第二十三幕 あぶれ者たち、迷子になる
「知ってのとおり、あたしがいつも赤い服を着てるのは、火といえば赤だからよ。保護色どころか、むしろ目立っちゃうけど、やっぱりこの色じゃないとしっくりこないのよね」
俺たちの先頭を歩くフレッタが、肩越しにそう言った。
アストの町を出発し、北上すること三、四時間。俺たちは五日前にミッグドーグたちと遭遇した場所をすでに通り越し、目的地まであと少しというところまで来ていた。
ミッグドーグとの遭遇以降、すっかり運気が変わってしまったらしく、ここまで歩いてくる途中では何度かモンスターの姿を確認している。遅ればせながら、この辺境地にモンスターが増えているということを俺たちも実感した次第であった。もちろん今回は退治が目的ではないので接触は避けた。幸い相手には気づかれることもなくすべて無事にやり過ごせたのだが、一度だけモンスターの体色が周囲の風景に溶け込んでいて──つまり保護色になっていて、その発見が遅れ掛けた時があった。そこから、自分たちの服装が話題に上る展開となっていたのである。
「でもそういえば、ヴァインはどうしてそういう地味な色の服ばっか着てんのよ?」
フレッタが小首を傾げながら訊いてきた。
「特に意味はないよ。安くて丈夫なやつを選んだ結果、そうなってるだけ」
「つまんないわねー」
「放っておいてもらおうか」
敢えて俺の魔法は何色かと問われれば、あの蒼白い光ということになるのだろう。しかしそんな微妙な色合いは店で売っていなかったし、そもそも俺は、自分の魔法のために服装をどうこうしようと考えたことがなかった。早く王都エーレスにある魔法管理局の本部にいって、別の変種魔法と契約したいと思っているくらいなのだから。
「わ、私も一応、自分の魔法である水魔法を意識して白を選んでいます。汚れやすいというのが欠点ですけど」
ミューズが白い長衣の胸元を軽く押さえながら言った。それに対し、エスメルが意地悪そうに笑う。
「ふむ、水だから白か。──間違いではないと思うが、しかし実際のところ、水というのは透明ではないのか?」
「や、やめてくださいよー」
ミューズが少し恥ずかしそうに身じろぎをした。
「……」
そのやり取りを聞いた俺は、ついつい白い長衣に包まれた肉感的な身体を眺めてしまう。
「あ、いまヴァインがいやらしい目をした。ミューズの服がもしも透明だったら、とか想像したんでしょ?」
「し、してないよ!?」
フレッタの指摘は見事に的を射ていたのだが、認めるわけにもいかない。俺はふるふると首を左右に振った。
「へ~、ふ~ん、そうなんだ~」
意味ありげに言いながら、フレッタが半眼でジロジロと見てくる。
「そ、そうだよ」
と、俺は顔をそむけつつ応えたが、なおもフレッタが視線を向けてくるのに耐えかねて、観念する。
「し、仕方ないだろ。俺だって年頃の男なんだよ。そ、そういうこと考えちゃう時くらいある」
「白状した。アハハハハ」
俺をからかえて、フレッタは満足そうに笑った。
「……」
一方ミューズは頬を染め、きゅっと身を縮めるような仕草を見せたあと、俯いてしまう。正直気まずかった。ただ、彼女の表情があからさまに不快ではなかったことは救いである。
「そうか、ヴァインもお年頃か」
エスメルが妙に納得したように頷いた。
「では、私が相手を紹介してやってもいいぞ」
「えっ」
思わぬ展開に、俺は目を丸くした。
「ほ、本当か?」
「ああ。実は私の知り合いの中に、ヴァインに似合いそうなやつがいるんだ」
「そ、それって……どんな感じの人?」
そう訊いた俺の声には、恥ずかしながら、かなりの期待が込められていた。
「筋骨隆々で、おまえのことをしっかり調教してくれそうな感じの男──」「いらんわ!!」
俺は喰い気味に拒絶した。
「ワハハハハ」
結局、エスメルも俺をからかっているだけだった。……いや、いかがわしい本の愛読者である彼女は、もしかしたら少しくらい本気だったかもしれない。
ともあれ、何やかんやと言い合いながらも、俺たちは新たな調査場所を目指して順調に歩きつづけていた。──と思っていたのだが。
「さて、突然ですが問題です」
服装などの話からしばらく経ったあと、先頭を歩いていたフレッタが不意にこちらを振り返り、そんなことを言い出したのである。
「何だ、どうした?」
やや面喰いつつも俺は訊き返していた。
不自然に明るい笑顔をつくって、フレッタが言う。
「ここは、いったい何処でしょ~?」
「……はあ?」
数瞬の沈黙のあと、俺は眉根を寄せた。
「何処でしょうって──さっき自分で、そろそろ目的地だって言ってたじゃないか」
フレッタが目をそらした。
「まさか、おまえ……道に迷ったのか?」
「べ、別に道に迷ってはいないわ。ただ、何処を歩いているか解らなくなっただけ」
「それを道に迷ったって言うんだよ!?」
この冒険者パーティーの案内役は、いつもだいたいフレッタが買って出てくれていた。俺とミューズは冒険者になって日が浅いのでまだ辺境地の地理を覚えきれていなかったし、エスメルは面倒臭がって嫌がるためである。それで今日まで大きな問題はなくやってこられたのだが……。
「な、何よ。怒らなくたっていいじゃない。方向を見失っちゃったのは、モンスターを避けて何回も迂回したせいなんだから」
フレッタが唇を尖らせた。
「べ、別に怒ってはないよ。フレッタにほとんど任せっきりにしていた俺たちも悪いと思うし。……けど、困ったな」
「あ、あの……エスメルさんなら、ここが辺境地のどの辺りか、見当がつくのではないでしょうか?」
ミューズがすがるように訊いた。
確かにエスメルは、この四人でパーティーを組む前から、フレッタと二人で三年ほど一緒に冒険してきている。フレッタと同じくらい辺境地の地理について把握していてもおかしくはなかった。普段は面倒臭がっているが、いざとなればその知識を披露してくれるのでは? と俺も期待し、エスメルに視線を向けた。
「ふむ。ここは──」
エスメルが、ゆっくりと周囲を見回した。
「まったく何処だか解らんな」
駄目だった。
「私も、地理についてはほとんどフレッタに頼りきりだったからな。よく訪れる場所やアストの近場なら見当がつくんだが、この辺りはさっぱりだ」
俺は小さく溜息をつく。
「つまり俺たちは、いい歳こいて迷子になったってわけだ。危険とされるこの辺境地で……」
みんなの間に、ハハハという乾いた笑いが漏れた。
「ま、まあ、もう少し歩いてみましょ。目的地の近くには来ていたはずだから、この辺をふらふらしてれば、そのうちひょっこり見知った場所に出るんじゃないかな」
ややあって、フレッタが気を取り直すように言った。
「う~ん。でも、こういう時は下手に動き回らないほうがいいって聞いた覚えが……」
俺が唸りながら頭を捻ると、エスメルがひょいと肩をすくめた。
「ヴァイン、それは待っていれば誰かが助けに来てくれる場合に限るだろう。私たちは冒険者──すなわち、危険を冒す者であり、危険な目に遭うのは当たり前のことなんだ。そんなやつらが辺境地で行方不明になったからといって、誰もわざわざ探しにきてはくれないぞ」
「言われてみれば、確かに……」
「まあ今回私たちは、アストのお偉いさんたちの要請で動いているから、世間体を取り繕う程度には捜索活動をしてもらえるかもしれないが、正直当てにはできない。自力でどうにかしたほうがいいだろう」
「なるほど……じゃあ、もう少し歩いてみようか。見知った場所に出るかもしれないし、運がよければ、同じく調査要請でこっちのほうに来ている他の冒険者パーティーに出会えるかもしれないし」
そうして俺たちは、再び低木と小岩ばかりの辺境地を歩きはじめた。
……しかしあれだな、冒険者ギルド内の評価が上がった直後に迷子ってどうなんだろうか。そんなこと思いながら俺はフレッタのあとに付いて進んでいたのだが、結局、陽が傾き掛けても目的地に辿り着くことはなかった。
「えーっと……見知った場所に出るどころか、いままでに見た覚えのない場所に出ちゃったんだけど、どうしましょう?」
夕空の下、みんなのほうを振り返ったフレッタは、引き攣った笑いを浮かべながらそう言った。どうやら目的地の近くを歩き回っているつもりだったのが、いつの間にか大きく方向を間違えてしまっていたようである。
エスメルが空を見上げた。
「どうするもこうするも、もう暗くなりはじめたからな、さすがにこれ以上歩き回るべきではないだろう。適当な場所を見つけて、今夜はそこで野宿するとしよう」
その意見に誰も異を唱えなかった。俺たちは低木が密集していて身を隠すのにちょうどいい場所を見つけると、そこを今夜の寝床とした。
ここ最近は日帰りだけで済んでいたけれど、冒険が長引いて辺境地で数日過ごすようになるのは珍しいことではなかった。当然、そういう場合に備えて食料などはある程度携行してきている。今回に限っていえば、俺にはナーシャからもらったお菓子もあった。昼にみんなで食べたがまだいくらか残っている。
揃って夕食を取ったあと、交代で見張りに立ち、それ以外の者は横になって眠った。夜行性のモンスターもいるが、特に問題なく俺たちは朝を迎えた。
「明るくなったら少しは違うかもって思ったけど、やっぱり見覚えないわね。アハハ……」
朝陽に照らされはじめた風景を見渡しながら、フレッタが力なく笑った。
「……」
しかし、正直俺は笑えなかった。これはもしかしたら、調査すべき場所に辿り着くのは無理なんじゃないだろうか。
エスメルがやれやれと肩をすくめる。
「仕方がない。ここは仕切り直すことにしないか。いったん調査は諦めて、アストの町に帰還するとしよう。日の出の位置から、大まかだが私たちが帰るべき方角である南も解ったことだしな」
辺境地の南に、人間の生活圏は広がっている。なので、ここが辺境地の何処だか解らなくても、とにかく南下さえしていれば、人々が暮らす場所には辿り着けるはずなのである。アストの町には、そこからあらためて向かえばいい。
「で、でも、それじゃあ……」
エスメルの意見に、フレッタが渋い顔をする。
「情けなさすぎる……。せっかくギルド内の評価が上がったばかりなのに、迷子になって帰るだけなんて……」
「それはまあ……そうだよな。どうする? もう少しくらい粘ってみようか」
情けなさすぎるというのは同感だったので、俺はフレッタに賛成するつもりでそう訊いてみた。すると──
「い、いいえ」
ミューズがいつになく強い口調で、反対の声を上げた。
「じ、実は昨日から──正確には昨日の夕方辺りから、妙な胸騒ぎがしているのです……。それまでは時々遭遇していたモンスターたちを、ちょうどそのくらいからまったく見掛けなくなってしまいましたし」
「そういえば……いつの間にかモンスターの姿を見掛けなくなっていたな。辺境地に入ってからしばらくはそこそこ出くわしていたのに」
俺が首を傾げると、フレッタがあっけらかんと言う。
「たまたまじゃない? ──というか、気にするほどのものでもないんじゃない? 昨日やミッグドーグの前は、あたしたち、ほとんどモンスターに出くわさないって時期もあったんだから」
「そ、それはそのとおりなんですが……。で、でも、いままでとは違うと言いますか……いままではこんな胸騒ぎを覚えることはありませんでしたから……」
「まあ、こんなところで迷子になったら、そりゃいつもより不安になるよね」
フレッタがからかう調子ではなく、むしろ落ち着かせようと優しい声を発した。それに対しミューズが「いえ、そういうことでなく……」と何か言い掛けた時だった。
……ズゥン。
かすかに大地が揺れた。
一瞬、気のせいかと思ったが、みんなも俺と同じようにやや目を見開き、周囲の様子を窺っているので間違いではなかったらしい。
「地震……?」
フレッタが呟いた。
しかし揺れは連続することはなく、いったんは収まった。ただ、しばらくするとまた重い音が足もとに響いてきて──またすぐにやんだ。
「これは、地震ではないな。何処か遠くで……たぶん、ここからもっと北にいったところで何か重いものが落ちたか、あるいは崩れたか──」
耳に意識を集中するように目を細めていたエスメルが告げた。
「いったい、何が起こったんだろう……?」
俺が眉を寄せていると、フレッタがみんなの顔を見回してから訊く。
「──どうする? 様子を見にいく? それとも無視する?」
誰も、即答しなかった。
ただ、ミューズは明らかに無視したいようだった。エスメルは「ふむ」と言ったきりどちらでもなさそうな表情を浮かべている。フレッタは何でもいいから成果が欲しいらしく様子を見にいきたそうにしていた。そして俺は──
「ここら辺は、本来俺たちが調査すべき場所じゃない。けど、『とにかく普段とは違ったものを見つけたら何でもいいから報告してくれ』っていうのが調査要請の内容だ。だったら、様子を見にいくくらいのことはしたほうがいいんじゃないか?」
フレッタに一票を投じることにしたのだった。彼女はうんうんと何度も頷いた。──俺もやっぱり、自分たちの評価が少し気になったのである。
「まあ、そうだな」
すると、エスメルも同意を示した。
これで三対一となった。
「……わ、解りました」
ミューズは嫌そうな顔のままだったが、おとなしい彼女は多数決に従うことにしたらしい。
「大丈夫よ、ミューズ。様子を見にいくだけだから。もし何かあったら、即行で逃げましょう」
フレッタがぽんぽんとミューズの肩を叩き、こうして俺たちは重い音の発生源があると思われる北へと歩を進めることになったのである。
周囲は、辺境地にはありきたりの低木と小岩が点在していて、それらが何処までもつづいていた。あまり視界が開けているとはいえない景色の中を、俺たちは注意深く進んでいった。
「あれから、何にもないわね……」
やがて、フレッタががっかりしたように呟いた。その言葉どおり、野宿した地点からそれなりに北上してきたものの、特に変わったものは発見できなかったのである。重い音もあれ以降響いてこない。
「何だったんだろう? 気のせいじゃなかったと思うんだが……」
フレッタにつづき、俺がそう呟いたところ──
「待て」
低く、しかし鋭くエスメルが言った。
「前方に、何かいる」
「何か?」
言われて、俺はあらためて前方を見た。そこには低木がまばらに生えており、少し先には茶褐色の大岩があった。辺境地には小岩が多いが、こういう十数メートルくらいの大岩もないわけではない。その茶褐色の大岩の近くに、何かがいるのだろうか……。
「──っ!?」
いや、違う。
数瞬後、俺は思い違いに気がついた。
大岩の近くに、何かがいるんじゃない。
大岩そのものが、何かなんだ……!
「えっ、ちょっ……」
「なっ……」
どうやらフレッタともミューズも気がついたようだった。それぞれ慄いたような声を洩らす。
茶褐色の巨大な何か。
俺の知識に間違いがなければ、それはあの伝説級のモンスター──ドラゴォンだった。




