第百五十二話 忍び寄ってくる過去
よく遊んだ近所の公園
こっそり隠したお昼のおやつ
歩き回った家の周りの道
有名な幽霊屋敷
お手頃な感じの長さの、葉っぱがついたままの折れ落ちた木の枝
それなら俺が年上だからおにいちゃんな!
土で遊んでどろどろに汚れて、ごまかそうと公園の手洗いで服を洗おうと水を出す
出していた透明な水が、掌の上で真っ赤に染まり上がった
こうなったのはお前のせいだ!
お前のせいでこうなったんだ!
だからこいつを殺したのはお前だ!
目の前に真っ赤な血溜まりが広がる
「うわああああああああああああああああああああ!!!」
冷や汗をかきながら、ルドーはベッドから飛び起きた。
ごちゃごちゃとまとまりのない夢を見ていた気がする。
何に対して叫んだかも分からず、胸を激しくバクバクと叩く心臓の音に、ゼイゼイと荒く呼吸をしながら、夢と現実の区別がつくまでしばらくかかった。
『そんなに疲れてたのか? かなりうなされてたぞ』
「……聖剣? なんだ俺どうしたんだ?」
『昨日風邪引いて寝てただろ、まだ調子悪いなら寝てろ』
「あぁそういやそうだった……」
冷や汗でびっしょりの全身に気持ち悪さを感じ、顔の汗を手でぬぐい落として周囲を見渡す。
風邪をひいて熱を出したというルドーに、魔法科の面々が代わる代わるルドーの個室に見舞いに訪れた為に、見舞品であちこち埋め尽くされていた。
回復魔法で風邪を治すのは容易いが、それはそれで本人の免疫が弱まることもある。
軽症の病気はケイソ病などの対策できない疫病を除いて、なるべく薬を飲んで寝て治すことを推奨されていた。
イシュトワール先輩から話を聞いたリリアとエリンジが覗きに来て、回復魔法を使うべきだと言い切ったエリンジに、リリアがスパンと叩いてそう返していた。
その後三つ子が書いたであろう、早く良くなってという励ましのメモがついた飲み物が入った袋を、カイムが無言でドアノブの取手にぶら下げていったが、ここまではまだ良かった方。
その後間もなくして、フランゲル一行が高笑いしながら、バーンと大きな音を立ててドアを開けてきた。
フランゲルはシュミックの伝統治療だといって、ルドーはなぜか長ネギを首に巻かれたあとキャベツの葉っぱを頭に被せられるわ、ヘルシュに悪いものを払うとお経のような呪文を読み上げられるわ、アリアは勝手に上がり込んでいながら部屋の汚さにさんざん文句を言うわ、ウォポンは風邪は治る、風邪は治ると、自己洗脳魔法の要領で洗脳魔法をかけて来ようとするわで、追い出すまでにすったもんだかかった。
悪い体調を更に悪くしながら、なんとかルドーがフランゲル一行を追い返したと思ったら、今度はビカビカと目に痛く点滅するザックとマイルズを引き連れた、キシア、ビタ、トラストが現れる。
貴族のノブレスオブリージュで、風邪に倒れているときの気分転換だと、本やら編み物やらぬいぐるみ作りに向いた裁縫やら、一人でも出来る暇潰しグッズを大量の箱に積めてザックとマイルズが運び入れ、これでもかとばかりに置いていかれた。
ルドーが要らないと言うよりも先に、ゆっくり休んでくれとキシアたちが優雅に退室していったと思ったら、今度はメロンとイエディがやってきた。
メロン曰く風邪によく効くという、今の状態だと食べると吐きそうな、油たっぷり高カロリーの食事を大量に並べられ、イエディには消化にいいおじやなどを熱々の鍋で渡され、両手をブンブン振りながら嵐のように去って行かれる。
食欲はないままなので、後で食べようとルドーが放置して寝ようとしたら、今度はカゲツとノースターが入ってきた。
寝やすいようにとノースターに解熱剤をもらったが、飲んだ矢先に強烈な苦味に吹き返すし、カゲツは氷枕や暖かい布団などの風邪対策グッズを大量に、請求書と一緒に置いて行ってしまい、別の意味でルドーは汗をかき続けて眠れなくなる。
眠れなくなったあたりで、今度はなぜか二年のシマス勇者チェンパスがやってきた。
差し入れだから受け取れと、シマス国の繋がりでもあるのか、同シマス出身らしいオリーブとサンザカから、魔法科に入れないので代わりに渡してくれと頼まれたという見舞いの花束を押し付けられ、飾る花瓶はないのかと、なぜか見舞われているはずのルドーが、チェンパスにガミガミ説教された。
夜になってようやく人通りが収まったと思ったら、今度はネルテ先生にヘーヴ先生と教師陣が様子を見に来たし、終いにはどこから聞き付けたのか、ネイバー校長が両手に抱えるフルーツ盛りを部屋に投げ入れた為にドアが破壊された。
風邪で朦朧とした意識の中、扉をド派手にドカンと破壊された辺りで、ルドーはもうなんでも良いやと、壊れたままのドアも放置して、ベッドに潜り込んで寝入っていたのだ。
誰かが見舞いに来て立ち去ったと思ったら、すぐに部屋の扉がノックされて別の人物が現れ、そのせいで昨日は一日休んだはずなのに、まるで身体を休めることが出来なかった。
「昨日が酷すぎたせいで変な悪夢見ちまったのかねぇ」
『体調はもう問題ねぇのか、お前自分のことだけやたら鈍いんだし』
「熱は引いたっぽいな。食欲も出てきたし、昨日メロンたちが持ってきた食いもんそのままだから適当にそこから食べるか……」
『あの状態で治るとかそれはそれでどうなんだよ』
ただでさえ狭い寮の個室が、キシア達の持ち込んだ箱で埋め尽くされている。
そしてその箱を机にでもするように、そこかしこに食事が置かれたままになっていた。
カロリーの高そうな、油たっぷりの豚肉の角煮をルドーはもしゃりと頬張る。
昨日だったら食べた直後に吐き出していただろうが、蕩ける脂に美味しく平気に食べられるので体調は問題なさそうだ。
「うーん、なぁーんか引っかかんだよなぁ、さっきの夢……」
『流石に夢の中まではわからん。どんな夢だったんだ?』
「いや、なんか色々コロコロ切り替わって、まとまりがないっつーか、断片的っつーか……」
何となく見た夢の内容が、魔力伝達の際に倒れた時の様な、朧げに残る前世の記憶のもののような気がしたが、覚えている事なのか、それとも考えすぎてみてしまった幻なのか、ルドーには判別がつかない。
寝汗でびっしょりと気持ち悪いままなので、軽く朝食を平らげた後、寮部屋に付属しているシャワーを浴びて、制服に着替えて、壊れて開きっぱなしのドアも放置して基礎訓練へと向かう。
「……ん? なんか共有区が騒がしい様な……」
『昨日なんかあったんかね』
寮の自室で朝食を食べ終えたために、科目共有の廊下を通らずに歩いていると、何やら中央ホール付近で慌てるような足音がバタバタと聞こえてくる。
基礎訓練の時間までまだ余裕があった為、気になったルドーはそちらの方へと足を運んだ。
「お兄ちゃん!」
「もう平気なのか」
「おう、なんとか調子は戻ったわ。そんでこれ何事だ?」
朝食を終えた所だったのか、食堂に続く科目共有の廊下から中央ホールに出てきた様子のリリアとエリンジと合流した。
掛けられた声に軽く答えつつ、ルドーは中央ホールの脇から、各学年の職員室からバタバタと転移門の方に走って転移していく先生方を、訝しむように見つめる。
「なんか、トルポの方で問題発生だって」
「トルポで? まさか疫病が悪化したのか?」
転移門に走る先生方の話を聞いていた様子のリリアが応える。
トルポの疫病の一件は、まだルドー達がカルテを運んでから数日しか経っておらず、ノースターの魔法薬も試験段階で、それらしい特効魔法薬は開発できていない。
病気が急激に広がり始めたら厄介だと、ルドーはそう思って声をあげたが、エリンジが不可解だというように首を振った。
「疫病関連なら戦闘の話をしながら転移門の方に行かない」
『戦闘だぁ?』
「まさかまた魔物暴走か?」
「わからない、そこまで詳しく話してなかったから……」
突発瘴気の魔物暴走が発生してから、まだ日は浅かった。
瘴気の発生源は、色々と議論されているものの、突然発生するものがあるせいではっきりしていない。
ランティベリの突発瘴気はリリアが対処したものの、原因不明のままだと同じようにまた発生しないとも言えない。
不安そうな表情のリリアと、険しいかのエリンジを見比べた後、ルドーはまた先生たちが走り去っていった転移門の方を見る。
「キシア達はどうした?」
「あそこにいるよ。ちょうど今話を聞こうかって相談してところ」
「……あれ、カイムもいんのか。めっちゃ機嫌悪そうだけど……」
『ずいぶん空気悪いな』
リリアが示した中央ホールの掲示板の近くに、不安そうな表情をしたキシアとトラストが、傍で口を結んだアルスと、壮絶にどす黒い空気を撒き散らしている、今にも怒鳴り散らしそうな様子のカイムが並んでいる。
明らかに事情を知っていそうな様子に、ルドーはリリアとエリンジと目配せた後、足早にそちらに近寄った。
「キシア、トラスト、トルポで問題だって?」
「……非常に不味い事態が発生しましたわ」
「スレイプサス監獄が、破壊されてしまいました」
「えぇっ!? スレイプサスっつったら、三大監獄のあれか!?」
深刻な表情のキシアとトラストが話した内容に、ルドーはリリアとエリンジと共に狼狽えるように顔を見合わせた。
スレイプサス監獄。
三大監獄と呼ばれる世界監獄の一つで、スレイプサス監獄は主にトルポとマーの二国で共有管理している。
三大監獄とは、手が付けられない凶悪犯罪者を収監するために作られた、海上に建てられた監獄だ。
ここに収監されるのは、世間に多大な被害を出した囚人で、更正プログラムなんてものもなく、只管理されて死ぬのを待つだけの場所。
連続殺人犯や、国を跨いでの巨額被害を出した犯罪組織の人間が、数多く収監されている。
三大監獄と呼ばれているのは、他に同じような監獄が海に存在し、どこに誰が収監されたかわからないように、情報を伏せて組織の人間もバラバラに収監されるためだ。
そんな三大監獄と言われるものの一つ、スレイプサス監獄が破壊された。
まだ情報が詳しく伝わってきていないために、誰がどうやってそれを成し遂げたのかわからないが、人為的にされたそれは、投獄された囚人を解放するためにされたことだけはわかる。
「……カイムがこの様子って事は、まさか……」
「……はい、捕まえて投獄されていた鉄線幹部も多数、行方不明です」
トラストの返答に、カイムは顔を大きく歪める。
魔人族を攫いカプセルに入れ、無理矢理その魔力を吸い出して、奴隷として扱い人扱いしなかった集団、鉄線。
その幹部が収監されていたスレイプサス監獄が破壊され、脱走を許してしまった。
一番被害が大きかった魔人族の当事者のカイムが、ここまで怒り狂うのも当然だ。
「海上の建物ですし、魔封じを付けられていますから、転移で逃げることは叶わないので、海から逃げたと思われるのですが……」
「……それでも泳いで来る可能性があるって事だろが、くそが」
ルドーの問いに、不安そうにしながらもトラストとキシアが答え、カイムが周囲を睨み付けるような表情で小さく声をあげた。
カイムはどす黒く渦巻く感情を何とか押し殺そうとしているのか、恐ろしく低い声色で唸るように、怒りで震える身体を何とか必死に押さえている。
「陸地からはかなり遠く、また様々な妨害魔法や阻害魔法がスレイプサス監獄には他の監獄同様施されていたはずです。魔封じを付けられた人間が、自力で泳ぎきるのは不可能に近いはずですが……」
「見つからない以上、可能性としては上がるか」
キシアの話に、エリンジが小さく舌打ちした。
陸地からかなり遠く、海の奈落に近い場所に、監獄は建てられている。
海を泳いで逃げようにも、陸地からはるか遠く泳ぎきれず、やがて体力尽きて奈落に飲み込まれるように、あえてその近くに三大監獄はどれも建てられていた。
先生たちが戻ってきて詳細がわからなければ何とも言えないが、海上で見つからない以上、破壊されたとなればなんらかの手引きをされて脱走したとみていいだろう。
「ただでさえランタルテリアとシマスで新しいマフィアが出てきたってのに、また鉄線まで戻ってくんのかよ……」
「逃げた直後に捕まえられたらいいが、警戒態勢が常時高いスレイプサス監獄を破壊するような連中が、そんなヘマをするとは思わん」
「カイム、必要なら声掛けてくれよ。俺達だって手を貸すから」
「……くそが」
エレイーネーに来た直後ならば、カイムはこの報告を聞いた瞬間喚き散らして、転移門に突撃して現場に向かっていただろう。
だがそうせずにこうやって必死に怒りを抑えている、きっと先生たちのことをカイムなりに信じてくれているからだ。
おおよそ破壊された直後の今が、先生たちにとって、脱走した囚人を確保する正念場だと言える。
今は続報を待つしかないと、ルドー達は先生たちが走っていった転移門の方をじっと眺めた。
「……ねぇ、鉄線の話になったからついでに聞くんだけどさ。ちょっといいかな」
「それは最近人が変わったって、キシアが心配してた事か? アルス」
先生たちが転移門を潜って不在になったために、基礎訓練は自主訓練になるだろうとルドー達が歩き出すと、少し距離を取っていたアルスが、後ろから改めて声を掛けてきた。
いつもの軽い感じではない、緊張した面持ち。
ルドーの返答にアルスは驚いたように目を見開いて、ゆっくりとキシアの方を振り向く。
「……まぁ、流石にわかるよね。ごめん、心配かけてたかも」
「全くですわ。普段パートナーパートナーと連呼しているのはそちらでしょうに」
アルスが事情を話す気になったことに、キシアは少しむくれるような表情で目を瞑って顔を逸らしたが、その様子をみたアルスは逆に励まされるように、アハハと苦笑いを浮かべた。
「ちょっと、今回はショックでかくて。ねぇ、フィレイアのあの騒動、水色のツインテール姿の、レモコって子が来てたって本当? その子が元鉄線の幹部だったってのも」
アルスが聞いてきた質問に、ルドー達は困惑するように顔を見合わせた。
ルドー達はてっきりフィレイアの騒動で誰か知り合いでも亡くなったのかと思っていたが、アルスが気掛かりだったのは、どうやら女神教の教会を襲撃した、鉄線元幹部の少女の方だったらしい。
あの教会で普通に彼女と戦闘を行ったルドー達は、どう答えるべきかわからず狼狽える。
鉄線の被害者とも言っていいカイムも、そのアルスの質問に怪訝そうに片眉をあげていた。
アルスの問いに、一番その少女と面識がある様子のリリアが、心配そうにしながらも答えた。
「何度か名前呼んでるの聞いてるし、見た目もそうだよ、間違いないと思うけど……」
「あぁ……そんなのってないよ……マフィア組織に流れてたなんて、なんでもっと早く出て来なかったんだよ……」
その返答に、アルスは信じたくなかったとでも言うような、悲痛な表情に変わって頭を抱えてしゃがみ込んでしまう。
あまりにもショックを受けているそのアルスの様子に、キシアがむくれていたのも忘れて慌てて駆け寄ってしゃがみ寄り添い始めた。
伝えられた事実に、大きなショックを受けて嗚咽し始めたアルスに、ルドーは困惑の表情を浮かべながらも、落ち着かせるように静かに問いかける。
「知り合いなのか?」
「……ずいぶん昔、十年前に死んだと思ってたんだよ。ヨナマミヤの魔物暴走騒動で。どうしよう、生きてたんだったらもっと早く助けるべきだったのに、なんでこんなことに……」
十年前の、ヨナマミヤがシマス国に合併案を持ち掛けることになった、そもそものきっかけの魔物暴走騒動。
アルスのその話しぶりから、当時を知っている様子であることは見て取れた。
そして死んだと思っていたと語るその内容から、アルスはそのレモコという少女が、魔物暴走によって魔物に殺されてしまっていたのだと思っていたことも、話から推察できる。
話を聞いて無言で顔を見合わせたルドーとエリンジの傍で、リリアが更に思い出したように呟く。
「……あの子、そういえば、ずっとエレイーネーに対して恨み節言ってた」
「それって……」
『犯罪者が突っかかってたわけじゃなかったってことか』
黙って話を聞いていたトラストと聖剣も、思わずといったように声をあげていた。
アルスとリリアの話から、浮かび上がってくるものがある。
その事実に思い至って、なんとかその可能性を否定しようと、アルスはどうやらこの数日、人が変わったように調べ始めていた様子だ。
だが、わかり切った事実に向き合いたくなくて否定する材料を探しても、見つかるはずはないのだ。
その事実にようやく向き合うように、アルスは本来最初に確認するべきだったルドー達に話を聞いたのだ。
十年前の魔物暴走騒動で、エレイーネーが助けられなかった当時の被害者。
死んだと思われて処理されていた人間が、いつの間にかマフィア組織に拾われて生き延びていたとしたら。
その時助けてもらえなかったと恨みつらみを重ねて、マフィア組織で人を害するように育ってしまっていたとしたら。
かつて知り合いだったというその相手が、生き延びていたのにそうなってしまった事実に大きなショックを受けた様子のアルスが、地面に伏して泣き始め、痛いほどに伝わる沈痛な空気に、誰も声を掛けることが出来なかった。




