第十九幕 あぶれ者たちのフーガ
荒れた大地をしばらく進むと、再び悲鳴が響いてきた。すぐ近くの、足元のほうだった。俺は片膝をついて眼下を見回した。
「あそこだ……」
俺たちが辿り着いたのは、ちょっとした崖みたいなところである。そこから一段低くなっている荒野が悲鳴の発生源だった。
崖下の右手側には大きめの岩があり、その前に一台の馬車が横付けされていた。
俺たちは所有していないが、冒険者パーティーが荷物などの運搬のために馬車を持参するのはさほど珍しくはなかった。ただ、それらのものは総じて武骨なつくりをしている。いま俺たちの眼下に見えているのは、二頭立ての、上品な装飾を施された大型の馬車であった。近くには三つの人影が確認できる。
「あ……あれは、お金持ちの商人か貴族の馬車だよね。でも、どうしてこんなところに?」
地べたに両手をついて崖下を覗き込んだフレッタが呟く。
「商人にせよ貴族にせよ、こんなところに用があるはずもない。おそらくは道にでも迷ったのだろうが……」
フレッタの隣に片膝をついたエスメルが答えた。ちなみに彼女は、新たな木製の甲冑を身に付けている。ユニトウモ戦で壊れた時、この際だから鉄の甲冑を買ったらどうだと一応は言ってみたのだが、相変わらず彼女は聞く耳を持たず、また手づくりしたのである。
「そ、それにしてもこれは……どうしたらいいんでしょうか……?」
ミューズの声が少し震えていた。
もちろん、馬車が道に迷っているだけというのなら、彼女もここまで動揺はしなかっただろう。
崖下の左手側には、三十体以上のモンスターが群れを成していた。
犬によく似たモンスター──ドーグを小型化したようなやつらである。いまは襲い掛かってこそいなかったが、その低い唸り声には明らかに敵意が感じられた。
二頭立ての馬車は、背後にある大きめの岩のところ以外、半包囲されているような状況だ。
「おいおい、とんでもない数だな。いままでモンスターに出会わなかったツケをまとめて払わされたみたいだ……」
俺は敢えて軽口を叩いてみたが、ミューズはおろおろとしたまま真面目に言葉をつづける。
「あ、あれは、たぶんミッグドーグ。この間私たちが退治したドーグの亜種ですね。ドーグとの違いは小型であることと群れで行動することだったはずです。……ど、どうしたらいいんでしょうか?」
「どうしたらもこうしたらも……あんな数、俺たちの手に負えるはずないだろう」
多勢に無勢にもほどがある。
では、アストの町まで応援を頼みにいくか? しかしここからでは一、二時間は掛かる。まず間違いなく手遅れになるだろう。
俺たちが調査をしていたこの場所の隣は、別の冒険者たちの持ち場となっている。距離的にそんなに近くはないが、アストに向かうよりはマシなはず……だが、その冒険者たちも調査のために歩き回っているだろうから、正確な位置は解らない。そもそも連絡が取れないかもしれなかった。
──以上のことを俺が説明すると、フレッタがうろたえた目をする。
「じゃ、じゃあ、あたしたちはどうすればいいのよ?」
「俺に訊かれても……。む、むしろ、ここはフレッタの出番じゃないのか?」
「えっ、あたし?」
「ほ、ほら、おまえは未完の大器なんだろう? そういうのって、こういう危急の時にこそ開花したりするものじゃないのか」
「え、えーと、えーと、その……あたしの大器、いまちょっと留守なのよ」
「大器、出掛けちゃうのかよ!?」
もともと苦しまぎれに訊いてみただけだったけど、それにしても情けない答えが返ってきたものである。俺は目を剥きつつも、もう少し自分で考えてみることにした。
このパーティーの最大火力である火弾魔法ファイラッシュでここから先制攻撃を仕掛けるというのはどうだろうか。いや、駄目だ。うちの火の魔法師様の命中率ときたらびっくりするほど低いからだ。
標的は三十体以上いるのでいくら下手でも当てられるかもしれないし、たとえまったく当てられなかったとしても、彼女の魔法の威力に驚いてモンスターたちが逃げ散ってくれるかもしれない。しかしその反面、いきなり助けるべき存在にその魔法が当たってしまう可能性も十分以上に考えられるのだった。
『ゼレの大縮図』の制限により、フレッタの魔法が馬車近くにいる人々に直接的な被害を出すことはないが、馬車自体は破壊できるだろう。こんなにバカでかいものは人体に付随しているとは認識されないからだ。当然、その破壊に巻き込まれてしまえば無事ではすまない。
では、ここはミューズの魔法か? 彼女なら馬車には当てずモンスターだけを捉えることができるはずだ。しかし、彼女の魔法は威力がない。はじめはモンスターたちも驚くに違いなかったが、長くは持たないだろう。そのあとはどうすればいい? これはやっぱり、俺たちの手には負えないんじゃないか……?
「と、とにかく、軽々しく飛び出すような真似はできないぞ」
俺が自分の非力さを噛みしめながら呟いた。その傍らで──
「あ……」
フレッタが何かに吸い込まれるような、小さな声を洩らした。下が気になって身を乗り出しすぎたのだろう、彼女は身体の均衡を崩し、そのままゴロゴロと転がり落ちてしまったのである。
「痛たたたた……って、アレ……?」
そして、ようやく回転が止まり、フレッタが身を起こしたその場所は──ちょうど馬車とモンスターたちの間であった。
「あのバカ!」
一つ悪態をつくと、エスメルが斜面を駆け下りていった。
もうあれこれ考えている場合ではなくなった。俺も走り出し、そのあとをミューズが追ってくる。
突然横合いから降って湧いた闖入者たちに、ミッグドーグの群れは驚き、警戒するように少しだけ後ずさった。
「あ、あなたたちは……?」
見れば、馬車近くの地べたに三人の男がへたり込んでいた。護衛なのだろう、二人は武装していた。もう一人は御者の恰好をしている。みなケガをしているようだ。すでに一戦を交えていたらしい。ということは、さっきまでの膠着状態は、この三人が奮戦して一時的にやつらを退けた結果だったのかもしれない。悲鳴もその際のものだろう。
「あ、あなたたちは……? 助けに来てくれたんですか?」
再び、男の一人が訊いてきた。
「俺たちは通りすがりの冒険者です。助けに」
来ました──と反射的に言い掛けて、この場に駆けつけたのは仲間のヘマのせいだったことを思い出す。
「……来たのでしょうか?」
「こっちに訊かれても!?」
三人の男たちに同時にツッコまれてしまった。うん、彼らのケガはたいしたことないようだ。
しかし実際問題、圧倒的な数の不利があるので助けに来たかどうかは微妙なところである。ただ単に、餌を四つ増やしに来ただけかもしれなかった。
「た、助けに来てくれたの……?」
不意に、幼い声が聞こえてきた。
馬車の小窓の一つから、五、六歳くらいの少女が心細そうな顔を覗かせていた。金髪で、とても整った顔立ちをしている。
しまった、こんな幼い子がいたのか。だったら、嘘でもいいからもっと勇気づけるようなことを言っておけばよかった。俺がそう後悔していると、代わりとばかりに火の女魔法師が薄い胸を叩いた。
「だ、大丈夫よ。ここはあたしたちに任しぇっ、りゃしゃい!」
どもった。
たぶんフレッタはいつもの台詞を言おうとしたに違いない。ただ、いまだかつてない厳しい状況を前にして、さすがの彼女も緊張していたようだ。そして彼女は、いまの失敗をごまかすかのように、耳まで真っ赤にさせながらつづけた。
「な、何たってこのパーティーには魔法師が三人もいるからね!」
金髪の少女の顔がぱあっと明るくなり、地べたにへたり込んでいる男たちの目にも希望が灯った。
……って、おいおい。いいのかそんなこと言って。確かにこのパーティーには希少な魔法師が三人もいるけれど、それはヘッポコ、ヘナチョコ、ヘンテコ三人衆ですよ?
俺は溜息をついたあと、試みに訊いてみることした。
「それでフレッタ、そうやって啖呵を切ったからには何か作戦でも考えついたのか?」
「……」
フレッタの目が泳いだ。
まあ、そうだろうとは思っていました。
「ウォオオオン!」
その時、ミッグドーグの群れから雄叫びが上がった。こちらの都合などお構いなく、ついに襲い掛かってくる。
「ふ、フレッタ。とにかく魔法を放ちまくれ!」
いま俺たちは馬車を背にしている。フレッタの魔法もさすがに真後ろには飛んでいかない。
「わ、解った! ファイラッシュ! ファイラッシュ! ファイラッシュ!」
赤い軽装を身にまとった女魔法師が呪文を唱えると、右や左に魔法の火炎弾が乱れ飛び、それらの軌跡は空間を紅蓮に染め上げた。
「す、すごい……!」
目を見張るような光景に、男たちが感嘆の声を洩らした。しかし、やがて首を傾げる。
「ど、どうして当てないんだ……?」
確かに、フレッタの連続攻撃は周辺の荒野を吹き飛ばしまくり、その結果、ミッグドーグたちは慌て、迂闊に攻め込めなくなっていた──が、モンスター自体にはただの一発も命中していなかったのである。どうせなら、最初からモンスターたちに命中させて倒してしまったほうがいいのでは? と疑問に思うのは当然のことだろう。
しかし、「あれでも彼女、めっちゃっ命中させようとしてるんですよ」と真実を言うのも憚られたので俺は黙っておくことにした。……にしても、これだけの数の標的がいながら一発も命中させられないなんて、これはもういっそ天才的と呼んでいいのかもしれない。
とはいえ、フレッタの連続攻撃がミッグドーグたちの包囲網に乱れを生じさせたのは紛れもない事実であった。
それを見て、俺は咄嗟に判断した。
「みんな、馬車に乗れ! ここにいてもやられるだけだ。いまのうちに脱出しよう」
そして俺はへたり込んでいる御者に駆け寄った。
「ケガの具合はどうだ? 運転できそうか? 無理なら俺が代わりに──」
こんな大きくて立派な馬車には乗ったことがなかったが、田舎の農作業や農作物の運搬の際に馬車を利用する機会はあったので、俺は一応馬車を運転できた。
「いや、大丈夫……ではないが、何とかしてみせる」
痛そうに顔をしかめつつも御者は自らの足で立ち、御者台のほうに走っていった。
振り返ると、エスメルとミューズがそれぞれ護衛の男たちに肩を貸し、馬車の後方の扉へと連れていっているところであった。俺も急いで後につづく。
「フレッタさんも早く!」
ミューズがそう声を掛けると、最後まで残ってミッグドーグたちの群れを混乱させていたフレッタが馬車に飛び乗ってくる。
「いいぞ、出してくれ!」
俺は御者台に向かって叫んだ。鞭の音と馬のいななきがそれに応えた。
二頭立ての馬車は車輪の音を鳴り響かせ、混乱しているミッグドーグたちの間を駆け抜けて──包囲網の突破に成功した。
「これで諦めてくれるかしら……?」
しばらくして、フレッタが呟くように言った。彼女は片手で後方の扉を開けたままにして、荒野の様子を窺っていた。
大型の馬車の内部は前後に分かれている。後部は荷台となっており、冒険者四人と護衛の男二人が乗り込んでいる。他に小さな荷物がいくつか積まれていた。低い仕切りを挟んだ向こう側の前部は座席となっていて、先ほどの金髪の少女が心細そうな顔をして俺たちのほうを見つめていた。
護衛の一人が答える。
「いや、やつらはしつこい。──アストの町に向かう途中で道に迷い、その後やつらに出くわしたんだが、それからもう一時間以上は追い回されている。もちろん途中で何度も振り切ろうとしたんだが、結局さっきのところに追い詰められてしまった」
開け放たれた扉の向こうに目をやると、果たして男の言うとおり、混乱から立ち直ったミッグドーグたちが、この馬車目指して荒野を疾駆してくる姿が見えた。しかも──
「結構速いな」
「ああ。やつらの足は速い。それに対して、この馬車は二頭立てとはいえ、そんなに速く走れるようにはつくられていない。しかもいまは人数が増えてしまったからな。すぐに追いつかれるぞ」
「……」
男の言い方に特に皮肉のようなものはなく、むしろ切実さだけがあった。ただ俺としては、考え込まざるを得なかった。もちろん、さっきの場所で半包囲されたままであったなら、いま頃どうなっていたか解らない。馬車での脱出は間違いではなかったはずだ。しかしそれで問題が解決したわけではなく、先送りされただけという事実に焦りを覚えずにはいられなかった。
「大丈夫よ。あんな場所で取り囲まれてしまっているよりも、いまのほうがはるかにマシなんだから」
フレッタがニッと笑った。まるで俺の肩を持ってくれたような発言に、ちょっと胸が熱くなる。
「まあ見てなさい。追い掛けてくるっていうのなら、追い払ってやるだけのことよ」
赤い軽装を身にまとった女魔法師は片方の手で馬車の内部を摑みながら、もう片方の手をミッグドークの群れへとかざした。
「大いなる火よ。気高き炎よ。我が求めに応じて敵を焼き払え! ファイラッシュ!」
そして放たれた魔法の火炎弾は、明後日のほうへと飛んでいった。
……えーと、まあ見てなさいと言われましたが、いまのは本当に見ていてもよろしかったんでしょうか?
「ファイラッシュ! ファイラッシュ! ファイラッシュ!」
フレッタが顔を真っ赤にしながら魔法の連発をはじめる。しかし、一発も当たらなかった。追い掛けてくるミッグドーグの群れとはまったく関係のないところの荒野を吹き飛ばすばかりである。おそらくやつらからしたら、自分たちが攻撃されているとは思わなかっただろう。当然、この馬車を狙うことを諦めるはずもなかった。
「おい、そこのヘッポコ、場所を空けろ。──ミューズ、ここは頼むぞ」
エスメルが業を煮やしたように言い、フレッタは強制退場となった。
「は、はいっ……」
ミューズが馬車の後方に立った。相変わらず何処かおどおどした態度であったが、その大きな双眸には使命感が見て取れた。いまの状況が非常に切迫しているということを彼女もよく理解しているのだろう。
「ウォーリューム!」
白い長衣の女魔法師が白塗りの杖を掲げると、その先から魔法の水流が溢れ出す。それは、群れの先頭を走っていたミッグドーグのすぐ目の前に着弾し、水飛沫を上げた。彼女の腕前なら直撃させることも可能だったろうが、そうすると威力がないのがバレてしまうので敢えてそこを狙ったに違いない。
しかし、標的を驚かせるにはそれでも十分であった。
水飛沫を目の当たりにした先頭のミッグドーグは咄嗟に横に飛び退いた。すると、その動きを予想できなかった後続のミッグドーグが避け切れずにぶつかった。そこに、次の後続も突っ込んでしまい──群れの中央は一気に混乱状態に陥った。
「おおっ……」
予想以上の効果に、俺は感嘆の呻きを洩らした。ふと見れば、ミューズ自身が一番びっくりしたような顔をしていた。
「いいぞ、ミューズ! 今度はやつらの右側を狙ってやれ」
「は、はいっ!」
エスメルの声に、ミューズが応じる。
群れの中央は混乱したが、その両側にいたミッグドーグたちはしつこく追い掛けてきていたのである。
再び放たれたミューズの魔法は、ガタガタと揺れる車内からにもかかわず、狙いどおりに、向かって右側の群れの先頭付近に水飛沫を上げた。さすがという他ない。
ミッグドーグたちの右側は先ほどと似たような状況となり、この馬車を追ってきているのは残り十体くらいとなっていた。
「この調子なら、いけるか……!」
俺は仲間たちと護衛の男二人と視線を交わし合った。
「うん、いけそうね」
「うむ、いけそうだな」
フレッタとエスメルがそう頷き返してくる。護衛の男二人も同じように思っているようだった。
しかし、それらの会話がいけなかった──わけではないだろうが、俺が金髪の少女にも声を掛けて安心させてあげようと前部のほうに近づいた、次の瞬間。
ガゴォン!
足元から凄まじい音が鳴り響き、俺たちの乗った馬車は衝撃に見舞われた。




