番外編・ネルテ先生の生徒観察記録.12
トルポ国で問題が発生した翌日、ネルテがボンブを引き連れて職員室を訪れれば、普段はいないはずのスペキュラーが目に入ったためについ顔を顰めてしまった。
机に座っているヘーヴとなにやら話している、というよりスペキュラーが相変わらず一方的に捲し立てている。
正直にいうと話を聞きたくはないが、いる以上は聞かないわけにはいかないと、ネルテはうんざりしながら二人に近寄って声を掛けた。
「……なんでいるんだいスペキュラー」
「なぜここに居るかという哲学的な話という事ではないでしょうが理由を問われれば私もヘーヴ先生に呼び付けられた形になりますのでまず最初に不愉快ながらもこの場に居ることを許可していただければ幸いなのですが先日の一件で一応探知を使用して追跡を試みておりましてしかしながらやはり阻害魔法が発動しているようで全く反応が見当たらなく仕方がないので千里眼魔法をラナムパ先生にお願いしたことを報告しに来たわけでしてしかし強力な魔封じを付けられているために他人の使う転移魔法もまるで効かない状態であるため海の上ならばいつ見つかってもおかしくないはずが見つかっていないとなるとおおよそもう既に逃げられた後でしょうから頼んではいますが可能性は絶望的かと絶望的と言えばシュミックの方に気分転換に旅行にでも行こうかと休暇を申請しようと思っていたのですが先程のヘーヴ先生の話から旅行が延期になるのは確実なためシュミックの海鮮料理の旬が過ぎてしまうと絶望的になっておりまして」
「何を言っているかわからん……」
「あーもう! ヘーヴ、呼び付けたってとこだけ聞こえたけどなんでだい?」
スペキュラーの怒涛の喋りに圧倒されて二の句が継げないボンブが、頭をガシガシかきながら理解するのを諦めていた。
尚も両手を交えて軽快にしゃべり続けているスペキュラーをチラリと眺め、聞こえた単語だけにネルテがヘーヴを振り向く。
視線の先にいたヘーヴは、明らかに面倒事に疲弊しているように、椅子に座ったまま眉間を揉みつつ、下を向いたまま左手で封筒を差し出してきた。
「いい加減にしてほしいもんですよ。引率を頼んでいたんです、他に適任がいないので」
封筒を差し出したまま話したヘーヴの言葉に、ネルテが怪訝に思いながら封筒を受け取って中身を取り出し目で追っていく。
余りの内容にネルテも大きく溜息を吐いた後項垂れた。
「ねぇ、これは流石に断れないのかい? あんなことがあってこれって……」
一通り読み終わった内容を反芻しつつ、なんとか避けられないかとネルテはヘーヴに抗議する。
ネルテの当然の反応にヘーヴは更に眉間を揉みつつ、延々としゃべり続けるスペキュラーを無視して答えた。
「断りたいんですけどねぇ、立ち回りだけは上手いんですよ。他にもこの三か国を後ろ盾に付けられてしまいまして」
「……ソラウは昨日の一件で巻き返しちゃったからなぁ、それでいい様に協力するって取り付けて後ろ盾になったわけか。はぁ……」
ヘーヴの返答にまた溜息を吐いたネルテは、項垂れていた身を起こして昨日の報告を思い出す。
つい先日、トルポとマーが共有管理しているスレイプサス監獄が破壊された。
トルポの聖女が湾岸に待機して、万が一海を泳ぎ逃げて、トルポの陸地までたどり着くような囚人かいないかと警戒。
報告を受けたエレイーネーの教師たちが、トルポの勇者と共に飛行魔法で現場対応に向かった。
ネルテは相変わらず対人戦闘には魔力に懸念があるため、参加できず報告を待つ身だった。
聞いた報告では、やはり組織的に囚人を出そうさせようとしていたのか、スレイプサス監獄付近の海上には大量の小型船が、海を泳ぐ大量の囚人を乗せようとしている現場に出くわしたのだ。
囚人をそのまま陸地に脱走させまいと、邂逅直後に海上で集団戦闘が巻き起こったが、数の多さに拮抗して、その隙に船が数台逃げ出そうとしていた時、事は起こった。
ずっと消息不明だった歌姫が、破壊されたスレイプサス監獄の上空に突如出現した。
「まさかここで歌姫が出てくるとはね。アシュの一件といい今回といい、一応こちらに味方してくれてるのかね」
「お陰で脱走した囚人はほとんど再収監出来た上に、スレイプサス監獄はなにをどうやったのか、歌姫の魔法か何かで修復されるどころかさらに強固にされました。それでもほんの数名脱走されてしまいましたが、監獄があれだけ完膚なきまでに破壊されてこの結果は軽微としか言いようがない」
昨日あった出来事を思い出すように上を向いて遠い目をしながら、ヘーヴがギイッと椅子を鳴らして仰け反る。
歌いながら虹色に光り輝いて突如上空に出現した歌姫。
海上戦闘になっていたその場に似付かわしくない、まるでオーロラでも見ている様な誰もが息を飲む神秘的な光景に、敵も味方も関係なくその場の全員が目を奪われる。
息を飲んで佇む周囲も見ていないように目を瞑ったまま、歌姫は両手を交えて歌い続け、その歌に合わせるように、海を泳ぐ囚人が次々と浮遊してボロボロの監獄に引き戻されて行った。
投げ入れられるかのように、元居た独房に次々と放り込まれながら、歌姫の歌に合わせて、崩れたスレイプサス監獄が音を合わせて修繕されていく。
そうして誰も動けない内にあっという間にスレイプサス監獄が直され、フィナーレでも飾るかのように、完全に元の姿に戻ったスレイプサス監獄が虹色に光り輝いたと思ったら、歌姫はまた忽然と影も形もなく消えてしまったのだ。
「歌姫の件がなければ、逃げ出した囚人が大量にあちこち放たれて、さらに混乱を極めていただろうけど、同時にソラウが勢い付いたのが痛いね」
「アシュの一件からだいぶ時間が経過し、ジョーンワートの暴走もあって最近歌姫に対して捜索が下火になって落ち着いてきていたというのに。また国を挙げての歌姫捜索や危険行動がないように、改めて監視の目を厳しくしないといけなくなりましたよ」
「問題が一つなんとかなったと思ったら、別のところが厄介になったという事か」
喋り続けるスペキュラーの声に鬱陶しそうに耳をピクピクさせていたボンブが、ネルテとヘーヴの話をまとめ上げた。
「ソラウ王国は建国直後にアシュで起こった歌姫の石像化で歌姫派閥が大量に出来たことは有名ではありますそれ以前にも歴代の歌姫がいたという曰くがあったりと何かと歌姫とそれなりに接点があると密かに囁かれておりますからしかし三百年前よりも以前の話となると残っている文献も少なくどこまで実際にあった出来事なのか信憑性がありませんのでソラウ王国内でもその件に関して自領の実績にしようと様々な議論が巻き起こっており歌姫に対する執着は段違いなので再度出現してしまった今保護しないとそれこそ歌姫そのものを誘拐でもしそうな勢いで勢いと言えば最近母国の植物が成長する勢いが乏しく行きつけの花屋も天候不良の影響もあるだろうとのことで」
「それで結局スレイプサス監獄が破壊された原因は判明したのかい? 昨日の時点ではまだ調査中だったろ?」
話に割って入っては饒舌に話すスペキュラーをその場の全員が無視しつつ、そもそもの問題発生の原因について何か進展はあったかとネルテは訊ねた。
どちらかというと、話し続けているスペキュラーの話を聞きたくないというのがネルテの本音ではあるが。
「色々と副次的な要因が重なっていたようで。例のトルポの疫病も絡んできました」
「疫病が? 海側で流行り始めてたって聞いてたけど、ひょっとして職員が?」
「はい、スレイプサス監獄の担当職員は、基本監獄内に住み込みで働いています。有事の際の待機組や、交代での長期休暇で家族の居る家に戻ることがありますが、今回その交代要員に疫病に罹患した者がいたそうで、監獄管理者の方で流行り始めたために対処しようと動き始めていた時に襲撃を受けたと」
「疫病で人員が不足したタイミングね、狙われたのか運が悪かったのか、現時点でははっきりしないか」
トルポ国の海側でひっそりと流行り始めた、ケイソ病が発展した形の疫病。
今回のスレイプサス監獄破壊騒動に、それが絡んでいた。
疫病が流行り始めた初期の初期段階、ちょうどスレイプサス監獄の職員の交代時期と重なっていた。
潜伏期間で体調にまだ変化が現れていたかった交代要員が監獄内に詰めたことで、勤務後に症状を発症。
監獄内に保管していた薬の類が一切効かず、回復魔法で対処していたのだが、囚人管理をする手前、あまり回復に魔力を使い続けるわけにもいかない。
追加要員を準備しようとしたら、逆にその周辺の町から疫病が流行し始めて人員が補給できず、トルポ本国と共有管理をしていたマー国に事態を報告。
対応協議をしようとしていたタイミングで今回の事が起きた。
職員は未だクランベリーに回復魔法で治療を受けているために聞き込みが遅れているが、人員不足のところを狙われたのか、はたまた攻撃したタイミングでたまたま疫病が持ち込まれてしまったのか。
スレイプサス監獄の職員が多数滞在している海側での疫病の発症は、狙われているようにも、只運が悪かっただけのようにも見えて、どうにも釈然としない。
「スレイプサス監獄の職員はその重要性から職員の世襲制は行っておらずスカウト制の職員が大半ですがその危険性から職員のプロ意識はかなり高く囚人の制圧を担うこともあり攻撃魔法の練度もかなり高い国所属魔導士と大差ない実力と危険意識を持ち合わせているため体調が悪いと分かっていながら交代を担当することは考えにくいと言えるでしょうから完全に症状が出ていない段階だった為に今回は防ぎきれなかったと想定されますねさらに言えば囚人が逃げ出したにしてもその囚人にも疫病が移っている可能性もあり本人はおろか外部人間でも摘出する技術が限られる後頭部に埋め込む魔封じを入れられている状態では転移魔法も効きませんので囚人を連れて逃げることに対しては多大なデメリットを生じるわけでありまして色々と不明点が多いといえますので更なる調査が必要なのですが」
「疫病と言えば、そのトルポとやらの国に行ったルドーが病気になったと聞いたが、実はその疫病になっていたとかではないのか?」
スペキュラーの長話を聞きたくないように、ズボンから突き出た尻尾がしょんぼり下を向いたボンブが、腕を組みつつ話題を変えるようにネルテとヘーヴの方を向いた。
「報告してきたジルニスカイが解析魔法で調べていたでしょうから、その可能性があるなら更に進言しているでしょう。問題はないかと」
「例のトルポの疫病なら体調は悪化するだけだろうけど、昨日の時点で治ってたみたいだからね、色々あったから疲れが身体に出たんだろう」
ボンブの指摘にヘーヴとネルテはそう返す。
万が一ボンブの危惧通りトルポの疫病だったとしても、疫病に対しては回復魔法が効く。
傍に聖女のリリアが常にいるルドーには、そこまで問題にはならないだろうと、二人はさらに続けた。
トルポ国を訪れたことに対する延長で、ネルテが思い出したように顔を上げた。
「そういえばそのトルポで例の女神像破壊犯にまた遭遇したそうだよ。例の奴からは何とか逃げ切ることは出来てたみたいだ。ただ保護しようとしたけど飛行して逃げられたから対策したいって、みんな飛行魔法を訓練したがりはじめてさ。ヘーヴ、どうするべきだと思う?」
ネルテは魔力があった時点でも飛行魔法が魔道具の補助がないと使えなかった。
その為飛行魔法に対しては、理解が乏しく指導には向かない。
まだ早い段階ではあるが、新たに力を付けたいと生徒が希望するなら、叶えてやりたいのが教師としての思いだ。
ただ飛行魔法の訓練は、当然空を飛ぶ関係上事故も多い。
理解のある人員が様子見するのが一番いいので、ネルテは自力で飛行魔法が可能なヘーヴにアドバイスを求めた。
後ろで未だ話し続けるスペキュラーを放置して、同じように飛行魔法が使えないボンブも、話を聞いて答えを知りたがるように無言でヘーヴの方を向く。
質問に対してヘーヴは椅子に座ったまま思考するように上を向いて顎に指を添え、やがて考えが纏まったように顔を向けて話し出した。
「だれか監修させた方がいいでしょうね、飛行魔法の感覚は個人個人で違うため独特が過ぎます。訓練段階で何度も何度も落下して大怪我に繋がる。本人が制御できずに高度の高すぎる場所まで飛行してからの落下は、飛行魔法が使える人員でないと対処できません」
「ヘーヴは見てくれないのかい?」
「一緒に見てもいいですけど、参考資料を残したいので詳細報告を五倍に増やしてもよろしいですか?」
「やめるよ」
一年で飛行魔法を習得する段階まで進むことはかなり珍しい。
次いでとばかりにネルテは提案してみるが、仕事を増やされる提案を返された上に、ヘーヴ本人に監修されたのでは報告書の誤魔化しも効かないと即座に思い直した。
ニカッと笑って即答したネルテに、ヘーヴは呆れたようにやれやれと首を振る。
「トルポの疫病はまだ解決していません。病気である以上薬の開発にはエレイーネーでは役に立てません。支援が必要な場合は回復の使える魔導士を派遣しますが、同時にこちらも罹患しないように対策を徹底せねばなりません」
「その支援とやらは要請されているのか?」
「いえ、とりあえず自国の事なのでと、かつてケイソ病が流行したチュニ王国にも連絡を取って、トルポでの薬の開発を進めています」
「ノースターにも魔法薬製作で協力要請されてたね。まぁノースターもトルポ出身で当事者だから、必要性は感じているだろうから」
疫病はまだ広がりはしていないが、収まりもしていない。
薬の開発はチュニ王国の情報があってもすぐには出来ないだろう、疫病関係は解決するまで時間がかかる問題だ。
感染の広がりを防ぎながら、有効な薬の状態を探り出す。
気の長い作業になるだろうが、それ以外に対策がなければやるしかない。
ノースターとカゲツのペアが、ようやく協力体制になった今回は、ひょっとしたらまだ二人が出来ていない魔力伝達に対する突破口になるやもと、ネルテは魔法薬の開発に話し合う二人に期待している。
「そういえば昨日取り乱してた生徒は大丈夫ですか? アルスさんでしたか」
「報告はある程度聞いたよ、鉄線元幹部の少女に面識があったらしい。聞いた通りヨナマミヤの生き残りだったとすると、こちらの落ち度に繋がるよ。どうしたものかね……」
また嫌な問題を思い出したと、ヘーヴの声にネルテは頭を押さえた。
バタバタとスレイプサス監獄へと向かった教師たちの様子だけでも見ようとネルテが中央ホールに着いた時だった。
いつも人の輪から一歩引いて笑いながら周囲を観察していたアルスが、ルドー達に取り囲まれながらも取り乱したように泣いており、ネルテは何事かと駆け寄って、ルドー達からその話を聞いたのだ。
取り乱して泣いていたアルスから更なる詳細は聞けなかったが、どうにも彼はレモコなるその少女が死亡した事に対して罪悪感を抱えていた様子が、落ち着かせようとキシアと共に寮の自室に引率して連れて行ったネルテには感じ取れた。
実害が出た魔物暴走の生き残りは、誰でも少なからず心に傷を負っている。
アルスがシマス出身だとは知っていたが、旧ヨナマミヤの出身で、十年前の魔物暴走の生き残りだとまでは、情報に載っていなかったためにネルテも知らなかった。
だが魔力差別があるシマスで、エレイーネーに入れるほど魔力があったはずのアルスが、被差別対象の下層孤児院出身であった時点で、察することは出来たはずの情報だった。
孤児院出身だと情報が記録されていたのも、おおよそ魔物暴走で両親が死亡したためだろう。
死んだと思っていた知り合いが、生き延びていたのにマフィア組織で犯罪行為に手を染めていたのならば、生きていたことを素直に喜べず、逆に何故見つけられなかったのだと自分自身を責め立ててしまう。
しばらくは注意して様子を見ていかなければならないのに、そんな中であの封筒の内容。
問題に問題が重なり続けて、いい加減嫌気が差してくるが、言っていてもどうにもならない。
ネルテは手に持つ封筒を掲げて、ヘーヴに行動を提案する。
「これの開催地、中央魔森林がそれなりに近いから、念のために森で待機しておきたいんだけど、いいかいヘーヴ」
「ボンブさんが一緒なら魔物は大丈夫でしょうが、何かしら問題が発生してもその魔力では対処できないのでは?」
「それでも引率がこれだと不安なんだよ。生徒には事前に伝えて問題発生時の相談対応したいんだ」
問題発生時に通信が出来るやつが一人多いだけでも違うしと、ネルテはヘーヴに訴える。
今なおも一方的に勝手に話し続けているスペキュラーの方に、ヘーヴが白けた目で顔を向けた後、納得するしかないと溜息を吐きつつガクリと頭を下げる。
「自力判断が乏しいですからね、これは。命令がないと色々と厳しい。なるべく安全な瘴気濃度の低いところにいるように」
「それなら案内できる。問題ないだろう」
「ホントいつも助かるよ……」
ヘーヴとネルテが二人、スペキュラーのしゃべり続ける様子に軽く項垂れつつも決まる話に、ネルテは協力のために声をあげたボンブにニカリと笑いかける。
プイッと顔を逸らしたボンブに一瞬不思議に思いつつも、改めて厄介事を持ち込んできた封筒に、落胆の視線を投げ続けた。




