かって同じ方向に進む中、ルドーも魔法科の面々が話すのを聞いて、頭の後ろで両手を組んだ。
「飛行魔法の特別講習ねぇ。俺はもうデメリットでどうしようもねぇから諦めたけど、どんな事するんだろな」
「確か二年の魔法科担任のオルナヴィ先生が、実践形式で教えてくれるんだっけ」
「オルナヴィ先生はエレイーネーで一番飛行魔法が得意と聞いている」
「こっちも飛べるようになりゃ、あれが逃げても追いかけられるってこったわ」
「空飛べるのたのしみー!」
「俺も!」
「僕も!」
「レイルとロイズは魔力少ねぇから見学だけっつったろが!」
「えー!?」
「カイにぃのいじわるー!」
怒声をあげたカイムにレイルとロイズが駆け寄ってぽかぽかと殴る。
今回の魔法訓練は、飛行魔法を学ぼうと試行錯誤し始めたルドー達を見たネルテ先生が、特別講習と称して、一度全員飛行魔法を体験してみようと提案したものだった。
ネルテ先生も自力で飛行魔法は使えないので、そのことに詳しい代理の先生、二年のオルナヴィ先生が、今回時間を設けて見てくれるという話だった。
「卑怯者ねーちゃん、チビにーちゃん、カイにぃがいじわるするの!」
「いい加減ビタと呼んでくれませんの!?」
「アハハハ、でも危ないから仕方ありませんよロイズくん」
「エリにぃも何か言ってよー!」
「ダメだ」
「だとよ」
「そうじゃなくってぇー!!」
ライア程魔力が多くなく、役職も持っていないレイルとロイズは、魔力の制御もまだ難しいので、今回は完全に見学に回される。
二人はその事が不満な様子で、ロイズはトラストとビタに引っ付いてカイムを指差し、レイルはエリンジのズボンを掴んだが、味方になってくれないと抗議の声を上げている。
レイルとロイズの様子を歩きながら観察していたら、後ろから追いついてきた二人組が目に入って、ルドーはつい心配から声を掛けた。
「アルス、もう大丈夫なのか?」
「ごめんごめん心配かけたよね。まだショックはあるけど、キシアを泣かせるのも違うし、一旦保留って感じ?」
「わ、私だって泣きたわったけではありませんわ……」
「うん、喝入ったよあれ、ありがとうキシア」
「忘れてくださいまし!」
目元が若干赤いキシアが、深緋色の髪と同化するくらい更に真っ赤になってプルプル震え始め、それを見てアルスがニヤッと笑う。
アルスは昨日の朝、ショックを受けて泣いていたところを、そのまま通りかかったネルテ先生とパートナーのキシアに付き添われ、寮の自室に戻ってそのまま一日休んでいた。
ルドーはリリアとエリンジと共に心配していたが、今はそっとしておくようにとネルテ先生から言われたため、今日もショックが酷いようならネルテ先生に伺いでも立てようかと思っていたところだった。
詳しい事情についてアルスは説明しなかったものの、昨日あの後キシアと一応話し合った様子がわかるので、とりあえず一安心といったところか。
アルスは一通りまたキシアを揶揄って真っ赤にさせた後、思い出したように振り返ってカイムの方を向いた。
「カイムくんも昨日はごめんね。被害者だっていうのにこっちの都合で急に泣き出しちゃってさ」
「……別にてめぇが何かしてきたわけじゃねぇだろが」
「それでも鉄線幹部の話で不快だったろ? 全く情けないよ、自分の都合ばっかりだった」
「ケッ、んなもん一々気にしねぇわ」
「……丸くなったよなぁ、カイムくん。ありがとう」
「礼言われる筋合いねぇよ」
クバヘクソで助けに来られた恩義があるのか、カイムは昨日のアルスに対して本人の言う通りあまり不快感は感じていない様子だ。
確かに昨日アルスはアルス自身の事情で泣き出したが、鉄線の被害を被っていたカイムからすれば、鉄線元幹部の相手を思って泣いたと不快にさせたと考慮した形だ。
だがカイムの言う通りその元幹部が悪いのであって、アルス自身がなにかしたわけではない。
きちんと分別があっての言葉だろう、ルドーの見る限りカイムはいつものぶっきらぼうな様子なまま、特に機嫌を損ねている様子はないみたいだ。
様子をリリアと一緒に見守っていたルドーもほっと一息吐いた。
「えー魔法訓練の前に、皆さんにお知らせがあります」
「せんせー、改まってなんですかー?」
アスレチックが片付けられた、まっ平らな運動場に魔法科の全員が辿り着き、件の二年魔法科のオルナヴィ先生はどこだろうと、全員がそれぞれ首を振って辺りを見渡していた。
そこにボンブを連れたネルテ先生がやってきたと思ったら、全員注目との掛け声と共に、連絡事項を話し始めた。
「うーん、それがねぇ、全員また依頼でシマスに行くことになっちゃってねぇ」
参った参ったと、右手で頭を押さえたまま大きく溜息を吐いたネルテ先生の言葉に、一同が信じられないかのように沈黙する。
フィレイアでの一件からまだ少ししか経っていないのに、またシマス国は魔法科の全員を呼び出すような依頼を送ってきたのか。
流石にそれはないんじゃないかと、背中で呆れるように聖剣がパチパチ弾ける。
ルドーはリリアと目を見合わせた後、心配するようにエリンジとカイムをちらりと眺めて、またネルテ先生に視線を戻す。
「え? えぇ? この間あんな大問題になったのに、またですか?」
「それがねぇ、この間は警備が手薄だったからやられたんだって向こうさんは言い張っててねぇ。女神教にも私たちにも詫びをしたいんだって、その為に招待するから是非来てくれって名目でねぇ」
トラストの上げる声に、断れない名目が上手くてホント参るよねぇと、ネルテ先生は乾いた笑みを浮かべる。
クバヘクソでの一件に続いてのフィレイア。
もはやシマスにいい思い出のないルドーは、断れないというネルテ先生の話をさらに詳しく聞こうと姿勢を正した。
「改めて女神教も招いて、降臨祭が中止になったから、お詫びとして代わりの式典を用意するってね。今回向かうのはシマス国王都ウガラシだよ、そこなら警備は厳重だから同じ轍は踏ませないと来たもんだ」
「えっ!? 王都ウガラシ!?」
「入場制限入っててシマス国民でも入るのごく一部しかいないあのウガラシ!?」
諦めたような乾いた笑いを浮かべつつ続けたネルテ先生の説明に、シマス出身のアルスとメロンが驚愕の声をあげた。
国民ですら制限が設けられて入ることが限られる王都、ウガラシ。
確かに聞くだけなら警備が厳重そうではあるが、それはフィレイアとは真逆の上層、つまりクバヘクソの比ではない、差別問題のど真ん中である可能性が高い。
「絶対差別されるじゃん、それ」
「行くの不安しかないよ」
「まともな対応がされると思わん」
「この話の時点でまともじゃねぇわ」
フィレイアでの一件は確かに女神深教が動いた部分が大きく、シマス国側も想定外の事態だと言い切れる。
それでもあれだけの被害を出しておきながら、シマス国上層はフィレイアの住民を見捨ててさっさと撤退したが為に、エレイーネーがフィレイアの混乱を収めようとあれだけ手間がかかったのに、いくら何でも虫が良すぎる。
まともな国の管理をしていたなら、バツが悪くてそんな依頼はまず寄越してこない。
この依頼をわざわざ送り付けてきた根底に、同盟国連盟にシマス国がどう見られるかという、体面を気にした心情がルドーにすら透けて見えた。
ルドー達の上げる声に、他の魔法科の面々も頷いて、不安そうな顔でざわざわと騒ぐ。
「あのあの、今回もエレイーネーが警備するように依頼が入ってたりするんですか?」
「いや、今回はないよ。シマス国所属魔導士が全面的に警備するとのことだ」
トラストの質問に対するネルテ先生の返答に、また一同がざわつく。
前回のフィレイアとはまた打って変わって、今回は王都開催するので絶対にシマス国側でなんとかするという事だろうか。
だがその話は逆に、フィレイアは国所属魔導士を派遣していたものの、エレイーネーにも要請を出して警備し、シマス国としてはあまり警備に本腰を入れていなかったと言い切るのと同じだ。
実際シマス国所属魔導士はフィレイアの外側ばかり飛び回って、フィレイアの中にいた魔導士はエレイーネーから派遣された依頼の人物の方が多かった。
ルドー達を教会に誘導したあのシマス国の公爵も、安全だからもっと動けと、周囲にフィレイアの安全を訴えろと体よく使ってきた。
同じように、今度は王都だから絶対安全だと、そうシマス上層は主張して全面警戒を見せびらかそうと本腰を入れてきたという事だろうか。
「シマス国って事はまたネルテ先生来れないんじゃないの?」
「うん、行けない。だけどウガラシは中央魔森林が近い。だからそこで待機してるつもりだから、万一があってもなくても気軽に通信魔法でなんでも相談していいからね」
ヘルシュの質問に対する返答に、今度は少し安堵の表情が広がる。
ネルテ先生に対する魔法科一同の信頼は高い。
近場で見守りなんでも相談にのってくれるというのなら、問題が発生しても即座に報告して適切な対処を聞きやすい。
だが中央魔森林が近いと聞いて、ルドーには別の懸念事項が発生した。
中央魔森林が近いという事は、その中で闊歩している歩く災害との距離も近くなる。
最近訪れた場所は、中央魔森林からは比較的遠かったために特に遭遇もしていないが、ルドー個人を狙う動きをしていた歩く災害には、なるべくルドーは近付きたくなかった。
「でもシマス国内にはネルテ先生は入れないんだよね、誰が引率になるのー? またヘーヴ先生?」
「ごめんね、スペキュラーになるよ」
顎に指をあてて疑問を述べたメロンに対するネルテ先生の返答に、今度は一同が絶叫した。
話の長いスペキュラー先生では、問題が発生したとき即座に報告しても、まともな会話指示は期待できない。
一度ネルテ先生の代理で授業を任されていた時ですら、まともに授業を請け負えてないのだ。
続々と抗議の声が上がる。
「スペキュラー先生に引率なんて出来るんですか!?」
「会話、まともに、機能、しない」
「能力は高いのでしょうけれど、正直先生役としては不足の方ですわ」
「むしろ話している間に問題が拡大するではないか!」
「誰か他の別の先生呼べないの!? 嫌よそんなことで襲われでもするの!」
「それがヘーヴは三年のタナンタと一緒にまたフィレイアの件で呼び出されてて、マルスとクランベリーはトルポの疫病応援に出張っちゃってるし、ターチスは未だどこにいるか不明だし、ニンとレッドスパイダーは昨日のスレイプサス監獄からの脱走犯の捜索に行ってるんだ。二年や三年もそれぞれのクラスの授業があるし、スレイプサス監獄が襲われたから、他の二か所の監獄も問題ないか確認作業で出払ってるのもいる。暇してるのがスペキュラーしかいないんだよ」
だから私が中央魔森林で待機するんだよと締めくくったネルテ先生に、一同は問題が悪化したかのように頭を抱えた。
どうやらここ最近のトルポの疫病が少しずつ悪化してきたみたいで、強力な回復魔法が使えるクランベリー先生と、魔力が多いマルス先生で対処しているようだ。
またスレイプサス監獄が襲撃された件の余波がかなり大きく、当然逃げ出した鉄線の元幹部は見つけ出さなければならないし、三大監獄の一つが襲われたのなら、他の二か所の監獄も確認しないとまずいのは当然の話。
ここ最近で発生していた問題が一気に襲い掛かってきた形に、ルドーは思考放棄して天を仰いだ。
「そういうわけだから、問題が発生しても逃げやすいように、出来るやつから飛行魔法は身に付けてほしいわけだね。地面を走るのと空中を飛ぶのでは逃走経路が段違いだからね。無理そうなやつは魔道具を使った飛行が出来そうなら許可するから、検討するなら声掛けてきてね」
ケラケラと笑いながら顔の横で手を振ったネルテ先生。
ルドー達が女神像破壊犯に逃げられたが故に、飛行魔法を身に付けようという理由だけではなかったようだ。
シマス国王都ウガラシで問題が発生した際の逃走手段として、飛行魔法の訓練を受けさせようという話になっていた。
確かに飛行できるならば、何らかの問題が発生したとして、対処方法は大幅に変わる。
ルドーはデメリットで飛行魔法そのものが出来そうにないのでどうしようもないが。
ネルテ先生の話に、飛行魔法の訓練について納得した表情を浮かべ、オルナヴィ先生は一体どこだろうとまた辺りを見渡す。
するとネルテ先生の説明に気を取られていた一同は、空中を漂うローブ姿の男性が、こちらににこりと笑顔を向けながら観察していた事実にようやく気付いたのだった。




