第四幕 ヴァイン、エスメルとフレッタに出会う
魔法管理局アスト支部を訪れた翌日、俺はそこで紹介してもらった冒険者ギルドへと足を運んだ。自分の村にあった集会場よりもはるかに大きくて立派な建物だった。
冒険者ギルドに限らず、村を出てからは何もかもがはじめての経験ばかりで戸惑うことも多かったのだけれど、とにかく俺は受付までいって用件を伝えた。
すると、昨日の女性職員が話を通してくれていたこともあり、俺はすんなり魔法師として冒険者ギルドへの登録を認められた。そして、とある冒険者パーティーに引き合わされた。彼らは主に冒険初心者や魔法初心者の指導をおこなっているそうで、俺にとってはまさにうってつけの存在であった。
彼ら三人の方針は「習うより慣れろ」「実践あるのみ」「脳より筋肉を使え」というものだったので、俺はろくに講義もされぬままモンスター退治へと連れ出されることになった。
とはいえもちろん、相手にするのはかなり危険度の低いモンスターである。実際に見てみると、村のみんなと畑から追い払っていた害獣と大差ない小型のモンスターだった。
「とにかくおまえの魔法を見せてくれ」というので、俺は一歩前に出た。
そして両手をかざし、魔法を発動するために集中力を高めて呪文を──
呪文を──
□ □ □
大昔から、自分に魔法適性があるかないかを調べることはそれほど難しくはなかったらしい。そして魔法適性が確認された場合、それがどの魔法に適しているのかを調べることも、道具や資料さえ揃っていればそれほど難しくはなかったらしい。──変種魔法は例外だったけど。
ただそのあとが問題で、魔法と契約するのにも魔法を発動するのにも大掛かりな儀式や過酷な修行が必要だったそうだ。
しかし二百年前に現れた大賢者ゼレによって、大変革がもたらされたのである。
大賢者ゼレは、それまで複雑かつ困難であった魔法との契約及びその発動──それこそ緻密な魔方陣を描いたり膨大な触媒を揃えたり、血の滲むような精神修養を必要としていた──を凝縮、簡略化する技術を編み出したということだった。
実際、昨日俺がおこなった魔法との契約は、アスト支部で用意してくれた石版の上に自らの血を一滴垂らしただけで終わってしまった。
針で刺した指先を舐めながら「こんなことで魔法が使えるようになるのか?」と訝っていると、俺は突然、身体の中に変化を覚えた。みぞおちの辺りが妙に熱くなったのだ。ただ痛みはなく、むしろ力が湧いてくる感じだった。女性職員に訊いてみると、それこそが魔法との契約──すなわち、自然界に存在しながらも目には見えない「精霊」という神秘に干渉することが可能となった証であると説明された。
次に俺は、アスト支部の裏手へと案内された。そこはちょっとした広場になっていて、周囲を頑丈そうな石壁が囲っていた。隅のほうに木の棒が何本か立っている。魔法の練習場ということだった。
魔法を発動するコツは、自分の中の熱いものと標的を結ぶような感覚を思い浮かべて集中するとよい──と女性職員が教えてくれた。多くの人は手や杖をかざして、その助けとするらしい。
言われるがままに、俺は今回の標的として立てられている木の棒へと両手をかざして集中することにした。すると、それまではわだかまっているだけだった熱いものが急に脈動するのを感じた。魔法初心者の俺にも直感的に解った。これは魔法の発動がはじまったのだと。
「おおっ……」
俺は思わず呟いてしまう。魔法との契約につづいて、その発動さえもこんなにあっさりできてしまうなんて驚くしかない。
俺の様子からその内心を察したのだろう、女性職員が一つ頷いてから言う。
「先ほども説明しましたが、かつては初心者がこのように簡単に魔法を発動することはできませんでした。もちろん、簡単に魔法と契約することも。すべては大賢者ゼレが編み出した技術、通称『ゼレの大縮図』のおかげです」
目的の魔法が収められた石板に、魔法適性を持つ者が自らの血を一滴垂らすだけでその魔法の契約と発動ができるようになる技術──それが『ゼレの大縮図』。このあまりにも高い利便性の前に、それ以前に存在した魔法の習得方法などはすべて廃れてしまったそうである。現在、魔法師の誕生は『ゼレの大縮図』を介してのみおこなわれているらしい。
ただし門戸を広げると、未熟者が集まるのも避けられない。初歩的な問題が増大することになる。自分の魔法適性と合っていない魔法と無理やり契約しようとしたり、身の丈に合っていない強力な魔法と契約しようとしたり等々である。それを危惧した大賢者のゼレによって、数人の管理者が任命された。それが魔法管理局の前身であるそうだ。
へぇ、すごい人だったんだな、大賢者ゼレって……とあらためて思った俺だったが、一つ気になったことがあったので訊いてみた。
「通称『ゼレの大縮図』ってことは、本当の名称は違うってことですか?」
「……」
女性職員は一瞬口籠ったあと、眉を寄せて言う。
「大賢者ゼレ自身はこの技術に『山盛り♪全部入れ★欲張っちゃった❤魔法技術』と命名されたそうなのですが、その管理を一任されることになった我々の先達は、『ゼレの大縮図』と呼び習わすことにしたそうです」
……うん。まあそうだよね。俺もそのほうがいいと思う。
「そんなことよりもヴァインさん、集中してください。そして狙いをつけ、呪文を唱えれば魔法の発動は完了します」
「は、はい」
確かに、これから生まれてはじめて魔法を使おうというのだから余計なことを考えている場合ではなかった。俺は再び両手をかざし、集中力を高めて呪文を──
呪文を──
「……」
俺は固まった。
「ヴァインさん、呪文を唱えなければ魔法の発動は完了しませんよ」
「……」
「ヴァインさん?」
「え、えーと、『ゼレの大縮図』みたいに、この呪文も他のに言い替えられたりは──?」
「しません。──心中お察ししますが、先ほどの呪文を唱えてください。そしてヴァインさんの場合、それを唱えつづける必要があります」
「そこを何とか……」
「なりません」
「……」
「ヴァインさん」
「……」
いくら悪あがきしたところで状況は変わってくれないらしい。しようがない。俺は両手をかざし、湧き上がる羞恥心に集中力を乱されつつも呪文を唱えた。
唱えつづけた。
□ □ □
指導者パーティーの三人が見つめる中、俺は呪文を唱えつづけた。
すると、小型のモンスターの足元に円形の魔法陣が現れ、蒼白い光を放ちはじめる。それに驚いた小型のモンスターはおそらく飛び退こうとしたのだろうが、その身体はピクピクと痙攣するばかりで大きく動くようなことはなかった。
ただ、即死したり窒息したりしないところを見ると、内臓などには影響が及んでいないのだろう。あくまで外部から拘束しているにすぎないということだ。
小型のモンスターが行動不能に陥っている隙に、指導者パーティーが駆け寄ってとどめを刺した。
俺はホッとした。どうやら無事に初陣を飾れたようである。恥ずかしさに耐えて呪文を唱えつづけた甲斐があったというものだ。
しかし、こちらへと戻ってくる指導者パーティーの顔を見て俺は嫌な予感を覚えることになる。
「あー、すごいなヴァインの魔法は。小型のモンスターとはいえ、ああまでがっちりと動きを拘束できる魔法ははじめて見たよ」
指導者パーティーのリーダー格の男はそう褒め言葉を口にしたが、そのあとすぐに「でもなあ……」と他の二人に困ったような視線を送った。
「いやあ、何と言うか……」
「ええっと……」
話を向けられた二人は言葉を濁したまま曖昧な笑みを浮かべた。
「なあ、ヴァイン。モンスターとの戦いには、多かれ少なかれ命の危険が伴うもんだ。その辺は駆け出しのおまえにも想像がつくだろ?」
リーダー格の男は頭をがしがしと掻くと、諭すような口調で切り出した。
「それはまあ……」
「だからみんな、戦いには真剣だし集中したいし奮起もしたいんだよ。──それなのに、おまえの魔法ときたらなあ」
……ホゲホゲペッ。
「油断とか隙とかも絶対にあっちゃいけねえ。戦いってのにはある程度の緊張感が必要なわけよ。──それなのに、おまえの魔法ときたらなあ」
……ホゲホゲペッ。
「あと、これは戦いに限っての話じゃないが、人ってのはカッコ悪いよりはカッコいいほうが燃えるんだよな。──それなのに、おまえの魔法ときたらなあ」
……ホゲホゲペッ。
「……」
俺は何も言い返せずに黙り込むしかなかった。だって、まったくそのとおりだと思ってしまったから。
「ああいや、ヴァインが悪いわけじゃないってことは解ってるよ。おまえがふざけているわけじゃないってこともな。けど、その魔法はちょっとなあ……」
そう呟くように言うと、リーダー格の男は再び頭をがしがしと掻いた。その後ろに隠れるようにして他の二人が囁き合っていた。
「……確かにすごい拘束力だけど、さっきの呪文を聞かされつづけるくらいなら、土魔法にある拘束魔法のほうがよくないか?」
「……ああ、土泥魔法ドゥヌーリな。さっきのように完全に拘束することはできず、モンスターの動きを遅滞させることができるだけだけど──正直、俺たちにはそれで十分だよな。ずぶの素人でもなければ、あんなに完全に拘束してもらわなくても倒せるだろうし」
「……そうだな。あそこまでの拘束力はいらないし、そのためにあんな変な呪文を聞かされつづける羽目になるんだったらなおさらな」
「……ああ、あの魔法に頼るくらいなら、弓矢や投石かなんかでがんばって牽制したほうがまだいい気がする」
「あー、おほんっ」
リーダー格の男はわざとらしく咳払いをして後ろの二人を黙らせると、妙に優しい声で言った。
「まあ何だ、気を落とすなよ。俺たちとはウマが合わなかったが、どっか他の冒険者パーティーとなら違うかもしれねえ。魔法師は希少だし、何はさておき拘束力は本物なんだしな」
「は、はあ……」
確か最初の話では「しばらくはうちで面倒を見てやる」的なことを言ってくれていたはずだったのだが、それはどうやら反故にされたらしい。正直傷ついたし困りもしたのだが、俺は食い下がることができなかった。何となく俺のほうが──俺の魔法のほうが悪いように思えてきて仕方がなかったからである。
ともあれ、冒険者ギルドへと帰ることとなり、俺はそこで冒険者としての初報酬を受け取った。
……魔法の習得につづき、あまり嬉しくはなかった。
安宿の隅で、俺は昨夜につづき悶々とした時間を過ごすことになった。しかし、このまま一人きりでは右も左も解らず、魔法師としてやっていくことができない。そもそも俺の魔法は標的を拘束するだけである。その標的を仕留めてくれる他の誰かが必要だった。拘束するのも仕留めるのも自分一人で──なんて器用なことは、たぶん間違いなくできないだろう。とにかく明日もう一度冒険者ギルドにいってみようと心に決めて眠りについた。
そしてアストの町に来て三日目の朝。あらためて冒険者ギルドを訪れた俺は早々に異変に気がついた。
冒険者ギルドの扉を開けるとまずは冒険者同士が雑談できるような広間があるのだが、そこにたむろしていた連中の目が一斉にこちらへと向けられたのである。好意的な視線ではなかった。
思わず立ちすくんだ俺の耳に、嘲笑を含んだ声が入り込む。冒険者たちが何やらひそひそと言葉を交わし合っているのだが、そういうものはかえってよく響いてしまうのである。
「あれが噂の新人か」
「あー……、すげえ魔法なんだけど、すげえ変な呪文を唱えるんだったか?」
「何だ、そりゃ?」
「ほら、新人の面倒をよく見ているパーティーがあるだろ? あいつらがそう言ってたんだよ」
「へえ、あいつらがそう言ってたんなら間違いねえな。すげえ変な呪文を唱えるすげえ変なやつなんだな」
「そうかあの新人、すげえ変なやつなのか。関わらないようにしねえとな」
「……」
うわぁ、噂ってこういうふうにねじ曲がっていくのか。呪文だけでなく俺まで変なやつ扱いになってるし……と思ったが、それを訂正するような気概がこの胸に湧いてくることはなかった。
だって、俺自身がすげえ変なやつではないと認識をあらためてもらったところで、俺の呪文がすげえ変なものであるのには違いなかったからである。結局のところ、昨日の指導者パーティーと同じような態度を取られてしまうのではないだろうか。いや、場合によってはもっとひどい態度を取られてしまうかもしれない。
いたたまれなくなった俺は、できる限り何気ないふうで回れ右をすると、まるで逃げるかのようにその場をあとにした。
冒険者ギルドから足早に離れつつ、考えを巡らせる。正直、いまの冒険者ギルドには二度と顔を出したくなかった。では、他のところにいってみるべきか。ここは冒険者の町であり、冒険者ギルドはいくつも存在すると聞いていた。──ただ、俺の唱える呪文がすげえ変なものである以上、何処にいっても昨日やいまのようなやり取りがくり返されるだけではないのだろうか……?
ああ、一刻も早く王都エーレスにある魔法管理局の本部にいって新しい変種魔法と契約したい、と願った。
しかし、そのためには先立つものが必要である。ここは嫌な思いをすると予想がついていても他の冒険者ギルドを訪ねてみるべきなのだろう……が、どうしても俺はその気になれなかった。頭では解っていても心がついてきてくれなかったのである。
この瞬間、俺はあぶれ者になったといえるだろう。
四ヶ月後、王都エーレスから変種魔法の情報が持ち帰られるよう取り計らってもらってもいたが、ひどく遠いことのようだった。
これから、どうしよう……。
生まれ故郷に帰るか? 残りわずかの旅費と昨日もらった報酬を合わせれば、帰路分の食料を買い込んだり宿代を賄ったりすることはギリギリできるかもしれない。しかし……どの面下げて帰れるというのか。十日前に希望を抱いて出てきたばかりじゃないか。
それに、あの山間の小さな村に俺の居場所はない。俺を見送ってくれた時の両親や兄はとてもホッとしていた。あれはようやく肩の荷が下りたという表情だった。別に嫌われていたわけではなかったが、将来を不安に思われていたことは確かであった。それからようやく解放されたと喜んでいるところにノコノコと帰るわけにはいかなかった。
そして、そうこうしているうちに数日が経って手持ちの金が尽き、安宿にいることも故郷に帰ることもできなくなって──俺は行き倒れる羽目になった。
もちろんアストの町には魔法師以外の職もある。もっと必死になっていれば、何かしらの食い扶持にありつけたかもしれない。しかし、もともと社交性が高い性格をしていなかった上に、せっかく抱いた希望を立てつづけに挫かれた結果、俺はすっかり萎縮し、日々を無為に過ごしてしまったのである。
何処とも知れぬ場所で俺は力尽きていた。仰向けになったままわずかに首を振ってみたが、建物も人の姿も見えなかった。いつの間にか町はずれまで来てしまったのかもしれない。
青空が妙に眩しかった。このまま空腹感と無力感に溶かされて地面に浸み込んでしまいそう……と、ぼんやりする頭で思った時のことだった。
「おや? あんなところに人のような形をしたゴミが転がっているぞ」
「ゴミ? ──いや、よく見て。あれはゴミのような形をした人が転がっているのよ」
……どっちにしてもひどい言われようである。ただ、たいした服を着ていなかったのも事実だったし、それもこの数日の彷徨で汚れきっていたのも確かだった。
青空を逆光にして二人の若い女──といっても、俺より一、二歳は上だろうか──が覗き込んでくる。木の冑を被った女と赤毛の長い髪の女だった。
これが俺とエスメル、フレッタとのはじめての出会いであった。