1-04 絶世の天才退魔令嬢は禍ツ神に愛を囁く
神代にまで遡る起源を持つ退魔の名家《空木宮》家。
次期当主に内定している天才令嬢《珠媛》は、遥か昔に祖先が封じ、今日まで代々その封印を守ってきた存在、美しき青年の姿をした禍ツ神 《セイ》を欲した。
珠媛は誰よりも美しくも気まぐれで身勝手、理不尽でありながら、圧倒的な力を持ち、誰一人逆らうことができない。そんな彼女は、大胆に傲慢に愛しの禍ツ神へと愛を囁く。
「アナタはただ私だけを見て、私が与える愛を享受すればいいの。それ以外は何も必要ないわ」
「ふざけるな断る」
「ふふ、抵抗するだけ無駄なのに可愛らしいこと……」
いまだ、秘めた願いを胸へ隠したままに——
そこは薄青色の花弁を持つ妖樹の桜が、一年を通して咲き続ける封魔の庭。
そんな妖樹の桜吹雪の中、まるで鈴を転がすような美しい声が、静かに、しかし確かな存在感を持って響き渡った。
「これが気に入っちゃったの。だから私のモノにするわ」
そう宣言したのは、十代半ばの至極美しい少女だった。透けるような白い肌に、薄く色付いた桃色の頬。長く伸ばしたサラリと流れる髪は鴉の濡れ羽色で、その妖しく光る目は深い真紅色であった。
そんな彼女はとある儀式のために立派な装束を身に着けて、かなり着飾っている。その優雅さと美しさは最早一つの芸術作品のようですらあったが、今はそんな彼女の美しさに気を払う者など一人も居ない。それ以上に重大な問題へ、直面しているからである。
「何を仰っているのですか珠媛様!!」
「次期当主に内定していると言えど、そんなことは許されませぬ!!」
「空木宮家が代々封印を守ってきた禍ツ神に手を出すなど、なんて迷い事を……!!」
そう口々に叫ぶのは、空木宮家へ代々仕えてきた家臣たちだ。
彼らが今日ここにいる理由は、他でもない珠媛を空木宮家の正式な後継者に定める儀式を行う予定だったからである。
この封魔の庭は、禍ツ神を封印した大樹を中心に、後から封印を補強する妖樹の桜や、その管理のための御殿が建てられたような場所で、特に空木宮家の重要な儀式の際にはここへ関係者が集められた。
そんな儀式の開始を目前にして、当の珠媛が無茶なことを言い出したので、居合わせてしまった家臣たちは、大いに混乱した。
「ええ、そうね禍ツ神ね……名前は確か《セイ》とか言ったかしら?」
よりにもよって珠媛が欲したのは、神話の時代に遡るほど昔、空木宮家の祖先が或る神とともに封じ、今この時まで代々封印を守ってきた禍ツ神だったからだ。
◆◆◇◆
かつて権勢を誇った幕府が滅び、帝を中心に据えた新しい政府が生まれて、やや時が流れた頃。元号も改まり永治と呼ばれるようになってから約20年が経過していた。
空木宮家は、その起源を神代に遡るほど由緒ある家系だ。
その所以というのが、かつて災いを齎した悪しき禍ツ神を、善き神と共に退魔の力を持って封じたと言うもので。その能力と実績が時の帝から高く評価され、以後は朝廷、幕府、新政府と続けて召し上げられることになったのである。
このように国内でも上から数えた方が早いほど、由緒正しい家系であるが。次期当主に内定している少女珠媛は、そのような長い歴史を持つ空木宮家の中でも、特異点とでも言うべき存在であった。
「なりません……!!」
「私がそう決めたのよ。お前たちの意見など不要だわ」
非難の声を上げる家臣たちに対し、珠媛は傲慢とも取れる態度でそう言う。
珠媛は空木宮家を起こした始祖を除けば、間違いなく一番の天才だろう。それは、彼女を知る誰もが認める事実である。その自負があるからだろう。珠媛は決して誰にも従わず、常に自分のしたいように振る舞う。
「次期当主、いえ例え当主と言えども、我々の意見を完全に無視することなど許されません」
「そうなの……じゃあ、いっそ全部無くしちゃおうかしら? 家臣団」
珠媛がまるで冗談めかした口調でそう言った瞬間、その場の空気が凍り付く。何故ならば皆、それが冗談ではなく、珠媛にとって本気で実行できる行為だと知っているからだ。そしてそれこそが、彼女が好き勝手に振る舞える、最大の理由でもある。
まだ当主でもない彼女だが、珠媛は容易に家臣団を潰せるだけの力を持っているのだ。
「おい珠媛、いい加減にしないか。皆を困らせるでない」
「あら、お兄様」
そんな殺伐とした空気の中、割って入ってきたのは、珠媛の兄であり空木宮家の嫡男でもある正辰だった。真面目な人柄の彼は、妹が起こした騒ぎを聞きつけて、わざわざここまでやってきたのである。
しかし当の珠媛は、やや面倒くさそうな表情をしただけで、当然のように黙らない。
「次期当主の座を奪われた負け犬風情は、悪いけども黙っていて下さらない?」
「っ……」
そう、本来の空木宮家の跡取りは正辰のはずだった。今までの慣例から言っても、嫡男である彼が当主になるのが必然だ。しかしあまりに圧倒的すぎる珠媛の力を前に、その慣例すら曲げられて、彼女が跡取りになることが決まってしまったのだ。
それほどまでに、珠媛の存在は規格外で異質だった。
「なんにゃ、また揉めているのかにゃ?」
続いて、そんな言葉と共にそろりと建物の屋根の上から飛び降りてきたのは、美しい黒い毛皮と二股の尻尾を持つ猫だった。その猫は片方の尻尾の先に鈴を結えており、時折シャランと音を鳴らしていた。
「あら、シノ遅かったじゃないの」
「儀式には間に合ったのだから遅くないにゃ、使い魔としての義務は果たしてるにゃ」
シノと呼ばれた黒猫は、あくびをしながら家臣たちを一瞥すると珠媛へと向き直る。
「それよりも、こいつらはまたスズエに盾突いていたのかにゃ? 弱いくせに身の程知らずの連中だにゃ」
「そうね、また分からせて欲しいのかもしれないわね……」
珠媛の何気ない言葉に、家臣たちの顔色はドンドンと悪くなっていく。
今でこそ、家臣団から満場一致で後継者として認められている彼女であるが。実は以前までは、反対意見を唱える者も少なくなかった。
その理由は、まず第一に正式な後継者である嫡男がいること。そして第二に彼女が女であり、女の当主の前例がないこと。最後に彼女自身の自由奔放な性格を理由としてあげていた。
そんな反対派の家臣の中でも、強い発言力を持ち、強固に珠媛と対立した一つの家門が存在した。そしてその非難は後継者候補としてだけには留まらず、空木宮家の人間としての資質さえも疑うようなものもあった。
そんな家門がある日、一夜にして消え去った。それは比喩ではなく文字通りの話で、その家門に属する人間が、何の痕跡も残さずに突然全て居なくなってしまったのだ。
まるで神隠しにでも遭ったかのように消えてしまった彼ら。珠媛との確執もあったことから、彼女に聞き取りを行ったところ、珠媛はただ一言こう答えた。
『目障りだったから』
その話が広まった日から、珠媛の機嫌を損ねてはならないことは、暗黙の了解となり、自然と全ての家臣が後継者へ推挙するようになった。
そうして誰も彼女に強く出られなくなったのである。
「め、滅相もない……我々はただ」
「ふわぁ~人間の言い訳なんて聞いても眠くなるだけだから、黙っていて欲しいにゃ」
「そうね、私もただ黙って従って欲しいわね」
珠媛がそういうとその場の家臣たちはビクッとするが、本人は彼らに興味はないのか、くるりと向きを変えて歩き出す。行く先は他でもない、封魔の庭の中心、禍ツ神の元へ。
封印の周りには、人の侵入を拒むためか膝の高さ程の縄が張り巡らされているが、それを簡単に乗り越えると、ひと際大きな樹木に縛るように封じされた禍ツ神の前まで歩み寄った。
封じられた禍ツ神は長い歳月を経て、大木に身体を巻き込まれるような形になっていた。
その見た目は人間に近く、その面持ちは曲がりなりにも神というべきか、圧倒的美貌を持つ珠媛と比べても遜色がない。真っ白な髪に、人ではない異質な雰囲気を纏う、至極美しい青年。そんな彼は、その身体のいたるところに、封印のためと思われる札が大量に張り付けられている。その数の多さと厳重さこそが、彼の力の危険さを示していた。
「珠媛様いけませんっ!!」
背後で声を上げる家臣をよそに、珠媛は「これを取れば意識が戻りそうね」と呟きながら、禍ツ神に張り付いている札の一つを引き剝がしてしまった。
その瞬間、臣下たちから悲鳴のような声が漏れるが、当の珠媛は気に留める様子もない。
「う、うぅ……」
「ふふ、上手く意識が戻ったみたいね?」
うめき声を出す禍ツ神に、珠媛は嬉しそうに微笑んだ。しかし一方の禍ツ神は、いきなり近くにいる見知らぬ女のことを警戒する。
「女、お前……誰だ、人間か」
「あら、一体どう見える?」
珠媛は逆に問いかける、感情の分からぬ妖艶な笑みを浮かべながら。
「……人間以外、なっ……ぐっ」
——なんだ、これは、断片的な記憶が頭の中に……!!
禍ツ神の頭は、激しい頭痛と自身でも理解できない記憶の奔流に襲われる。大量の情報は凶器のように、彼の脳内を引っ掻き回した。
「まぁ何千年も寝てたのだもの、調子が悪いのも当然よね」
樹木に縛り付けられてロクに動けないまま悶える禍ツ神を、珠媛は冷静に観察する。そうして彼の苦しみが収まったところで、彼女はにっこりと笑いながらこう言った。
「それじゃあアナタは、私と結婚しなさい」
「は……何をいってるんだ」
「言葉通りよ。ずっと寝てたとはいえ、結婚の意味くらい分かるでしょう?」
珠媛はおちょくるような口調で、禍ツ神に問いかける。いまだ本心の読めない、底しれぬ笑みを湛えたままで。
「ふざけるな、なぜお前のような人間の小娘と我が……!!」
更に言葉を続けようとしたところ、珠媛の細い指が禍ツ神の口元へ伸びてきた。唇に触れそうなその指に、彼は意図も分からないまま、戸惑いから思わず口を閉じてしまう。
それに満足した様子の珠媛は、その指をどけると、そのまま流れるように禍ツ神の唇へ自分の唇を重ねた。そう口付けをしたのだ。
その事態に、珠媛以外のその場にいる者ら全員が唖然とした。
やがて珠媛がゆっくりと重ねた唇を離す。すると——