番外編・ネルテ先生の生徒観察記録.11
シマス国での女神降臨祭。
わざわざ魔人族のカイムを指名してきた開催国側のシマス。
警戒してルドー達に警告し、同伴するヘーヴや、警備に当たる他の担当教師たちにも様子を確認するように頼んでいた。
シマス国の魔力差別や、それに伴う魔人族に対する差別など、被害に遭わないよう即座に対応できるようにと。
まさかそれ以上の驚異が発生するなんて、想定外が過ぎる。
警戒していた女神深教が、件の女神像破壊犯を狙って襲撃してくるなんて。
参加していた生徒が全員無事だったのは、奇跡といってもいい。
あれだけの規模の魔法攻撃。
誰か一人でも死んでもおかしくなかったし、全滅しても不思議ではなかった。
フィレイアは今、三分の一という範囲が破壊されたことで、混乱を極めている。
タナンタの報告から、ただでさえ鉄線の元幹部の襲撃があったのに、それに加えてのこれだ。
おまけにシマス国の魔導士は何を考えているのか、シマス国上層と他国王侯貴族を連れて、さっさと上層地域に避難していなくなってしまった。
タナンタと、一年の生徒をエレイーネーに戻して現場に戻ったヘーヴを中心に教師陣、ジルニスカイとイシュトワールを中心に、残った警備依頼の生徒たちで、なんとか住民の救助を続けている。
だが状況は悲惨の一言に尽きた。
「クロノ、君は何を知ってしまって、一体何から逃げてるんだい……」
ヘーヴからの報告を聞いて、あまりのことに、情報を唯一知って逃走している生徒を呟く。
現場にいたタナンタ伝いに聞いた、ネルテ自身からも魔力を奪った、あの襲撃犯の実態。
ネルテ自身は接触時間が少なかったために、まだその脅威を認識できていなかった。
タナンタの役職支配者は、相手を指定して命令することで、絶対的な支配下に置くことのできる強力な役職だ。
それが予備動作もなく全く効かない、更には致命傷すらまともに機能しない。
剣の男と同じ、不死性を持った相手。
ヘーヴの通信魔法のすぐ後に、タナンタからも直接通信魔法が入っていた。
一体何と対峙して、敵対してしまっているのかと。
そんなことはネルテ自身が一番知りたいものだ。
耳を貫くようなタナンタの怒声の通信魔法に、情報統制されていることもあり、ネルテ自身の判断で伝えていい事か判断もつかなかった。
なので、校長室のフェザー副校長に聞いてくれと、説明を全て丸投げしたのが昨日の出来事だ。
「……情報が相手側に漏れた場合、同じように攻撃されて危険であると。分かりました。今まで通り、只の上層一部の噂話として、女神教でも情報を話さない様に通達しておきます」
「依頼を受けておきながら、申し訳ない。イスレ神父」
ルドー達を基礎訓練に送り出した後、ネルテは改めてイスレ神父に、魔法科二階の応接室ではなく、校長室に呼び出したことについて説明して別れる。
ペコリと深く丁寧にお辞儀をして、立ち去っていくイスレ神父の背中を見送りながら、ネルテは校長室の前でボンブと並び、今後の事を考え始めた。
その情報が不用意に探ると、国が一つ滅びる可能性のある、丸特情報の女神深教。
報告を聞いただけでも、それは確かに十分可能に思えてしまう。
何にしても今は、依頼のあった女神像破壊犯の保護が最優先だ。
情報を知っているならば、保護した後の女神深教への対策に希望が生まれる。
ただ問題は、その保護依頼は、事情を知っているルドー達に頼むしかなくなっている事だ。
女神深教に関して事情を知っている教師は現在、ネルテとヘーヴだけだ。
タナンタに対してフェザー副校長に聞けと話を丸投げしたものの、タナンタ自身はまだフィレイアの混乱に対応しているため、エレイーネーに戻れていない。
ネルテ自身は魔力を奪われ、ボンブと魔力伝達である程度魔力の回復は出来たものの、戦闘にはまだ不安が残る。
魔力の塊で相手を直接殴る、ネルテの魔法の使い方は、エリンジのように攻撃型魔道具に転用することが難しい。
その為恥を忍んでギランに魔道具の協力要請を出しているものの、ギラン自身の魔道具が破壊されたために、後回しにされている現状だ。
フィレイアの混乱が収まって、ヘーヴが戻ってきた場合彼に任せることが出来るが、通信越しに聞くフィレイアの状況はどんどん悪化してきている。
なんでも上層の魔導士がさっさと立ち去ってしまったために、フィレイアの状況を聞いた旧ヨナマミヤの住民が多数押しかけてきたらしい。
彼らは復興を支援しながらも、その現状に怒り、逆に収集が付かなくなっているのだ。
エレイーネーでもなんとか怒りを鎮めてもらおうと収めようとしても、結局はシマス国上層の依頼で訪れたことに帰結する。
上層に指示されてわざと手を抜いたんじゃないかとか、上層の尻拭いをする為にわざと残っているんじゃないかと糾弾され始め、上級生も危険な状況になりつつある。
シマス国上層が今更動いても、どうあがいても悪化する状況。
この混乱は収まるまで、かなり時間がかかりそうで、ヘーヴとタナンタがエレイーネーに戻ってくるまで相当かかりそうな様子だった。
依頼によって保護対象になった、女神像破壊犯が、その混乱が収まるまでの長い期間、女神深教から逃走し続けるだろうか。
あれ程強力な魔法を使う相手に追われて、即座に逃げおおせて次の女神像を狙うとも考えにくい。
だがかなりの頻度で連続して女神像を破壊し続けた実績。
女神深教から逃走した後、また女神像を破壊し始めるまでと、フィレイアの混乱が収まるまでだと、おおよそ前者の方が早いと推測できる。
「古代魔道具を模した攻撃型魔道具の所持者と対峙する、か。徹底的にしごき上げて、短期間で力付けさせるしか方法がない。全く、なんでこんな肝心な時に戦えないんだい」
右掌をじっと見つめながら、全力が出せない歯痒さに奥歯を噛み締める。
そんなネルテを慰めるように、無言でポンとネルテの頭に手をのせたボンブ。
そのもふもふとした毛並みの手を頭に置かれて、我に返るようにネルテは呆けた後、頭に置かれた手の毛並みを堪能するようにサラサラと撫でた。
「おっ、おい! こっちは落ち込んでそうだったから気を紛らわせようとだな!?」
「あっごめんごめん! なんだろうな、無意識に撫でちゃうんだよ。気を悪くしたかい?」
「いや、悪くはしてないが……」
なにやら顔を背けて低く唸りはじめたボンブに、やはり気に障ったかとネルテは再度謝る。
謝らなくていいとボンブに返されてネルテは首を傾げつつも、今後の方針に考えを切り替えた。
基礎訓練をしている運動場に戻ろうと、なぜか小さく唸っているボンブと、校長室の前からネルテは歩き始める。
「ルドーとエリンジは今まで通り鍛えつつ、武器の扱い方も強化かな」
ネルテは顎に指をあてて、保護依頼を実行する可能性の高いルドー達の強化を考え始める。
今まで戦ってきた相手と違い、今回保護する対象は、古代魔道具を模した攻撃型魔道具を使っている。
ルドーは古代魔道具である聖剣が傍にいるので、多少は危険を察知はしてくれるだろうが、それでも規格外の武器を相手が持っていることに変わりはない。
トルポでの鉄線幹部との戦闘でも、攻撃型魔道具を使っている相手はいなかった。
つまりルドーとエリンジは、特殊な武器を持った相手との戦闘にはまだ慣れていない。
今はお互いで組手をして訓練しているが、お互いを良く知っている状況での組手。
逆に相手の動きを読みやすくなっているはず。
全く知らない相手と対峙するには、この対策方法だと厳しい。
かといって攻撃型魔道具を使っている人物は、エレイーネーでも限られる。
そしてその攻撃型魔道具の種類はかなりバラバラで、全ての相手と組手をしていては時間がやたらかかる。
それよりは、武器の基本的な動きを理解させて、どんな相手でも柔軟に対処出来るようにしたほうがまだ早い。
基礎と応用の魔道具の扱いの訓練、ルドーとエリンジはその方向で固めてみよう。
「リリアは魔道具で自衛出来るようになったけど、そもそも回復に特化した聖女だしねぇ。攻撃魔法もデメリットで使えないし、別方向に考えたほうがいいか」
兄であるルドーの隣にいることに、強くこだわっている様子のリリア。
ルドーの隣に居るために戦う方法を模索しているが、そもそもリリアは聖女、回復に特化している。
回復も出来る前線特化ならまだいいが、リリアはデメリットで攻撃魔法が使えない。
前線にはそもそも向かないのだ。
なにも隣で傍にいて、周囲を攻撃する事ばかりが傍にいる事ではない。
別のサポート方法考えたほうが、短期間で且つ強力なサポートが彼女には出来るはずだ。
その為にはサポート系の魔法や、その為の立ち回りに役立つ魔法を習得させた方がきっといいだろう。
「後カイムは、ライアとの魔力伝達の訓練だねぇ」
「……上手くいきそうか?」
「元々がお互い大事に思い合ってる家族だからね、ルドーみたいな例外もあるけど、フィレイアでの発動状況の報告から考えるに、大丈夫だと思う」
カイムとライアを心配するボンブに、ネルテは安心させるように笑って答えた。
カイムは後期から例外的にエレイーネーに加入した。
そのためそもそもパートナーが存在しなかったため、魔力伝達の訓練をまるでしていなかった。
あれだけ魔力が強力ならば、出来ないはずはない。
魔人族はそもそも、魔力伝達の存在については、詳しく知らなかったようだ。
だから魔人族内で魔力伝達の訓練はしていない、一から手探りする状況になるだろう。
ライアがカイムに透明化魔法でこっそりついて行ったと、ヘーヴから報告を聞いた時は度肝を抜いた。
だが結果を見れば、それによってカイムとライアの魔力伝達が成功した。
勇者になったライアの魔力は、魔人族でも突出している。
多すぎる魔力にライア本人が扱い切れない場合もあるが、カイムが魔力伝達でそれをサポートすることも可能なはずだ。
魔力伝達を訓練することは、なにもカイム自身が強くなることだけがメリットじゃない。
魔力が多いライアにとっても、魔力の扱いを学ぶ心強いサポートになるはずだ。
基礎訓練のために運動場に辿り着き、それぞれが必死に課題を進めようとアスレチックに挑んでいる所を、問題がないかとネルテは眺める。
先程考えた四人には、座学前か後にでも訓練について連絡するとして、そういえばとネルテはボンブの方を向いた。
「魔人族の勇者はライアになったけど、聖女の方は出てきたのかい?」
「いや、ライアの件でアーゲストに連絡を取って、慌てて調べさせたようだが、森の方にいる同胞からは見つからなかったそうだ」
「うーん、聖女の方はまだ女神の方で選考でもしているのかね……」
国に一人居るとされる役職、勇者と聖女。
そもそも女神というものが何で、どうやって役職を授けているのか。
改めて考えればよくわからないことが多い。
ネルテが受け持つ生徒にも、勇者や聖女以外に、役職を持っている生徒は多い。
「今回ライアが勇者の役職を授かったタイミングが奇跡的過ぎだ。女神もわかっててやったのかね」
「どうだろうな。女神は俺達同胞の先祖が、冤罪や口減らしで魔の森に放逐されたのを助けなかった。役職こそ授けてくるが、それで苦しんだ先祖の気が晴れるとも思わん」
一般的に、魔物による脅威に国の安寧を嘆いた女神が、勇者と聖女を一つの国に最低一人存在するように作られたとされている。
だがボンブの言う通り、危険極まりない中央魔森林に放逐された、魔人族の先祖を女神は助けなかった。
だからこそ魔人族では女神教は廃れた。
国として同盟国連盟に認められたため、勇者としてライアが選ばれたにしても、その選定基準は未だによくわからない。
人のためにあれという女神の言葉を、女神教は経典としている。
ならば狂信的に信じる女神深教の中での女神は、一体どういう存在になっているのだろうか。
「……はぁ、考えたって分からないことに思考を取られたって仕方ないか。今は生徒達に集中しないとね」
何を考えていても、結局のところよくわからない女神深教に帰結してしまう。
ならば対策方法が未だ見えないそのことを考えるよりも、生徒達の成長に合わせて課題を考えてやる方が有意義と言える。
ネルテは改めて生徒達を見渡す。
新たに訓練に参加するようになった、ライア、レイル、ロイズの三人は、相変わらず無尽蔵の体力で、アスレチックを難なくこなしている。
基礎体力は多ければ多い方がいい。
カイムに確認を取って、腕輪型魔道具を少しずつ強化していく方針にしてみよう。
体力に不安の残る組が未だにネルテには心配だ。
アリア、トラスト、ノースターがその主な状態に入る。
「うーん、落ちるたびにズンズンスタート位置に戻っている。確実に距離は伸びているし、アリアはもうちょっと体力付いたら化けるかな」
「負けず嫌いはこういう時便利なものだな」
聖女であるアリアはまだしも、トラストとノースターは未だに体力が成長しない。
二人共男子でありながら、体格は小さい方に入る。
「違うんだよなぁ、体幹のある相手を参考にしても、体幹が付いてないと動きがまず違う」
「参考にするやり方を間違えているな」
トラストは観測者を使ったりして、なんとか周囲のやり方を真似ようと心掛けたりしているが、トラストが自分自身のことをよく理解できていない。
これは観測者の欠点にもなりやすいが、観測者は周囲を観測ばかりしているせいか、自分自身を観測するという発想が出てきにくいのだ。
「トラスト! いい加減自分自身にも目を向けないか! 真似ばかりしたって上達しないよ!」
周囲の真似ばかりしていては、自分自身に合った鍛え方に、いつまで経っても辿り着かない。
直接言うのはあまり生徒の発想を促すのに良くないが、ここまで来たなら流石に教えたほうがいい。
「ダメだよノースター、そんなにこっち見たって! 魔法薬使わずに自力でやりな!」
「……魔法薬の瓶に手を伸ばそうと、片手になったせいで落ちたな」
ノースターはもはや基礎訓練は諦め気味で、授業の合間に身体強化薬を製造しようとしている。
最近はパートナーのカゲツがやたら声を掛けてきている様子だ、この分なら魔力伝達にも進展がみられるかもしれない。
アスレチックでの身体強化薬使用は論外なので、こればっかりは本人に頑張ってもらうしかない。
「アルスは要領がいいから問題なし。キシアは、ちょっと型にはまったやり方にこだわり過ぎてるかな、でも自力でなんとか対処出来てるしこっちも問題なし」
必死さこそないものの、アルスのアスレチックへの対処は的確だ。
特にこれといった欠点もない、いたって優秀な動きをしている。
キシアはどうにも学習本の動きを参考にし過ぎている。
それ自体が悪い事ではないが、どうにも柔軟性に欠ける。
ただそれで問題に直面するごとに、なんとか考えて乗り越えているので今のところはこれでいいだろう。
「フランゲルー、考えなしに突っ込むとまた落ちるぞー」
「落ちたな、ちょっと引き上げてくる」
「悪いね、やれやれ。体格が大きいんだから、勢いだけでなくそれも考慮しないと」
水に沈んだままぶくぶくと泡立ち始めたのを、ボンブが走り寄って救出している。
体格が大きいのにそれを考慮せず動いているので、そこさえ克服できれば体力面も鍛えられてコンディションとしては充分なのに。
「メロンとウォポンは元々運動神経がいいし、勘がいいから大分進んできたか。イエディはメロンを追いかけてるから、体力無かったのが大分マシになりつつあるな。カゲツもまだ不安部分があるが、まぁギリギリ及第点ってとこか。ヘルシュはウォポンの全力にようやく追いついてきたかな。ビタも一つずつなんとかクリアしようと色々試して進んでるから助言は必要ないかね」
フランゲルを引き上げたボンブが戻ってくるのをネルテは眺める。
少しずつアスレチックに慣れて、進むことが出来るようになってきていたが、ここはあくまでスタートライン。
必死に飛び交うエリンジやカイムのように、戦闘を想定しての動きにならなければこの訓練は意味がない。
「まぁ見本がいるから、その事実に辿り付けるのはみんな早いかね」
それぞれがアスレチックに取り組む様子をネルテは眺める。
全員が無事に戻ってきたからこそ、今の光景があるのだ。
そして今後も続けるために、生徒の安全のために、情報を掴まなければ。
「クロノが戻ってきて話してくれれば、一番簡単だったんだろうけどね」
自身の失態のせいで、信頼を勝ち取れなかった生徒に思いを馳せる。
ネルテは大きく息を吐いた後、またアスレチックに挑む生徒達にアドバイスを叫び続けた。




