1-01 五国を統べる夜の王
大陸に存在する五国のひとつ、タルグ国の外れ。
隠れ棲む魔女に育てられた少年ザナ=ヴィーヌは、十三歳の誕生日の翌日、いきなり独り立ちすることになった。
まだ力は弱いが、母である魔女の魔法をすべて受け継いだ小さな魔法使いだ。
母の消息が断たれると、馴れ馴れしくも可愛らしい夢魔が現れザナをご主人様と呼ぶ。ザナには記憶がなかったが、遠い過去の契約が有効らしい。
「ご主人様のためなら、わたし、なんでもしますぅぅ。欲しいもの、仰ってくださいぃぃ」
ザナは、冗談めかし夢魔へと望みを告げた。
大陸の五国各地に英雄が現れ、覇権をめぐる戦乱の気配が渦巻く。時代は動きはじめている。
自由を得たザナは、夢魔を連れ長い旅路へと。母の残した謎を追いながら、使い魔や配下の数を増やし成長。英雄たちや各地の統治者たちを籠絡する。
夜を継ぎダークな魔法を操るザナは、覇権争いの真っ只中へと突き進むこととなる。
昨夜は、ザナ=ヴィーヌが十三歳になった祝い。魔女である母が、ご馳走を振る舞ってくれた。
まだあどけなさが残る少年だが、母に魔法を仕込まれたザナは一端の魔法使いだ。
ザナが母と暮らしているのは森のなかの花々に囲まれた美しい場所。タルグ国を治めるザーディ都から遠く離れ、小さな港町から山地へと分けいる途中にある。母は、人目を忍ぶように暮らしていた。
寝坊したザナは、身支度を整え慌てて階下へと降りていく。
昨夜の礼を告げようと無邪気で明るく見える表情を貌に浮かべた。小さい頃は短かかった黒髪は、少し伸びてきている。
「もう、独り立ちしてよいころね」
母は階段途中のザナへと視線を向けると、そう告げてニッコリ笑み、消えた。
暮らしていた住処がぐらぐらと揺れ始める。
色彩が抜けるみたいに崩壊しかけている?
魔法使いとして育てられたザナは、思考する前に浮遊した。足元の階段が消える。
「ちょ、母さん!」
ようやく声をだしたときには、ザナを残し、何もかもが消え失せる寸前だった。
不気味で鬱蒼とした森に囲まれた景色が拡がっている。今まで知っていた場所とは別物。こんな異様なところに棲んでいたとは、驚きだ。
え? あ、……と、母さん?
心のなかで呟き、瞬きする。地面へと下り立ち、止まりがちな思考を動かそうとした。
無意識に探査魔法を使っているけれど、母の気配はない。なんの心構えもないうちに、母は消息を断った。唐突すぎる。
しかも、この不気味な気配、なんだろう?
ザナの所有物が、若干だけれど点々と地面に散らばっていた。気づくと同時に魔法で拾う。
母が消え、住居が消え、放置され、呆然。
だが、それは、わずかな刻。
……。まぁ、いいか。
そろそろ、良い子を演じるのも限界だったかな。
ザナはため息まじりに独り言ちた。
母のことは大好きだけれど。
大好きだからこそ母には純真な良い子の姿を見せていた。
いや、多分、母は知っていたろう。途轍もなく聡いのだから。
ザナの所有だったはずの自室も、存在はカケラもなかった。常々、必要なものは全て魔法の空間で保持するように躾けられていたから、問題はない。はず。
とはいえ気に入りの寝具や部屋の内装まで消えたのは少しだけ辛かった。
ザナは、一瞬、天を仰ぐ。
自由――
ボクは遠慮なく、好きにしていいんだな。
まだ子供の姿だから、好都合か。
戸惑いは、すぐに自由を得た安堵感へと変わっていった。
教えられた魔法は、ほとんど正邪合わせ持つ性質だ。母は持てる限りの魔法を伝授してくれた。魔法を駆使すれば不自由することなどない程には。多分。
ザナの眼は青い。母の紫とは質も違う。
きっと眼の色も、髪の質も、容姿も、父譲りなのだろう。
髪色以外、母には余り似ていない。
母は複雑な思いを隠すような慈愛に満ちた表情で、この青い瞳を見つめていた。
父のことは何も知らない。
存在を探ろうとすると強烈な障壁が阻む。
隠れるように暮らしていた母には秘密が多いのだろう。詮索しようにも魔力が強すぎ、ザナでは全く歯がたたなかった。
楚々として聖女のような穏やかな印象だけれど、意外に勝気で正義感が強く、そして寛容な母。
実母なのは間違いない。ほとんど似たところはなく共通項が黒髪くらいだとしても。ザナの髪は明らかに邪を孕んで青味がかり、聖なる気配をもつ母とは似ても似つかないが。
母は何に抵抗しているのだろう?
ボンヤリと、ザナは常々感じていたことを反芻していた。
『ようやく、枷が外れましたぁ!』
遠くから可愛い声が聞こえた。近くの空間を突き破るように転移してきた存在が、ザナに抱きつく。柔らかな感触だ。
誰?
脳裡で思考しつつ、ザナは怪訝な表情でされるに任せていた。
夢魔だ――。
心のなかで邪悪な感覚が疼く。能力の高い魔法使いと自負するザナは、夢魔ごときに抱きつかれ、ムッとしていた。
「ああ、ご主人様ぁ、やっとお逢いできましたぁ」
離れないままスリスリと擦り寄り、嬉しそうな声を響かせている。愛らしい少女めいた顔。背丈はザナと同じくらいだろう。
淡紅の長い髪。瞳は虹色だ。角は微妙に猫耳のように見える。鉤爪つき蝙蝠の羽が背でバタついていた。
露出の激しい黒衣装は、夢魔の身体に吸いついているようだ。
「は? キミは誰? はじめてだよね?」
眉根を寄せ、振り払わないまま感情なく訊いた。
「ええ。ええ! 今世では、はじめてでしょうとも! ようやく再会! なんという僥倖!」
ザナの肩口に、猫めいて頬を擦り寄せ弾む声は上機嫌だ。
「夢魔でも、僥倖なんて言うんだ?」
ザナから普段の仮面めいた純真さは消えている。少年の姿には似合わない侮蔑に似た視線を向けていた。
「はい! ご主人様! これが、僥倖以外のなんだというのでしょぉぉ」
「ご主人様? って?」
ザナは淡々と訊く。
「はぃぃ、随分と昔の契約ですが、未だ有効ですぅ」
昔? 子供のころに契約したのかな?
ザナは首を傾げるが覚えはない。
「いぇいぇ、ご主人様。ご主人様はあれから十回ほど転生しております故。契約は一万年以上も前のこと」
心の言葉に応じるように夢魔は補足した。
現状、ザナは夢魔の意識は読めない。だが、夢魔のほうはある程度ザナの考えが分かるようだ。懐かしいような感覚だった。
「へぇ。キミはその間、主人なしで、どうしてたんだろう?」
何気なく訊いた。
「ぁぁぁぁぁっ、魔界の隅っこで眠らされていたようですぅ」
それを訊かれると辛いですぅ、訊かないでぇ、と、応えた後でもボソボソ呟き身悶えている。
「でも、ご主人様に訊かれたら何でも答えちゃぃますぅぅ。困りましたぁぁぁ」
泣きそうな複雑な表情だが、快感に打ち震えているようでもある。くっついたまま猫のようにくねっていた。
ザナは値踏みするような視線を間近の夢魔の顔へと向ける。
「なぜ、困るんだろう?」
問いを重ねるほどに変化する夢魔の反応が楽しくなっていた。
「ぁぁぁっ……ぅぅぅっ~!」
コロコロと変わる表情。言葉を必死で探すのを眺めながら、ザナはひとり頷く。
要するに過去の契約により、この夢魔はザナの配下。使役できるのだ。
「ボクを束縛するのはダメだよ?」
ザナは、念を押すように告げた。せっかくの自由を制限されたくない。
「ぁぁぁぁっ、ご主人様を束縛だなんて、したくもできませんんっ。わたしは、ご主人様の所有物」
陶然として高揚した顔。虹色の瞳は既にハート型だ。
「で、どうして、そんなに真っ赤になってるのかな?」
更に顔を寄せ、見透かしたような視線で意地悪く訊いた。
「あああっ、ご主人様、魅力もパワーアップしてらっしゃいますぅ。メロメロですぅ」
「ふうん。ボクに、どうしてほしいのかな?」
「え、あ、ぁぁ……」
「ん? それじゃわからないよ?」
意地悪い口調になるほどに喜ばれている。
「な……名前、呼んで……ほしいですぅ」
「なんだ、そんなこと? いいよ。じゃあ、名前教えて?」
アテが外れてガクッと脱力しながら訊いた。
「えぇ、いえぇぇ、ダメぇ、やっぱり、ダメですぅ。ご主人様に、名前呼ばれたら……」
「呼ばれたら? 呼んでほしいんだよね?」
ハートめいて揺れる虹色の瞳をグッと覗き込む。
死んじゃうかもですぅ……
消え入りそうな声がうっとりと呟いた。
「ご主人様のためなら、わたし、なんでもしますぅぅ。欲しいもの、仰ってくださいぃぃ」
身体を離し半端に浮かんで夢魔は唐突に訊く。ザナの表情をうかがいつつ真顔だ。
「じゃあ、この国がほしいな」
ザナは冗談めかして応える。
無理難題での反応が見たかった。
「この国?」
だが夢魔の可愛らしい顔は、キョトンとしている。
「あ〜やっぱり、許容範囲を超えた無茶な望みだった?」
そんなのムリ、って狼狽える反応が見たかったのだが、ちょっと違う?
「いえいえ。この国、今は五分割されていますが、元々はひとつの国でして」
「は? もっと大きい国をくれるの?」
「はい! ですが、準備は必要なのですぅ! ご主人様の力をかなり注ぐことになりますが。本当に、それを望みますですか?」
「へぇ、それいいね。楽しそうだ」
「ご主人様が本当にやりたいことでしたら、何の問題もないですぅぅ!!」
夢魔は簡単そうに言った。
五国全部、手に入る?
しかも統一された国を?
夢魔の言うことを真に受けるわけにもいかないけど。などと、ザナは考えていた。
「いえ、ご主人様が統一なさるのですが?」
「は?」
唖然としてザナは言葉を失った。夢魔は心配そうに怖怖ずと顔を覗き込んでくる。
「取り消されますので?」
「いや。そのままで」
ザナの言葉に夢魔は安堵した表情になった。が、次の瞬時、気配をかえた。
「ご主人様……とても拙い状況ですぅぅ」
蒼白な気配で慌てている。
「あ、森でなにか動きだしてるね」
ザナも探査魔法で確認。魑魅魍魎たちの蠢きだ。
「ご主人様ぁぁぁ、今は、ここから脱出するのが先決のようですぅぅぅ」