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日々の書簡
御存知の通り、人の苦しみなんて理解してあげたいけど簡単にできる物ではない。
「○○は不器用だから・生真面目だから」などと言われた際には、もう脳内お祭り状態+アラートカンカンであろう。「お前に何がわかるんだよ」と言ってあげたくなってしまう。相手のためにも。
兎角、自分と相手との距離感もとらずに貴方の味方よと言わんばかりの人間は残念ながら世の中にごまんといる。肉親もまた一切の例外はない。
誰だって、自分のアイデンティティだけれども気にしてほしくないことぐらいあるだろう。顔面、体型、性格、言葉遣い、趣味、性愛の方向、熱中しているもの、その他。
これらの大切にしている物に対して、侵入してくる他者にはどう対処すれば良いのだろうか。
私がその状況に陥った時にするのはただ一つ、そうかも。と返事することだ。
そうかも。という言葉は素晴らしい。相手の意見を肯定し、さも自分の行動も振り返って納得しようとするものだからだ。何らその4文字に自己が深く見返すタイミングなんてありゃしないのに。
んーそうかも。と返した言葉の本心には、表情にも出てるかもしれないが「だから何だよ」という意味が満遍なく蔓延っていると思う。意味が重複するほどの充満度合いだ。
そもそも論、相手がパーソナルスペースにズケズケと入ってきた瞬間は毛が逆立ち、睨むようにみてしまうだろう。しかしそれでは印象が悪い。パーソナルスペースとはその人の「なう」の感情、体調などなどで刻一刻と変わるから、相手からしたら地雷も同然、目には見えない。
それはこちらが慮ることで対処しよう。このような思想の時点で思いやりかと思った行動から一瞬にして優勢になりたいだけという魂胆が見えてしまったのだが。
とりあえず、ここは貴方が入ってきていい場所ではありませんよーという意思表示が大切だ。
だからこの「そうかも」なのだ。「そうだね」では足りない。ただの肯定だ。
肯定はするけどそれ以上は広げたくないです。のサイン、SOS、アラートを表示してあげるのだ、かもという不確定要素を添えることで。それだけでいい。
色々言ってはいたが、結局のところ私も貴方もズケズケと他者のパーソナルスペースに勝手に迷い込まないためにはどうしたらいいのだろうか。というのが今回の投げかけたいことである。
手っ取り早いのは、他者への干渉を諦めることだろう。Instagramで見かけた愚痴らしきストーリーを無視する。主語の無い愚痴や嘆きや痛み憂い攻撃のツイートを無視する。マイナスだけじゃない。ちょっと曖昧なバランスの話の内容もスルーできると尚良いのだ。「最近〇〇なんだけどさぁー」の時点でバッドが来るはずだろうから変に聞こうとする姿勢を取るのは捨てる。この行動はかなり難しい、むしろそこに地雷とされる所以があって、人付き合いの軋轢は生じる。
次点に、感情する表現を変えることだ。「その気持ちわかるよ」などと言ったらもうアウト。終了。おしまいさん。自剄して埋まっててくれというレベルだろう。
なんせ捕捉情報が足りない。(僕は/貴方の痛み/分からないけど/想像すると辛そうだから)その気持ちわかるよ。ぐらい言って頂きたい。
ストレートに言ってやってもいいかもしれない。「俺はそれを経験してないけど、辛いよね。」とか。辛いよね。とすることでただ相手の事実を描写する。理解を私がしているかどうかが問題点では無いことを主張する。
言うor言わないの二者択一の場合において最もな回答はあるのだろうか。私は生きてて何度と考える。
誰か教えてくれと言いたいぐらいだ。