第八幕 ヴァインの現状
こうして俺は自分の仲間を、自分の居場所を手に入れたのであった……が、そこの居心地がいいとは限らないのだった。
□ □ □
「はぁ……」
安宿の粗末な寝台の上に転がって、俺は大きく溜息をついた。
つい一時間ほど前のことを──つまり、ワイゼット王国北東の辺境地にてドーグ退治を終え、アストの町の酒場に立ち寄った時のことを思い出したからである。そこで俺は、自分の仲間にからかわれつづけていたのだった。
出会ってからもう三ヶ月以上が経ったというのに、フレッタとエスメルは飽きもせず何かにつけて俺の魔法を話題にしてくるのである。
「はじめてフレッタとエスメルと仲間になった時、胸が熱くなったんだけどなー。あれは何かの間違いだったかなー」
俺は思わず独り言を洩らしてしまう。
そんな俺たちのパーティーに、ひょんなことからミューズが加わったのがいまから二ヶ月ほど前。俺より一つ年下で、他の二人とは違い育ちがよくおとなしい性格をしていた彼女は、当初俺の魔法をからかうようなことはしなかった。しかし、いつの間にか他の二人に毒されて、すっかりあっち側の人間になってしまった。
「にしても、からかわれるのが俺ばっかりってどういうことよ……」
確かに俺の魔法にはアレなところがある。ただそれを言うなら、フレッタの魔法だって同じようなものだろう。
はじめて一緒に戦った時、フレッタの魔法はことごとく当たらなかったが、それから三ヶ月が経ったいま、フレッタの魔法はことごとく当たらなかった。進歩なしである。俺の超拘束魔法によって標的はまったく動かなくなったにもかかわらず、だ。
先ほどのドーグ戦においてフレッタは景気よく火炎弾をばら撒いていたが、実のところ一発も当たっていなかった。相変わらず彼女の攻撃は、外れた火炎弾が吹き飛ばす地面の石くれとかであった。それなのにフレッタはあまりからかわれず、俺ばかりがからかわれるのはどうしたことか。
エスメルだって同じようなものである。
はじめて出会ってから三ヶ月、俺たちは冒険者として稼ぎつづけてきた。まあ、少人数パーティーである上に一癖ある顔ぶればかりなので大金を得られるような依頼はこなしてこなかったけれど、それでも生活に困らないくらいの報酬は手にしていた。実際、俺は王都エーレスにいくための旅費をちょこちょこと貯めることもできている。
一方エスメルときたら、先ほどの戦いで見せたとおりいまだ木剣と木の甲冑を使いつづけているのである。彼女がこの三ヶ月で稼いできたお金はいったい何処へ消えたのか。それは言うまでもなく、彼女の趣味に費やされていた。
女剣士エスメルは大変な読書家である──といえば聞こえはいいが、彼女が愛読しているのは男同士がアレやコレやするいかがわしい本だった。しかしまあ、趣味なんて人それぞれ。たとえそれがドン引きするようなものであったとしても、度が過ぎていなければ生温かい目で見守ってあげるのが大人の対応というものだろう。
エスメルは度が過ぎていた。
剣士のくせして、剣や甲冑よりもまず先にそのいかがわしい本を買ってしまうのである。鉄製はおろか革製のものすら買えないほどに使い切ってしまうのである。なので彼女の装備品は、その辺で適当に仕入れた木材から自作されたものであった。それは俺と出会う前からのことであり、フレッタはずっと注意してきたらしい。この三ヶ月間は俺も加わって注意してきたのだが、エスメルは何やかやと言いわけをして聞く耳を持たなかった。処置なしである。それなのにエスメルはあまりからかわれず、俺ばかりがからかわれるのはどうしたことか。
ミューズだってそうである。
白い長衣と白い杖を愛用する彼女は、水の魔法適性を持つ女魔法師。フレッタとは対照的な魔法適性をしているが、対照的なのはそれだけじゃない。彼女の放つ魔法は正確無比に標的に当たるのであった。……しかしながら、俺たちのパーティーに入ってしまっていることから察しがつくように、彼女もまた一癖あるのだった。それなのにミューズはあまりからかわれず、俺ばかりがからかわれるのはどうしたことか。
「……」
思うに、女三人に男一人というパーティーの構成が少なからず影響しているのだろう。多勢に無勢というやつで、どうしたってパーティー内の雰囲気は女性陣に有利なものとなってしまう。もちろんあからさまに不当な扱いは受けていないが、損な役回りは俺のほうに回ってきやすくなっているのは否めなかった。
「ここは一度、ガツンと言ったほうが」
「ガツンと何を言うのだ?」
「おわぁっ」
俺は寝台の上で飛び跳ねた。独り言にまさか応えが返ってくるなんて思ってもみなかったのである。慌てて振り向くと、そこには少し前に別れたはずの茶色い髪の麗人が立っていた。
「エ、エスメル!? な、何、勝手に人の部屋に入ってきてんだよ」
「ふむ、ヴァインに急用ができたのでな」
「いやいやいや、急用ができたからって勝手に入ってきちゃ駄目だろう」
「ふむ。じゃあ、入っていいか?」
「すでに思いっきり入っておいて、『入っていいか?』も何もないだろうよ……」
「まあそう固いことを言うな。──で、ガツンと何を言うのだ?」
「い、いや……たいしたことじゃないよ」
面と向かって問われて、意気地のない俺はあっさりと日和っていた。
ちなみにこの安宿は、アストに来てはじめて借りたところではない。あそこは金が払えず、行き倒れる直前に退去したきりである。俺とエスメルとフレッタの三人で猪のモンスターを倒したあと、泊まるところを探そうとしたらエスメルがこの手頃な安宿を紹介してくれたのだった。彼女自身もここに住んでいるので、俺たちは同じ安宿でそれぞれ一室を借りているということになる。
「……で、急用って何さ?」
「いまし方、私の部屋に客人が訪れてな。新しい情報をもたらしてくれたのだ」
「客人? こんな時間に?」
寝るにはまだ早い時間だけど、外はすっかり夜に覆われている。繁華街ならまだしも、個人宅を訪ねていいような時間帯ではなかった。つまり、目の前のエスメルも含めて非常識ということだ。
「まあ正確には、同好の士だな」
「あー……」
俺は納得した。同好の士。エスメルと同じくいかがわしい本を蒐集している者たちのことである。ごく一部の例外を除いて、彼女たちは自分の趣味が人目を憚るものであるという自覚を持っているため、姿を見られないような時間帯に行動するのが常であった。
「で、その同好の士によるとだな、何と、あのキューピス先生の新作が急遽発売されることになったのだ!」
ごく一部の例外が嬉しそうにぎゅっと拳を握ってのたまった。
「キューピス先生? 誰それ?」
「よし! 知りたいのなら教えてやろう。私の部屋へ来い!」
「ちょっ、待った待った待った!」
腕をものすごい勢いで引っ張られた俺は、慌ててもう片方の腕を伸ばして寝台の縁を摑んだ。普通、こんな時間帯に綺麗なお姉さんの部屋に誘われたなら喜んでいいはずなんだろうけど、俺は本気で抵抗していた。
住みはじめた頃、俺は挨拶がてら彼女の部屋を一度だけ訪れたことがあった……が、そこは魔窟だった。いや、人によっては楽園なのかもしれないが、少なくとも男が入っていいような部屋ではなかった。
「お、落ち着けエスメル! 急用はどうしたんだよ!?」
「おおっと、いけない、そうだった」
エスメルがパッと手を放したので、俺はどうにか現世に踏み止まることができた。木剣でモンスターを倒してしまう彼女の膂力は半端ない。あともう少し遅かったら、抵抗虚しく魔窟へと引きずり込まれ、俺の両目は爛れてしまったことだろう。
「ふむ、キューピス先生のことは次の機会にきっちりかっちりしっかりみっちり教えてやるとして、いまは急用のほうが先だな」
「お、おう……。で、急用って何だよ?」
「さっき言ったとおり、キューピス先生の新作が急遽発売されることになったのでな、まとまった金がいるようになった」
紙は希少品であり、それを何枚も使用する本はそれこそ高級品である。さらに悪いことにエスメルが蒐集しているいかがわしい本はその中でも手に入りにくい部類であるらしく、驚くほど値が張るのだった。
「ふぅん。それで?」
「明日、朝一番でモンスター退治にいくぞ!」
「はあぁ……?」
「発売は明々後日なのだ。急がなくてはならん!」
「いや知らないよ。それに今日、ドーグ退治の報酬をもらったばかりじゃないか」
「あれではまだまだ足りないのだ」
「そっか、それは残念だったな。じゃあ今回は諦めて次の機会に買ったらどうだ?」
「何を言っているのだ、ヴァイン!?」
そう喚くと、エスメルは俺の両肩をガシッと摑んできた。
「キューピス先生の作品はな、一度逃したら二度と手に入らないと言われてるんだ! 唯一無二なんだ! 次はないんだ!」
「へ、へぇ。そ、そうなんだ。大変なんだな……」
俺の返事は急に上の空になってしまう。が、別にエスメルの勢いに押されたわけじゃなかった。彼女はいま、当然のことながら木の甲冑を身に付けていない。襟元が伸びて弛んでしまった安物の服を着ている。だからその何だ……ちょっと視線を下げると彼女の胸元が覗けてしまうのである。
「そうか、解ってくれたか。ヴァインなら頼みを聞いてくれると思っていたぞ!」
……ふと気がつくと、エスメルが満足げな声を上げていた。いつの間にか、俺はエスメルと共に朝一番でモンスター退治にいくことが決まっていた。
「ま、まあ、俺もエーレスへの旅費を少しでも早く貯めたいしね」
自分の情けなさをごまかすように、俺は嘘ではないけれど本心とも言い難いことをごにょごにょと呟いた。それから気を取り直して疑問を口にする。
「でも、フレッタとミューズはどうするのさ? ちゃんと聞いたわけじゃないけど丸三日くらいは休むつもりなんじゃないの?」
俺もついさっきまではそのつもりでいたのだ。ドーグの退治自体は今日一日で終わったけれど、そのドーグを見つけるまで俺たちは四日間にわたり辺境地を探し回っていた。正直くたびれており、しばらく休養を取るのは言うまでもないことだったのである。
「それなのに、明日の朝一番にまたモンスター退治にいくって提案しても、たぶん嫌な顔をされるだけだぞ」
「だから最初にヴァインのところに来たんじゃないか」
「?」
「確かに、私一人がフレッタやミューズのところに頼みにいってもまず間違いなくいい返事は聞けないだろう。理由も理由だしな。しかしそこにヴァインが私の味方として入ってくれれば話は違ってくる。口では何だかんだと言っているが、フレッタもミューズもおまえのことを買っているからな」
「そ、そうなんだ」
初耳である。女性陣の中で俺はそれなりの評価を得ているということだろうか……。
「にしても、ずいぶんと人任せな計画じゃないか。もし俺がエスメルと一緒にいくって言わなかったらどうするつもりだったのさ?」
「ふふん。ヴァインは妙に甘いところがあるからな。そこに付け込めばどうにかなると思っていたよ」
「エスメル、もう少し言葉を選べよ……」
あんまりな言いように俺は呆れるしかなかった。それに妙に甘いところがあるのはおまえの胸元も一緒だと思ったが、さすがにそれは口にしなかった。
その後、俺とエスメルは非常識な時間にフレッタとミューズのところを訪ねた。予想どおり二人ともいい顔をしなかったが、最終的には同行を承知してくれたのであった。