1-22 猫も杓子もV妖封演舞
このごろ旺蓋町には妖怪が多い。
そんなことも知らずに〈扇かなめ〉は亡くなった祖父宅その地へと逃げるように越してきた。
ところが猫屋敷と化したそこには既に住人がいて、「待ってたぜ、家主」と言う。
彼は扇家に伝わるある呪物を探していた。見知らぬ住人に迫られ逃げるかなめを妖怪が襲う。そのとき“お守り”が光って――
負け犬女子高生は化け猫男子高生に出会って祓って妖のてっぺん⭐︎目指す。
「ひれ伏せ魑魅魍魎共!」
やうやう白くなりゆく吐息、死に際考えたことは
目立たないよう間違えないよう生きてきた のに
せめて普通になりたかった のに
ではなかったのです。
「………たい」
まるで私を守るように戦う背中をぼんやり眺めながら自分のしようのなさに涙が流れ落ちました。
(栗のったパフェ食べたい)
V
平成御世もいくばく経つころに、F県A市の旧祖父宅へと私は越してきました。東京都内の進学高校に在籍していましたが、簡略するとドロップアウトしたのです。夜逃げも同然でした。
私は郷愁の念に囚われていたのです。幼き頃だだ広い木造屋敷の縁側で、陽に照らされてぽかぽかと、祖父が言った言葉に。
――かなめはめんごいうちの宝じゃあ。ずっとおったらええ。
ととんととんと電車に揺られ、寂れた駅舎を出れば横切る黒い猫、は不吉の兆だったのか。
祖父宅へ辿り着くと、そこは猫屋敷でした。
にゃあ。にゃあ、にゃあ。
にゃあにゃあにゃあにゃあにあにゃあああ
んくん、と唾を呑み込んでそれら大群が認識のへりから崩れ落ちるのをとどめます。
そうして猫只中に居る、着流しの、青年に問いました。
「誰?」
いえそれは心の声に違いなかったのですが、彼は、ぼうっと茜空に向けていた視線をこちらに流して笑んだのです。
「待ってたぜ、家主」
黒髪に切長の目けれども八重歯は少年らしく、不思議でした。
私は不思議には口をきけるのです。
「ただいま」
彼は、妖なのでしょう。
湯気がほわりと肌を撫ぜ、一粒一粒がぷくりと輪郭を持ちこし光る。口中噛めば甘みまろび出て、胃に落とせば腹のふくれる多幸感。
やはり米。米だけで米が食べられる。マイしゃもじで二杯目をお椀につぎむくむくと味わいました。
「しゃもじ持ち歩いてるのか」
「ええ」
ここでぎょっとしたりオカシイだとかオモシレエだとかの素振りを見せないあたり、やはり人間ではないのでしょう。人の間で生きていたら普通からの逸脱には気づくでしょうから。
ここは小上がり畳の四畳半。台所脇の古くは使用人室のところです。ちゃぶ台と炊飯器と丸型蛍光灯が半ば露わになった吊り下げ照明。嵐がきたらどれもカタカタと一様に揺れそうな。祖父の生前最後はここを生活の中心とした佗しいものだったろうかと今更ながらに偲びました。
いやそれとも――
ちゃぶ台向かいにあぐらをかく、得体知れない彼をちらりと覗きます。
(出ていってくれないかな……)
穏便に。私の独断と偏見でひとでなしと決めつけていますが、これは、人間だったら空き家に棲みつくやべえ奴だし、ならざる者だったらここまで人間に擬態し、撒き餌とする怪異だろうからです。
カッチコッチと刻む古時計、ここから風呂就寝とより無防備性を増すと考えるとここらで切り出さなければ。茶碗もうひとつに米をつぎ、箸を揃えて突き立て差し出しました。お、と声震えながら顔を伏せて言い切ります。
「おかえりください」
「やだね」
泣きそう。断られた。もうだめだ〜〜たぶん喰われる。こわいよ〜
「それを言うなら、おあがりくださいだろ」
彼は手を合わせていただきます、といい私はヒィとしゃもじを盾にしました。けれど彼は普通に箸を用い飯を食べ出しました。
「かなめ」
とそうして何気のない会話の始まりのように、私の名を呼んだのです。
「覚えてねぇのか」
私は妖に耳を貸すまいと塞ぎました。
「……どうでもいいけどよ」チッと彼は舌打ち、ジクリと私も胸に痛みを覚えます。
「扇は返してもらう」
「扇……?」
と言われて思い浮かんだのが、ご先祖様の話です。
遡ること平安時代。都は妖怪による大災厄に見舞われ、さる陰陽師により封じられた。しかし完全に滅すること叶わず、その頭目妖怪の皮と骨をもって扇をつくり、舞を納めることで鎮め奉った。その巫女こそが、“扇”氏の興りである。
またその強い呪力をもつ妖扇により、妖怪を祓ってきた……
「という神社経営もとうとう厳しくなっておじいちゃんの代で畳んだと聞いております」
「それで“扇”はどこへいった?」
「あるなら神社かこの家ですかね」
彼の不貞腐れた視線が無かったと物語っています。そうかそうかそれで家捜しのために居たんですね。
「とぼけるなよ、お前が引き継いだんだろう」
「私が相続されたのは、」きゅっと拳を握ります。「この古びた家だけです」
元凶といっても差し支えない。これがあるために家でも肩身狭くなり続けた。
「どうして私に」
「扇家の結界を越えて入ってきた。血だろうよ」
「そんなの、いらなかった」
とんッと刹那彼はちゃぶ台をかろやかに越えて、いとも容易く私は畳に組み敷かれていました。
「それなら俺が貰おうか」
ゾゾゾ、と全身粟立ったのが先で、頬に感じたしめり気、写る赤。私はしゃもじを引っ掴み、ぺしん、と顔をひっぱたくと「ひえええ」と二三転びながら走り出しました。
お化けってなんで、なんでお化けって、
したでなめる
の〜〜〜〜⁉︎
「あ、あっ、あああ〜〜〜」
こわいやらけがされたやら、私は半狂乱で夜の町を駆け抜けました。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ」
見上げればぼんぼりのようにまぁるく血を薄めたような朱色の月。どこまでも追ってくる。
逃げたってなんにもならない。というか逃げ場なんてない。だって私が逃げたいのは――
うぞうぞうぞと直下をなにか這うようにアスファルトが盛り上がりひび割れる。私の目の前で止まり、ごぼぉっと硬い破片を散らして、持ち上がる。数節だけでブロック塀を越える大百足。長い触覚の間にお面のように取り憑いた、人面。
「うぐっ、う、うう〜〜」
へたり尻をつき嗚咽する。キシャアアと一対の巨大な顎鋏が迫りきて、生理的抵抗のためぶんと腕を振りました。
ペチッ
虚しい手応え、と思いきやそのままムカデの上体は爆裂千切れてふっとんでいきました。
「へむ」
間抜けな声がでて、ふとすると手に持つのは白光するしゃもじ、たらりと滴るこれはもしや百足の体液。
「ぎょえっ」
ぶんっと放るとたちまち無数の百足が背を這うゾゾゾゾゾゾゾゾゾゾゾゾゾゾゾゾゾクリとした悪寒が走り、後悔しました。
『決して肌身離さず
持つんじゃ ぞ
覆水!
アアア
無数の百足に囲まれて四面楚歌
ばっちいひゃっこい
ひとりひたひた死ぬまでも
アア
ムカデの触覚がうぞうぞ踊ってゐる。
そうだそうだよねさっきは私が殺したんだから ひとまわり小さなムカデ、その人面を見て私は黒い毒牙を腹に突き受けました。
血だ臓物が熱い
無念なにが無念
ニャア
黒い二又の尾が揺れる
目の前を縫うように目の上を舞うように
ひらりひらひら黒い線が飛び交うごとにバラバラと節が途切れて落ちていく。牡丹のようにボタボタと首が落ちて事切れていく。
黒い二振りの刀は柄のない刺身包丁のようでした。これ以上なく研がれた剥き出しの
ニャッハハハと切り裂きながらその獣は嗤っている。
やめて やめ もういいから
瞬く間に最後の大一匹は、けれども切っても切ってもまた節繋がる。飽くなき終に大きく飛び上がり二刀振りかぶりズザザザザザと
「ひれ伏せ魑魅魍魎共!!」
三枚に下ろされました。ビクンビクンとのたうつ其れに背を向けて 彼は しゃもじを拾ってカランコロンと近づいてしゃがみ赫い瞳で
「舞え、扇」
しゃもじの端と端を持ち合って、つたってナニカが私のナカに入ってきて、しゃもじの下から幾重にもしゃもじが連なり出でて、私の手がパラリとその“扇”を開く。
朱いぼんぼりの夜無数に散らばる蟲の死骸
不浄を縫って歩けば自然に足踊り
どうして舞わずにいられましょう
扇を振るって払いましょう
血の匂い不浄の気地に籠る怨念を
祓って空に舞い上げましょう
タン トン テン タン タタタン テン
私が舞えば 澱みが流れ 塵芥が埃たつ
渦となって天へ飛び 私も浮き世離れて送り出す
眼下に燃え広がる 燃える燃える
青い炎が炙り焼き祓う どうか御魂天へ昇り給へ
テン
とつま先が地に着く。
そこはただ夜が在るだけで、もうなにも無いのでした。私の死骸すら。
あゝなんて 清々しい
「かなめ」
一間離れて彼はいて
薄墨色の着流し、下駄を履き、獣のやうな八重歯を見せて愉しげに笑っておりました。
「お前がどうでも、いい。舞えば愉快だろ?」
ええ振り翳していたのは彼と同じ、愉快でした。醜悪か享楽かそれが何か?
二又の尾。同じく彼も妖怪なのでしょう。
絶え間なく私を喰らおうとしてきた。
そして私を守ってきたこれは
「あなたのものなの?」
「六呪具の“扇”こそ百鬼頭領が大妖怪、爺さんの――亡骸だ」
が、と目を落とす。変わり果てたそれは
「しゃもじ……なんでだよ」
完全に同意します。どんなに考えたことか
「せめてスプーンであれば」
「それはどうでもいい」
しかし脱力から思案げに
「その扇、切り離した妖力を封じこめているな……。面白ぇ」
なにやら口をにやりと吊り上げます。
「かなめ、それは預けてやる。舞って舞って、妖の血を仕舞って、いずれこの俺、魑魅魍魎の頭に相応しい扇にしろ」
私はどうでも、よかったのです。ただ逃げていた自分から
「扇かなめ」
「百代要」
意外や名乗った妖に、私は無念を晴らすべく踏み出しました。なればお代に
「栗のったパフェーをご馳走ください」
菓子は洋風、貸しは妖封、不思議な月下の演目はこの夜に、始まったのです。