第三幕 ヴァイン、超拘束魔法と契約す
拘束魔法ホゲホゲペッ。
──ホゲホゲペッ?
「……」
あまりにマヌケな響きに、一瞬、バカにされているのかと思った。
しかしこの若い女性職員は、俺がえっちらおっちら十日も歩いてこのアストまで来たと言った時、とてもねぎらってくれたのである。俺が魔法についてほとんど無知だと聞くと、魔法の初歩的な知識をいろいろと教えてもくれたのである。悪い人ではなかった。
「あ、あの、すみません。何か聞き違いをしてしまったようなので、もう一度言ってもらえま──」
「んんっ」
俺の言葉を遮るように咳払いをすると、女性職員は説明をはじめた。
「先ほども申し上げましたとおり、魔法には多様な種類があります。ただいずれにせよ、魔法と契約するにはまず魔法適性を持っていなければなりません」
「はい……」
「しかし魔法適性を持っていても、どの魔法とも契約できるというわけではありません。一口に魔法適性と呼んではいますが、実のところそれは四つに大別されるためです。火魔法に適したもの、水魔法に適したもの、土魔法に適したもの、風魔法に適したものの四つですね。そして魔法との契約は、ご自分の魔法適性に適したものとしかおこなえません」
「はい……」
「ご自分の魔法適性がどの魔法に適しているのかを知るには、この魔法管理局がおこなっている識別検査を受けていただく必要があり、ヴァインさんにもそれを受けていただいたわけですが──」
こくんと頷く。ついさっきまで俺は、一人で事務所内の椅子に座りつづけていたのだが、それはその識別検査の結果が出るのをずっと待っていたからである。正直、ずいぶんと時間が掛かった。今朝、魔法管理局を訪ねると、目の前の女性職員が対応してくれて、魔法の概要についても説明してくれた。そのあとで識別検査を受けることになったのだが、そこからが長かったのである。いや、検査自体はすぐに終わったのだけれど、検査の結果がなかなか出てこなかったのである。当初「お待ちいただくのは一時間くらいです」と説明されていたのだが、実際は三時間以上も俺は事務所の隅に座りっぱなしとなっていた。
「識別検査の結果、ヴァインさんの魔法適性は四つの魔法のどれにも適していないことが判明しました」
「えっ、そ、それってどういう──?」
俺は困惑した。
「これは大変に珍しいことで、こちらも予想しておりませんでした。かなり古い資料にまで当たる必要が生じ、そのために結果を出すのに時間をいただいてしまったわけですが……ヴァインさんの魔法適性に適した魔法は、変種魔法と呼ばれるものとなります」
「変種魔法……?」
「はい。──ですがこの変種魔法は、他の四つの魔法とは違ってほとんど研究が進んでおりません。どうしてかと言いますと、この変種魔法に適応した魔法適性を持って生まれてくる人間が極端に少ないからです。それこそ数十年に一人出るか出ないかと言われているくらいでして。そのため、研究を進めようにも思うようにいっていないというのが現状です。実際、このアスト支部でも変種魔法を取り扱うのは今回がはじめてになるそうです」
「は、はあ……」
「そのような事情により、変種魔法はその種類があまり確認されておりません。つまり契約できる魔法が限られてしまうということです。普通でしたら──たとえば火魔法でしたら、火球魔法ファイネル、ファイスト、火壁魔法ヒータリーなど初心者でも契約できる魔法がいくつもあるのですが……」
ファイネル、ファイスト……具体的にどんなことができるのかは解らないけど、カッコいい響きである。
「変種魔法は──ヴァインさんが契約できる魔法は、先ほど申し上げたものだけとなります」
拘束魔法ホゲホゲペッ。
「……」
俺の目はたぶん虚ろになっていたと思う。
「幸い……と言っていいのか解りませんが」
女性職員がお茶を濁すように付け加える。
「変種魔法は研究が進んおらずその種類も限られているため、他の魔法と違い、初・中・上といった区別はまだつけられておりません。ですからその点では、先ほど申し上げた魔法と初心者のヴァインさんが契約することに何の問題もありません」
「あ……あの、これは確認なんですが……さっき聞かせてもらった話によると、魔法っていうのはその魔法名を唱えることで発動するんですよね?」
「──はい。どの魔法も例外なく、魔法名がそのまま呪文となっており、それを唱えることによって発動します」
「……」
俺の目は虚ろを通り越して穴ぼこになっていたかもしれない。──俺が魔法を使うためには、やはりあのマヌケな名前を口にしなければならないということか。
「もちろん、本当に魔法を発動する時には呪文だけでなく、同時に魔法師の『魔法を発動する』という集中力も必要になってきますけれど。そうでなければ、魔法師が魔法の話をしただけでも発動してしまいますからね」
「は、はあ……」
「それと、少し申し上げにくいんですが……資料によりますと、先ほどの魔法で標的を拘束しつづけるためには、その間呪文を唱えつづけていなければならないようです」
「……」
俺は穴ぼこが脳にまで達してしまったかのような錯覚を感じた。実際、目の前は真っ暗だった。
「だ、大丈夫ですか。しっかりしてください」
よほど俺の様子がおかしかったらしく、女性職員が心配そうに声を掛けてきた。それから励まそうとでも思ったのだろう、次のようなことを言う。
「資料には、他にもこう書いてありましたよ。『土魔法にも拘束魔法はあるが、この魔法はそれとは比べものにならないほど強力であり、超拘束魔法と呼ぶに相応しい』と。さらに『伝説級のモンスターであるドラゴォンでさえも倒し得ると伝えられている』とも。すごいじゃないですか!」
「……で、そのすごい魔法の名前って何でしたっけ? もう一度言ってもらえます?」
俺は訊いてみた。
女性職員は目をそらした。
二人の間に沈黙が降りた。
しばらくして、女性職員が気まずそうに声を発する。
「そ、それでどうします? 先ほどの魔法と契約なされますか? 一応こちらの準備は整っていますけれど」
「……他の魔法と契約はできないんですか。火魔法とか」
俺はすがるように言った。
「残念ながら」
申しわけなさそうに、女性職員が首を左右に振った。
「説明させていただいたとおり、魔法との契約は、ご自分の魔法適性に適したものとしかおこなえません。無理やり適していない魔法と契約をしようとしても成功はしませんし、それどころか人体に悪影響が出てしまうのです。最悪、死に至ることもあります。──我々、魔法管理局によって魔法が管理されているのはそれを防ぐという一面もあるからです」
「はあ……」
納得とも溜息ともつかない声を俺は洩らした。
何の取柄もなかったけれどこれからは魔法師としてやっていくんだぜひゃっほー……と希望を抱いてこの町にやってきた俺だったが、その魔法師になるためには「あれ」を唱えなければ──唱えつづけなければならないなんて。
俺は天井を仰いだ。口から魂が零れそうだった。
「あの……これは確実ではないんですけど」
女性職員が少し迷ったあと、言葉をつづける。
「このアスト支部で契約できる変種魔法は先ほどのものだけとなります。しかし、もっと魔法に関する情報が多い場所──この国の王都エーレスにある魔法管理局の本部であれば、他の変種魔法とも契約できるのではないかと思われます」
「ほ、本当ですか!」
「はい、おそらくは。──私を含めここにいる者の中に本部に詳しい人間がいないので絶対とは言い切れませんが。『大魔法図書館』とも呼ばれる本部であれば、たとえ研究が進んでいない変種魔法であっても、さすがに先ほどの一つきりということはないと思われます」
「そうですか! それで、エーレスまでって徒歩でどれくらい掛かります?」
俺は身を乗り出して訊いた。これまで王都なんてほとんど関係がない場所で暮らしてきたので、だいたいの方向くらいしか知らなかったのである。
すると、女性職員は困った顔になった。
「徒歩だとかなり厳しいものとなります……。途中で険峻な山脈を越えなくてはなりませんから、馬車ですら二ヶ月は掛かる道のりです」
俺はガクッとうなだれた。
無理だった。このアストに着くまでの十日間で旅費のほとんどは使い果たしてしまっていたのである。とてもじゃないが、馬車で二ヶ月の旅なんてできはしなかった。それは目の前の女性職員にも簡単に推測できたことであり、だから彼女もこの話をすぐに言おうとはしなかったのだろう。
「あの……変種魔法の魔法適性を持った人間が現れたというのは、こちらでも本部に報告すべき事案です。なので、その際に他の変種魔法があるかどうかを問い合わせすることはできると思いますが──」
「そうなんですか」
俺は顔を上げた。
「はい。ですが、その報告するのも馬車を利用してのものとなるので、往復には最低でも四ヶ月を要します。本部の対応次第ではさらに遅れることがあるかもしれません。それに結局のところ、魔法と契約するためにはその魔法を管理している場所にいっていただかねばならないんですよ」
「はあ……」
いずれにせよエーレスにはいかねばならないようである。しかし先立つものがなかった。
「その……本部に報告にいくって馬車に一緒に乗せてもらうことはできませんか?」
「すみません。そういったことは承っておりません」
「ですよね……。こちらこそすみません。厚かましいことを言っちゃって」
「いいえ」
それから二人してしばらく黙り込んでしまったのだが──途方に暮れている俺を見かねたらしく、女性職員が遠慮がちに口を開いた。
「あの、差し出がましいことを言うようですが、ここはひとまず先ほどの魔法と契約し、このアストの町で魔法師として働いてみてはいかかでしょうか? それで旅費が貯まり次第すぐにエーレスを目指されてもいいですし、あるいは慎重を期してエーレスからの返事が来るまで稼ぎつづけていてもいいと思います」
「……」
「ご希望でしたら、ここと懇意にしている冒険者ギルドを紹介することもできますよ。そこでなら初心者でも無理なく稼げる仕事が見つけられると思います」
「……」
「何はさておき、魔法師というのは希少なので優遇されます。しかも、先ほどの魔法は超拘束魔法と資料にも記載されているほどのすごいものですから、きっと活躍できるに違いありませんよ!」
「……で、そのすごい魔法の名前って何でしたっけ? もう一度言ってもらえます?」
俺は訊いてみた。
女性職員は目をそらした。
二人の間に沈黙が降りた。
「…………」
しかしまあ、あれだ。この人の言うとおりだ。現状ではそれが一番妥当な方法ではないだろうか。実際、他の手は思いつかないし。であれば、余計なことを訊いている場合ではなかった。相手が、初対面の人間にもこんなに親身になってくれる人とあってはなおさらだ。
椅子の上で姿勢を正すと、俺は頭を下げた。
「いろいろとすみません。それに、いろいろとありがとうございます。──魔法との契約をしていただけますか?」
こうして俺は拘束魔法──いや、超拘束魔法「ホゲホゲペッ」を手に入れたのだった。
……あまり嬉しくはなかった。
そして実際、この魔法のせいで俺はあぶれ者となり、行き倒れる羽目になるのである。