番外編・ネルテ先生の生徒観察記録.8
魔力奪った襲撃者の情報が、よりにもよってシマスから報告されて、ネルテは頭を抱えていた。
シマスは元々魔力差別がどの地域でも少なからずある、その為ボンブと行動を共にするようになったネルテでは、現地の調査に向かう事が出来なかった。
どのみち要請が尽く却下されてしまっていたせいで、ネルテ以外のエレイーネーの人間も調査の為に現地入りすることを阻まれていたのだが。
「もう最初の襲撃の情報から一週間は経過して、犠牲者も増えているのに、シマスの上層は一体何をしているんだ……」
職員室にて書類事務を片付けながら、シマスからのほとんどなんの情報もないに等しい報告書を何度も眺めるネルテは、魔力伝達の都合で一緒にいるようになったボンブと共に、同じく書類を作成しているヘーヴ、マルスを眺めながら机に寄りかかって大きく溜息を吐いた。
「情報がまるで入ってきません、向こうも向こうで自力解決しようと躍起になっているようです」
「自力で解決できるならもうとっくにしてるでしょうにね、いつまで続くのやら」
「魔力を奪う奴相手に闇雲に魔導士けしかけたってどうにもならないだろうに、数に物を言わせて警備ばかり増やしてもね、住民が不安がってないといいけど」
シマスの魔力差別は歴史的に長く根深い。
しかもシマスは十年前、魔物暴走による国家崩壊未遂に終わった旧ヨナマミヤの領土を合併している。
三十年前魔物暴走で滅んだユランシエルの真横に位置し、隣国が滅んだことで恐怖していたヨナマミヤは、なんとか未然に防げたものの、魔物暴走の余波で疲弊して、当時のシマスより小さかったこともあり、安心を求めてシマスに合併案を出した。
シマスからすれば、断れば魔物暴走の被害に遭ったばかりのヨナマミヤの住民を見捨てたと世間からバッシングをくらうため、合併案をのむ以外の道はなかった。
そんな経緯から十年前に領土が広がったことで突如としてジュエリやソラウに次いで大国となったシマスだが、急に大国になったためにまだ国内の情勢が安定していない。
差別意識のある上層が合併した旧ヨナマミヤを同じ感覚で統治しようとしても、差別意識がそこまで根付いていなかった旧ヨナマミヤでは上手くいかない。
合併した為に安全と引き換えに内政不和をもたらして、その内政不和による上層の不満は更に魔力差別の方に向けられる。
旧ヨナマミヤが魔物暴走の憂き目にあったのは、彼らの魔力が少ないからだと、勝手にそう結論付けて差別対象とするようになった。
自ら懇願して合併した手前、旧ヨナマミヤは差別されたからやっぱり合併はなしにするとは言い出せない、その上シマスは差別こそするもののそのせいか魔力持ちの比準は高い。
合併することで魔物暴走の脅威から旧ヨナマミヤが守られるようになったのは事実なのだ。
そんな現時点でも差別と内政で不安定なシマスで魔力奪取事件、今ここでエレイーネーに頼ればシマスは今まで旧ヨナマミヤに対して横暴に振舞っていたのが一気に体裁が悪くなる。
また差別階級にいた上層が被差別される下層に叩き落される恐怖は現地民にしかわからない。
そういった様々な事情からシマスはエレイーネーの要請を断り続けているが、自国で解決しきれないならばそれも長くは続かないだろう。
「今は待ちです。心苦しいですがこちらからはどうあがいても動けない。今回の連続犯がリンソウの犯人と同一人物ならばどのみちシマスだけでは持て余す、国の体面を保ちつつ住民に押されて仕方なく要請を出してくるのを待つしかありません」
「そこはわかってるんだけど、問題は二人が耐えられそうにないところなんだよなぁ」
ヘーヴが再び書類業務に戻ろうとしたが、ネルテは溜息を吐きながら頭を抱えるように机に突っ伏した。
エリンジとカイムの焦りがどんどん酷くなってきている。
魔力が突如として無くなった絶望はその身をもって受けなければわからない。
完全に絶望して諦めきってしまっていたところに、リリアからの魔力伝達で何とか魔力を補充して使えるようになった事でその気を取り戻していたエリンジだが、小さな希望は逆に今まで当たり前に過ごしてきた魔力量に対する執着を生んでいる。
更に古代魔道具が同時期に盗まれたのも不味かった。
エリンジが友人として認識しているルドーの為を思っての行動が、結果的に今エリンジ自身に責任感として重くのしかかっていた。
ネルテは何度もジュエリの王族のせいだと告げて、責任はないと諭そうとしたが、なにをどう伝えても届かない。
会うたび会うたびシマスに調査に行きたいと訴えてくるエリンジだが、彼はシマス国内がどのような情勢か、学習本の内容だけでしか知らない。
今魔力が無くなったエリンジをシマスの調査に向かわせれば、現地住民に何をされるかわからない。
正面切って話す内容ではない為、なんとか遠回しに伝えようとしているのだが、どうにもエリンジ自身が焦っているせいでいつもの冷静さがなく伝わっていない。
「カイムは誰か監視を付けてくれ、このままじゃおおよそ突っ走るぞ」
ネルテと同行するようになってから、職員室で立ちっぱなしも何なのでと、ボンブが座れそうな大きめのソファを用意してからそこが彼の定位置になっているが、そこに片足を上げて座りながら、両腕を組んで顎を上にあげて小さく唸っている。
カイムは毎日の授業で中央魔森林に赴いてはクロノを一人あちこち探し続けているが、一番森に詳しいはずの彼がどれだけ探しても見つからないせいで一番気に病んでいる。
カイムの弟妹の三つ子、特にライアもクロノによく懐いていたために、突然の失踪に見ているこちらが心苦しいほどに心痛めている様子だ。
彼らは三つ子を攫われて奴隷にされていた経緯から、大切な相手を失う事に大きなトラウマがある。
クロノは攫われたわけでもなく自主的に逃げているだけではあるが、親しくしていた相手が突如としていなくなったために、おおよそ本人たちが思っている以上に精神に負担がかかっているはずだ。
「確かに大分参っている様子だけど、監視を付けないといけない程なの?」
「カイムはストッパーがいないとまずい。今までは察しの良いアーゲストや、それこそクロノが来てからはあいつが一番強く制止できていた。人間の世情に詳しいだけじゃない、周囲の様子をかなり見ていたからカイムの変化に一番良く気付いていた」
それでもカイムに余裕がなかったせいで止めきれないことも度々あったがとボンブが溜息を吐きながら続けて、質問したマルスが悩むように星の煌めく黄色い瞳をパチパチと瞬かせながら視線を落とした。
ボンブの話から、カイムがかつてと同じように余裕がなくなってきたが、制止する相手がいないせいで何をしでかすかわからないという事だろう。
「監視ねぇ、今のところルドーとリリアがよく見てくれてるけど、監視って言う程べったりしてるわけでもないからねぇ」
「何の理由もなく教師が四六時中監視するわけにもいかないものね、それこそカイムくんの警戒を無駄にあげちゃわない?」
「今警戒度を上げたらそれこそ本当に何をするかわかりませんね……、ボンブさん、なるべく見ていただいてよろしいでしょうか」
「俺の魔法とカイムの魔法はあまり相性が良くないから突っ走ったら止められないんだが……」
ボンブの魔法はネルテと同様、練り上げた魔力を固めて放出する方法を取るものだが、カイム相手だと強化して防御魔法を張った髪に防がれるだけで止めるに至れない。
同系統の魔法、しかも今は魔力が無くなって魔力伝達によって魔力を補充しているために以前ほどの威力が出せないネルテでもそれは同様になる。
まだカイムの理性が残っている内はアーゲストとボンブの二人掛かりで呼びかけることでなんとか止めることは出来るが、周囲が見えなくなるほど余裕がなくなった彼を止めることは出来ない。
ボンブはその点も懸念していた。
それを聞いたヘーヴも悩むように小さく溜息を吐く。
「なんだかんだ暴走する相手には物理で黙らせるのが一番有効的ですからね、そういう意味でもクロノさんはカイムくんと相性が良かったという事でしょうか」
「一番カイムくんの変化に気付いていたストッパーが逃げちゃったのね、アーゲストさんはまだ搬送やそれこそ魔人族の国のこととかでも色々あるみたいだから頼みきれないし」
「あの発光兄弟はどうです?」
「いやザックとマイルズは戦闘能力ないんだよ、二人に任せても良いように逃げられるのがオチだ」
ボンブの提案から誰か監視役にちょうどいい相手はいないかと三人思案するが、どうにも良いアイディアが思い浮かばない。
かといって今ルドーとリリアにカイムを監視してくれと頼んで、いい具合に築きつつある彼らの信頼関係に余計な懸念を与えたくない。下手をして亀裂でも入ればそれこそ取り返しがつかない。
結局授業以外でも教師たちで良く様子を見るようにする以外に方法がなかった。
「情報がないせいで進捗がなくて焦っているのでしょう、別方面の情報を与えてみては」
エリンジとカイムの様子にネルテが悩んでいると、ヘーヴが提案してくる。
どういうことかとネルテと一緒にマルスとボンブも視線を向けたので、ヘーヴは書類をさばいていた手を止めてボールペンでトントンと机を叩いた。
「何もクロノさん本人の居場所や襲撃相手の情報ばかりが情報ではありません。魔力がそもそもどうやって奪われたか、そちらの方面から調べるのも一つの手です」
「……魔力の根源か。ウェンユーの方もまだ忙しいみたいだけど、そうだね、連絡を取ってみるよ」
「マーはどんどん治安が悪化しています。ボンブさんと一緒にクランベリーも連れて行きなさい。結界魔法で自衛出来ますし、同じ聖女でウェンユーとも連携が取れやすい」
「わかった、声を掛けて同行しよう」
「ほんと色々助かるよ、ありがとう」
ヘーヴの発言にボンブが返事をしたので、ネルテがつい大きく笑いながら感謝を伝えれば、ゲホゲホと咳込んで顔を逸らされた。
ボンブの反応にネルテが怪訝思って見つめる横で、マルスがヘーヴに思いついたように声を掛ける。
「別方面からの情報ねぇ、ヘーヴ、同盟国連盟の会議、来週なかった?」
「……各国が対面する会議の場なら、のらりくらりと逃げ切ることは難しいと。魔力奪取の犯人ともなれば他国も逃げ込まれる可能性がある以上他人事ではない、おおよそ何かしら情報はつかめますかね」
魔導国連盟の会議は定期的に開催されているが、今回は貴族共和制となったトルポでの今後の方針や、王族の失態による賠償についての継続報告、またエレイーネーから手配のあった二人の詳細の報告などがある。
狙われた相手こそエレイーネー関係者であったものの、出現したのはジュエリだ。
今シマスで魔力奪取事件が起こっているならば、ジュエリから人知れずシマスにまで移動したことになる。
他国からしても自国に移動される可能性がある以上他人事ではすまない、だからこそ情報を渋っているシマスに会議で状況を問い合わせれば、情報を求めた他連盟国からも糾弾されるため黙り続けることは難しくなるという事だ。
「そちらは私が行きましょう、マルスも同行お願いします」
「あっちゃ、提案しちゃった手前断れないわね。寝ない様に努力しないと」
「お、結構そろってるな。報告したいことがあるんだけど今いける?」
ヘーヴとマルスが話していると職員室のドアがガラリと開かれて、ニンが中に入ってきた。
三年護衛科担任のラナムパと連携して千里眼魔法での調査報告を主にしている彼が職員室に入ってきたので、報告があるという事もあり全員が視線をニンに向ける。
「問題ありません、何か分かりましたか?」
「例のジュエリ王都で古代魔道具が盗まれた方に進展があった、しかもかなりまずい方向に」
「ラナムパがなにか突き止めましたか」
「千里眼魔法で隈なく王都周辺を見回った結果、どうやら今回の組織は鉄線の残党だと分かった」
ニンの報告にその場の全員が険しい顔に変わった。
さらに続けたニンがラナムパから聞いた報告によると、既にもぬけの殻だったものの、千里眼魔法でおおよそ鉄線の残党と思われるジュエリ国内での潜伏場所が多数発見され、ジュエリでの古代魔道具強奪はかなり前から長期に渡って計画されていたことが判明した。
中央魔森林での鉄線殲滅戦よりも以前から潜伏していた為、殲滅戦の範囲から外れてしまっていたのだ。
「……同胞を攫い、カプセルを作った連中、だったか」
「頭に幹部もほとんど捕まえて、戦闘員もおおよそ捕縛したはずだよ。まさかまだ組織として動ける余力が残っていたなんて」
一際厳しい顔をしたボンブが唸るように低い声を出し、魔力伝達に協力してくれている彼にネルテはつい肩身を狭く感じてしまう。
殲滅戦にて逃した幹部は僅か二名、その幹部が残党組織を動かしているのか、それとも全く知らない新しく台頭してきた者がいるのかは定かではないが、わざわざ王宮を襲ってまで古代魔道具を盗み出すような動き、かなり統率が取れていないと難しい。
つまり今残っている残党組織はかなりの規模とみてよかった。
「一応ラナムパ経由で三年から既に同盟国連盟の方に警戒警報出してる」
「他にも同じように潜伏されている可能性がありますからね、逃走経路などは割り出せましたか?」
「見つかったのは潜伏先だけだ、そこから経路を割り出そうとしているが、潜伏先に転移門があったせいでどこに逃げたのかも不明になっている」
「転移で逃げられましたか。転移先を指定から外されるようにされてるでしょうし、こうなると捜索は困難極まる」
「もしそいつらが見つかったなら、一掃の際は呼んでくれ、どうにもやりきれん」
腕を組んで唸るようなボンブの低い声に、ネルテがヘーヴに視線を向ければ、顎に指を当ててしばらく思案した後、ネルテの方を向いてゆっくりと頷いた。
当事者である魔人族達の知らぬ間に行われた鉄線殲滅戦において、人攫いをしていた組織が壊滅した事に彼らは安堵こそしているものの、受けた理不尽に対する怒りは抱えたまま抑え込んでいたのだろう。
当事者であるはずの彼ら魔人族が鉄線の残党を一掃する戦闘に参加できたと彼らに伝われば、少なくとも多少なりとも溜飲は下がる。
「あくまで捕縛が主です。その際はネルテと同行してください」
「受け入れ、感謝する」
きっとまだ収まりが付かない思いもあるだろうが、ボンブはとりあえず提案を受け入れたことに感謝の意を表してきた。
そのままボンブがどっかりとソファに沈み込んで腕を組んだまま考え込み始めたので、ネルテはニンの方に向いて、ラナムパに頼んでいるもう一件について質問する。
「クロノの方は何か進展はなかったかい?」
「そっちはダメだ。ラナムパでも今までここまで全く情報がまるで見えなかったこともないらしい、物凄く躍起になって探してるけどまるで見つからない」
ラナムパに同時に頼んでいた、リンソウから逃走したクロノの千里眼魔法を使用しての捜索。
対策会議からそのまま千里眼魔法を駆使して、リンソウから別れる三つの道を同時展開して念入りに形跡がないか見ていたのに、全く何も分からないそうだ。
探索特化のラナムパがここまで何も情報を手に入れられないことはなかったらしく、プライドが傷付いたのか、付き合いのある三年教師が見たことも無いほど焦ってムキになって探しているらしい。
転移魔法を使っても、魔力の残滓は残る。
だからこそ、転移魔法で逃げたなら千里眼魔法を使い慣れたラナムパならその痕跡も見える。
要するにいつも通り魔法を全く使わずに、誰にも見つからず脚力だけで逃げている可能性が高い。
クロノがエレイーネー内で全力を出したことはないとネルテは見ている。
体力づくりの基礎訓練でさえ、ベテランの魔導士でもこなさないような異常な設定がされているのに、毎回最初に終わらせている。それもかなり涼しい顔で。
つまり全力で逃走した際の彼女の力量が分からないのだ。ひょっとしたら千里眼魔法でさえ捉えられない程の速度を出している可能性さえある。
クロノさえ見つかってくれれば少なくともカイムは落ち着くし、情報が進展したとエリンジの方も冷静さを多少取り戻すだろうに。
一生徒であるはずのクロノの信頼すら得ることが出来なかった事実に、ネルテは気落ちして下を向いた。
「今まで待ってた付けかな、もっとちゃんと話し合って向き合うべきだった」
「生徒を信じて待つと判断したのは間違いではないはずです。それに今回は外的要因、それがなければ結果は変わっていたかもしれません」
「実際クロノは問い詰めてもなんだかんだはぐらかして逃げる。俺の役職からそこに悪意はなかった、なにか理由があるんだろう。待つことが最適だったはずだ、そう気にして落ち込むな」
気落ちしたネルテにヘーヴとボンブが励ますように声を掛けた。
マルスとニンからの心配そうな視線を感じてネルテは机から起き上がると、パンと両手で頬を叩いて、ウェンユーと会うために通信魔法を取り始めた。




