1-03 箱庭のジェミニ・ドール
――長寿化に伴う地球規模の人口爆発。
狭苦しい地球の中で、人類はあまりに数を増やしすぎていた。土地や資源をやりくりしてどうにか生き延びているが、それも限界が近づいている。
二十歳の佐倉 玲斗は、そんな世界に暮らす一般人だった。
『箱庭への移住者は、税金が大幅に免除されます』
政府の発表に、人々は沸き立った。
移住者は生命維持装置に肉体を預け、小さな人形と感覚を同期しながら、ゲーム世界を再現した〈箱庭〉で暮らすことになる。元からゲームが好きな玲斗に、移住をためらう理由はなかった。
しかし、あれから五年。玲斗は心が擦り切れて、もはやゲームを楽しめなくなっていた。
そんな中、一人の少女との出会いが、玲斗の人生を変える。怪しげな陰謀論は、思いもよらぬ方向に燃え広がり、やがて人類全体を巻き込む大騒動へと発展していって――
――ゲームというのは、非日常を楽しむことにこそ意義がある。
俺は最近、そう考えるようになった。
というのも、ゲームが日常になってしまったこの世界では、かつて楽しんでいた行動すべてが「生活」になり、難易度の高いクエストは「面倒くさい仕事」になってしまうからだ。ゲームをゲームのまま楽しめた頃が、今となっては懐かしい。
「最初はギルドに来るだけで心が踊っていたが」
うんざりしながら、生活のために仕方なくハンターズギルドにやってくる。
するとそこでは、見覚えのある男がなにやら珍妙な姿で立っていた。装備しているのは毛皮の腰巻きだけで、上半身は裸。笑顔でポージングをして、鍛え上げた筋肉を自慢げに見せびらかしている。なんでだ。
「うーん……蛮族?」
「どんな挨拶だ、レイト」
「いや、その格好。初心者でももう少しマシな装備をしてるぞ」
こいつは五年前、俺と同時期にこの箱庭「ビースト・ハンター・ガーデン」にやってきた久村という男だ。
俺の視線に久村は「バカお前、これにはちゃんとした理由があんだよ」と、鼻息を荒げながら語りだす。
「メタルレックスを逃がさないように狩る方法を考えたんだ。いいか、まず防御を薄くして奴の攻撃を誘発するだろ。そこで登場するのがこの〈反撃の腰巻き〉だ。こいつの反撃効果で、奴は与えたダメージの半分を受ける。つまり、俺の防御力が低いほど、奴が自滅する可能性も高くなるってわけだ」
「捨て身の作戦すぎないか? 回復薬があっても、痛いもんは痛いだろ。確かに俺達は本体ではないから、何回死んでも大丈夫ではあるが」
「良いだろ別に。何回かに一回でも作戦が成功すりゃ、討伐報酬がまるまる手に入るんだから――」
まぁ、こうして死ぬ前提の作戦を立てることかできるのは、俺たちの身体が生身ではないからだがな。
双子人形。
それは自分とそっくりに作られた精巧な人形で、脳内デバイスを介して記憶や思考がリアルタイムに同期されているものだ。しかし、本体と人形では大きく異なることがある。それは――サイズだ。
人形の大きさは元の身体の100分の1程度、つまり身長2センチに満たない小人の姿をしている。まさに、箱庭で暮らすために作られたような人形と言っていい。
「――今日はこの久村式メタルレックス狩りの有用性を証明してやろうと思ってな」
「デスペナルティが重くないか?」
「はっ、ロマンの方が重いに決まってんだろ」
そうして、久村は誇らしげに鼻を鳴らす。
このゲーム世界の元になった「ビースト・ハンター」シリーズは、かつては仮想空間にダイブして遊ぶ種類のオンラインゲームだった。
しかしVRの仕組み上、リアルさを追求するのにも限界がある。どんなに工夫をしても、現実的な計算量では五感の解像度が低すぎて、「作り物」感が拭えなかったわけだ。
そんな時に、停滞気味のゲーム業界を一変させた新技術こそが双子人形だった。
物理的に作り上げた箱庭に小さな人形で入り込み、感覚を同期させながら遊ぶ。この技術によって、ゲーム市場は瞬く間に塗り替えられた。VRと段違いにリアルなのは、改めて語るまでもない。
「ところで、レイトは何をするんだ?」
「そうだな……ほどほどに採掘でもするか」
「まぁ、鉱物を探すのもロマンではあるが」
残念ながら、俺が採掘を選択する理由はロマンではない。単純に、作業時間あたりに得られる報酬が良いというだけだ。ある程度の金が稼げれば、俺はそれでいい。
「もったいねえなぁ。レイトはせっかくゲームの才能があるんだから、楽しめばいいものを」
「……俺にそんなものはないさ」
仮にゲームに才能なんてものがあるなら、それはプレイングスキルじゃない。久村のように「この世界を楽しみ続ける」ことを指すのだろう。
不満げな久村に背を向けた俺は、採掘依頼のクエスト票を手にとって、受付カウンターへと向かっていった。
◆
のんびりと採掘をしながら、物思いに耽る。
佐倉 玲斗、二十五歳。
俺がこの箱庭にやってきたのは五年前だが、当時は色々とアルバイトを掛け持ちして忙しくしていた。
『――日本政府はこの度、移住推進委員会を立ち上げ、箱庭世界への移住をスムーズに進めるための政策協議に入りました』
報道動画やSNSでは、日本の動きが諸外国よりも遅れていることに不満の声があったが、反対する声はほぼなかった。その理由は、人類が大きな危機に直面していたからだ。
――長寿化に伴う地球規模の人口爆発。
医療や義体技術の進歩により、人はよほどのことがなければ死なない身体になった。
その昔はボケ老人が大量発生して大変だったようだが、俺の世代は生まれた時から脳にデバイスを埋め込まれているから、そんな心配もない。
全体として見れば出生率は下がっているらしいが、そもそも死亡率があまりに低すぎる。そうして人類が増え続けるとなると、問題になるのは……そう。土地や資源の枯渇だ。
宇宙開発がほとんど進まなかった影響も大きい。というのも、各国が足の引っ張り合いをして世界大戦が起きかけた結果、今では「月に行かない国際条約」なんてアホなものまで締結されているのだ。もちろん、気候変動、海面上昇、砂漠化なんかで人が住める土地がどんどん狭まっているのも問題を深刻化させている。
そこで白羽の矢が立ったのが、双子人形の技術だったわけだ。
『――箱庭移住の推進政策として、移住者には大幅な免税をする方針で各党が合意しました』
税金の免除については、本当に大きな話だった。
今の税制で国民の大きな負担になっているのが「面積税」で、一人あたりの生活面積に応じて税金がかかる。俺は家畜小屋のような狭い部屋に一人暮らしだったが、それでも月に数万円は徴収されるのだから、生きていくだけでも大変な出費だ。
そんな中、双子人形の身長は100分の1。居住面積で言えば1万分の1で生活できることになる。単純に計算しても、面積税が数円しかかからず、さらには他の税金も色々と免除になるというのだから、家計に与える影響はかなり大きい。
一方で、人々に移住を躊躇させる要素もあった。
『――移住すると、身体は生命維持装置に保存されて取り出せなくなります。元の生活に戻ることはできません』
それが理由で、資産家の中には移住を拒む者が少なくなかった。
まぁ、それでも大半の一般人は歓迎していたがな。外に出られないといっても外部との通信はできるし、遺伝子情報から子どもを作るサービスもある。それほど「閉じ込められている」感はない。
「だからって……やっぱり早々に移住を決めたのは失敗だったかなぁ」
俺は両親が離婚してからずっと一人で生きてきた。しかし、どれほどアルバイトをしても、そのほとんどが税金で消えてしまう。ギリギリの生活をしていた俺に、移住以外の選択肢などなかったが。
ピッケルを振るっていると、ため息が漏れる。
最初のうちは良かったんだがな。ゲーム内イベントにも積極的に参加して、鍛え上げたプレイングスキルで称賛を浴びるのは気持ちが良かった。だけどその感情も、ずっとは続かない。
『――ねぇ、そんなに楽しい?』
俺を射抜く、妙に冷めたアイツの視線が、心に棘のように残っていた。
日常を忘れるためにやっていたゲームが、そのまま日常になる。人生は色褪せて、俺はいったい何のために生きているのか、今はもう分からなくなってしまっていた。
◆
採掘依頼をサクッと終わらせて、ホームに設定している「スクナビコナ市」へと帰還する。すると。
「――皆さん、騙されていたんです!」
噴水の近くでは、高校生くらいの女の子が道行く人に何やら叫び散らかしていた。
「お願いです! 聞いて下さい! 日本政府は皆さんを騙しているんです!」
あぁ。いわゆる「陰謀論」ってやつだな。こういう類の奴らは、みんな似通った主張をするんだ。
曰く、日本政府に騙されている。俺たちの身体はとっくの昔に処分され、意識は人工頭脳に移植されている。生きていると思い込んでいるだけの屍なのだ、と。
まぁ、信憑性の欠片もないがな。
そもそも双子人形の技術は本体と同期することで成り立っている。本体が死ねば人形は動かなくなるのが道理だ。彼女の荒唐無稽な話に、足を止める者はいない。
「――処分場をこの目で見てしまったんです! だから私は、この箱庭を壊し、皆さんを外の世界に解放します! どうか一緒に戦ってください!」
へぇ、それは面白いかもしれないな。
陰謀論を信じる気にはとてもなれないが、外に出るという話には興味がある。ちょうど、惰性でこの世界を生き続けるのにも飽き飽きしていたことだし。戯れに接触してみるか。
「滅多なことを口走るな」
「へ? あ、あの……」
「そんな大それたホラ話、遊びでも言うもんじゃない。お友達との罰ゲームかもしれんが、GMに通報されたらテロリスト扱いだ。最悪極刑だぞ」
そして、俺は彼女にだけ聞こえるよう呟く。
「――詳しい話を聞きたい。場所を移そう」
これが、俺と彼女の出会いだった。
この時の俺にとっては、ちょっとした暇つぶし程度の感覚だったが。まさかここから、人類全体を巻き込むような大騒動に発展するなど、この時の俺は欠片たりとも想像していなかった。