第二十二幕 あぶれ者たち、再び調査に赴く
ミッグドーグ戦から五日後のこと。
冒険者ギルド内の広間の一角で、俺とミューズは残りの二人が来るのを待っていた。
駆け出し冒険者たちはいつも約束の時間を守るのだが、先輩冒険者たちはいつもいい加減であった。日によって早かったり遅かったりで、今日はまだフレッタもエスメルも姿を見せていなかった。
「まったく、何やってんだか……」
椅子の背もたれを利用して、俺は大きくのけぞるように伸びをした。それに対しミューズが苦笑いを浮かべたところで、ギルドの扉がぎいっと音を立てた。見れば、フレッタが入ってくるところだった。何処かしょんぼりとした表情をしている。
「ん? どうしたんだ、フレッタ」
遅いぞ、と文句をつけるよりも彼女のその様子のほうが気になったので、俺はそう尋ねていた。
「それがさあ……」
席に着きながら、フレッタが溜息交じりで口を開き掛ける。しかしその前に、ミューズがカクンと小首を傾げた。
「あれ? フレッタさん、ゴルディさんに頂いた杖はどうしたんですか? 持ってくるのを忘れてしまいましたか?」
ゴルディというのは、俺たちがミッグドーグの群れから助けた金髪の少女ナーシャの、父親の名前である。
あの戦いから三日後──つまり、いまから二日前、俺たち四人はゴルディの屋敷に招待された。娘を助けてくれたお礼を正式におこないたいという旨だった。戦いの翌日には、ゴルディから使者が送られてきていたのだが、その時点ではまだフレッタとミューズの傷が癒えていなかったので、日をあらためたのである。
そしてゴルディの屋敷に馬車で案内された俺たちは、その建物の大きさと内部の立派さと料理の豪華さに驚かされたのであった。唯一落ち着いていたのは、よいところのお嬢様だというミューズだけだった。
さんざんただ酒とただ飯を振る舞ってもらったあと、帰る段になって、屋敷の主人は俺たち一人一人に感謝の品だと言って贈りものをしてくれた。事前にそれとなく要望を聞かれていて、フレッタの場合、それが赤色の杖だったのである。アストでも名高い大商人が用意したものであるから、もちろん逸品であった。フレッタは非常に喜び、「ありがたく使わせていただきます」と言っていたのだが……ミューズの指摘どおり、彼女はいまその杖を所持していなかった。
「そう、それのことよ……」
と、フレッタはあらためて口を開いた。
「あたし、いままで杖にはあんまり興味がなくって、要望を訊かれた時も何となく思いついたからそれにしただけだったんだけど、いざもらってみると、これが結構よくって。あたし、あの杖、すっごく気に入ったのよね」
「うん、そんなこと言ってたな」
「だから、杖をもらった日の夜、それを抱いて一緒に寝たわけよ」
「う、うん? ……うん」
子供かな──と思ったが、話の腰を折るのも気が引けたのでそこは敢えて聞き逃した。
「それでさ、次の朝目覚めたら、あたし寝台の下に落っこちてたんだけど、その横には杖も一緒に転がってたんだよね。ボキッと折れた姿で……」
「えー……」
俺は眉を寄せた。
「つまり──何だ、フレッタの寝相の悪さに巻き込まれて、せっかくもらった杖が折れてしまったということか」
「たぶん……」
フレッタがしおれるように頷いた。
「……」
俺はすでに半笑いの状態だったのだが、その落ち込みようを見て頬を引き締めることにする。
「それは……残念だったな。あの杖は、素人の俺が見ても立派なものだったから、本来ならそう簡単に折れたりはしないと思うんだけど──よっぽど落ちた角度とかが悪かったんだな」
「そっかなー……」
フレッタが深々と溜息をついた。
まったく何をやっているんだか。木をボキッと折るのはエスメルだけで十分だぞ。
「頂いたばかりの杖でしたのに、お気の毒です」
ミューズが同情の声を洩らした。
「まったくよー。まさか実戦使用率ゼロで折れるなんて思ってもみなかったわ」
と応じたフレッタの目がふと、白い長衣を着た女魔法師のすぐ横の壁に移った。
そこには白塗りの杖が立て掛けられていた。フレッタと同様、ミューズも感謝の品として杖をもらっていたのである。以前の杖と色こそ同じであったが、その質も施された意匠も比べものにならないくらいに上品になっていた。
「いいなあ、それ……」
フレッタがじいっと壁際を見つめた。ただならぬものを感じたらしく、ミューズが慌てて白塗りの杖をその豊かな胸の中に庇うようにして抱く。
「こ、これは駄目ですよ?」
「やだなー、解ってるって。いくら何でも、可愛い後輩のものを狙ったりはしないわよ」
「そ、そうですよね。し、失礼しました」
「いいのよ、気にしなくて。でも取り敢えず、赤色に塗り替えてみよっか?」
「狙ってますよね!?」
いったんは壁際に戻し掛けた杖を、ミューズは再びその胸に抱いた。
二人が遊んでいるのを、俺は苦笑しながら見ていた。ちなみに俺が感謝の品としてもらったのは、いずれ王都エーレスに向かう際に必要となる旅装一式であった。王都までは片道二ヶ月は掛かるそうなので、本格的なものを揃えたいと前々から思っていたのである。また、「旅の途中で何か困ったことがあったら、ここを頼るといい」と数ヶ所の場所も教えてもらった。それらの場所にはゴルディに関連した商人たちがいるらしく、いつでも力になるよう伝えておくと言ってくれたのである。大変ありがたいことだった。
……本音を言えば、王都までの旅費そのものが欲しくはあったのだが、さすがにそれを口にするのはどうかと思ったので、もちろん黙っておいた。
「おや、みんな早いな」
扉が開く音がしたあと、そんな声が響いてきたので見てみると、エスメルがこちらに向かって歩いてくるところだった。
「早くないわよ。あんたが遅いだけでしょ」
自分も遅れてきたくせして、フレッタがぬけぬけと言った。
「まあまあまあ」
適当に笑いながら椅子の背に手を掛けたエスメルの姿を見て、俺はふと違和感を覚えた。彼女はいつもの木の甲冑を身に付けているのだけれども……。
「あれ……? エスメル、その腰のもの、ゴルディさんにもらったやつとは違うんじゃないか?」
エスメルは感謝の品として、ゴルディから鉄製の剣をもらっていたのである。物怖じしない彼女のことだから、いかがわしい本を要望している可能性もあったので、そうじゃないと知った時、正直俺はホッとした。ミッグドーグ戦が終わったあとで鉄剣の返却を求められた際、非常に名残惜しそうにしていたから、彼女にも思うところがあったのだろう。贈られた立派な鉄製の剣を、大切そうにその腰に提げていた。
何にせよ、これでようやくうちのパーティーの剣士がまともになったわけであり、俺もそのことを喜んでいたのだけれど……いま彼女の腰に提げられている剣は、どう見ても手づくり感溢れる粗末なものだった。
「あー、あれか……」
エスメルが目をそらした。
俺は嫌な予感がしたが、敢えて優しい声で問う。
「そう、ゴルディさんにもらった剣だよ。どうしたんだ?」
「五十三代ホメイロス……。あれはいい剣であった」
「だから、どうしたんだって。怒らないから正直に言ってみな?」
「──一昨日、書店に寄ったんだが、そこでずっと探していた一冊に巡り合ってな。この好機を逃してならんと思い、あの剣を売り飛ばして、その本を買ったのだ」
俺の片頬は引きつった。
「このすっとこどっこい! 剣士が剣を売り飛ばしてどうするんだ!?」
「怒らないと言ったではないか」
「場合によるに決まってるだろ! ようやく手に入れた鉄剣だっていうのに」
「しかし、ヴァイン、よく聞いてくれ。そのずっと探していた一冊というのが、あのキューピス先生の作品なのだ。ほら、前におまえもすごく興味を示してくれたあのキューピス先生だ」
「は?」
いつだったか、エスメルとのやり取りで「キューピス先生? 誰それ?」と訊き返したことはあったように思う。しかしそれは、ただ単に話の流れであって、断じて興味を示したわけではない。
「おまえ、何を……」
と言い掛けて、俺は不意によからぬものを感じて振り向いた。
フレッタとミューズが、それこそ異物でも見るような目をこちらに向けていた。
「知らなかった……てっきり、ヴァインはその辺り普通の男の子と一緒だと思っていたんだけど、違ったのね」
「わ、私も、ヴァインさんは普通の男の人だと思っていたんですけど、違ったんですね」
思いも寄らぬ方向に話がいってしまい、俺は慌てふためく。
「い、いや、待って。違わないから、俺は普通だから……!」
「ヴァイン、私の蔵書を見たくなったら、いつでも部屋を訪ねてきてくれていいんだぞ。きっちりかっちりしっかりみっちり教えてやると約束したからな」
「おまえはちょっと黙ってろ!?」
「いいのよヴァイン、隠さなくても。趣味嗜好なんて人それぞれ。とやかく言う気はないわ」
「そ、そうですよ。ヴァインさんがどんな趣味を持っていたとしても、わ、私は別に気にしませんから」
フレッタとミューズが、そっと目をそらしながら言った。
「いや、だから待ってって。俺は普通だから! 変に理解を示さなくていいから!」
それから俺は弁明に追われる羽目になり、エスメルの愚行はいつの間にかうやむやになってしまったのだった。
□ □ □
「……あらためて言うけど、今日こうして俺たちが集まったのはほかでもない、先日受けた調査要請を再開するためだ」
と切り出した俺の声はぐったりとしていた。この本題に入る前に、あらぬ疑いを掛けられたことと、それを晴らすために強いられた苦労のせいである。
お偉いさんたちがアストの町すべての冒険者ギルドに調査要請を出してからすでに一週間近くが経過していた。しかし、何処からもかんばしい情報はもたらされていないというのが現状であった。当然、それぞれで調査がつづけられている。フレッタとミューズの傷が癒えたいま、俺たちも調査を再開することになっていた。
フレッタが少し得意げに笑う。
「でも、再開って言っても、まったく同じってわけじゃないんだよね」
そう。三十体以上のミッグドーグを追い払って四人の人命を救ったことにより、このギルド内における俺たちパーティーの評価が上がったのである。そしてそれに伴い、俺たちが任されていた調査場所も変更されることになった。すなわち、評価が上がった分、任される場所の難易度も上がったというわけである。
……まあ、辺境地の最南端から南端になった程度なので、それほどたいしたことではなかったのだけれど。ただ、「見返してやるんだから」と息巻いていたフレッタは、その言葉どおりとなって非常に喜んでいる次第であった。
一方、ミューズは複雑そうな表情を浮かべる。
「評価が上がったのは素直に嬉しいのですが……その分、責任も増したわけですから、少し緊張します……」
俺もどちらかといえばミューズと同じ考えだったのだが、ここは敢えて軽く肩をすくめてみせる。
「確かに。でも、上がったっていっても一段階くらいのことだから、そう気負わないでもいいんじゃないかな」
「まあ、心配ない心配ない。何かあっても何とかなるわよ。それに、どうせギルドからの要請は断るわけにもいかないんだし」
五日前に結構大変な目に遭ったばかりだというのに、フレッタがあっけらかんと言った。この辺り、本当にうらやましい脳みそをしている。
ともあれ、その発言をきっかけにして、俺たちは再び調査に赴くべく席を立った。いくつかの必要な手続きを済ませてからギルドの外に出ると、そこで意外な人物と出くわした。
金髪の少女ナーシャである。
「ナーシャちゃんじゃないか。どうしたの?」
「あの……昨日お菓子をつくったから、食べてほしくて」
ナーシャが少し恥ずかしそうに言った。その背後で、例の貫録のある初老の男──ゴルディ家の執事が丁寧な口調で説明を加える。
「先ほど、ヴァイン殿の宿をお伺いさせていただいたのですが、留守でございまして。それで宿の方に聞いたところ、おそらく冒険者ギルドのほうではないかと言われましたので、こうして足を伸ばさせていただいた次第です」
「それは、わざわざすみませんでした」
執事に一礼してから、俺はナーシャの前に屈み込む。
「すごいね、ナーシャちゃん。まだ小さいのに、もうお菓子なんてつくれるんだ」
「う、うん。家の人に手伝ってもらってだけど」
そう言うとナーシャは小さな包みを差し出してきた。俺はそれを優しく受け取る。
「ありがとう、嬉しいよ。──ただ、お兄さんたちはこれから出掛けなくちゃいけないから、これは出先で食べさせてもらうよ」
ミッグドーグの一件以来、俺はこの金髪の少女にすっかり懐かれていた。先日、ゴルディ家に招待された時も、飲食する俺に何かとまとわりついてきたものである。小さい子に慕われるのは別に嫌ではないのだけれど……二つ、心に引っ掛かっていることがあった。一つは、辺境地でナーシャたちが襲われているのを見つけた当初、俺は敵の多さにビビってしまい、積極的に助けようとはしなかったことだ。最後には身体を張ってナーシャを守ったとはいえ、やはり後ろめたいものがあり、彼女の素直な好意が胸に痛いのである。そして、もう一つは──
「冒険?」
ナーシャが無邪気に訊いてきた。
「そうだね、ちょっと探さなければならないものがあるんだ」
「解った。いってらっしゃい、ホゲホゲペッのお兄さん!」
「……う、うん。いってくるよ」
「気をつけてね、ホゲホゲペッのお兄さん!」
「……」
そして、もう一つはこれであった。
ナーシャの感性が独特なのか、それともまだ未成熟なせいなのか、いずれにせよ彼女は、みんながマヌケだと笑う俺の呪文をひどく気に入ってしまったらしいのである。なので、俺を呼ぶ時はかならず「ホゲホゲペッのお兄さん」と口にするのであった。もちろん、それとなく軌道修正を試みたことはあるのだが、いずれも効果がなく、いまに至っている。
「がんばってね、ホゲホゲペッのお兄さん!」
「う、うん……がんばってくるよ」
そう言いながら立ち上がった俺の耳に、「え、何?」「ホゲホゲ……?」「やだ、何それ……」という嘲笑に満ちた囁きが、ギルド前の通りを歩く人々から漏れ聞こえてくる。
俺はナーシャに手を振ったあと、こみ上げる羞恥心に押されるままにその場を早足で立ち去った。
そういえば、みんなは何処にいったんだ? 俺がナーシャからお菓子を受けっているところまでは傍で微笑ましく見ていたはずなんだが……と視線を走らせると、三人ともかなり離れた場所を歩いていた。なるほど、ナーシャが俺の呪文を連呼しはじめたから、他人の振りというわけだ。こんちくしょー。
俺はわざと大きな声を掛ける。
「おい、待ってくれよ、フレッタ、エスメル、ミューズ!」
……三人ともこちらを見向きもせず、スタスタと先に進む。俺はさらに大きな声を掛ける。
「そこの赤い軽装のフレッタさん! 木の甲冑のエスメルさん! 白い長衣のミューズさん! 少し待ってくれませんか!」
「ちょっ、やめてよっ。仲間だってバレるじゃない!」
フレッタが振り向いて喚いた。反応しなければまだごまかせたかもしれないのに、やっぱり頭が少し残念である。
「バレたっていいじゃないか。実際、仲間なんだし」
俺はフレッタに駆け寄っていく。
「よくないわよ。仲間っていうんなら、変なことに巻き込まないでよ」
フレッタが逃げ出していく。
「仲間なら、恥ずかしさを分かち合おうじゃないか」
「嫌よ!」
「まあ、そう言わずに」
「だから、嫌だって!」
こうして俺たちは仲間として共に試練をこなしつつ、新たな調査場所へと赴いたのであった。




