2023年、年末物書き年越しエッセイ!
てなわけで。
Twitterアカウント上で、何かエッセイにして書いて欲しいネタを募集しまして。
そこで集まった話題について熊がひたすら書いていくというのが今回のエッセイになります。
皆様、お付き合いいただけましたこれ幸い。
それでは行きます!
『小説界隈に『善人』と呼べる人はいるのか?』 かねてよりの疑問を解消してほしいっす。
岩沢一さんより
小説界隈に善人と呼べる人がいるかについて。
これはwwww
うん、まあ確かにあれだよね。
連日連夜、物書きの皆さんがSNSで創作論について激論を交わしていたり、あとぶっちゃけレスバしまくってんのを見てると「物書きとは戦闘民族サイヤ人気質な連中なのでは。というか、実は僕が私が知らなかっただけで、物書きの大半は実は喧嘩上等なヤンキー達なのでは!? あの暴走族も、この新宿でケンカしまくってるにーちゃんも、じつはみんななろう作家でTwitter上で本格ファンタジーとは何かとか、文章力とはすなわち何を指すのかとか、そんな事について言葉を刃にぶん殴り合っていたのでは?」とか、まあそんな感じの事を思ってしまっても仕方ないかもです。
てか、これ書いている2023年の大晦日の今ですら、ちょいとタイムラインを除いたら「テメー昔こんな感じのポイント投票していただろ!」とか「いやちげーし、あの時のこういう事情だったからだろが! テキトーな事抜かしてんじゃねーぞコラ!」的な事を言ってレスの応酬しながらドンパチやってるのを見かけました。
まー本当に揉め事というか、争い事が好きな連中ですよね!
年末ですよ年末!
しかも多分熊と違って仕事があるわけでも無く、時間的に余裕があり、望めばあったかコタツの中でヌクヌクしながらみかんをかじり、家族団らんの中で紅白歌合戦を見て過ごすとか、そういう時間の使い方も出来るわけです。彼ら彼女らは。
にもかかわらず、そんな穏やかな年越しよりも、SNSでの不毛で荒れた、何の生産性も無い争いを選び争うわけです。
どう考えても性格が良いとは思えません。
物書きという人種は、どいつもこいつも平和や平穏を嫌い、誰かと手に手を取って協力し合う、譲り合うという精神を持っていない輩ばかりなのでしょう。
熊の見る限り、小説を書く連中は確かに善からは程遠い連中ばかりです。
どいつもこいつもマウントを取り、やれランキングがどうとか、今まで読んだ本の冊数がどうとか、執筆速度がああだとか、そんな事で少しでも相手を小ばかになろうと躍起になっているクズばかりです!
ですが、小説界隈に善人と呼べる人物が一人もいないのか言うと、一人だけ心当たりがあります。
そう、それはあなたが今読んでいるこのエッセイを書いている作者です。
このエッセイを書いている作者の熊だけは、掃きだめのような小説界隈の中にあって品行方正、他者をいつくしむ心を持ち、争い事を嫌い、誰かを汚い言葉で罵る事も無く、レスバもしない、正に善人オブ善人です。
他の物書きは先祖返りした猿のようにキーキーわめいてマウントを取る事しかしようとしない、救いようの無い連中で嘆きたくなるのもわかりますが、このパーフェクトな善人の熊が小説界隈に入るので安心してくださいね!
以上!
「売れる小説」と「面白い小説」は別物なのか? とかですかね。
Mugwortさんより
売れる小説と面白い小説は別物か、について。
あー――。
これはアレですね。
創作界隈のある種の鉄板ネタ。
「俺は売れるために小説を書いてるんじゃねえんだ! 面白い小説を書いてるんだ!」的な意見VS「このハンバーガーとコーラは世界で一番売れている。だから世界で一番おいしいに決まっているんだ」的な意見の奴ですね。
いやこれ両立できる場合もあるのが割と厄介だったりしますな。
ただまあ、両立できる場合ももちろんあるにせよ、一応別物っちゃ別物なのかなと熊は思います。
何故ならば、そもそも言葉が違うから。
極論ですが、同じ物で意味に違いが無いのであれば、同じ言葉を使えばいいわけで。
でも違うからこそ、何かしらの差があるからこそ別の言葉で表現されてるわけですよね。
「売れる小説」と「面白い小説」って。
だもんで、別物は別物だと思います。
そこにどれだけの隔たりがあるかは、んーまあ何とも言えませんが。
一応、別物は別物として、その中でどう違うのかについて熊なりの認識を書いていきます。
まず「売れる小説」について。
これはもう定義として「売りやすい、販売本数の多く見込める小説」という事になります。
だもんで「内容が面白い」というのは売れる一要素として扱われますが、しかしあくまで一要素であってそれをもって「売りやすい、。販売本数の多く見込める小説」の全てを網羅できるかというと違いますよね。
例えばですが、内容自体は別に面白い小説でなくとも、超有名人が書いたネームバリューだけで売れそうな小説とか。
あとは、同じように、アイドルが私小説形式で初めて明かす、激ヤバな枕営業強要の実態を書いた作品とか。
そういうのは別段小説としては面白くないけど、でも別の付加価値の部分で売れる見込みがあるわけで。
だからまあ、面白くないけど売れる小説ってのが成り立ちますよね。
そして一方「面白い小説」について。
これ、どこの層にとって面白いかでまた色々と見方が変わってきますよね。
例えばですが、一部のニッチな層。
ええと、超面白いスカトロ猟奇拷問ハードSM小説があったとして、それがウケる層って中々狭いわけじゃないですか。
内容がもうそのスジの人たちからは確実に、疑う事無く完全無欠に面白くて世紀の名作だとして。
でも、それってあくまでも「面白い小説」であって「売れる小説」かというと評価こそ高くても売上自体は小さいわけです。
100万部売ってドラマ化映画化アニメ化コミカライズ化、とは多分中々ならないですよね。
どれほど出来が良くても。
まあ、可能性はゼロではありませんけども。
だもんで、まあかなり極端な例を出して説明しましたけれども「売れる小説」と「面白い小説」というのは、どちらも兼ね備えた小説や事例もあるが、しかし完全に同じものを指すかというとそれは違う、というのが熊の見解になります。
以上!
・画像生成AIについて
・小説の代筆について
・ChatGPTについて、小説を任せるべき?
Helsさんより
ふんふん。
要はAIで作品作る事についてどう思うかって奴ですね。
ええと、結論から言いますといずれ我々物書きの執筆の仕方自体が変わっていくのではないかなと思います。
それは、今こうして原稿用紙とペンを使って作品を書いているのではなく、ワード原稿や投稿小説サイトのライター機能を使い、漢字の自動変換機能を使い、執筆を行っているように、いずれAIに細かくなにがしかの要望を出して作品を書かせることを執筆と呼ぶようになるのかもしれません。
ですが、それにはもう少し時間がかかるんじゃないかなとは思います。
理由としては、著作権問題ですね。
AIについては、その技術がインターネット上にある著作物を著作権法に基づいて、収集、分析、学習し、培われた物であるとの証明がまだ十全にされていないからです。
我々物書きや他のイラスト、音楽等のクリエイターとはそこが違います。
我々が何か小説を書く際に参考にする作品群は、基本的に全て合法的な手段で購入、貸借、閲覧して学んでいると法的には解釈されます。
違うのがバレた場合は、まあそのまま訴訟や賠償ルートですね。
しかしAIの場合はそれら学習した参考元が正当な取引、法の下に行われたかがわかりません。
また、学習の取り扱い方も社会とどう折り合いをつけるかが定まっていません。
というか、そもそもこのテクノロジーに法整備自体が追い付いていないのが現状でしょう。
そもそも、法律とは社会を円滑に、問題や軋轢を少なくするためにあるものです。
その法律自体が重度の社会的問題を発生させる要因があると考えられる以上、現行法をAIも人間もそのまま変わらず適応させるというのは最適解とは思えませんし、現にその可能性を多くの人たちが危惧しているからこそ、AIの使用に対して各界隈がストップをかけているのでしょう。
人類がこのAIとの適切な距離感を学んだ時、AIによる新たな執筆の形というのも社会に浸透していくのではないかなと熊は思います。
だもんで、結論としてはこんな感じですか。
いずれAIを用いて物語を作る事を「執筆」と呼ぶ未来は来ると思う。
だが、それがいつになるのかはわからない。
以上!
今年観た映画でなにかありませんか?
水瀬真奈美さんより
今年見た映画で何かないか、ですか。
んー!
とりまアマプラの視聴履歴を見返してみますな。
今年、今年、今年……
そうですね。
そんじゃちょっと意外な所からのオススメ映画を!
「100日間生きたワニ」について!
いやこれ、ネタで言っているんでなくて、マジな奴ね。
この映画、まあクソ映画として世間にゃ知られているかと思うんですがな。
あのね、まず結論から言うと、この映画は確かに「名作」ではないと思うよ。
でも熊はこの映画見るのお勧めする。
特に、我々物書きのように物語を作るにはどうすれば良いかを考えてる連中はガチでこの作品参考になるし学ぶところ多いと思うので、見て損は無いと思う。
んじゃ、なんで見るべきかについて以下つらつらと語っていきます。
まずこの映画の元となった原作についての紹介から。
この「100日間生きたワニ」という作品は、これがオリジナルのものではなく先にまず原作となる作品があります。
原作は、漫画家のきくちゆうき先生がTwitter上で公開していた作品「100日後に死ぬワニ」です。
これは2019年12月12日から100日後の2020年3月20日まで毎日Twitterアカウント上で掲載されていた四コマ漫画です。
100日後に死亡する未来が確定しているワニが、そんな未来を全く知らずに友人や知人たちとほのぼのとした日常を送るという内容の作品で、待ち受ける未来の危機をメタ的に知ってる読者からはほのぼのとしているのに実にスリリングという面白い構図で人気を博しました。
メタ構造を上手く使った作品で、熊も当時はハラハラしながら見守り楽しませてもらった記憶があります。
で、この原作なんですが。
4コマ漫画としては面白いです。
面白いですが、これを4コマ漫画という構図から外して映画にしようとすると、めっっちゃくちゃ難易度高いと思います。
媒体が違うと、こうも作るのが難しくなるのかというのが浮き彫りになっている作品だと思います。
いや、どの位難易度高いかって、ちょっと自分で考えてみればその難易度の高さとヤバさがわかるかと思います。
熊もこれでも物書きの端くれ。
あの四コマ漫画を基にして、映画の文脈でどういう物語にしたら面白くなるかを色々と考えてみました。
が、あまりの難易度の高さにロクな物語は思いつかなかったです。
原作のある映画を作る場合、単品で見ていかに面白い物語だろうと、原作の雰囲気や空気感をきちんと残しておかなければなりません。
そして、あの原作は四コマとして、あの連載スタイルで見た時に面白さの最大瞬間風速が生まれるように作り込まれています。
それを崩して映画にするというのがそもそもかなり無茶なのです。
ですが、そんな相当な難易度の事柄を求められていた100ワニの映画は、確かに売り上げ成績や世間的な評判こそ高い物ではありませんでした。
ですが、同じクリエイター視点で見ると、よくあの映画との相性が悪そうな作品を、ここまで仕上げたなと感心します。
いや、世間じゃなんかもう「知名度だけの原作を、無理くり映画にして作らせたクソ作品」みたいな扱いやレビューが多く出回っていて、ちょっと手を伸ばすのに躊躇するかもしれません。
しかし、もしあなたが物語を作る趣味を持っているのでしたら、あの映画からは学ぶところが数多くあるはずです。
だから、熊は冗談抜きで「100日間生きたワニ」の映画、お勧めしますよ。
ちなみに監督は「カメラを止めるな」の上田慎一郎さんだったりします。
以上!
お酒、とかいかがでしょう
もるもるさんより
お酒!
やっぱりまあなんてったって年末年始ですからね!
こりゃあ外せませんよね!
はっはっはっはっは!
はーっはっはっはっはっはっは!
てなわけで。
熊が個人的に大好きな居酒屋と、好きなメニューおよび酒について、語っていきますのでよろしく!
うはははははー!
てなわけで、東京は下町の上野から、もはや観光名所になりつつある超有名店にして昭和25年創業の老舗居酒屋「大統領」をご紹介。
熊はここ、それこそ酒に溺れたての大学生の頃から通ってましたねー。
本店とは別に、その近くに支店の「副大統領」ってお店がありまして。
熊が通ってるのは副大統領の方です。
あっちのが席数多いので座りやすいんすよね。
いうて、基本的に満席なので店行ったらまず間違いなく並び待ちする事にはなるのですが。
さて、ここのオススメはいろいろありますが、熊から勧めたいのは日本酒の「大統領」って酒。
メニュー表には「二級酒」って書いてあったりします。
この二級酒ってのは、昔薄めた粗悪な日本酒が出回りまくっていたのを何とかしようと、国が日本酒で等級を作った事があったんですよね。
特級、一級、二級酒と。戦前はまたこの辺の等級も違っていたらしいんですが。
まあ、今はもう等級制度は廃止されているので使われていない区分ではあるんですが。
戦後から続いている店の空気をメニューに残しておこうってんでそういう名前にしているのかもしれません。
ちなみに、お値段は一杯300円未満と実にお求めやすいです。
あと、普通においしい。
この二級酒の大統領、熊はちょいと店員さんに無理言って酒瓶見せてもらった事があるんですがな。
ちゃんと原材料が酒造好適米と米麹と水だけで、真っ当な作りがなされているんすわ。
それであのお値段って相当リーズナブルでお勧めです。
瓶ビールをガッポンガッポン飲むのも良いですがな。
コスパにこだわる安酒のみなら値段と品質双方共に優秀な二級酒「大統領」はぜひ一杯は頼んどいて損は無いかと思うんすよなー。
くそ、これ書いてたら飲みたくなってきた。
さてさて、次は食べ物について。
大統領っつったらもつ煮と串焼きが看板メニューになっていて、訪れたお客さん大体頼んでいるわけですが。
まあ、そんな行ったらとりあえず頼むような鉄板メニューではなくて、ちょっと変化球的な所を熊からは紹介しますかね。
熊が大統領でお勧めするメニューは、ソーセージ系全般です!
ええと、骨付きソーセージ、軟骨ウインナー、鶏ソーセージの三種ですね。
これ、どっからどう仕入れてんのかわからないんですが、加工肉としては抜群のおいしさです。
めっちゃくちゃビールに合います。
パリっとした皮に、肉の確かな旨味、そして軟骨ウインナーのコリコリ感。
気づいたときには瓶ビールがカラになっています。
串焼きメインで頼まれている肉好きの方は、まず間違いなく合うかと思いますので、まだ頼んだことが無いのでしたら是非一度おためしあれ!
以上!
なんか、大統領一軒だけで結構な分量語ってしまったので、この辺で終わりにしときますか。
本当は赤羽の某お店についてとか、吉祥寺の某居酒屋とか、あと鳥貴族についてとか語りたかったんだけど、うん。
際限なくなるからこの辺でやめときましょう。
実家が信心深くて毎年お参りしてまして、ちょうど神様のお参りをしてたんで、そういういるかもしれないものに対する思いとかをエッセイにしたら...
ニャタフィニャさんより
ふんふんふん!
なるほどなるほど。
神様について語るエッセイですか。
熊も、じいちゃんちはめっちゃ信心深かったですな。
お経とか全部暗記していましたし、仏壇もなんか異様にでっかかったです。
で、親父と熊の二代にわたっていきなり無神論者になりまして。
一体何がどうなったんだっていう。
日本だとカルト宗教が毒ガス事件起こしたり、ニュースで宗教が原因で戦争おきてんのが流れまくったり、今現在政治と宗教の問題で覆揉めしていたりで、この手の神様的な考えってのはすんげー胡散臭く見えがちではあるんですよね。
だもんで、神様だの何だのっていうと、こちらを騙しにかかってくる、非科学的で、妄想入った何の根拠も無い存在、みたいな印象持ってる方も多かったりするんじゃないでしょうか。
まあ正直な話、熊も神様仏様的な宗教に関しては一歩引いた所から見がちではあります。
毎年靖国神社に参拝してるくせにね。
さてさて。
この神様なんですが、実はバッチバチの学者さんが結構信じてる人多かったりするってのはご存じでしょうか?
ええと、実はですね。
理系雑学の本とか読んでたりするとこの辺本当にわけわかんなくなってくるんですけどもな。
生命の発生する確率とか、物理法則がなんでまたこんなこの世界にとって都合良い物なのかとか、その辺考えると「いや神様なのか仏様なのか、どういった存在かはしらんけど、とりあえずその、インテリジェンスデザイナーみたいな奴っていたんじゃねーの?」といった考えは、どうしても拭いきれなくなってくるんですよな。
地球に生命が発生する確率とか「25mプールにバラバラの時計を入れ水流で勝手に完成する確率と同じ」なんて言われてますしね。
いやそんな砂漠で砂粒探すような確率を通すの、なんか超常的な存在がサイコロの目を操作でもしてない限り現実的にありえなくね、とも思えるんですわ。
まあ、そんなこんなで聖書や神話、お経に書かれているような神様仏様がいるかどうかは知らんけど、そんな感じの超常的な存在はまったくの妄想である、とも熊は言えないんですよな。
まあ、矮小な人間がショボい感覚器官と認知能力で把握できる範囲なんてせまー――いもんなわけですわ。
そんな狭くて小さい視野で全ての存在を理解しきれると思う方が、カルト宗教的ですやな。
世の中わからん事、未知な事なんてまだまだいっぱいですよ。
以上!
映画ネタがあったから、音楽ネタで書いてみるってえのはどうだい
ルイ瑞鶴14世さんより
というわけで音楽です。
執筆や何かしらの創作活動と音楽ってのは切っても切り離す事は出来なくてですね。
皆さん、小説書くとき作業用BGMってかけてます?
あれ、熊は正直執筆に集中し出すと音楽止める派なんですよね。
これは結構個人差と言いますか、皆様スタイル別れる所でしょうけども。
ちなみに、漫画家の手塚治虫先生は作業場にクラシックがずっと流れていて、ジョジョの荒木飛呂彦先生は洋楽流れてるらしいですね。
まあ、アシスタント経験の無い熊は実際の漫画制作の現場がどうなっていたのかはわからないわけですけども。
この作業用BGM、確かに最初集中して執筆するまでは、物語の中に完全に入り込むまではその手助けをしてくれるんですよ。熊の場合。
ただ、その物語の世界にいざ没頭出来たら、完全にゾーンに入ってバシバシ文章書けるような状態に持っていけたら、今度逆にその作業用BGMが熊の場合は集中の邪魔になってくるんですよね。
これなんでかなーと思ってたんですけど、単純に熊が気が散りやすい性格してるからなんだと思います。
バッチバチに、完全無欠に集中できてたら音楽が聞こえようが映画が作業場で流れていようが、そんなもん気にせず執筆なり何なりに没頭できるわけです。
でも熊の場合はその集中した状態ってのは実に儚いものでして。
ほんと、ちょっとした事で集中途切れちゃうんすよな。
未熟も良い所です。
逆に、気が散ってそもそも集中していない場合、この作業用BGMは強い味方になってくれるんすよな。
理由は、なんとなくダラダラ、乗り気じゃなくても音楽に合わせて作業しているうちに結構書き進められているから。
あと、その何となく音楽掛かっている間にダラダラ執筆していると、そこから作業興奮のスイッチ入って本気モードでバリバリ書けるようになったりもするからです。
本当に集中できる人はこんな熊みたいに「あー集中するまではこれ流しとこ!」「なんか集中できてるっぽいから音楽消そ」なんて面倒くさい切り替えしなくて良いんでしょうけどもな。
まあ何にせよ、音楽は我ら物書きの強い味方。
良い距離感で接していきたい所ですな。
以上!
追い込みについての感想とか。
追い込まれてのとか、エッセイで聞きたいなあ
さんぜん円ねこさんより
追い込みについてなwww
現在進行形で過去一追い込まれてるわけですが、いいよいいよ!
語ってやるよ限界具合!
まず、熊が「期限までに規定の文字数書けなきゃこのアカウント削除するぜ!」的な追い込みを何でしようと思ったかについてから語りますな。
ええと、こりゃ熊の小説読んでくれてる方には完全にバレてるんですがな。
熊ってば超遅筆なんですよ。
基本的にサボろうとするし、更新頻度なんて亀の如き歩みですし。
最終更新日が半年前とか普通にあったしね。
Twitterの方は毎日更新なのに、作品の更新は本ッ当に遅い!
熊は一応これでも小説書いて本出して金稼ぎたいなと思っているわけなんですが、こんな調子じゃ冗談抜きに100年経っても自分の本なんて出せねえなと思ったんですわ。
そこで、とにかくまず量を書けるようにしないとお話にならんなと思いまして。
もちろん小説にしろエッセイにしろ、読んで楽しませようとしたらクオリティはとても大事な所です。
沢山書けるけど、つまらないというのは、書き手としてあまり良い物では無いでしょう。
ですが、それ以上に書けもしない物書きは、もう話にならないんですよね。
まずは作品を仕上げて、読者さんの前にお出しできるようにならんことには始まらない。
腹をすかして店に来たお客様には、時間内に、最低限食い物用意して出せなきゃならんのですよ。
それがデロデロに伸びたソバだろうが、米の焚き方間違えて硬くてまずいメシになっていようが、メシを用意できないよりははるかにましなんですよな。メシ屋として。
まずどんな形でも仕上げて出せるようにする。
クオリティアップを図るのはそれが最低限クリアできてからの話だよな、と。
まあそんな風に思ったわけですわ。
そんで、じゃあ期限決めて分量書くぞと意気込んだところで、なにせ熊のサボり癖は筋金入りでして。
何のペナルティも無く、自分の向上心に任せていたら、まったく小説書きあがらんのですわ。
「今日は何文字書く!」とか「何時間執筆するぞ!」とか、なんかそんな事をTwitterで本日一日の目標を宣言してみたりもしてみたんですが、出来た割合すげえ低くてラチが明かなかったんですよね。
で、じゃあペナルティどうするかを考えてみて。
もんのすっげー極論を言うなら、頭に銃口押し付けられて脅されれば、大抵の人間死に物狂いで動くよね、と思ったんすわ。
まあもちろん一番惜しいのは自分の命なわけで。
だから「既定の文字数かけなければ自殺します!」とかやって本気で命かければ執筆速度も上がるし執筆量も増えるんでしょうがな。
流石にそんな事をTwitterで宣言したらみんな引くし、通報されてアカウント凍結しかねないしで出来ないわけで。
そんで、じゃあ失う物などあんまり無い熊が、それでも「これを失うのは無敵の人に片足突っ込んだ熊でも避けたい!」と思えたのがフォロワーさん達だったんですよね。
要は、このアカウント。
確かに、過去「これが出来なきゃもう熊のアカウント消すわ!」つって宣言してやった課題は過去全てクリアしてたんすよね。
だもんで、強制力って点では相当有効なんじゃねえかと思ってひとまず「11月中に新作8万文字更新できなきゃアカウント削除する!」つってTwitterで宣言してみたんすわ。
もう逃げられないよう、あとごまかせないようにみんなにリツイートしてもらってな。
で、そこまでやっても最初の一週間は結構サボってたし余裕ブッこいてたのね。
そんで半分すぎて、残りの日数が10日切ったあたりから、熟睡できなくなってきたんす話。
なんかヘラヘラTwitterで毎日面白おかしくフォロワーさんとリプ送り合ってるけど、これこのままでいいの?
残りの日数もうあんま無いから、このまま行くと今こうしてバカ話してるフォロワーさん達丸ごと失う事になるんだけどって恐怖感が、実感として湧いてきたのね。
いや、もう本当にそれがゾクゾクするくらい怖くてさ。
あんだけ執筆サボってても熟睡してたのに、ガチで眠れなくなったんですわ。
あとうなされて起きた。
そこからは、Twitterを当時見てた方はご存じの通り完全に尻に火が着いた熊はとにかくひたすら書き始めたんすよね。
あんな急に書けるようになるなんて、熊自身も思ってなかったですわ。
あと、確か多数決クエストもあんな追い込まれるまでは一切書くつもりなくて。
土壇場で「よし、かこう」って思いついたんすよな。
どうせ先の展開なんて考えられないんだったらネタの瞬発力とアドリブ鍛えられる小説書いてやるっつって。半分やけっぱちになって。
んでまあ、小説とエッセイとを本気でギリギリまで時間かかったけど書き上げて、ノルマ達成して生き延びることが出来たって感じなんすよな。
で、味を占めて12月の今月も「よーし、このままの勢いで書き続ければ10万文字とて恐るるに足らず!」とか考えて先月と同じく出来なきゃアカウント消す事を宣言してやってみたんだけどさ。
これが先月と同じように余裕ブッこいて前半ほとんど書いてねえでやんお。
で、こうして最終日の今、2023年も終わろうかという大晦日に半泣きになってかいてんのな。
あー、あれよ。
うなされたうなされた。
てかこれ書いてる今現在マトモに眠れてなくて。
直近三日間の合計睡眠時間とか5時間未満で執筆してんのよな。
もう滅茶苦茶だよ。
てか、そこまで恐怖心感じるんなら、ちゃんと日頃からコツコツ書いとけって話なんだよな。
なんでこんな危ない橋渡ってんだホント。
とは言うもののですよ。
「今日はこれだけの課題をやりまーす」なんてTwitterで宣言しても一向にやらずに熟睡カマし続けてきたサボり魔が、こうしてほぼ徹夜で狂ったように文章書き続けられてんだから、人質としての効果は抜群なんですよね。
ただ、一歩間違うとガチでアカウント消す事になりますし、失う物が熊個人的にも実に大きいので、こんな真似しなくとも、定期的にコツコツ執筆できるような習慣をつけておきたい所なんですけどもな。
まあ、この物書きのスタイルが良いか悪いかは……良か無いんでしょうけども。
それにしても、フォロワーさんのおかげでこうして超絶遅筆な、書かざること山の如しな熊が一ヶ月で10万文字書けるようになれたってのは有難い事ですわ。
本当に、感謝ですな。
重ねてお礼を言います。
熊のアレな企画と挑戦を見守って下さったフォロワーの皆様!
有難うございます!
来年2024年からはですね。
ちゃんと、こんな真似せずとも執筆の方は続けて、新人賞にもまたチャレンジしていきますので!
こんな危なっかしい、信用の無い物書きの熊ですが、どうか来年もまたお付き合いいただけますと有難い限りでございます。
2023年の本年度は、皆様良くしていただき有難うございました。
来年も、変わらぬご愛顧いただけますと有難い限りです!
よろしくお願いします!
以上!
2023年、年末物書き年越しエッセイ!……END
あ、ちなみになんですが。
熊エッセイに関しては、なろうさんでは単発エッセイとして書いていって、カクヨム様の方で〇〇年度熊エッセイとして、その年に書いたエッセイを全部まとめて掲載していくって形で運用方法変えてやっていこうかなと、そんな感じの事を考えております。
んでは!




