第九幕 あぶれ者たちのマーチ
「え、空を飛ぶの?」
白い雲がたなびく青空の下、俺は思わず声を上げていた。
「ああ、そうだ。空を飛ぶ」
隣を歩くエスメルがこともなげにそう答えた。
昨日決まったとおり、俺たちは朝一番でモンスター退治へと向かっている最中だった。目的地は昨日の辺境地とは真逆の方向、アストの町から南にいったところにある農村だ。一時間も掛からずに到着できる距離である。
フレッタもミューズも眠そうな顔をしていた。たぶん俺も似たようなものだったろう。
パーティーの中で溌剌としていたのはエスメルだけ。普段はそんなにやる気を見せない彼女だったが、明後日に迫った何ちゃら先生の新作が楽しみのせいか、今日は妙に元気である。実際、いつもはどの依頼を受けるだとかそれを許可してもらうだとかのギルド内における面倒くさい手続きは人に丸投げしているのだが、今日は自ら進んですべてを取り仕切っていた。
なので、眠気に負けていた俺たちが今回の標的について知ったのはたったいまだったのである。
バーズド──それが今回の標的の名前。鳥に似たモンスターで、どうやら空を飛ぶらしい。
「俺……空を飛ぶモンスターなんて戦ったことないんだけど?」
「安心しろ、私もはじめてだ」
自信満々に当てにならないことを言うエスメルは放っておいて、俺はフレッタのほうへと振り向いた。
「いや、あたしもないよ」
俺の視線に対して、フレッタが首を左右に振る。
「知っているとは思いますけど、私もないです……」
一応といった感じでミューズも告げてくる。彼女が俺たちのパーティーに加わり、はじめての冒険をしてから二ヶ月ほど。その間、俺たちは一度も空を飛ぶモンスターと戦っていないので、彼女が未経験なのは自明であったのだ。
「え、じゃあ誰も戦い方のコツとか知らないってことじゃないか。どうするつもりさ?」
俺は急激に眠気が去っていくのを感じながら訊いた。
「だ、大丈夫なんでしょうか?」
ミューズも不安を口にする。俺と同じく目が覚めたようであった。
それらに対し、さして考えもせずにエスメルが答える。
「まあ、いつもどおりでいいだろうよ。そんなに強いモンスターではないらしいし、数も一体だし。おまえたちが魔法でモンスターをどうにかしている隙に私がとどめを刺すだけさ」
「そんな感じかな。それに、依頼を受けちゃったからにはいまさらやめるわけにもいかないしね。いくしかないでしょ」
フレッタにも特に焦った様子はなく、それどころかまだ眠そうであった。
「相変わらずだなあ……」
俺は呆れながら言った。出会った時からそうだったけど、モンスター退治に対するこの二人の態度はかなり大雑把なのであった。下手をすれば命の危険だってあるのに──というか、猪に似たモンスターと戦った時、まさにそうなり掛けたというのに懲りない人たちである。
冒険者パーティーの中には規則や手順を厳しく定めているところも多い。もちろん、そうしたほうが効率性も安全性も高くなるのだろう。しかし、俺もミューズもそんな如何にも息が詰まりそうな感じでやっていきたいかといえば、そこまでの生真面目さはなかった。なので、お互いに戸惑いながらも仕方がないというふうな表情を浮かべるに留まったのである。
「それにしても、辺境地のほうではなく、アストに近いこんなところにもモンスターって出るんですね」
ややあって、ふと思い出したようにミューズが疑問を口にした。俺もそうだけど、魔法師になるために余所の土地から来たばかりの彼女はまだ、この辺りの事情に詳しくなかったのである。
「めったにはないけどね。モンスターの多くは自分たちの生息域を出ようとはしないらしいから」
んー、と一度伸びをしたあと、ようやく目が覚めたらしいフレッタが答える。彼女は生まれも育ちもアストであった。
「でも、群れからはぐれちゃったり異常気象とかで生息域の状態が悪くなったりしたら、人間の生活圏のほうにも出てくることはあるのよ」
「ギルドで聞いた話では本来バーズトは群れで行動するそうだから、今回ははぐれてしまったため、ということだろうな。数日前から村に現れて農作物を襲うようになったらしい。──それにしても、ツイている」
「農作物を襲われてるならツイてないだろう?」
エスメルの言葉に、俺は首を傾げる。
「ああ、いや。確かに村人には災難だったな。ツイているというは私たちのことだ」
「?」
「キューピス先生の新作は明後日発売だからな。遅くとも明日中にはまとまった金を手にしていなければならない。そうなると、目的地は近く標的の所在が判明していて報酬もそこそこ高い、という条件が揃った依頼を受ける必要があったわけだ。しかし、そんな都合のいい話はそうそうない。ところがいま、私たちはこうしてそんな都合のいい話に巡り会えている」
「それでツイているってわけか。短時間で終わりそうな仕事ってのはあるにはあるけど、だいたい報酬が安いもんな」
「村としては、とにかく早くバーズドを退治してもらいたいらしい。だから今回は報酬を上乗せしたそうだ」
「まあ何でもいいから、ちゃっちゃといってちゃっちゃと終わらせてしまいましょう。あたしは早く家に帰って、お預けになった惰眠を貪りたいのよ」
俺とエスメルの会話を、フレッタがやる気があるようなそうでもないような台詞でぶった切った。
それからほどなくして俺たちは目的の村に辿り着く。いくつもの畑が広がる中に家々が点在するのどかな場所だった。
依頼人である村長の家を訪ねようとしたところ、俺たちの到着を聞きつけたらしい当人が途中まで出迎えに来てくれた。
「おおっ、希少と言われる魔法師の方が三人もいらっしゃるとは、何とも頼もしいパーティーですな!」
実際、魔法師の数は少なく、それが加わっていない冒険者パーティーはざらにある。なので、魔法師が三人もいる俺たちのパーティーは、その数だけでいったら確かに頼もしく見えただろう。数だけでいったら……。
「冒険者のみなさん、どうかあのモンスターを一刻も早く退治してください。この村は、アストに野菜を売りにいって細々と暮らしております。その大事な収入源である畑を毎日毎日荒らされてしまっては堪ったものではありません。しかし、わしらの手に負えるような相手ではなく……」
白髪頭の村長はすがるように訴えてきた。
それに対し、フレッタが自らの胸をどんと叩く。
「大丈夫よ、村長さん。あたしたちに任せなさい」
「……」
フレッタの「任せなさい」はあんまり当てにならないんだけどなーと思ったが、もちろん俺は黙っておいた。
「──何か聞こえませんか?」
不意にミューズが呟き、空を見上げた。
俺も耳を澄ませてみる。確かに何か聞こえた。遠くで重い音が連続しているようだった。
「き、来ました! やつです!」
村長が指差す空の一点に、それの姿はあった。
ばっさばっさと羽音を響かせ、こちらへと向かってくる茶色い物体。大人二人分の大きさはあるようだった。
「ぼ、冒険者のみなさん、あとはお願いいたします!」
身の危険を感じた村長が慌ただしく自宅方面へと逃げていく。そこら辺で俺たちの様子を窺っていた他の村人たちも蜘蛛の子を散らすように走っていった。
「現れるのを待つ手間を省いてくれるとは、なかなか気の利いたモンスターじゃないか」
木の冑を被りなおしつつ、エスメルが不敵に笑う。
「できれば、村長さんからもっとモンスターの情報を聞いてから戦いたかったですけど……」
白塗りの杖を握りしめ、ミューズが不安そうに呟く。
「安心して、ミューズ。このフレッタ様があんなモンスター、早々に焼き鳥にしてあげるわ!」
赤毛の長い髪をなびかせて、フレッタが勇ましく一歩前に出た。
茶色い羽毛に覆われた、空をはばたくモンスター──バーズドは地上の俺たちに気づいているようだった。しかし村人たちをあしらった経験があるからだろう、こちらを窺う様子を見せながらも、やや離れた場所の農作物に向かってゆっくりと下降しはじめた。
「いくわよ、みんな! ファイラッシュ!」
このパーティーの中でフレッタが先陣を切るのはいつものことだった。そして、その魔法が当たらないのもいつものことだった。結果は解っているというのに、それでも毎回前へと出る彼女の臆面のなさには見習うべきものがあるかもしれない。
──にしても。
「何だフレッタ、いつも以上にヘッポコじゃないか」
エスメルが呆れたような声を出した。
「ヘッポコ言うな、あたしは未完の大器なだけ!」
フレッタは怒ったが、俺もエスメルの言葉に同感だった。いまフレッタが放った火炎弾はいつも以上に的外れだったのである。
普段なら、的外れなりにそれでも地面に当たって石くれやら激突音やらを撒き散らし、標的を混乱させるくらいの効果は上げるのだが、今回のバーズドは上空にいるのでフレッタの魔法は空の彼方に消えていくばかりであった。
「い、いまのは肩慣らしよ、こっからが本気。──大いなる火よ。気高き炎よ。我が求めに応じて敵を焼き払え! ファイラッシュ!」
フレッタの二発目は、一発目よりもひどい方向に消えていった。
バーズドはすでに下降をやめ、こちらを警戒するようにばっさばっさとはばたきながら空中で停止していたにもかかわらずだ。
「フレッタの本気、確かに見せてもらった」
エスメルが皮肉る。
「やっ、いまのは違うのよ!? き、昨日の疲れが残ってるだけよ!」
フレッタが頬を赤く染めながら喚いた。ちなみに、彼女が「大いなる火よ、何ちゃらかんちゃら」と言っている部分は呪文ではない。なので唱える必要はまったくないのだが、彼女によれば「気分が盛り上がったり、あるいは気分を盛り上げようと思った時、つい口に出てしまう」らしい。つまり、彼女には痛いところがあるのだった。
「言いわけはいいさ。──ミューズ、そこのヘッポコに手本を見せてやってくれないか」
「て、手本ということはありませんが、やってみましょう。ウォーリューム!」
エスメルの求めに応じ、ミューズが白塗りの杖をバーズドにかざす。すると、その先から水流が溢れ出し、空中を一直線に伸びていく。
「クワッ!?」
バーズドが奇声を上げた。ミューズの攻撃が見事その胸に命中したからだ。驚いたように両翼をばたつかせて、後ろに飛びすさるような動きを見せた。──が、それだけであった。
「さすがミューズ、狙いだけはたいしたものだ。狙いだけはな。威力はヘナチョコだが」
「ご、ごめんさいぃ……」
エスメルの遠慮のない言葉に、ミューズは情けなさそうに俯いてしまう。
そうなのである。フレッタと違い、ミューズの魔法は正確無比に対象を捉えることができるのだが、とにかく威力が弱いのである。速度や水量といった見た目はそれなり何だけど、そこに込められている魔法としての威力が非常にしょぼかったのである。実際、空中のバーズドは傷を負ってもいなければ、墜落してくることもなかった。むしろ「いまのは何だったの?」ときょとんとしているようにさえ見えた。
そして、これこそがミューズがあぶれ者になった原因であった。
いまから二ヶ月ほど前、ミューズはアストの町に来て魔法師となった。しかし「狙いは正確だけど、対象に損害を与えられない魔法」なんて誰も欲しがるはずがない。結局、彼女は何処の冒険者パーティーにも入れてもらえなかったのである。
現在では「ゼレの大縮図」の恩恵により、魔法管理局の下、魔法適性を持つ者であれば誰でもすぐに魔法との契約及びその発動が可能となっている。
とはいえ、同じ道具を用いたり同じ運動をおこなったりしてもその過程や結果に個人差が現れるように、魔法においても個人差というものは存在するのであった。
実際、ミューズとは別の水の魔法師がウォーリュームを使った場合、十分に実戦に耐え得るものになるそうだ。
つまり同じ魔法でも、各個人によって長所や短所が違ってくるということである。
各個人の魔法適性そのものは変えられない──水に適した魔法適性を火に適した魔法適性にすることはできないが、各個人による長所や短所に関しては絶対的なものではないそうだ。経験を積むことや集中力を高めることで、成長させることも、また改善させることもある程度はできるのだった。
極端にたとえれば、俺はヴァイン以外になることはできないが、そのヴァインをひょろがりのままにしておくか筋肉ムキムキにするかどうかは本人次第という話である。
であれば、新人魔法師の今後の成長に期待する冒険者パーティーが一つくらいあってもよさそうなものだったが……如何せん、ミューズの魔法の威力のなさは、その辺りを考慮してもなお、使いものになるとは思えないほどだったというわけである。──ついでに言えば、フレッタの命中率の低さも彼女個人の才能に因るものであり、そのあまりのひどさに誰からも将来性を感じてもらえなかったのだ。
ミューズは何処ぞのお嬢様であり、性格もおとなしい。この逆境を上手く乗り越えられるはずもなかった。また、彼女は周囲の反対を押し切ってアストの町に出てきており、そのためにお金もなければのこのこと実家に帰るわけにもいかなかったのである。
かくしてミューズは、冒険らしい冒険に出ることもないままに行き倒れる羽目になった。
……似たような話を何処かで聞いたが、大きく違ったのは、その時は俺が助ける側だったということだ。
とある夕暮れ、市場からの帰り道。俺は路地裏で倒れているミューズを見つけた。買ったばかりの食料を与えながら事情を訊き、そのあとでエスメルとフレッタに引き合わせた。ミューズの魔法のことを知っても、二人は彼女を拒否しなかった。もちろん、あぶれ者同士ということもあっただろうが、二人とも根は優しいのである。
それから二ヶ月ほど、俺たち四人は何だかんだありながらも上手くやっている。
「ファイラッシュ! ──って、どうして全然当たらないのよ!?」
「ウォーリューム! ──ああっ、もう当たっても全然平気な顔してますぅ」
何だかんだありながらも上手くやっている……はずだ。
それにしても、二人の魔法はいっこうに改善しないな。「いつかきっとどうにかなるはず」という謎の自信を持ち、そのせいでろくに努力をしていないフレッタはともかく、暇があれば一人で練習をしているミューズにもまったく進歩が見られないのはどういうことだろうか。まあ、魔法というのは専門の研究者でもよく解っていない部分が多いらしいので、その辺りに原因があるのかもしれない。
ともあれ、さっきから火と水の魔法に狙われているにもかかわらず、空中のバーズドには逃げる気配が見られなかった。俺たちの攻撃など、畑の農作物を諦めるほどのものでもないということだろう。
「ふむ。やはりフレッタとミューズだけではどうにもならないか。でもまあ、飛び去られなかっただけでもよしとしよう。よくよく考えてみれば、空飛ぶモンスターを追い掛ける羽目になっていたら、大変すぎて目も当てられなかった」
「確かに」
初の対空戦なので、経験不足が如実に表れてしまった感じである。
「ヴァイン、呑気に頷いている場合ではないぞ。ヘッポコ、ヘナチョコが駄目だった以上、あとはもうヘンテコの出番だろう?」
「エスメル……おまえホント、もっと言葉を選んだほうがいいよ?」
「フレッタたちの攻撃で、ある程度バーズドの動きも読めたはずだ。やつが飛び去ってしまうか、あるいは攻撃に転じてくる前に、おまえの魔法で動きを封じて地上に落としてしまえ」
「──了解」
人の文句をまるで聞いていないエスメルに対して溜息をつきながらも、俺は両手をかざす。
フレッタとミューズの魔法は攻撃としてはまったく当てにならなかったが、敵の注意を引くという点とその動きを摑むという点では役に立っていた。おかげで俺はバーズドの死角からそれなりに余裕を持って魔法を唱えることができるのだった。
「──ん? あれ?」
空中のバーズドに狙いを定めるべく高々と見上げて、俺は何となく違和感を覚えた。ただ、その正体がいまいち解らなかったし考え込んでいる場合でもなかったので、そのまま呪文を唱える。
「ホゲホゲペッ!!」
空中に直径二メートルほどの魔法陣が現れ、蒼白い光を放つ。──が、それは茶色いモンスターからかなり離れた場所だった。拘束するどころの話ではなかった。