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14歳の中学生が書いています。初投稿です。何かと至らない点があると思いますが、よければ読んでもらえると嬉しいです。題名は、まだ決まっていません。

作者: 天音雫

頭上には、遥か遠くまで、雲一つない青空が広がっていた。家の方からは、叔母であるゼメルが、朝食を準備する、食器と食器が触れ合い、軽快なリズムが聞こえてくる。柔らかな風が髪を揺らす。その髪の動きに合わせて、手に持った洗濯物も、ゆっくりと揺れる。

 

アリシアとその叔母、ゼメルが暮らすこの家は、ガーネクという小さな村の外れにあった。叔母のゼメルは、優しく、おっとりとしていて、アリシアはそんな叔母とともに、のんびりとした暮らしを送っていた。


ガーネクに住んでいる住民たちも、みんな優しく、アリシアはこの村が大好きだった。村の人達は、本当に仲が良く、作った野菜を交換したり、分け合ったり、渡したり、いつも活気にあふれていた。


村の中心部から離れた場所にあるアリシアの家まで、大きなカボチャを7つ、笑顔で持ってきてくれたときは流石に驚いたのだが。とにかく、村の全員が助け合い、協力しながら暮らしていた。

 

アリシアが物心ついたときから、アリシアは、この家でゼメルとともに暮らしていた。両親の顔は、アリシアの記憶のどこを探しても見つからなかった。しかし、代わりに、ゼメルとの思い出が数え切れないほどあった。


幼い頃から、すぐそばにいた存在のため、本当の母親のように慕っていた。そしてゼメルも、そんなアリシアをたくさん可愛がり、無償の愛を注ぎ育ててきてくれた。


アリシアにとってゼメルはもう母親のようなものだった。ゼメルから、両親の話は聞いたことがなく(もしあったとしたら、それはおそらくだいぶ昔のことだろう)、またアリシアも、両親のことは聞かなかった。


聞きたくなかったわけでも、ゼメルが話してくれないと思ったわけではない。ただ単に、顔も覚えてない、今どこで何をしているかわからない、生きているかも知らない両親の話をするよりも、ゼメルとの思い出話や、村で今噂になっていることなどを話したほうが、楽しいと思ったからだった。


「リシー!朝食の準備ができたわよ〜」

家の中から、ゼメルが自分を呼ぶ声が聞こえる。

「はーい!!今行くー!!」

そう答えて、慌てて手に持った洗濯物を干し終える。


ゼメルはアリシアのことを、親愛を込めて、“リシー”と呼んでくれていた。アリシアは、この呼び方が大好きだった。普通に名前で呼ばれるよりも、特別感があるような、そんな気がした。


家の中に戻ると、そこにはもう、ゼメルが朝食を準備して待ってくれていた。アリシアが戻って来たのを見て、その顔に笑みを浮かべた。

「リシー、顔に泡が付いてるわよ?」

「えっ?!どこっ?!」

アリシアは、頬のあたりを手で思い切り擦り、

「と、取れた?」

と聞く。


ゼメルは目を細め、頬を緩める。

「えぇ、取れたわ。本当に、リシーはお転婆ね?」

アリシアは思わず苦笑した。洗濯をしていたとはいえ、泡がついていたくらいでお転婆と言われるということは、きっと大量につけていたのだろう。

「さぁ、リシーのお顔も綺麗になったことだし、朝食にしましょうか?」

「むぅ。泡のことはもういいでしょー!!」


二人で笑いながら、椅子の上に座る。

「ふふっ、はいはい、じゃあ、いただきます。」

「いただきます。」

両手を合わせ頭を下げてから、アリシアは目玉焼きの乗ったトーストに手を伸ばした。


ゼメルは料理上手で、何でもおいしく作ることができるが、中でも目玉焼きは村の中でもその美味しさが知れ渡るほどだった。真ん丸な黄身と白身と、半熟加減のバランスが絶妙であった。


ガスが通っていないこの村では、たまごなどを半熟にするための火加減や焼く時間を見極めるのが難しい。


アリシアも、挑戦してみたことはあるものの、火加減どうのこうのの問題より先に、卵を、殻を入れずにきちんと割るところから始まった。しかしいくらやっても結果は同じである。


その結果、料理は基本的にゼメルに任せっきりになっていた。申し訳なく思っているのだが、料理に関しては何をやっても、アリシアは全くの役立たずであった。


しかしゼメルは、そんな役立たずのアリシアを、責めたことも、料理をむりやり練習させようともしなかった。そのままでいいんだよ、と笑うゼメルは、本当に異常なまでに優しかった。


もちろん優しいだけではない、ダメなことはダメだといい、怒ってくれる。そこも含めて、アリシアはゼメルのことをとても信頼していた。


ゼメルはスープをすすりながら、そういえば、とつぶやいた。

「賢者のエルフ様が、村に来てくださっているみたいよ?」

「えっ?!嘘っ?!エルフ様が?!」

予想していなかった事を言われ危うく喉をつまらせかけながら聞き返す。


賢者のエルフ様は、この村にバリアのような役割を果たす結界をはり、守ってくれている“エルフ”のことだった。わざわざ村に顔を見せに来ることはほとんど無かったが、この村を守ってくれていることは十分に村の全員が知っていた。


アリシアは、一度だけ幼いときに会ったような記憶がある気がするが、ぼんやりとしていてあまり覚えていなかった。


「あ、会えるかな…っ?!」

期待を込めてゼメルの方を見る。ゼメルは困ったように笑った。

「う〜ん、どうかしら。あんまり長居はしないみたいよ。普段から色々な村を守ってて忙しいみたいだし、それに…、…………何でも、異常事態になったとか……」

「…………異常、事態……?」

「……エルフ様、とても動揺してたみたいよ。」

深刻そうな顔つきをしながらも呑気にスープを掻き混ぜているゼメルに対し、アリシアは不安を感じ手に持ったトーストを見つめたまま静止していた。


会った記憶こそほとんどないが、この村を守りづづけてきてくれたエルフ様が動揺するなど、アリシアにとっては予想もつかない、余程のことが起こったのだろう。


顔を曇らせてずっとトーストを見つめたまま動かないアリシアを、ゼメルは不思議そうに見つめ、首を傾げた。

「トーストのおかわりなら、まだあるわよ?」

「もうっ!!違うってばぁ〜!!」

ゼメルはキョトンとした顔をしながらスープを飲み干した。



朝食を食べ終えると、アリシアは真っ先に村の森であるヘグルスへと向かった。エルフ様は、この森に張る結界を確認したり強化したりするために時折村にやってきていた。


前には、一晩中この森にいたこともあったそうだ。エルフ様は、村の中心部ー人が集まっているところーにはめったに顔を見せにこない。村にひっそり着いて、すぐにへグルスに行き、結界の安全を確かめると、すぐにこの村から出ていってしまう。


他の村も同じようにして守っているというのだから、エルフ様は相当忙しいだろう。でも、他の村もその結界で脅威から守っているなんて、とてつもなくありがたくすごいことだ。だから、“賢者”のエルフ様と呼ばれているのだろう。


へグルスは森だが、木々が鬱蒼と生い茂る不気味な森ではない。森にはしっかり管理人がいて、木々や伸びすぎた草を定期的に切ったり、森の中の道を整備してくれている。おかげで、森の中は明るく、不思議な開放感がある。森の中はいつも輝いていて、草木や花が眩しかった。

 

そして今日も、例にもれず、輝く草花とまばゆい陽光がアリシアを迎え入れていた。アリシアは、森の中を迷わずに進んでいく。


この森は見通しが良くて道も整備されており、光が溢れているため幼い頃からよく遊びに来ていた。来るたびにいろいろな場所を探検しにいっていたため、森の中は熟知していた。


慣れた足取りで、奥の方へと進んでいく。頭上で鳥のさえずりが聞こえ、アリシアは頬を緩めた。


この森にはたくさんの種類の鳥が生息していて、いつも綺麗なさえずりを響かせている。そのさえずりが、心做しか嬉しそうなのは、寒い冬が終わり、ようやくやってきた春を喜んでいるからだろうか。


そんなことをぼんやりと考えながら森の中を隅々まで見て回る。しかし、エルフ様を見つけることはできなかった。


渋々諦めて森からでてきたアリシアだったが、ふと後ろからかかった声に顔を輝かせた。


「また森に行っていたのかい?」

眉尻を少し下げ、困ったように笑いながら青年はアリシアにそう尋ねた。

「ネイト!久しぶり!!」

アリシアが元気いっぱいに返事をし、ネイトを感動させる。


「相変わらずアリシアは元気だね。…………もっとも、昨日ぶり、だけど。」

小さな声で付け加えられた一言を、アリシアは聞き逃さなかった。

「……今日会ってなかったんだから、“久しぶり”って、い•う•の!!」

「……はいはい。」

ずいと顔を近づけてすねた様子でこちらを睨むアリシアにアリシアにネイトは思わず苦笑した。


「……もしかしなくても、賢者のエルフ様を探していたのかい?」

「!そう!どこにいるか知らない?」

ネイトは困った顔で続けた。


「エルフ様なら、もう次の村にむけて出立されたそうだよ。昨晩ついたばかりだというのに、今日の朝早くにはもう旅立つ準備をしていて……

何でも、“異常事態”、らしい。」

「………そうだったんだ……

その、“異常事態”…って?」

ネイトは肩をすくめた。


「…分からない。でも、エルフ様がわざわざ村の中心部に直々に忠告に来てくださったくらいなんだから、かなりマズイことが起きたんじゃないかな…」

「………直々、に……?」

不安を覚えながらアリシアは恐る恐る聞き返す。エルフ様は、村の中心部にはほとんど顔を見せに来ないはず。


「それって……どういうこと?」

「……?どうもこうも、そのままだよ?エルフ様が、村の中心部には顔を見せに来てくれたんだよ。……だけど、あんまり喜んでいられる状況じゃなさそうだな。エルフ様、顔色が悪かったし、何かあったらすぐに伝えるようにとだけ伝えてすぐに行ってしまったから……」

「ーーーーーーーーー………………」

嫌な予感がして、背筋に怖気が走った。口が動かなくなり、黙ってしまったアリシアに、ネイトは軽い調子で続けた。


「……まぁ、そんなに心配しなくても、大丈夫だと思うよ?しっかり、結界も強化してくれたみたいだし……」

「………う、うんっ!!そうだよねっ!!」

不安と恐怖を押し殺し明るい声でアリシアは応じる。


ーネイトの言うとおり、きっと、大丈夫だ。この村はエルフ様とエルフ様の張る結界で守られている。だから、きっと、きっと、ーきっと、大丈夫、だ。


「それじゃあ、僕はまだ父さんの手伝いが残ってるからそろそろ行かないと」

「あ、う、うん!また明日ね!!」

アリシアは慌ててそう返し、ゼメルのいる家へと戻っていった。


“異常事態”と言っても、帰り道に眺める村の景色に、特に変わったことはなかった。いつもどおりの、何も変わらない平和な風景だ。楽しそうに言葉を交わす村の人達、鬼ごっこをして遊ぶ小さな子どもたち、畑を耕す青年やその家族。その全員の顔が、笑顔に満ちていた。そう、これが、いつものこの村だ。ガーネク村の、幸せな、日常だ。何も変わらない。大丈夫だ。


自分にそう言い聞かせながら家へと向かっていると、一人の村人に呼び止められた。

「アリシアー!うちで、ジャガイモが取れすぎちゃったの。ちょっと持っていってくれないかしら?」

「いいの?!ありがとう!!」

 

そうして渡されたのは、バスケットかごいっぱいにみっしりと入っていた。アリシアは、驚きながら何度も礼をいい、ジャガイモの予想以上の重さに苦戦しながら何とかゼメルの家へと辿り着いた。


ゼメルは、家の外に置いてある椅子の上で、のんびりと編み物をしている。ーと思いきや、かぎ針を手に、うとうとと寝ていた。しかし、アリシアが帰ってきたのに気付き、ぱっと顔を上げた。


「あら、おかえりなさい、リシー。エルフ様には会えたのかしら……って、どうしたの?そのバスケットかご。ものすごく重そうじゃない?」

アリシアは苦笑いしながらバスケットかごを庭の芝生の上にドサリと置いた。


「ふふっ、ただいま。……エルフ様には、会えなかったの。

これは、取れすぎちゃったから持ってってくれーって……」

「まぁ、立派すぎるくらい立派なジャガイモね。それもこんなにたくさん!今度、お礼をしなくちゃね。」

まだ少し眠そうな顔に満面の笑みを浮かべて、ゼメルはジャガイモの入ったバスケットかごを家の中へと運び入れた。

 


無事に家の中に運んだゼメルは、うたた寝によってからまってしまった糸を少しずつ解きながらアリシアと歓談している。


「ーそう。エルフ様には、会えなかったのね。」

「…………うん……会いたかったなぁ……」

ゼメルは微笑んで言う。

「ふふっ、きっといつか会えるわよ。そんなに会いたがっているなら、エルフ様もそのうち会いに来てくれるんじゃないかしら?」

「もう……“いつか”って……それに、村にすら滅多に来てくれないのに、家に来てくれるわけないじゃない。」

「そうかしら?」


呆れるアリシアに対し、ゼメルは相変わらず呑気に、しかし必死に絡まる糸と戦っていたが、ふと手を止めて顔を上げた。

「あぁ、そういえば!明日、少しウェルゼンに買い物に行ってきてくれないかしら?」


ウェルゼンは、この村から少し離れたところにある人がたくさんいる都市だ。村よりいろいろな商品を売っていて、違う地域からくる人々も多く、いつも賑わっていた。


「うん!分かった!」

滅多に行くことがないので久しぶりに行けることに心を弾ませて元気にそう返し、胸を躍らせる。


「買うものは、しっかりメモに書いて渡すから大丈夫よ。………あら?どうしてここの穴の中に5本も糸が入ってしまっているのかしら?しかもすべてぐちゃぐちゃに絡まっているわ………」


アリシアは思わず吹き出した。

「ゼメルおばさん、まだ解けてなかったの?」

「えぇ…そうなのよ………なかなか………うまくいかなくて………」

「えぇ〜?ちょっと貸してー………んっ、んんっ、………なかなか解けないなぁ……」

ゼメル絡まりまくったかぎ針を受け取り、何とか解いてみせようといろいろな方向に動かしてみるが、たしかになかなか解けない。


「う〜〜〜〜ん………………どうしたら、こんなに絡まるの?」

答えは分かっていたが、思わずゼメルに聞いてしまう。ゼメルは、困った顔でかぎ針を見つめたままつぶやいた。


「分からないのよ……少しうとうとしてただけなのに、気づいたらこんなことになってて……」

「う〜ん、多分、そのウトウトが原因だと思うよ…?」

糸を解こうとする手を止めずに、顔がニヤけてしまうのを堪えきれずにゼメルに視線を向けて説明する。


「ゼメルおばさん、ウトウトしながら手を動かしてるから………だから、こんなふうにめちゃくちゃになっちゃうんとおもうんだけど……」

アリシアももうかなり前だが、初めて見たときは自分の目を疑った。


あまりにもすばやく手を動かしていたため、初めは、目を閉じながらあみものをしているのかと思った。しかし違った。ゼメルは確かに、眠りながら編み物をしていた。


寝言まで言っていて、アリシアが話しかけても何の応答も返ってこなかったのだから間違いない。


しかしながら、当然、眠りながらあみものなど余程の技術の持ち主でなければ出来ないことだろう。そしてゼメルは、アリシアの思い込みでなければ、それほどの技術は持ち合わせていなかった。というか、眠りながら編み物ができる人など見たことがなかった。


眠りながら手を動かし続けるゼメルをよそに、かぎ針に糸が無情に絡まっていくあの光景は、何度思い出しても笑ってしまう。

「まぁ?そうだったの?」

その事実を知らなかったゼメルは目を瞠る。

「あぁ、だからあんなに糸がぐちゃぐちゃで全く解けようとしてくれないのね…?」


納得した様子で何度もうなずくゼメルを横目で見ながら、アリシアは笑いを堪えきれず、小さく吹き出したのだった



余談だが、その日の夕食のメニューは、見事なまでにジャガイモづくしだった。にもかかわらず、どれも全く違う料理として仕上がっていて、アリシアは舌鼓を打ちながら、

「ゼメルおばさんって……天才?」

と感嘆の声を漏らし、ゼメルを大いに喜ばせた。そして夕食の後、キッチンにおいてあるジャガイモの入ったバスケットかごを見ると、信じられないほど大量に残っていた。ゼメルの料理のレパートリーが尽きるのと、ジャガイモが無くなるのはどちらが先だろうかと思案するアリシアだった。



翌日、アリシアは期待に胸を膨らませ、手にした買い物用のバスケットを揺らしながら、意気揚々とウェルゼンに向かっていた。


行くのはかなり久しぶりということもあり、アリシアはとても楽しみにしていた。その待望ぶりといったら、いつもより3時間も早く目覚め、ウズウズしていたほどであった。


ガーネク村からウェルゼンまでは少し距離があるため、ガーネク村の人達は、余程のことがなければ、ウェルゼンには行かない。


ましてや、徒歩で行く物好きなど、村中を探してもアリシアぐらいだろう。


しかしアリシアにとっては、村とかけ離れた雰囲気をまとう都市、ウェルゼンへと向かうのはとても心躍ることで、ウェルゼンへと向かう道のりや周りの景色、だんだんと増えてくる人、その全てが好きだった。 



そして今日も、アリシアは普段見ることのない風景を堪能しながらのんびりと歩いていた。しかし、アリシアは、途中でかすかな違和感を覚えた。


すれ違う人々の顔が見たことのないくらい険しく、深刻そうだったからだ。


それにわずかに不安を感じながら、歩き進めていき、多くの店が立ち並び活気にあふれる都市、ウェルゼンへと到着した。


待ち望んでいたウェルゼンへの到着にもかかわらず、アリシアの心中は恐怖でかき乱されていた。ウェルゼンは相変わらず人が多かったが、どの人の顔も不安げで顔色が悪く、聞こえてくる会話も不穏なものばかりだった。


「おい、聞いたか…?」

「あぁ、信じられねぇよな……」

「一体どうやって封印を解いたってんだ……?」

「中の奴らは無事なのか?」

「結界はどうしたんだ…?」


顔を見合わせそんな言葉をかわす人々。ー何かが起きているのだ。何か、異常な、何かが。


漠然とした不安と恐怖を抱えながらメモに書かれているものを買いに向かう。都市であるウェルゼンにはたくさんの店があるのだが、買ってきてほしいと頼まれたものを買うときには、いつも同じ店だった。


そのお店以外では、何かを買ったことはなかった。その言うなれば“行きつけ”の店へと、人々が交わす会話に耳をそばたてながら向かう。その店の店主はアリシアがやってきたのに気づくと、片手を上げて声をかけた。


「やぁ!久しいな。まだわざわざ都市まで徒歩で来てくれるなんて、嬉しいな!」

アリシアは都市に来るたびにこの店に来ているので、店主にはしっかりと顔と名前を覚えられていた。嬉しそうにアリシアを眺めていた店主はアリシアの様子がおかしいことに気づいた。


「ーーどうかしたのか、アリシア?」

もしやどこか調子が悪いのではないかと、店主はその双眸に不安を滲ませた。

「ロルフィーさん……

一体、……何があったの……?」

「ーーーーあぁ、……」

恐怖にかすれた声で紡がれた質問を聞いた途端、店主ーロルフィーは納得する。


「みんな……なんか、おかしいよ。……何か、あったの?」

震えそうになる声を押さえつけ、アリシアは己の胸に手をやり、拳を固める。それを見たロルフィーは、静かに嘆息し、これまでの軽快さとは打って変わって沈んだ声を出した。

「ーーーーガーネク村には、伝わってないのか……?」

案じるようにそう尋ねるロルフィーに、アリシアは否定も肯定せずただ俯いた。


「…………クレルディナが、………“堕ちた”んだ……」

躊躇いがちに紡がれた言葉に、アリシアは視線を上げた。躊躇と心労で顔をくもらせたロルフィーが、意図せずにアリシアの恐怖に拍車をかけた。


「…………それと、封印が、破れた……らしい…」

封印。この店に来る途中でも、耳にした単語だ。聞き覚えのない言葉であったが、ロルフィーの顔つきを、そして都市の人々を見れば、それがただ事ではないということが、アリシアにも分かった。


「ーーだから、都市の奴らも、商人の連中も、大騒ぎしてるってわけだ。今までに、こんなことはなかったからな。」

ため息をつき、目を伏せるロルフィーに、アリシアは何も言えなくなった。情報がなかなか伝わってこないガーネク村に、そして、封印のことも、クレルディナという場所も、“堕ちた”とうのがどういうことなのかも分からない自分に、歯がゆさを覚えた。


黙ったまま何も言わないアリシアを、ロルフィーは、物憂げに見つめた。

「まぁ、都市にいる俺でも、知ってるのはこれぐらいだ。他のことは、耳にしてないな。でも、いずれにせよーーー」

口調と顔に軽快さが戻る。


「心配しすぎるのも疲れるからな。程々でいいと思うぞ?

ところで………アリシアは、お客としてうちに来たわけじゃなかったのかい?」

悪戯っぽく目を細めるロルフィーのその言葉を聞き、アリシアはようやく自分がなんのためにここに来たのかを思い出す。


「うあぁぁぁぁぁっと!そーだった!え、えっと、このメモに書いてあるものが欲しいんだけど……」

ゼメルに渡された買うものが書かれたメモをあたふたしているアリシアから受け取りながらロルフィーは笑い、ぼやく。


「アリシアは、たまにちょっと抜けてるよな…

…………ゼメルに似たのか?」

メモに目を通し、次から次へとアリシアが買うものを取る音で、誰に聞いたわけでもない問いは掻き消された。


「ーーー?ロルフィーさん?何か言った?」

一瞬、迷う。しかし、すぐに返す。

「ーーいや、何でもない。商品棚に、足の小指をぶつけてちょっと毒づいただけだ。」

「え、それってすっごく痛いやつなんじゃ……大丈夫……?」

心配そうにこちらを伺うアリシアを横目に、用意したものをアリシアから受け取ったバスケットに詰め込み、うまくごまかせたことに安堵し息を吐く。


『ゼメルに似たのか』なんてアリシアが聞けば、アリシアは完全に拗ねてしまっていただろう。前に似たようなことをいい、『ゼメルおばさんよりしっかりしてるもん!』と不満そうな口調で言われた。まぁ、確かに、ゼメルのほうがかなり抜けてるという気はするが。そんなことを考えながら最後の商品を詰め込む。


「ーっし。全部入れたぞ。合計で1587ポルだ。」

随分重くなってしまったバスケットをアリシアに手渡す。

「ありがとう、ロルフィーさん。1587ポル、ぴったりあったみたい。何かいいことあるかなぁ?」

「…かもな。……いや、きっとあるんじゃないか?」

ロルフィーのお墨付きをもらい、アリシアは満面の笑顔で「やったあ!」と無邪気に喜ぶ。


笑顔の戻ったアリシアにロルフィーは少し安心しながらバスケットを指さした。

「そのバスケット、重くないか?」

少し不安げにアリシアの手元も見つめるロルフィーに、アリシアは顔の前でV字を作って応じる。

「全然平気!ジャガイモで鍛えたから!」

「……特殊な鍛え方だな?」


自信満々に言い切るアリシアに、ロルフィーは思わず笑いを堪えきれず吹き出した。

「じゃあ、気をつけて帰れよ。」

「うん!ありがとう!」

手を振りこちらを見送るロルフィーに手を振返し、アリシアは大通へと出た。


 ロルフィーと話したことで、“異常事態”に対する恐怖は、少しだけ薄れていた。来たときよりは軽い足取りで、ウェルゼンを出て、村へと向かう道を進んでいく。


しかし、ーー


「はっくしょい!!」

帰りの道にして、何度目かわからない盛大なくしゃみをする。アリシアはひとり呟いた。


「んー……何か……寒くない…?気のせいかな?」

来た道は暖かく感じたはずだったが、帰りの道は格別に寒く感じられた。そしてその寒さは、先に進むに連れて、ー村に近付くにつれて強くなっていく。


「………さ、寒い……」

いつの間にか、吐く息は白く、春とは思えない冷たい風が吹き荒れていた。アリシアの背筋に怖気が走る。おかしい。そして、それに輪をかけるようにして、空から白いものが降ってくる。


「……?!ゆ、雪……?!どうして……?!」

ちらちら、ちらちらと舞い散るそれは、雪の他にならなかった。

「五月、なのに……?!」


アリシアの住むガーネク村では五月どころか、四月でさえ雪が降ったことはない。ガーネク村で雪が降るのは、十二月から二月の間だけだ。


驚愕に目を見開き、思わず立ち止まる。ーが、それも束の間、アリシアは村に向かって駆け出した。


 「っはぁ、はぁっ、はあ…っ、」

浅い呼吸で吐かれた息は、例外なく白へと染まる。痛む肺を無視してひたすらに走り続ける。


そんなアリシアを嘲笑うかのように、僅かに舞っていただけのはずだった雪が、荒れ狂い、量が増え、吹雪となってアリシアを襲う。


「………っ、もう、すこ、しっ……」

それでもアリシアは足を止めない。頭の中で警鐘がなっている。かじかんだ手の感覚が薄れていく。足が、痛い。全身の感覚が奪われていく。それでも、足を、体を、無理矢理に動かして前に進みーーついに、ガーネク村へと辿り着く。ーーーしかし、


「……………ぇ………」

声にならない声が、凍りそうな唇から漏れた。バスケットが、力の入らなくなった手から滑り落ち、音を立てて積もった雪の上に落ちる。


ただ、呆然と立ち尽くす。アリシアの目を、衝撃だけが突き抜けた。

ーーーーーーーーーーーーー村は、氷漬けになっていた。


 


 大地は雪に覆われ、木々も建物も、全てが氷像と化していた。そして、ただ氷漬けになっているだけではなかった。


建物は破壊され、木々は無惨に折れていた。爆弾を投げた直後に一気に氷で固めたような、そんな感覚がした。


寒さのせいか、恐怖のせいか、はたまた別のなにかのせいか、震えの止まらない体を力づくで動かし村の中へと、足を進める。


一歩、また一歩と言うことの聞かない足を動かし進み続けーーアリシアは、さらに残酷な現実を目の当たりにする。

「ーーーーーーーーーネイト?」


氷漬けになった家の前で、片手を上に上げ、どこかに向かって走り出そうとした、その体勢のまま、氷像と化していたのは、見間違いようもなく、ネイトだった。


周りを見れば、ネイトだけではなかった。アリシアは、周りを見る。どうして、気が付かなかったのだろうと思いながら。周りには、村の人たちは、ことごとく時が止まったかのような体勢で氷漬けとなっていた。


「……う、そ………み……、んな、……ど……、して………」

とぎれとぎれの言葉が、アリシアの口から紡がれる。その問いに答えてくれるものはいない。


「ーーーっ!ゼメル、おば、さんっ………!!

アリシアは、咄嗟に自分の家へとーゼメルの住んでいる家へと向かう。ー全速力で、疾走する。


自分のどこにそんな力が残っていたのかは分からない。ただ、恐怖と胸騒ぎがアリシアを突き動かしていた。………嫌な、予感がした。


走っても走っても辿り着かないような気がして、アリシアは唇を噛んだ。ただがむしゃらに、走る。走り続ける。息苦しさも、感覚が消えていく全身も、すべて無視して。

 

 そして、ーアリシアは、家の前に、浅い呼吸を繰り返して立っていた。家は、村の他の建物と同じで、壊れたまま、倒壊しかけたまま、氷漬けになっていた。


しかし、家の前に、氷漬けになっているゼメルの、姿はない。家の中にいるのだろうか。そう思ったアリシアは、家の玄関へと近づいていきーーー家の前に、何かが倒れているのに気が付いた。


氷漬けにされた木だろうか。そう思い、さらに近付き、ーーーーーーーーアリシアは、絶句した。


「………ゼメル、おば、さん………?」 

家の前で倒れていたのは、氷漬けになった木ではなかった。現実を受け入れられず、アリシアは叫喚する。

「……っ…そんな、う、そ…っ、嫌っ……!!」

 倒れているのは、ゼメルだった。しかし、その身に纏っているのは、氷ではなかった。


白い雪に、ゼメルの周りだけ赤い華が散っている。アリシアは、ゼメルの側に、膝から崩れ落ちた。ゼメルから溢れる鮮血が、アリシアの頬をを伝う涙が、止まることなく溢れ続ける。


氷像になっていないから、ぬくもりがあるはずのゼメルの手は、氷のように冷たかった。ーー凍っていない、はずなのに。頬に降り積もる雪には、溶ける兆しがなかった。

「ゼメル、おばさん………」

かすれた声で名前を呼ぶ。応答は、ない。


ゼメルから溢れる鮮血が、辺りを赤く、紅く、染めていく。その上に、雪が降り積もって、全てを覆い隠そうとしていた。アリシアは、涙で滲む視界の中、ゼメルの手を握り、嗚咽を漏らす。ゼメルの手を握っている自分の手は、震えが止まらない。


激しさを増す吹雪の中、アリシアは自分の意識が遠ざかっていくのをかすかに感じた。しかし、どうでも良かった。あれだけ感じた寒さも、息の苦しさも、もう何も感じない。


思考が、止まる。

何も、わからない。

何も、理解できない。 

何も、動けない。

何も、思い出せない。

何も、ー受け入れられない。


頬を伝ったなみだが凍る。ゼメルの手を握っている自分の指先が、凍っていく。アリシアが、凍っていく。

ふと、見上げた空には、村と同じ大きさの、紫色に輝く魔法陣が雪をとめどなく降らせていてーーーーーーーーーーーーーーアリシアの意識は、闇へと沈んだ。




 一人の少女が、氷漬けになったガーネク村をひたすら駆け抜けていく。足場の悪い雪道を物ともせず、尋常ではないスピードで走る。少女の走る動きに合わせて、なびく金髪から、尖った耳が見え隠れしている。


少女は、唇を噛み、一目散に向かう先にはーーー、

赤く染められた雪景色の中、二人の人物が倒れている。少女は、その二人に駆け寄る。二人のうち一人は、半身が氷像と化している。


少女は、その氷像になりかけている人物を抱き抱え、村の外ー魔法陣の支配下の外を目指して走る。足元から無数の鋭い氷が、走る少女と、その腕に抱かれる氷像になりかけた人物ーアリシアを貫こうとする。


少女はそれを異常な身体能力で、アリシアを抱えたまま、全てかわしていく。かわして、走って、走って、走って、走ってーーガーネク村から、魔法陣の支配下から、抜ける。

少女は、フードを目深にかぶり、再び走り出した。


 

 ー誰かが、自分の名前を呼んでいる。遠くから、とても遠くから、自分の名前を呼んでいる声が聞こえる。だけどその声は、遠い。遠すぎて、別の世界から響いているのかと思ってしまう。


ぼんやりとしていてなんと言っているのかよくわからない。それなのにアリシアはその声が自分の名前を呼んでいるのだと、何故か確信があった。


あたりは暗く、何も見えない。ーー声が、だんだんと近づいてくる。

「ーーーーーー。ーーーーーーーー」

もう少し。もう少しで、聞えそうに思える。アリシアは暗闇の中一歩踏み出す。


「ーーリーー。ーーーーんー。」

一部の声が聞き取れる。もう、本当に、あと少し、もう少し、もうすこしーーーーそう、次で、きっと次で、全て、ーーーーーーー

「ーーーーーーリシー。」


はっきりと、聞こえる。「リシー」と、アリシアのことをそう呼ぶのは、この世でたった一人だけ。アリシアは声を出そうと試みる。

「ーーーごめんねーー」


かすれた声で続いて紡がれた言葉に、アリシアの心に亀裂が走る。なぜ、謝るのか。謝るのなら、村に、ゼメルのところに、もっと早く戻ってこられず、ゼメルを見殺しにした自分ではないか。


「ーーーっ!」

声の出せないアリシアに、

「ーーーーごめんね。」


再度、謝罪の言葉が鼓膜へと伝わる。その声音の痛々しさに、アリシアの心にさらに亀裂か走り、軋み、激痛が走り、砕けそうになりーーー


「ーーーーーーーーーッ、ゼメル、おばさーーーーーー!!!」

 

叫びながら、アリシアは飛び起きた。荒い呼吸を繰り返し、背中を冷や汗が伝う。


アリシアは、知らない森の中にいた。どうやら、横向きに寝かせられていたようだ。アリシアが寝ていたらしき場所は、石などがきれいに取り除かれ、安定し、柔らかい草の上だった。


上半身だけが起き上がり、下半身は力なく地面に伸びている。立とうと思っても、足が言うことを聞かなかった。


直ぐ側には、小さな焚き火が、パチパチという音を立てて、辺りを僅かに明るくさせている。そして目の前には、

「ーーー大丈夫、ですか?

ーーーっ、目覚めて、本当に、良かったっ………!」


金色の髪に青色の瞳をした、ローブを羽織った少女が、草の上に膝を付き、こちらを見ていた。ーー今にも、泣きそうな顔で。


「ーーーーーー?!」

直後、意識が戻ったばかりのアリシアの脳内がフル回転し、様々な疑問を生み出した。


この人は、一体ーー。自分は、なぜここにーー。今、見ていたのはーー。なぜ、生きているのかーー。氷漬けになった、ガーネク村はーー。そして、何より、

「ゼメル、おばさんーーーーーーーー?」


先刻いいかけ途切れた名前を、今度はっきりという。なんの意味も無く、言ってしまう。あの光景を、しっかり見ていたのに、心が、体が、アリシアのすべてが、それを全力で否定している。


ウェルゼンに行く直前のあの時まで、そこにいたはずだったのに。先程見た夢のようなものの中では、姿は見えなくても、声は、確かに、ゼメルだった。


あの夢のようなものの中では、多分、絶対、ゼメルが“いた”

はずだったのにーーーーー。

「っ……その、ごめん、なさい……本、当、に、本当に、ごめん、な、さい……っ……」


そんなアリシアの思考を遮ったのは、涙をボロボロとこぼしながら何度も謝罪する金髪の少女だった。ゼメルに引き続き、訳も分からずに謝られ、アリシアの心臓に三度目の痛みが走る。


その感じたことのない痛みの強さに、アリシアは思わず顔を歪めた。アリシアの表情の変化に気づかず、少女はなおもアリシアに謝り続ける。


「………っ、私がまだ、あと一日、あの村にとどまっていたらっ…結界に、もっとたくさんの呪文をかけておけばっ……!もっと早く、異常に気付けていたら……っ!」

自分で自分を深く責めるように、自分に罪を自覚させるように、少女は涙で頬を濡らしながら、糾弾する。


その少女の金髪から、尖った耳が見え、アリシアは息を呑んだ。

「あなたーー、もしかして、“賢者のエルフ様”?」

おずおずとそう聞くと、少女はゆっくりと首を横にに振り、自分の左手を、右手の爪が喰い込むほど深く握った。


「ーーーーガーネク村を守れなかった私にそんな肩書きで呼んでいただける権利なんて、ないんです………」

その言葉で、アリシアの疑問は確信へと変わる。


今、目の前にいる少女こそが、ガーネク村や他の村に結界を張って守り、そして恐らく、アリシアを助けてくれた、“賢者のエルフ”なのだ。少女の涙は止まらない。頬を伝い、地面へと落ち、暗闇へと溶け込む。


「ゼメルさんだって…………っ!」

悲痛な声で漏らされた人物の名前に、アリシアの肩が跳ねる。

「私が、もっと、ちゃんとしてたら……っ!本当ならっ……!」


“本当なら”。その言葉がアリシアの胸にナイフのように、突き刺さる。村が氷漬けになっていなければ、ゼメルも、みんなも生きている、“本当だったら”、アリシアの日常の世界がずっと続いていくはずだった。

ずっと変わらない、明るい、楽しい日常が。しかし、その日常は、今はアリシアがどれだけ手を必死に伸ばしても届かない場所にある。


それは、辛く苦しく、泣き崩れてしまいたかった。しかし、その原因は、この“賢者のエルフ様”ではない。きっとこの少女は、最善を尽くしてくれていたはずだ。


この少女が、どれほどガーネク村を守ってくれていたのかということも痛いほど伝わってきた。そして、ガーネク村を守りきれなかった少女は、それを悔やみ、悔やみ、苦しみ、自分で自分を責め、自分自身を決して許していなかった。


アリシアにはその気持ちが、分かった。村が、皆が、氷漬けになっているのを見た瞬間から、本当はずっと思っていた。ー自分がもっと早く戻っていれば、何とかできたんじゃないか。村も、みんなも氷漬けにならず、ゼメルも無事だったのではないか。


心のどこかでは、自分がいたところでどうにもならないだろうと冷静に訴えかけている。それでも、そう思ってしまう気持ちは、消えなかった。きっと、村を守るという役目がある“賢者のエルフ様”にとって、その気持ちはアリシアの何倍も強いだろう。


「ーーーーーそれにーー」

と、再び言葉を紡ごうとした少女を遮るようにして、アリシアはまっすぐに言う。もうこれ以上、自分で自分を責めてほしくなかったから。


「で、でも、エルフ様、私は、今、ここに生きて、います。私のこと、助けてくれたんですよね?それこそ、“本当なら”、私、今、ガーネク村で、氷漬けになっていたはずですから……」

意識を失う直前、自分の指先が凍って行くのを確かに見た。あのままだったら、遠からず、全身が凍りついていたはずだ。ーーーネイトの、ように。村の、皆のように。


そうなっていないのは、凍ったはずの指先さえ正常に動かせているのは、アリシアが凍り切る前に、誰かが、ガーネク村から連れ出し、凍ったところを溶かしてくれたということだ。


そして、それは、状況から見ても、この目の前にいる少女、“賢者のエルフ様”だとしか考えられない。

必死で訴えかけるアリシアに、少女は悲しげに目を伏せる。


「アリシア様の身すら守れなければ、私はーミアは、世界から抹消されるほどの罪を犯すことになります。」

目を伏せたままかすれた声で、アリシアの必死の言葉にそう返す。ーーーーーーが、


「ーーーーーーーーーーーーえ?」

返された側のアリシアが、頭の中に大量に発生したクエスチョンマークによって思考が強制停止させられていた。故に、二の句がつげず、ただ雑音を漏らすことしかできなかった。


「ーーーーーーーーー?」

一方の少女も、困惑した顔つきで自分の顎に手をやり、固まってしまったアリシアを見て、自分は何かおかしなことを言っただろうかという疑問が生まれ、同じく困惑した顔つきになり、アリシアを見つめる。


両者の間でクエスチョンマークが飛び交う中、先に口を開いたのはアリシアだった。

「え、えっと……何で私に“様”付けなの……?

あ、あと、“抹消”……って…?」


まだ困惑が残っていてうまく動かない口を無理矢理動かしそう尋ねる。しかし、少女の困惑した顔付きは変わらず、戸惑いが滲んだ声でいう。


「…………?だって、御主人様を様付けで呼ぶのは当たり前、ですよ……?そして、御主人様を命を賭けて守るという役目が果たせないのなら、契約破ったも同然です。契約破りの違反者は当然、世界から抹消されーーー」

「あ、ぇ、へ………?」


少女の口にした言葉の意味がうまく飲み込めず、アリシアは間の抜けた声で聞き返す。だが、少女はそんなアリシアを訝しげに見て、首を傾げて再び口を開いて、

「どうかされましたか?アリシア様?」


アリシアを困惑させている要素の一つである様付けを再度、当然のように使い、アリシアにどうかしたのかと問いかけてきた。

「い、いや、どうかしたもなにも、ですね………」

おさまってきたクエスチョンマークが、再び大量に発生するのを感じ、アリシアは質問すらできなくなる。


しかし、アリシアの目の前にいる少女を見ても、同じ困惑を、その瑠璃色の瞳に宿していた。このままでは埒が明かない。そう感じたアリシアは、一度深く息を吸い込み、自分を落ち着かせる。そして、一つ目の謎を解き明かそうと試みた。


「えっと………まず、なんで私がエルフ様の“御主人様”なのですか?そして、命をかけて守るって……どうしてですか?」

「“契約”を覚えていませんかー?」

「ーーーえっ?」


思っていたものとは違う答えが返ってきただけでなく、その答えも質問で、アリシアは疑問の波に翻弄される。

少女は顔をうつむかせ、静かにつぶやいた。


「ー……いえ、覚えていなくて、当然ですよね…」

アリシアはその声を聞き取れず、聞き返そうとした矢先、少女の瑠璃色の瞳がまっすぐにアリシアを貫いた。


「ーアリシア様。“物語”の記憶はありますか?」

その瑠璃色の瞳が、アリシアの心の底を見透かしているような気がして、アリシアはまた新しく出てきた疑問も合わせて混乱が広がっていくのを感じた。答えられないでいるアリシアを見て、少女は答えを得たようだった。


不意に少女は手を伸ばし、アリシアの額に人差し指を当てた。

「ーーーーーー?!」

声すら出せずに驚くアリシアを余所に、少女は唱える。


「ーーーーーー解約」

「ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」

その言葉が、耳朶を打ったその瞬間、アリシアの頭の中に知らない記憶が流れ込み奔流した。 


「ーーぁ」

その中の一つに、アリシアは声を漏らす知らないはずの、自分のものの気がしない記憶の中に。聞き覚えのある声が響く。


「ーーーーーーーーむかし、むかし」

あるところに、と声は続けた。



 ガーネク村の森、へグルスにある池のそばで、一人の金髪の女性がその女性を取り囲むようにして集まって座っている子どもたちに語りきかせをしていた。


「ーーーーーーーーむかし、むかし、あるところに一人の少年がいました。」

「そのひとって、何歳ぐらいだったの?!」


前置きの一文目で口を挟んだ子供には女性は怒るどころか

むしろ笑顔で答えた。

「そうねぇ、八才くらいかしら?」


「も〜〜〜う、おはなしをさえぎらないでよぉ〜」

「そんなんだと、おはなしがおわるまえに、よるになっちゃうよ?」

「しつもんはあとでにしてよぉ、ネイト。」

「あははは、ごめんねごめん。」

他の子どもたちのブーイングを浴び、質問で口を挟んだ子供ーネイトは、笑いながら謝る。


「えるふさまも、こまるよね?」

その様子を微笑ましく見守っていたエルフ様と呼ばれた女性は、少し笑いながら答える。


「そうかしら?私は、困らないけれども……」

「えるふさまってば、やさしいんだからぁ〜」

「ふふっ、優しいだなんて、そんな………でも、ありがとう。」

話が脱線してしまっているのも構わず、楽しく談笑していた女性だったが、子供の声で目的を思い出す。


「それで、そのしょうねんがどうしたの?」

「あぁ、そうだったわね。」

「今度は、さえぎったら許さないからね、ネイト!」


人差し指をビシッと突きつけられながらそう言われ、ネイトは苦笑しながら「わかってる、わかってるよ」と応じた。その様子を笑顔で見ていた女性は、おもむろに口を開いた。


「ふふ、そうしたら、話の続きに戻りましょうか?


ーーーーーーーーむかし、むかし、あるところに一人の少年がいました。その少年は、幼い頃から、“忌み子”として嫌われ、家族からも虐げられていました。


毎日毎日、薄暗い牢獄のような場所に閉じ込められ、誰も少年を助けようとしませんできた。


少年は、そんな家族に怒り、それは年月が経つに連れ、憎悪へと変わっていきました。少年は心を歪ませながらときを過ごし、青年へと成長しました。


青年の心は真っ黒に染まり、深い憎しみを宿した目には深い影がありました。青年は、優しさを、温もりを、愛を、知らずに育ちました。


暗い檻の中、青年は、地獄のような毎日に耐え、生き続けました。そんなある日のこと、青年は、檻の外で、話をしている声を聞きました。


ーー青年は、そこで、“魔法”というものの存在を初めて知りました。青年はその日から、“魔法”と呼ばれるものを練習し始めました。


初めのうちは、小さく光を灯したり、消したりということを苦労して練習していましたが、それはやがて、炎や水を自在に操るまでに至りました。


青年には、“魔法”の才が、確かにありました。誰にも教わらず、“魔法”を身に着けた青年は思いました。ーーこれで、復讐ができる、と。



青年が、“魔法”の存在を知って数年が立った頃、青年は、炎で鉄の扉を溶かし、脱獄しました。


右も左も分からない場所を、青年は走り続けて行きました。青年は、出会ってしまったものは、誰であろうと片っ端から魔法を使って殺めていきました。


そうして青年は、家族を見つけ出しました。自分を閉じ込めていた、家族を、見つけました。


父親と母親は驚愕し反応が遅れてしまいました。その遅れが、致命傷となりました。


青年は一瞬でその二人を氷漬けにし、空気を凍てつかせました。その時、大量の兵士が異変に気づきやってきました。そのうちの一人が叫びます。


「そいつは“忌み子”だ!!そいつを殺せ!!」百人を超える兵士が皆、剣を抜き、一斉に青年へと斬りかかろうとしました。


しかし、青年の持っていた魔法の才と、その憎しみは、百の兵士も敵いませんでした。


青年は、渦巻く炎の球を兵士に向かって投げつけました。それは爆発し、強大な威力で建物を倒壊させました。


倒壊する建物から何とか外へと逃れた青年は、悟りました。自分の事を、“忌み子”といい、殺そうとしてくるのは家族の奴らだったのだと。


きっと、この世の全ての人間は、自分を“忌み子”として殺そうとしてくるようなそんな奴らしかいないのだと。

自分は、このままだと、いずれ誰かに殺されてしまうのだと。


家族だけに持っていた憎悪が、復讐心が、煮えたぎるような怒りが、対象を世界へと広げていきました。


外へ出た青年は、身を隠しながらさらに魔法を学んでいきました。世界に復讐をするために。世界に、自分が味わった分と同じだけの苦痛をもたらすために。


青年は野望を持ちました。自分がこの世界の支配者になってやる、と。青年は自分に固くそう誓いました。


青年は、一つ一つの国を、“堕として”いきました。


一つ目は、闇で覆い尽くして。


二つ目は、氷漬けにして。


三つ目は、炎で全てを灰に変えて。


そうして、国を支配して、己のものへとしていきました。


その最中、青年は、自分自身の魔力で魂の核を六つ作り出しました。それらに青年は“呪核”と名前をつけました。


呪核はやがて、自然界にある魔力を吸収して自我と人間の姿を持ち、青年の下僕となりました。


青年は、その呪核の力も借りながら、世界を黒で染めようとしていました。世界の全てを闇に墜とそうとしていました。

しかしそれは失敗に終わることになりました。


神の器となり、世界を守る役目のある“神代”とその守護者が、その身を捧げて青年と六つの呪核を封印し、国にかかった闇を取り除き、世界に再び光を巡らせました。


それからずっと、今も、“神代”は、その身と引き換えにこの世界を守ってくれているんだとか。


そうして、今の世界が存在しているんだとか。めでたし、めでたし。」


「………すごく、こわ~いはなしだね………」

「でもでも、とってもいいおはなし!」

子供達は目を輝かせ、口々に感想を述べる。そ


してそれは、子どもたちの中に混ざって一緒に女性の語り聞かせに夢中になっていた幼き日のアリシアも例外ではなかった。


「ねぇねぇ、えるふさま!」

アリシアは、語ってくれた女性の着ているローブのすそを軽く引っ張った。

「わたしも、その“かみしろ”のひとみたいに、ひとも、せかいも、すくえるような、すっごいひとに、なれるかな?!」

女性は少しだけ悲しそうな微笑みを浮かべ、アリシアの頭をそっと撫でた。


「ーーーえぇ、ーーーきっと、アリシアなら、なれるわ。」



「ーーーーーーーーーー」

 意識が、現実へと引き戻される。


記憶の食い違いにアリシアは困惑した。知っているはずなのに、今まで一度も思い出すことは愚か、頭の中でその存在自体が抜け落ちていたような気さえした。


記憶の中の女性を、たしかにアリシアは知っている。ーーーそう、あの人は、“賢者のエルフ様”だ。思い出そうとしてもぼんやりとしかせなかった以前とは違い、彼女の眼差しや言動、立ち居振る舞い、その口調まではっきりと思い出せる。


「ーーーー思い、出せましたか?」

そう聞く目の前の金髪の少女と、記憶の中の金髪の女性が、重なるようでーーーー重ならない。


「エルフ様ーーーー私に、ーーー語って、くれた……?」

具体性に欠ける質問だったが、その意図は違えることなく少女へと伝わる。少女は、唇を噛み、目を伏せた。


「“物語”を語ってくれたアリシア様の記憶の中にいる“賢者のエルフ様”は、私ではなく、恐らく、私の、お母様、………だと思います。」


お母様、と口にした少女の顔は、一瞬だけ苦悶に満ちた表情を見せた。その瞳には、暗い影が隠れていた。


しかし、アリシアがなにか言葉を発する前に、表情は柔らかく笑って作られた仮面の下へと隠れてしまう。本当に、先程の顔が見間違いだったのではないかと思ってしまうほどの笑顔で、あの村は、もともとお母様が守っていて、私が守り始めたのは一年前なので、と少女は言う。


その言葉を聞き、アリシアの中で急速に物事がつながっていく。少女が感じている責任の理由、村を守れなかったことへの自責の念と後悔。そして、“肩書き”と言い、拒絶したその呼び名。

アリシアの中にぼんやりとしか残っていなかった、“賢者のエルフ様”と、目の前にいる“賢者エルフ様”の違い。


「ーーーどうして、忘れていたんだろう………」

こんなに大切で、おもしろい話を聞かせてくれた記憶を。何度も思い出せなかった“賢者のエルフ様”との会話を。今となっては、こんなに鮮明に思い出すことができるのに。ーーどうして、今まで忘れていたのか。思わず、つぶやいてしまう。


「ーーー忘れていたんでは、ないんですよ。」

独り言のつもりが、少女から答えが返ってきてアリシアの思考が止まる。そんなアリシアを見ながら、手の平の上に淡い青色の光の球を浮かせ、少女は続ける。


「そういう、“契約”だったんです。ーー魔法で、その記憶を消していたから、思いだせなかったんです。

怒りますか、と不安げに尋ねる少女に、アリシアは首を激しく横に振った。衝撃的なことが多すぎて、言葉が出てこなかった。少女は安心した表情で、それとーーー、と言った。


「私が、アリシア様を様付けしてお呼びさせて頂いているのは、私が、アリシア様をお守りする役目つまり、アリシア様の騎士だからです。」

「え、騎士?」


驚きのあまり、そのままオウム返ししてしまう。なぜ、賢者のエルフ様が自分なんかの騎士なのだろう。


自分を様付けして呼ぶ理由は分かったが、理解は追いついていない。そんな状況下で、少女は言う。


「ーーーー私は、アリシア様のアリシア様だけの騎士です。アリシア様の身をこの身を呈してお守りし、アリシア様のやりたいこと、叶えたいことに僅かですがお力添えをします。」


その言葉に、アリシアにはひっかからないところがあったわけではなかった。しかし、アリシアの耳は、その中の一部の言葉を、耳が永遠に再生し続けていた。


『アリシア様のやりたいこと、叶えたいことに僅かですがお力添えをします。』


少女は、確かにそう言っていた。自分の、やりたいこと。


それは、村を、皆を、氷漬けにして、ゼメルのことを殺した犯人を見つけ出して復讐をすること。


自分の叶えたいこと。


それは、氷漬けになってしまった村の皆の氷を溶かすこと。

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[良い点] 初めて書いた作品にしては、情景描写はしっかりしていますし、台詞部分も自然かと思います。氷漬けの村の様子等、よく描けているかと思いました。 [気になる点] ①投稿時にトラブルがあったのかと思…
[良い点] 初めましてm(_ _)m 書いて投稿されることは素晴らしいことです。 頑張ってくださいm(_ _)m [気になる点] 一人称による進行を意識して、主人公が知らないこと、目に写らないもの、…
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