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終幕 超拘束魔法、その名は──

 荒れた大地の上で、巨大生物が低い唸り声を上げている。


 災禍の象徴。それがひとたび襲撃すれば、わずか数時間のうちに町や村は灰燼に帰すという。モンスターの最上位とされる存在──ドラゴォンと俺たちの戦いが、本格的にはじまろうとしていた。


「──で? で? やってやるって、具体的にはどうするつもりなの?」

 フレッタが興奮気味に訊いてくる。いま俺たちを包んでいる熱い一体感のせいだろう。


「そうだな……」

 俺はドラゴォンに注意を払いながら応じる。


 巨大生物はいま、それぞれ別の方向に立っている俺、エスメル、そしてフレッタとミューズを順々に睨みつけていた。目を狙われたことで警戒心が生じたのか、やたらと襲い掛かるのはやめたようだった。正直、助かる。


「こいつは伝説級のモンスターだ。俺たちがまともにやっても敵うはずはない。だからみんなで──」


「みんなで?」


 フレッタの期待に満ちた声に、俺は一つ頷いてから答える。


「嫌がらせをちくちくとくり返すことにする」


「なるほど解っ──えっ?」


 フレッタが目を剥いた。そのまま「? ?」と混乱してしまった彼女に代わり、ミューズが訊き返してくる。


「みんなで、嫌がらせをちくちくと……ですか?」


「そう。──やってやろうとは言ったけど、別に倒してやろうとは言ってないからな。ていうか、俺たちがいくらやる気になったところで、伝説級のモンスターなんて倒せるはずがないだろう。俺たちにやれることといえば、せいぜい嫌がらせくらいだ。さっきみたいにエスメルが投石したり、俺の魔法で一部を拘束したり、ミューズが目潰しをしたりだな」


 「は、はあ……。でも、そんなことをくり返していったいどうなるっていうんです? ドラゴォンの怒りに油を注ぐだけではないですか?」


「まあ確かに、最初はミューズの言うとおりになるだろう。けど、それでもその嫌がらせをちくちくちくちくとくり返していたら、きっとドラゴォンも嫌気が差すに違いない。退散してくれるはずだ。そしてそうなれば、俺たちは一人も欠けずに済むことになる」


「そ、そんなに上手くいくでしょうか……?」


 ミューズの心配も当然のことだったが、俺は口の片端を上げるしかなかった。


「いや、正直俺もこの作戦が最善だと考えているわけじゃない。ただ、他に何も考えつかないもんでな」


 そう。このかけがえのない仲間を誰か一人でも欠けさせてはいけない、という熱い想いに駆られて「やってやろうじゃないか!!」などと啖呵を切ってしまったものの──別に具体的な作戦があるわけではなかったのだ。


「なんか、思ってたのと違う……」

 と呟いたのはフレッタである。「さっきまでの盛り上がりをどうしてくれんのよ」という顔をしていた。


「し、仕方ないだろ。俺たちにはドラゴォンを倒せるような力がないんだから。それともフレッタには、何かいい作戦でもあるのか?」


「えっ? い、いや……う~ん」

 そう曖昧に答えると、フレッタは目を泳がせてしまった。


 ……このパーティーの最大火力である誰かさんの魔法がバンバン当たるというのなら、あの岩肌のような皮膚を相手にしても、いずれどうにかなるのかもしれない。しかし先ほどミューズが正確にドラゴォンの目を捉えていた一方で、誰かさんの魔法はいつもどおりに何処とも知れぬ場所へと飛んでいっていたのである。


「グォオオォ……」

 不意に、ドラゴォンがやや大きく唸り声を上げた。のそりのそりと誰に向かうでもなくその場をいったり来たりする。──おそらく、いつ誰に襲い掛かるかをはかっているのだろう。それが結果として、俺たちの相談する時間となっていた。


「ミューズとエスメルは、何かないか?」

 ドラゴォンに注意を払いつづけながら、俺は二人に訊いた。


「す、すみません。何も思いつかないです……」

 ミューズが申しわけなさそうに答えた。


「私は──そうだな、一応、ヴァインの作戦に賛成だ」

 エスメルが標的から目を離さずに言った。


「一応?」

 気になる言い方に俺は眉を寄せた。


「ああ、一応だ。──ヴァインの言うとおり、伝説級のモンスター相手に私たちができるのは、嫌がらせをくり返すことぐらいだろう。それに異論はない。しかし、それでドラゴォンを退散させられるかどうかは怪しいところだ。その前に、私たちのほうが力尽きてしまうことも十分に考えられる」


「それは……そうかもしれないが」

 俺は認めざるを得なかった。


「そこで、私はもう一度、先ほどの作戦を提案する」


「先ほどのって──あの林に逃げ込んで、ドラゴォンを撒くってやつか? けど……」


「ああ、解っている。標的にここまで近づかれてしまっては、あらためてあの林に向かうのは難しいだろう。まだ五、六百メートルほどはあるからな。その間に背後を襲われるのは目に見えている。それに、フレッタもケガをしているしな」


「じゃあ、やっぱりその作戦はもう──」


「いいや」

 軽く首を振ってから、エスメルがつづける。


「確かに、私の作戦はいますぐにやり直すことはできないだろう。しかし、ヴァインの作戦を──みんなで嫌がらせをちくちくとくり返すというのを、この場でドラゴォンを退散させるためではなく、私たちがあの林に向かうための牽制としておこなえばいいのではないか」


「牽制として……?」


「うむ。私たちの投石や拘束や目潰しでは、ドラゴォンを退散させることは怪しいだろう。しかしそれらによって、その動きを妨害できたのもまた事実。つまり一時的ではあるにせよ、私たちはそれぞれにドラゴォンを引きつけること──牽制することくらいはできるというわけだ」


「……」


「であるならば、誰か一人が牽制している間に、他の仲間はあの林に向かうこともできるはずだ。ただ、あまり長くは持たないだろうから、牽制役は適度に交代していく必要がある。だから林に向かうといっても、すぐ交代できるように離れすぎてはいけない。おそらく、林へと向かう速度は徐々に徐々にというものになるだろう。しかしこれは逆に、ケガをしたフレッタには都合がいいはずだ」


「そうか……」

 言われて、俺はハッとした。


「別に、ここで何が何でもドラゴォンを退散させなくてもいいってことか。──ていうか、俺の作戦よりエスメルの作戦のほうが成功率が高そうだな」


「いや、それはどうだか……。何せ、相手はあの災禍の象徴だ」


 エスメルが低く呟くと、ミューズが敢えて明るい声を出した。


「つまり、ヴァインさんの作戦とエスメルさんの作戦を組み合わせるということですね。いいと思います。──それに、モンスターの動きを牽制するというのは、私たちがいつもやっていることですからね。いつもとちょっと違うのは、モンスターを倒すためではなく、私たちが無事に逃げおおせるためにするという点だけで」


「そのとおりだな」

 と同意を示したあと、エスメルが眉を曇らせる。


「ただ、この作戦を実行するに当たり気懸かりなのは、やはりフレッタのケガだが……」


「あたしなら、大丈夫」

 フレッタが何でもなさそうな顔をつくりながら、ミューズの肩から離れた。


「もう一人で立てるし、一人で動ける。さすがに全力ってわけにはいかないけど、問題ない」


「フレッタ、きつそうなら俺たち三人に任せて、おまえは──」


 林に先行してもいい、と俺が言い掛けると、赤い軽装の女魔法師はキッと顔を上げた。


「やめてよ。あたしたち仲間でしょ。そんなの真っ平ごめんだわ」


 ……たぶん、少なからず無理をしているのだろうが、そのフレッタの心意気を俺たちは買うことにした。


「よし」

 全員の顔を見回して、俺は言う。


「なら、いまの作戦でいこうか」


 その言葉に、みんなが力強く頷いた。


 巨大生物はいまだのそりのそりと動いている。それを下手に刺激しないよう俺たちも慎重に距離を取りつづけている。


 ……もしかしたら、他にもっといい作戦があるのかもしれない。しかし、この場にそれを思いつける知恵者がいない以上は仕方がないだろう。俺たちは、俺たちにやれることをやるだけだ。


「とにかく、ドラゴォンを自由に動き回らせては駄目だ。そのためには、なるべく牽制はあちこちから仕掛けたほうがいいだろう。けど、ばらけすぎても危険だ。お互いに位置関係には気をつけるんだぞ。連係を忘れるなよ。──あと、一番大切なことは、俺たちの誰か一人でも欠けちゃいけないってことだからな」


「了解よ」


「了解だ」


「了解です」


 俺の意見に、みんなが同意した。


「──よし。では、まずは私からいかせてもらおうか」

 ドラゴォンを睨みつけながら、エスメルが一歩前に出た。──先陣は、いつもならフレッタが勝手にやっているところだが、今回ばかりはケガをしているのでおとなしかった。


「そうだな」

 俺は頷いた。伝説級のモンスターを前にして、一番冷静に見るのはエスメルであった。さすが普段からいかがわしい趣味を隠そうともしない太い神経の持ち主である。彼女ならきっと、変に物怖じせずに牽制をはじめてくれるに違いない。


「じゃあ、ここはエスメルに頼もうか。さっきみたいに鋭い投石を決めてくれ」


「うむ」

 と力強く応えたあと、エスメルはふと眉を寄せた。


「しかし、あれだな……私は剣士だというのに、この大事な局面で頼まれるのが投石というのはどうなんだろうか」


「まったくだな。言ってから、俺もどうなんだろうかと思ったよ。けど、おまえのその木剣じゃ、あの見るからに頑丈そうなドラゴォンには歯が立たないだろ」


「まあ、それはそうなのだが……」


 複雑な表情をしながらも、エスメルは足元の石を拾い集め、投石の準備に入った。それを見ながら、俺はミューズに言う。


「解ってると思うけど、ミューズは、目以外の部分は狙うなよ? 微塵も効果はないはずだから」


「そ……そうですね」

 と応えたミューズの大きな双眸から、すーっと光が失われはじめた。


 しまった。忠告したつもりだったんだけど、言い方が悪かったようだ。

「そ、そういえば、さっきは……あんなに激しく走っていたドラゴォンの目をよくも正確に捉えられたな。やっぱりミューズの命中率はすごいな!」


 俺が慌てて取り繕っていると、横合いからフレッタがねだるように訊いてきた。


「ねーねー、あたしは? あたしには何かないの?」


「フレッタは……そうだな、いつもどおりだな。とにかく魔法を連発してくれ。そうしておけば、ただの一発も当たらなくても牽制の役割は果たせるだろう」


「うん、解った──って、当たるわよ!? あたしの魔法はめちゃくちゃ当たるわよ!?」


 いったんは素直に頷いたフレッタであったが、急に見栄を張りはじめてしまった。あまり余裕がないので、俺は適当にあしらうことにした。

「うんうん、そうだね、よかったねー」


「ちょっ、何よその言い方は!? いいわよ、あたしには奥の手もあるんだから!」


「は……?」

 奥の手ってあれか、目を瞑るってやつか。まだそんなことを言ってくるとは……。


「いいかフレッタ、それだけはやるなよ。頼むから」


 俺が呆れたような溜息を洩らしていると、エスメルが緊張を孕んだ声で告げる。


「どうやらお喋りもここまでのようだ。ドラゴォンの殺気が高まってきている」


 見れば、巨大生物が歩き回るのをやめていた。その視線は何もない中空に据えられていたが……確かに、嵐の前の静けさのようなものが感じられた。


「仕掛けるぞ。機先は制するべきであって、制されるべきではないからな」

 一声上げると、エスメルが思いきり右腕を引き──勢いよく振った。鋭い直線を描いて、彼女の投石はドラゴォンの右肩辺りにぶち当たる。


「クゥオッ!!」

 ドラゴォンが誰に狙いを絞っていたのかは解らないが、いまの攻撃により、その狙いはエスメルに確定した。地響きを上げながら、女剣士へと向かっていく。


 それはもちろんエスメルの承知するところであり、彼女はすでに回避行動に移っている。そして、ドラゴォンの出端を挫くように二投目をおこなった。


 女剣士の機敏な動きと連続する投石──それらのわずらわしさの中で、巨大生物は本来の力を発揮し切れないようだった。猛々しく追っているわりには、まだまだエスメルを捉えられそうにはなかった。


 その間、当然のことながら、俺とフレッタ、ミューズはそれぞれ林へと向かっていた。とはいえ、一目散というわけではない。時機を見て、エスメルと牽制を交代するためである。林への距離を詰めつつも、エスメルとドラゴォンからも離れすぎないように注意しなければならない。また、連係が効果的におこなえるように、フレッタとミューズとの位置関係にも気をつける必要があった。


 そろそろか?

 俺は林へと向けていた視線を右後方に移す。そこでエスメルが投石と回避をくり返しながら牽制をつづけている。


 ──と、エスメルがこちらに目配せを送ってきたようだった。交代の合図に違いない。

 それにしても、そこそこ距離があってはっきりとは見えていないにもかかわらず、そんなことを感じ取れるというのは……やっぱり、俺たちがかけがえのない仲間だからだろう。


 出会ってから数ヶ月、エスメルとはいろいろなことがあった。最初は、俺の呪文をからかってばかりいた。けどそのうち、ご飯をたかられたり、鉄剣を買えと何度言っても無視されたり、いかがわしい趣味を勧められたり、俺までいかがわしい趣味に興味があるように嘘つかれたり……。ん……? あれ? かけがえのない仲間……?


 いやいやいや。落ち着け? いざという時、エスメルがいつだって仲間のために動いてくれたのは確かなのだ。このままドラゴォンは彼女に任せて、その間に俺たちだけで林の中に逃げ込んでしまおう──なんて考えちゃ駄目だ。


 俺に目配せが通じたと思い、エスメルはすでに牽制をやめて林へと向かっている。態勢を整えたドラゴォンがそのあとを追い掛けはじめていた。


「ホゲホゲペッ!」

 邪念を振り払うように頭を振ってから、俺は呪文を唱えた。


「クゥオオッ!?」

 寸前までエスメルの牽制を受けていたドラゴォンの動きは、先ほどよりも鈍くなっていた。加えて俺の観察のほうも足りてきていたので、超拘束魔法は外れることなく標的を捉えた。偶然にも、蒼白い光を放つ魔方陣が捉えたのは前回と同じ左後ろ足だった。


「いいぞ、ヴァイン!」

 俺と入れ替わるようにして林へと走っていくエスメルが、少し振り向いて褒め言葉を残していった。


「ホゲホゲペッ! ホゲホゲペッ! ホゲホゲペッ!」

 それに対し、俺は呪文を唱えながら頷いておいた。よからぬことを考えていたことはおくびにも出さなかった。


「グゥオオオォッ!!」

 蒼白い光に左後ろ足を捉われ、ドラゴォンは激しくもがいている。しかしその姿に、狂ったような様子はない。すでに一度脱出に成功しているので、取り乱す必要はないといったところだろうか。

 そのおかげで、俺の集中力もあからさまに委縮することはなかった。ただし、やはり巨大生物がもがいているので、大地の揺れが半端ではない。呪文を唱えつづけること自体が大変だった。


「ホゲホゲペッ! ホゲホゲペッ! ホゲホゲペッ!」

 それからしばらく俺は、どうにかこうにかドラゴォンを拘束しつづけた。そして収まることのない大地の揺れに、「いつかうっかり舌噛んで死にそう」と思いはじめた頃、林のほうから声が上がった。


「ヴァインさん! 今度は私が!」


 それを合図に俺は呪文を唱えるのをやめ、再び林のほうへと向きを変えて駆け出した。

 数瞬の空白後、重々しい足音が背後から迫ってくる。しかし、俺が襲われることはなかった。


「ウォーリューム!」

 ドラゴォンは走っているというのに、そのせいで足元は不安定になっているというのに、それでもミューズの魔法は見事に標的の目を捉えていた。


「クゥオオオン!?」

 急に視界を奪われて、巨大生物はその場で大きくのけぞった。伝説級のモンスターとはいえ、さすがに眼球にまで防御力は備えていない。威力の弱い魔法の水流でも十分に効果があった。


「クゥオオッ、クゥオオッ」

 激しく頭を左右に振り、ドラゴォンは水流から逃れようとする。しかしそのたびに、ミューズは自分の立ち位置や魔法を放つ角度を変えて、執拗かつ正確にその目を狙いつづけている。無論、ドラゴォンはもう瞼を閉じているのだろうが、そのせいで攻撃することも追い掛けることもできなくなっているのだった。


 これで威力さえあったら、ものすごく有能なのになあ……安全圏と思われる位置まで走った俺は、内心で溜息をついた。


「さあ、いよいよあたしの出番ね!」


 声のしたほうを振り返ってみると、やや離れた場所の小岩の上にフレッタが立っていた。わりと元気そうであった。たぶん痩せ我慢しているんだろうけど。


「頼みます、フレッタさん!」

 そう叫ぶと、ミューズは踵を返して林へと走りはじめた。


「頼まれた!」

 フレッタは威勢よく応え、片手をかざす。


「ファイラッシュ! ファイラッシュ! ファイラッシュ!」


 火の女魔法師は、最初から魔法を連発した。口では文句を言っていたが、そこは俺の言葉に従うことにしたようである。


 いくつもの火炎弾が大地を穿ち、土塊を撒き散らす──つまり、標的には一発も当たっていないのだが、それでも一応、弾幕のような形にはなっており、ミューズの背後が襲われることはなかった。ただ何発かは完全に逸れて、そのうちの一発が仲間であるエスメルのほうへと飛んでいった。まあ、「ゼレの大縮図」による制限もあるし、エスメルも卓越した運動神経の持ち主なので特に問題はなかったが。


 ともあれ、こうして牽制役が一巡し、再び一番手のエスメルがドラゴォンに向かって投石を開始した。


「この調子なら、何とかなるか……」

 俺は呟いた。ここまでは順調にいっている。林まであと三百メートルほど。半分の距離を走破していた。


「エスメル!」

 そろそろ交代したほうがいいだろうと思い、俺は声を掛けた。


「うむ!」

 エスメルが投石をやめて、林へと向かう。そのあとをドラゴォンが追い掛けはじめる。


「ホゲホゲペッ!」

 俺は狙いを定めて、呪文を唱えた。今度はドラゴンの左前足の拘束に成功した。林まで、残すところ二百五十メートルほど。どうやら無事に逃げ込むことができそうだ。


 もちろん林に逃げ込めたからといって、そこでただちにドラゴォンを撒けるとは限らない。あの大岩のような体躯で、立ち並ぶ木々をなぎ倒しながら追い掛けてくることも考えられる。しかしいくら災禍の象徴と呼ばれているモンスターであっても、あの林すべてを破壊することはできないだろう。かならず撒く機会は訪れるはずだ。たぶん。──と思った時のことだった。



 ブオン。



 風が唸るような音がした。


 本能が警告を発し、俺は反射的に両腕で身体を庇った。

 次の瞬間、ものすごい衝撃が左腕を襲った。俺は中空を吹っ飛んだ。そして意識もしばし吹っ飛んだらしく、気づいた時にはもう大地の上に転がっていた。


 左腕が燃えるように熱かった。それに、重いものを載せられているかのような鈍痛。──しかし、それ以外の感覚がない。まるで熱と痛みだけを残して、左腕そのものは消失してしまったようだった。

 恐るおそる、左腕を見る。まだちゃんと付いていた。ただ、服が千切れて覗くそこは……紫。人間の肌がしていい色ではなかった。


 いったい、何が起きた……? ドラゴォンとは十分に距離を取っていたはずなのに? 俺の魔法も破られてはいなかったはずなのに?


 そう自問した脳裡に、視界の隅で一瞬だけ捉えた映像が蘇る。


 左前足を拘束されたまま、ドラゴォンが臀部を振ったように見えた。


 あれは──


 茶褐色の、鞭のようにしなったあれは──


 尻尾か……!


 予想外だった。あんな如何にも硬そうな見た目をしておいて、伸縮するのか、あの尻尾。


 それで地面を叩く姿を目撃していたから、もちろんゴツゴツとした皮膚に反してある程度は自由に動くのだろうとは思っていたけれど、まさかこんなにも伸縮性があるとは想像もしていなかった。おそらく硬い皮膚と皮膚との間には継ぎ目のようなものが存在し、そしてその部分に伸縮性があったのだろう。ゆえに、普通なら攻撃が届かない距離を一気に詰められてしまったのだ。……やられた、こんな技を隠し持っていたなんて。


「ちょっ、ヴァイン!?」


「ヴァイン!」


「ヴァインさん!」


 それぞれの位置で、みんなが悲鳴のような声を上げていた。


 しかし俺は、大地の上に転がったまま返事することもできなかった。直接攻撃を受けたのは左腕だったけど、その影響が大きすぎて全身がまるで言うことを聞かない。


「グォオオォッ!」

 一声咆えると、巨大生物がこちらに向かって足音を響かせてきた。どうやらとどめを刺すつもりらしい。俺がこんな状態になっているので、当然のことながら拘束はすでに解けている。


「させるか!」

 エスメルが林のほうから取って返し、ドラゴォンへと投石をはじめた。


「ウォーリューム!」

 それにミューズもつづいた。


「しっかりして、ヴァイン!」

 フレッタは少しびっこを引きながら俺の元へと駆けてくる。


 ドラゴォンを牽制しながら林の中に逃げ込む、という作戦は完全に破綻してしまった。俺がやられてしまったせいで……!


 エスメルとミューズの同時攻撃により、こちらに向かっていたドラゴォンはひとまず足止めされている。

 しかし、あんな尻尾攻撃があると解った以上、安心などしていられない。あの攻撃がもしも彼女たちを襲ったら──と思うと、俺は気が気ではなく右腕だけを使って無理やり上半身を起こした。


「がっ」

 たいした動作ではなかったにもかかわらず、全身に激痛が走る。そのくせ、尻尾の攻撃を喰らった左腕は感覚がおかしくなったままである。……これはもう、林の中に逃げ込むどころか、この場から一歩も動けそうになかった。


「無理しないで、ヴァイン」


 その声と同時に、身体が少しだけ軽くなった。俺の元へと駆けつけたフレッタが、後ろから背中を支えてくれていた。


「……」

 正直、嬉しかった。俺の元に駆けつけてくれたことも。俺が襲われないようにドラゴォンを足止めしてくれたことも。みんなの行動が嬉しかった。──しかし、だからこそ。



「俺を置いて、先にいけ」



「なっ、何を言い出すのよ、ヴァイン!」


「言ったとおりだ。俺を置いて、先にいけ。俺はもうここから動けそうにない」

 少し口を開いただけでも全身が痛かったし苦しかったが……それでもどうにか言葉を吐き出した。


「バカっ、置いていけるわけないでしょう!? あんたが動けないってんなら、あたしが運んであげるわよ!」

 フレッタが血相を変えて叫ぶ。


「フレッタの力じゃ無理だろ。それに、おまえも足を挫いているじゃないか」


「だったら、エスメルに頼むわよ。あいつなら余裕でヴァインを運べるでしょ!」


「さすがのエスメルも、俺を抱えながらではドラゴォンから逃げるのは難しいだろう。その攻撃を避けることもな」


「ドラゴォンなら、あたしが何とかしてみせるわよ!」


「そういう台詞は、ドラゴォンに一発でも当ててから言ってくれ」

 俺は思わず苦笑した。全身が軋んだ。けど、気分的には少しだけ楽になった。痛みをこらえながら、ゆっくりと立ち上がる。


 エスメルとミューズが必死になって巨大生物の牽制をつづけていた。幸い、あれから尻尾攻撃はおこなわれていない。最初から使ってこなかったことや連発してこないことを踏まえるに、たぶんだけど、あの技はドラゴォンにも負担が掛かるのではないだろうか。また、あんな大振りをしてしまっては、そのあと少なからぬ隙ができてしまうという事情もあるだろう。


 もちろんエスメルとミューズが目まぐるしく移動しつづけて、狙いをつけさせないようにしていることも無関係ではないと思われる。


 しかし……仕方ないとはいえ、エスメルもミューズもあんなに激しく動き回っていては体力が持つはずない。すぐに疲れて動きが鈍くなるだろう。そしてその時こそ、彼女たちにあの尻尾が襲い掛かるかもしれない。


 俺のせいで、二人がそんなことになっていいはずがなかった。


「俺を置いて、先にいけ。ドラゴォンは俺が引き受ける」


「だから、何言ってんのよ!? そもそも誰か一人でも欠けちゃいけないって言ったのはヴァインじゃない!」


 耳が痛い。すでにあちこちが痛いというのに……。あと、心まで痛くなった。しかし俺は敢えて素っ気なく応じる。

「状況が変わった。悪いが、前言撤回だ」


「そんなのっ……!」


 フレッタが胸の詰まったような声を洩らしたが、俺は無視して呪文を唱えることにする。


「ホゲッ、ガッ……!」

 ちょっと大きな声を出した途端、全身に痛みが走り、呪文を中断せざるを得なかった。


「ほらっ、無理しちゃ駄目だって!」


 フレッタが再び俺の身体を支えてくれる。あたたかくて、優しい感触。──これが、俺のせいで失われていいはずがなかった。


「ホゲホゲペッ!」

 またもや痛みが走ったが、今度は覚悟していたのでどうにか呪文を唱えられた。


 蒼白い光を放つ魔方陣は、ドラゴォンの拘束に成功した。いつもは両手で狙いをつけているのだが、いまは右手だけであった。そのため、もしかしたら狙いがズレるかもと思ったのだが、大丈夫だった。変な癖はついていなかったようである。


 そして俺が拘束したのは、ドラゴォンの左後ろ足。前回、左前足を拘束してその臀部を自由にしてしまったことが、あの尻尾攻撃の一因となったのは間違いないと思ったからである。


「ホゲホゲペッ! ホゲホゲペッ! ホゲホゲペッ!」


「ヴァイン、大丈夫なのか」


「ヴァインさん」


 俺の魔法によってドラゴォンの動きが止まったことを受け、エスメルとミューズが牽制をやめて、こちらへと駆けつけてきた。


「ちょっと、二人とも聞いてよ! ヴァインが『俺を置いて、先にいけ』なんて言い出したのよ」


 フレッタがそう喚くと、エスメルがいたって真面目な声で告げる。


「さっきの攻撃で頭を打ってしまったんだな。いいかよく聞け、ヴァイン。おまえにそんなカッコいい台詞は似合わないぞ」


「別に。ホゲホゲペッ! 頭が。ホゲホゲペッ! おかしくなったわけじゃない。ホゲホゲペッ! カッコつけてるわけでもない。ホゲホゲペッ! 俺はもう動けないんだ。ホゲホゲペッ! というか。ホゲホゲペッ! たぶん、もう助からない。ホゲホゲペッ!」



 俺の告白に、三人が息を呑むのを感じた。



 ドラゴォンの尻尾攻撃を直接喰らったのは左腕だけだったけど、それだけにしては全身の具合が悪すぎた。頭こそ打っていないみたいだったけど、おそらくは地面に激突した時に損傷してはいけないところを損傷してしまったのではないだろうか。正直自分でも、どうして立っていられるのか呪文を唱えられているのかが不思議でしようがない状態であった。


「……」

 三人は言葉もなく立ち尽くしていた。


 紫に変色した左腕と余裕のない様子から、俺がふざけているわけではないことは嫌でも伝わったのだろう。しかし、固まったままでいられても困る。俺は呪文を唱えながら、みんなに決断を促す。


「どうせ助からない一人にこだわって、そのまま四人まとめてやられるか。どうせ助からない一人を置いて、他の三人は逃げ延びるかだ。考えるまでもないだろう」


 しかし、それでも誰も動こうとはしなかった。


 左後ろ足を捉えられたドラゴォンは、他の部分を使ってもがいている。腰の辺りの自由が効かないためだろう、尻尾攻撃をくり出しくる様子はなかった。ただ、俺がこんな身体ではいつまで拘束できるか解らない。時間はなかった。


 仕方がない。この三人の中では一番冷静だと思われる女剣士に、俺は語り掛ける。

「エスメル、俺の最後の頼みだ。二人を連れて林まで逃げてくれ」


「……」


「頼むよ。もうそんなに長くは拘束していられない。俺のせいで全滅なんてことだけは避けたいんだ」


「…………」

 エスメルが切なく切なく息を吸い、切なく切なくそれを吐き出して、そして──


「解った。ドラゴォンはおまえに任せる。フレッタとミューズは私が力ずくでもあの林の中に連れていこう」


「ありがとう。──悪いな、損な役回りを押しつけてしまって」


「……気にするな。いくぞ、二人とも」

 エスメルは何でもないふうを装って言うと、フレッタとミューズの腕を引っ張って林へと向かいはじめる。


「ちょっ、何するのよ!」


「ま、待ってください、エスメルさんっ」


 フレッタとミューズはそれに抗おうとするが、女剣士との力の差は歴然で、ぐいぐいと連れていかれてしまう。


 その光景を目の端に捉えながら、俺は少し微笑んだ。


 これでいい。あとはもう、命の限り呪文を唱えつづけるだけだ。


「ホゲホゲペッ! ホゲホゲペッ! ホゲホゲペッ!」


 思えば、この超拘速魔法と契約したせいで、ずいぶんと嫌な目に遭ったものである。指導者パーティーの三人に敬遠されたのを皮切りに、最初の冒険者ギルドではあることないこと噂され──俺はあぶれ者となった。その後、仲間になったフレッタたちにもさんざんからかわれた。


 結局、俺がこの超拘束魔法を気に入ることはなかった。


 もちろん、猪に似たモンスターをはじめ、ドーグやバーズド、ユニトウモやミッグドーグ戦で役に立ってくれたので便利だなとは思っていたけれど、それだけであった。早く別の変種魔法と契約したいという気持ちに変わりはなかった。


 しかし、さすがにこれが最後だと思うと、いつもの嫌悪感や羞恥心を抱くことはなかった。ああいったものは、これからも生きていくからこそ沸き起こる感情なのではないだろうか。──そういう意味では、いま全身を襲っているこの痛みも、もはやどうでもいいことなのかもしれない。


「ホゲホゲペッ! ホゲホゲペッ! ホゲホゲペッ!」

 みんなが無事に逃げられるように、俺はもう、命の限り呪文を唱えつづけるだけだった。



 それだけだった。



 次の瞬間──


 ドラゴォンの左後ろ足を捉えていた蒼白い光を放つ魔方陣が、ブワッと膨れ上がった。

 普段なら、魔法陣の大きさはせいぜいドラゴンの足一本、しかもその足元を捉えられる程度である。しかしいまは倍近くになっていた。


「クオッ!?」

 左後ろ足だけでなく、右後ろ足と膝までの自由を奪われたドラゴォンが焦燥の叫びを上げた。


 これは……ユニトウモ戦の時と同じ現象だ。俺の錯覚ではなかったということか。あの時は驚いてしまい、この現象はすぐに終わってしまった。しかし今回は二度目なので動揺が少なかったらしく、蒼白い光を放つ魔方陣はいまだ膨れ上がったままである。


 にしても、いったい何が起きているんだ……? と自問したものの、正直薄々ながら心当たりはあった。


 どうしてかといえば、()()()()()()()()()()()()()だ。


 魔法を発動するコツは、自分の中の熱いものと標的を結ぶような感覚を思い浮かべて集中するとよい──


 そう魔法の基礎を教えてくれたのは、魔法管理局アスト支部の女性職員だった。


 しかし俺は、いままでこの教えを忠実に守ったことがなかった。何処を守っていなかったかというと、「集中」という部分である。


 呪文がマヌケすぎるせいで、俺はいつも嫌悪感や羞恥心を抱きながらそれを唱えていた。すなわち、完全に集中して唱えたことはなかったのである。そして、そんな中途半端な状態でも取り敢えず魔法は使えていたので、これまで深く考えることもなかった。早く別の変種魔法と契約したいとばかり思っていた。


 しかし、例外が二回あった。


 一回目は、一種の極限状態に陥って雑念が消えた、ユニトウモ戦の時。二回目は、さらなる極限状態に陥って呪文を唱えることだけを考えた──いまこの時だ!


「ホゲホゲペッ! ホゲホゲペッ! ホゲホゲペッ!」

 俺はかつてないほど呪文に集中していた。全身を襲っているはずの痛みすら何処か遠くに感じる。


 その集中に応えるように、蒼白い光を放つ魔方陣は膨れ上がりつづけている。いまやドラゴォンの四肢すべてをその範囲内に捉えていた。


 不意に、蒼白い光の先端が枝分かれした。それはすでに巨大生物の腿辺りまで達していたのだが、そこからいくつもの帯のようになったのだ。そしてただ上に伸びるだけでなく、前後左右にも伸びはじめ、ドラゴォンの大岩のような体躯にまとわりつきはじめた。


 ギシギシ。ミシミシ。


 足元からどんどんと蒼白い光の帯に覆われていく伝説級のモンスターは、のけ反るようにして大口を開けた。その首にも下顎にも上顎にも容赦なく蒼白い光の帯が絡みつく。幾重にも。


 ギシギシ。ミシミシ。


 ドラゴォンは、まるで天に咆えているかのような恰好で拘束された。


 超拘束魔法。


 その魔法適性を持つ者が極端に少ないといわれる変種魔法の中の一つ。魔法管理局アスト支部の人たちも資料上でしか知らず実際に見たことは一度もなかった。もちろん俺も見たことはなかった。はじめて使った時、魔法陣とそこから蒼白い光が発せられたので、そういうものだと受け止めていた。


 しかし、違ったのだ。俺はいままで超拘束魔法を扱い切れていなかったのだ。その本当の姿は──


 まさに、拘束。


 ギシギシ。ミシミシ。


 魔法陣から発せられたいくつもの蒼白い光の帯は、ドラゴォンの全身に絡みつき、絡みつき、締め上げて、締め上げて、なお締め上げる。完全に伝説級のモンスターの動きを封じていた。


「えっ、何これ、すごい……!」


 思いのほか近くからフレッタの声がした。俺は目を剥いた。エスメルに林まで連れていかれたのではなかったか? さっと視線をやれば、やや離れたところにフレッタが立っていた。そこからさらに林のほうにいった地面でエスメルとミューズが揉み合っている。どうやらフレッタとミューズが協力して、その結果、フレッタだけがどうにかエスメルの手を振り切ったようだった。


 まったく何やってんだよ。どうして戻ってくるんだよ。危ないじゃないか──と思ったが、いまはそれどころではなかった。


 集中が切れると、すぐにこの現象が終わってしまうことはすでにユニトウモ戦の時に経験済みである。

 離れてしまいそうになった集中の糸を、俺は必死で摑み直した。


「ホゲホゲペッ! ホゲホゲペッ! ホゲホゲペッ!」

 数瞬、蒼白い光の帯が弱まったように見えたが、どうにか元どおりになった。


 ギシギシ。ミシミシ。


「すごいよ! すごい! ヴァインすごいよ!」

 大岩のような体躯を、いくつもの蒼白い光の帯が締め上げていく光景に魅せられたのか、フレッタが興奮気味に叫んだ。


 ──そのすごいのが、いまおまえのせいで駄目になり掛けたんですけど!? とツッコんでやりたかったが、一方で悪い気がしていなかったのも事実であった。


 仲間に何度もマヌケと言われた、この超拘束魔法。しかしその仲間がいま、それを絶賛してくれている。



 盛り上がらないわけがなかった。



「ホゲホゲペッ! ホゲホゲペッ! ホゲホゲペッ!」


 集中集中集中。俺の集中力はさらに高まっていく。


 蒼白い光の帯が締め上げる。締め上げる。締め上げる。


 すると──ドラゴォンの全身から発せられている異音がさらに強くなった。


 メキメキ。バキバキ。


「フレッタ、いい加減にしろ、逃げるぞ!」

 その時エスメルが、フレッタの元に駆け寄った。ミューズは女剣士の肩に担がれていた。手足をジタバタさせていたが、もうどうにもならないようである。


「ちょっと待って。いまヴァインがすごいことしてるのっ」


「それは見れば解る。しかしだからこそ、私たちはその間に逃げなければならない。ヴァインのがんばりを無駄にするな!」


「そうだけど、そうじゃないのよっ。よく見て、エスメル! あのドラゴォンの状態を!」


 メキメキ。バキバキ。


「あれはもう、拘束しているというよりも……あのままいったら、ドラゴォンの岩肌のような身体さえも……」


 フレッタのその言葉に、俺の頭の中が反応した。


 超拘束魔法は、あの伝説級のモンスターであるドラゴォンですらも倒し得ると伝えられている──そう教えてくれたのも、魔法管理局アスト支部の女性職員だった。


 あの時、俺はちょっとした違和感を覚えた。どうして拘束し得るではなく、()()()()なんだろう、と。


 ただ、言い伝えの言葉なんて何処かおかしかったりするものだから、わざわざ確認しようとは思わなかったけれど……。


 メキメキ。バキバキ。


 あれは──


 メキメキ。バキバキ。


 間違いではなかったのだ。


 メキメキ。バキバキ。


 集中集中集中。

 拘束拘束拘束。


 メキメキ。バキバキ。

 メキメキ。バキバキ。


 拘束を超えた、拘束──


 あの伝説級のモンスターであるドラゴォンですらも倒し得る──


 超拘束魔法。


 その名は──



「ホゲホゲペッ!!!」




 ガゴオッ!!


 いっそう輝きを増した蒼白い光の帯の中で、ドラゴォンの身体からひときわ強烈な異音が迸った。


「やった!?」


「やったか!?」


 フレッタとエスメルが同時に叫んだ。


 確かに、かなりの手応えを感じた。


 だが、しかし。


 絡みついた蒼白い光の帯の隙間から覗く、その目にはまだ──


「い、いいえ、よく見てください。ドラゴォンの目にはまだ生気が宿っています」

 女剣士に担がれたまま、慌てたように言ったのはミューズだった。


 そう──。あと一歩、届かなかったのだ。


 これは、超拘束魔法がドラゴォンに敵わなかったということではなく、たぶん俺の実力不足が原因だろう。普段からもっと集中して呪文を唱えていれば、違った結果になっていた気がする。


 しかし、いまさらそんなことを言ってもあとの祭りである。何より、俺の体力が限界だった。かつてない集中により、遠ざかっていた全身の激痛もゆっくりと鎌首をもたげはじめている。まだ何とか惰性で呪文を唱えつづけているけれど、もうそんなには持ちそうになかった。俺は片膝をついた。


「マズい。やっぱり逃げろ、みんな……!」


 俺のそんな必死の願いを、フレッタは──


「ううん! ここはあたしに任せなさい!」



 蹴り飛ばした。



「血迷ったか、フレッタ!?」

 エスメルの言葉に対し、フレッタはドラゴォンに向かって思い切り指を突き出す。


「血迷ってない。いまが絶好の機会よ。ヴァインの魔法によってドラゴォンの動きは完全に止まってる。しかも大口を開けた状態で。だったら、やることは一つでしょ!」


「まさか、ドラゴォンの中に入って魔法を放つつもりか!?」


「それなら、あたしの命中率でも外しようがないでしょ」


「……逃げろ、みんな……!」


「確かにそうだが……いや、無理だ。『ゼレの大縮図』の制限、人体及びそれに付随するものには影響を及ぼすことができない──によって、ヴァインの超拘束魔法の中でもおまえ自身は自由に動き回れるが、おまえが放つ魔法はそうはいかない。私が木剣を振るうのとはわけが違うのだ。放った途端、ヴァインの魔法に拘束されて何の役にも立たなくなるぞ。普段からそうだったのだから、いまのヴァインの魔法の前ではなおさらだ」


「解ってるわよ、そんなこと。あたしも魔法師の端くれよ? ──だからミューズ、あたしがドラゴォンの口ん中に入ったら、あんたがヴァインの魔法を止めてちょうだい。いまのヴァインには時機をはかるなんて無理だと思うから」


「で、でも、それは危険すぎるのでは……?」

 ここにきてようやく肩から降りることに成功したミューズが言った。


「……逃げろ、みんな……!」


「そうだ。危険だ。そもそもとどめを刺すのは私の役目だ。昔から剣士は前衛、魔法師は後衛と相場が決まっているだろう。どうしてもドラゴォンの中に入るというのなら、私が入るべきだ」


「たとえ内部からとはいえ、あんたのなんちゃって聖剣やその辺の石じゃあ、あのドラゴォンにとどめなんて刺せないでしょ。ヴァインの状態を考えれば、時間も掛けてはいられない。ここは、このパーティーの最大火力であるあたしに任せなさい」


「ぐっ……」


「……逃げろ、みんな……!」


「よし、これで異論はなくなったわね! じゃあエスメル、あたしをドラゴォンの口の辺りにぶん投げてちょうだい」


「投げるのか!?」


「ドラゴォンは動けなくなってるけど、この挫いた足じゃよじ登れそうにないからね。あんたの技量とバカ力があれば、そんなに難しくはないでしょ。そのほうが時間の短縮にもなるし」


「まあ、おまえの貧相な身体を投げるのは造作もないことだが……いいんだな?」


「いいのよ。あと、貧相言うな」

 それからフレッタは俺のほう見て──


「ごめんねヴァイン、あともう少しだけがんばって。あたしがすぐに決着をつけてくるからね」



 とても綺麗に微笑んだ。



「いくわよ、エスメル!」


「ああ!」


 火の女魔法師と女剣士がドラゴォンに向かって駆けていく。

 その足を止めることなく、途中からエスメルがフレッタを小脇に抱え込んだ。


「いいかフレッタ、餌になんかなるなよ」


「へぇ、よくあたしのことを餌にして逃げるとか言ってくせに、あんたの本心は違ったってことね」


「うるさい、いくぞ!」

 次の瞬間、十分に加速をつけたエスメルがフレッタをぶん投げた。


 天に向かって咆えているかのようなドラゴォンの口元まで、赤い放物線が描かれる。


「……お疲れ様でした、ヴァインさん。もう呪文を唱えなくていいですよ」


 ミューズの優しい声とやわらかい感触に包まれて、俺は急激に意識を失っていく。そして──



「零距離発動、ファイラッシュ!!」



 ひどく籠ったような爆発音。



 しばらくして。


「よっしゃあぁああっ」


「おおおおっ!」


 フレッタとエスメルの歓声が遠くに聞こえた。


「やりました、やりましたよヴァインさんっ」

 それからミューズの歓声が聞こえた。


 ──しかし、近くにいるはずの彼女の声まで遠くに聞こえるのは、どうしてなんだろう……?



 意識が、完全に闇に飲まれた。



 さよならだ、みんな……。


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