第二幕 ヴァイン、魔法師を志す
ホゲホゲペッ。
別にふざけているわけじゃない。
頭がおかしくなったわけでもない。
これはれっきとした拘束魔法の名前であり、呪文でもあるのだ。
しかもそんじょそこらの拘束魔法ではなく、「超」拘束魔法と呼ばれるほど強力なものなのである。
伝説級のモンスターであり、『災禍の象徴』と呼ばれるドラゴォンですらも倒し得ると伝えられている。
……だというのに。
「ひどいよー、ひどいよー」
俺は椅子の上で膝を抱えていた。
石造りの建物と石畳がつづく冒険者の町アスト。その片隅に建つ酒場でのことである。ドーグ退治を冒険者ギルドに報告して報酬を受け取ったあと、夕食と打ち上げを兼ねてみんなで立ち寄ったのである。そしてその間、俺は何だかんだとからかわれつづけていたのだった。
「ああほら、ヴァインがとうとういじけちゃったじゃない。エスメル、いい加減にしなさいよ」
「いやあ、すまない。しかし何度聞いてもあれなもんでな。話題にせずにはいられないのだ」
エスメルがそう笑いながら言うと、一度は彼女をたしなめたフレッタもすぐにニヤニヤとする。
「まあ……解るけど。モンスター相手に危険な戦いをしている最中にあれだもんね」
……ホゲホゲペッ。
「魔法を放つため一生懸命に集中しようという時にあれですからね」
とミューズ。
……ホゲホゲペッ。
「モンスターにとどめを刺そうと必死に剣を振るっている時にあれだからな」
とエスメル。
……ホゲホゲペッ。
「あたしなんか『ファイラッシュ』ってやってる横であれだもんねー」
……ホゲホゲペッ。
「私は『ウォーリューム』と唱えている傍であれですからね……」
……ホゲホゲペッ。
「私も『聖剣ホメイロス』と自らを鼓舞している時にあれだからな」
……ホゲホゲペッ。──いや、ただの木剣を聖剣と呼んでるのもどうかと思うけど。
そうしてフレッタ、ミューズ、エスメルは視線を交わし合ったあと、声を揃えて言った。
「すごくマヌケよね」
「すごくマヌケです」
「すごくマヌケだな」
……ぐふっ。俺は自分の膝の上に突っ伏した。
べ、別に俺だって好き好んでこの魔法と契約したわけじゃない。好き好んで唱えているわけじゃない。好き好んで唱えつづけているわけじゃないのに~~。
□ □ □
魔法とは、自然界に存在しながらも目には見えない「精霊」という神秘に干渉し、さまざまな超常現象を人為的につくり出すことである。
さらに魔法とは、誰にでも扱えるわけではない。魔法適性──そのままの意味で、魔法に対する適性を持った人間でなければ扱えないのである。
何処ぞの偉い学者さんの調べによれば、このワイゼット王国で魔法適性を持った人間は全人口の三割にも満たないらしい。
どうして魔法適性の有無が生じるのかはいまだに解明されていなかった。血筋が影響するとも言われているが、魔法適性を持った人間の子供がかならずしもそれを受け継ぐとは限らない。要するに「運」の要素が強いわけである。
ともあれ、ワイゼット王国では遅くとも十六歳までには自分に魔法適性があるかどうかの検査を受けなければならないことになっていた。
両親ともに魔法適性を持っていなかったし、たいして運にも恵まれていなかった俺は、当然のことながら自分に魔法適性があるだなんて思ってもいなかった。
いまから三ヶ月前──十六歳になった時、生まれ育った山間の小さな村の役場で検査を受けたのも単なる義務としてだった。
ところが──である。
台の上に置かれた、魔法適性を持つ者だけに反応するという拳大のゴツゴツとした石に触れると、何とその石が光りはじめたのである。
にわかには信じられなかったが、どうやら俺は魔法適性を持っていたらしい。
それは、この小さな村がはじまって以来の出来事であり、役場の担当者も驚いていた。村人たちの間でもちょっとした騒ぎとなった。
ただし、魔法適性が確認されたからといって見た目に変化があるわけでもなく、すぐに魔法が扱えるようになるわけでもなかった。魔法が扱えるようになるには、もっと詳しい検査とそれに基づいた契約と呼ばれる儀式が必要で、この小さな村ではその両方ともおこなうことができないという話だった。
なので、「何だ、いま魔法が見られるわけじゃないのか」とみんな通り雨のように去り、俺が生まれてはじめてもてはやされた時期はあっという間に終わってしまった。
少なからず傷ついたけれども、めげている場合ではなかった。これは人生の転機となり得るからだった。
我が家は貧しい農家で、わずかばかりの田畑は長男が継ぐことが決まっていた。次男の俺には何も回ってくるものがなかったのである。
そして小さな村にはろくな職がなかったし、そもそも職自体がろくになかった。ついでに言えば、俺にもこれといった特技や才能はなかった。
要するにお先真っ暗だったのだが、魔法適性が確認されたことにより新たな可能性──魔法師になる可能性が見出されたわけである。
それからしばらくして、俺は生まれ育った村を出た。
魔法の専門機関にいかなければ、詳しい検査と契約と呼ばれる儀式を受けられなかったからである。そしてそれは大きな町にしかなかった。
旅に出るのは生まれてはじめてだし、貧乏なので旅費は心許ないし、そもそも魔法というのは未知の領域だしで、俺の胸は不安でいっぱいだった。しかし、それでもやっぱり嬉しかった。
誰もが持っているわけではない魔法適性を自分が持っていたこと。詳しい検査と契約と呼ばれる儀式さえ受ければ、お伽話の主人公のようなすごい力を手に入れられるらしいこと。そしてそれがあれば、魔法師の職にありつけること。さらに聞いた話では、魔法師はその数が少ないので優遇されるということだった。──これらの内容は、このまま山間の小さな村で将来に不安を抱えているしかなかった俺にはとても魅力的だったのである。
目指したのは村から一番近く、大きな町であるアスト。そこは魔法の専門機関があるだけでなく、冒険者の町とも呼ばれていて、魔法師も活躍しているそうだった。
俺は希望に胸を膨らませ、役場で発行してもらった「魔法適性証明書」なるものを握りしめ、新たなる一歩を踏み出した。
……その十日後、あっさり蹴つまずいてしまうのだが。
□ □ □
「識別検査の結果、ヴァインさんが契約できる魔法は、拘束魔法『ホゲホゲペッ』だけと判明いたしました」
「……は?」
村では見たことがない四階建ての石造りの建物──魔法の専門機関たる魔法管理局のアスト支部。「そこにいけば、詳しい検査と魔法との契約をおこなってくれるでしょう。魔法師を志すならまず訪れなければなりません」と村役場に紹介された場所である。また、そこでは魔法師としての初歩的な手ほどきもしてくれるということだった。
その事務所内で俺は、目の前に座った若い女性職員の言葉に耳を疑うことになったのだ。
「ほ、ホゲ、ゲ……何ですって?」
「拘束魔法『ホゲホゲペッ』です」
若い女性職員は至って事務的にそうくり返した。