大魔法使いの素質を持つ少女は、孤児なので道端で花を売る
あるところで少女が花を売っていた。見た目はどこにでもいる普通の少女。この国では珍しくもない茶髪に茶目、クリーム色の肌。着るものは粗末で、ところどころ擦り切れている。寒い国なのでその粗末な服を幾重にも重ねて着ていた。
この少女、実は国の運命を変えるほどの魔法の素質を持っていた。然るべき機関で教育を受ければ若いうちに大魔法使いの称号を得ることもできただろう。しかし、不幸にも両親が先の戦争で亡くなってしまった。孤児になった少女は、その他の戦災孤児と同様に、国の教会に預けられた。教育などは受けられなかった。
国の方針として戦災孤児には衣食住は与えるものの、教育も職業も与えることはなかった。そのためこの少女も自ら工夫して日々お金を稼いでいた。
この少女の名はリルティといった。
「リルティ。今日も花を売るのかい?」
リルティのお金を稼ぐ方法は、たいてい花を売ることだった。隠語などではなく、実際に花を摘んできて売るのだ。声をかけてきたのは同じく通りで露店を広げている痩せた老人。リルティの顔なじみだ。
「はい。今日は月下草がたくさん取れたので」
リルティは穏やかに返事をする。彼女の穏やかさは周りの人間も穏やかにさせる。リルティは隣で働く人が優しくて良かったと思っていたが、それは彼女の対応が良いからであることを彼女は知らない。
リルティは毎日だいたい同じ場所で花を売っていたが、露店を広げるのは実は難しいことだった。正規の通りに露店を出すには国に申請をしてお金を支払わなければならない。リルティやその隣の痩せた老人がいる通りは正規の通り端の端、街が終わってほとんど人も通らない場所だった。そんな場所でも、少しでもいい場所を取ろうと非正規の露店商が日々取り合いをしていた。
リルティがそんな取り合いに巻き込まれずに済んでいるのは、そこがあまりにも外れの場所だったからだ。閑散としすぎて誰も来ないような場所だったのだ。隣の老人も、物を売っているというよりかはそこで暮らすついでに物を並べているだけなのだと言う。
しかし不思議とリルティの店には人が来た。混雑するようなことはもちろんなかったが、しかし誰も来ない日というのもなかった。それも、来るとたいてい大量に買っていき、数人の客だけで完売するのが常だった。
「リルティの花はよく売れるね」
隣の老人がまた声をかける。
「おまじないを込めたモノがすぐに売れるのです」
リルティはそう笑って答える。
リルティが言うように、客はリルティの魔法の草花を買っていくのだった。彼女が花を売り始めたばかりの頃、こんなことを言ってきた人がいた。
「この月下草を作ったのは誰ですか?」
その人は全身を黒いローブで覆っていたが、生地も上等で話し方も丁寧だったので、きちんとした身分の人なのだろうとリルティは感じた。そんな人が自分に敬語で話しかけてくるのを不思議に思いつつ、
「私が作りました」
と正直に答えた。リルティがそう答えると、そのローブの人物はとても驚いたような声をあげた。
「これは親切心で申し上げるのですが…」
ローブの人が言うには、リルティの売る草花はとある分野でとても重宝されるほどの品質なのだそうだ。そしてそんな価値のあるものを幼い少女一人で取り扱うのはとても危ないとも言った。
「そうですね。『お師匠様のお使いで売っております』と。今後誰かに同じ質問をされたらそう答えるといいでしょう」
「お師匠さま……?」
「そうです。そしてそのお師匠様の名を聞かれたら、『教えたら怒られてしまう』とでも言っておけばいいのです」
そんな助言をしてくれた。嘘をつくのは少し戸惑われたが、危ない目に合うのは嫌だったので、その助言をもらってからは誰かに聞かれるたびに助言の通り答えるようにしていた。
道端の少女の売るものなどにそれほど興味を示す人などいるかと思ったが、その後も時折同じような質問をする人が何人かいたのでリルティは驚いた。その人たちはやがて常連となり、草花の作成者を尋ねる人は減っていった。
リルティの露店に草花を買いに来ていたのは国で強大な権力を誇る魔法使いの組織の人たちだった。繊細で、強力なリルティの魔法の込められた草花はあらゆる魔法薬の品質を上げると秘かに好評だった。
リルティが草花に施しているのは本人はおまじないだと思っていたが、それは魔法だった。しかし生前のリルティの両親は学があまりなかったため、それに気が付かなかった。
「リルティの摘んでくれた薬草はとてもよく効くわね」
母親が優しくそう微笑んでくれるので、リルティは両親を喜ばせるためよく薬草を摘みに行った。薬草摘みは両親が生きていたころからのリルティの仕事だった。そんな両親が亡くなり教会暮らしとなってからはお金を自分で稼がなければならなくなってしまった。衣食住は提供されていても、お小遣いはなかった。そして12歳で教会を出されてしまうので、独り立ちの資金や将来の仕事を早いうちから見つけておかなくてはならなかったのだ。
そこでリルティはいろいろな方法でお金を稼げるように工夫した。先輩孤児の真似をして籐の籠を作ったり、服屋の余り生地をもらって小物を作ったり。それらを売ってもその日のおやつ代にもならなかった。しかし摘んできた薬草はまれにいい値段をつけてもらえた。薬草だけでなく花にも値段をつけてくれた。やがてリルティは森で草花を摘んで売るのを主な仕事とするようになった。
母親に渡していた時のように草花におまじないをするとよく売れることに気が付いて、おまじないを込めた草花を売るようになった。リルティは向上心があったので、教会にある本を読み、どのような薬効があるのかも学んで独学で色々なものを作っていった。眠気覚ましや腹痛を直すエキスを抽出した薬剤。気持ちを和らげたり楽しくさせたり、魔法の力を増強させるようなポプリ。中でもお気に入りなのが月下草というありふれた草を使った万能薬。
これは外傷でも病気でもすぐに治す薬として近所の人たちに静かに人気だった。しかし近所の人たちというのは貧民で、貧民街の者の話など中流、上流階級の人たちはまともに聞かなかったので、その噂はご近所止まりだった。
◇◇◇
ある時リルティがいつものように草花を森に摘みに来ていると、大きな木立の下に何か黒いものがあることに気が付いた。リルティが近寄ってみると、それは彼女と同じくらいの年のころの男の子が横たわっているのだということが分かった。しかし微動だにしない。戦争を経験しているリルティは亡骸というものを見たことはあったが、それでも怖くないわけではない。少年が死んでいるのではないかと恐る恐る近づいてみると、かすかに呼吸をしていることに気が付いた。少年の顔から目線を動かし、腹部に目をやるとどうやらそこから出血しているようだった。
「大変……」
そう呟いて少年の横に駆け寄り膝をつく。そして自分の懐に手をやり、小瓶を取り出す。
「お願い、飲んで……」
最初は微かに抵抗を示した少年だったが、やがて観念したのか小瓶の中の薬を飲み込んだ。
気管に入らないようにリルティはそっと少年の頭を支えてやり、ゆっくりと確実に小瓶の中の薬をすべて少年の口に流し込んだ。薬をきちんと嚥下したのを見て、リルティはほっと息をつく。少年はまた眠りについたようだ。
そのまましばらく少年の状態が落ち着くまでリルティはそばで見守っていた。やがて少年の瞼が震え、ゆっくりと開く。彼は身を起こし、不思議そうに自分の腹に手をやる。血はついているが、そこにあるはずの傷がないことに気が付いたようだ。驚いた表情でリルティを見つめる。
「よかった。ちゃんと効いたみたい」
そう言うリルティに少年は首をかしげる。
「これね、特別製の万能薬なの。傷も病気もすぐ治ってしまうわ。本当はお父さんのために作ったのだけど、その時は間に合わなかったの……。今回は間に合ってよかった」
そう言われ、少年は先程まで薬の入っていた小瓶をそっと持って日にかざす。そこにはわずかに透明な液体が残っているだけだった。
「傷は治せるけど、流れ出ちゃった血はどうすることもできないから、ちゃんと栄養のあるものを食べてね」
リルティがそういうと、少年は彼女の眼をしっかりを見ながらうなずいた。先ほどから少年は一言も話さない。喉にけがをしていたのなら万能薬で治っているはずだ。
「……話せないの?」
リルティがそっと尋ねると、少年はまた彼女の目をしっかりと見てうなずいた。
少年は反政府組織に使われている特殊部隊の一員だった。特殊部隊と言っても重用されているわけではない。魔法で声をつぶされ、抗わないようにという魔法の契約を強制的に結ばされた戦災孤児だった。体術を教え込まれ、暗殺や情報収集をさせられていた。少し前まで何人か彼と同じような子供がいたが、付け焼刃の技術では上手くいかず、数を減らし、やがて彼一人が過剰な任務にあてられるようになっていた。そんな彼も今回任務に失敗し、命がついえるところだったが、リルティに救われた。
哀しいかな、そんな境遇に少年をおく上司は彼にとって忠誠を誓う相手だった。魔法でそう思わされているのだ。彼は上司に決して逆らわない。そもそも逆らう口を封じられている。そして意見もできない。そういう契約だ。
しかし、リルティに出会うことで少年にちょっとした変化が起こった。リルティの存在を上司に報告しないことにしたのだ。そもそも語る口も伝える文字も持たないので報告のしようもなかったのだが、自分を救ってくれたこの少女を彼の世界に巻き込まないようにしようと決めたのだ。
リルティが救った暗殺者は彼女に恩義を感じて、任務の合間に彼女の護衛を自主的にするようになった。決して姿は見せず、陰ながらに危険を排除する。彼女の売る草花に価値を見出して奪おうとする者や、単純に労働力としてさらおうとする者など、危険な存在はリルティの知らない間に排除されていた。
そうとも知らず、リルティは道端で草花を売り続ける。
◇◇◇
リルティの住む国には若い国王が居た。先代の王は先の戦争で亡くなったのだ。そして若い国王には若い妻がいた。しかし、その王妃は病に侵されていた。国王は国中にお触れを出した。
『王妃を治せる万能薬を探すように』
国中の魔法使いや薬師、商人は躍起になって万能薬を探した。
そのお触れの話を聞いたリルティももちろん協力しようと考えた。
「せっかく戦争が終わったのに、王妃様可哀そう」
「リルティちゃんも万能薬を献上するのかい?」
「国の魔法使いさんたちがお薬を加工するみたいなの。だから私は薬を持っていくのではなく月花草を持っていこうと思うの」
そう言いながら今朝摘んできたばかりの月下草を選別して束ねる。万能薬であろうと月下草であろうと、リルティの魔法の込められた物なら実は万能薬になり得た。そのため月下草でも問題はなかった。
「それに薬にするなら瓶が必要だけれど、草ならいくらでも摘んでこれるわ。国の魔法使いさんたちがいてもすぐに治らない病気ですもの。一回の万能薬よりも毎日、月下草を持っていった方がきっと役に立つわ」
そう言ってリルティは万能薬の受付をしているという役所へと向かっていった。
役所では一攫千金を夢見た者が窓口に詰め寄っていた。門兵に聞いたところ、報奨金を期待しないようであれば、裏口でも受け取ってくれるよとのことだった。無記名で提出だけするというわけだ。リルティは報奨金を貰おうとは思っていなかったので、裏口に回ることにした。
裏口にいた役所の人間は見るからにやる気がなかった。元から仕事をまじめにする気がないうえ、孤児の少女が持ってきた雑草のような物を目の端でちらりととらえ、
「ああ、献上品か。そこに置いていって」
そう言うだけで、少女が来る前まで読んでいた雑誌に目を戻してしまった。
やる気のないその役所の人間はもちろんそんな献上品の報告を上には上げなかった。しかし、ものぐさなため片づけることもしなかった。
毎日リルティは月下草を役所の裏口に届けた。片づけられることもない月下草は、役所の窓口の片隅にうずたかく積み上げられていった。
「ジャン、これは何だい?」
やる気のない役所の人間ジャンは、その声に読んでいた雑誌から顔を上げる。
「ポールか。これはあれだあれ、なんだっけ? ああ、献上品だ」
「これ献上品かい?」
「ああ。女の子が毎日持ってきている。健気にも毎日だ。俺にはまねできないね」
「ふ~ん」
ポールと呼ばれた人のよさそうな男はその献上品と呼ばれた草をいくつか持ち上げる。
「報告は」
「してないよ」
「片付けは?」
「しないよ」
ジャンはやる気がないが、悪い男でもなかった。気が乗ったのか、ポールにその少女が毎日雑草を届けてくれる話を面白おかしく語った。
「毎日届けてくれる優しい子だ。捨てるなんて可哀そうだろ?」
半分は片づけるのが面倒だったからであったが、とりあえずその雑草はどんどん積み上げられている話をした。
人のいいポールはその話を聞いてえらく感銘を受けた。感動しやすい性質なのだ。
「この話をぜひとも上司に報告しよう!」
そう言って立ち上がった。
「やめとけよ。怒鳴られちまう」
「いや、王妃のために国民全員が一丸となって協力しているという美談になるよ。それに魔法使い連中たちは何でも薬草にしちまうと聞いたことがある。こんだけ量があるんだ。傷薬くらいにはなるかもしれないよ」
そう言って、ポールは早速上司に報告に行くことにした。しかし、残念ながら人のいいポールは、大量に舞い込む献上品の対応に追われて忙しなく動き回る上司を上手く捕まえることができず、いつまでたってもこの美談を報告できないままでいた。
◇◇◇
王妃を救えるリルティの月下草がなかなか王妃までたどり着かない中、リルティという存在に気が付き始めている者たちがいた。それはリルティの薬草を買いに来ている魔法使いたちだった。リルティの作る魔法の薬草。その薬効の高さはもはや魔法使いの間ではよく知れ渡っていた。しかし、その出所を知る者は限られていた。数人の魔法使いたちだけが、リルティが道端で売っているということを知っていたのだ。しかしエリートである魔法使いたちが、孤児の売る草花に頼っていると知られたくないという心理もあったのでその入手方法を語る者はいなかった。
中にはリルティの裏にいるだろう大魔法使いの存在を探ろうとした。しかし、探ろうとする度に何者かによって邪魔をされる。そのため真実にたどり着くものはいなかった。
一人だけ、その薬草をリルティが作っていることを知っている魔法使いがいた。それは、リルティにかつて助言をしたローブの魔法使いだった。しかし、彼もそのことを誰かに告げることはしなかった。彼は少女を陰謀渦巻く魔法使いの世界に巻き込みたくなかったのだ。優しい魔法使いの青年はセイバーという名だった。
魔法使いたちと国は協力関係にはなかった。強大な力を持った魔法使いたちと、国王を中心とする王侯貴族は対立しながらそれぞれが国を運営していたのだ。そんな魔法使いの組織に所属するセイバーもまた王侯貴族のことをよくは思っていなかった。戦争をして散々人の命を無駄に散らした王族だ。そんな中の王妃一人の命などよりも、健気に生きる少女の命の方がセイバーにとって大切だと思えた。
◇◇◇
こうして、あと少しで王妃を救うことができるところまで来ているというのに、リルティの才は世間に見いだされることはなく日々が過ぎていった。
暗殺者の少年が上司に何らかの手段で報告していれば。役所の人間が強引に上司を引き留めて報告していれば。優しい魔法使いが仲間に一言でも話していれば。そうすればリルティはその才能を見出されて、国預かりとなり、しかるべき教育を受けることができていただろう。
そもそも国王が戦争を先代の国王に提案しなければリルティの両親は死ぬことなく、彼女も学校に通えていただろう。さらに教会による孤児の扱いを定めたのは王妃だった。王妃自身が教育の重要性に気が付いていれば、自身の命を救う万能薬をすぐ得られただろう。
そしてリルティが大魔法使いになれば、より多くの命が救われたことだろう。しかし、そんなことには誰も思い至らぬまま、どこにでもいる少女として道端でリルティは花を売り続ける。
暗殺者の少年がリルティに想いを告げるまでは。