第十五幕 エスメル、草原にて死す!?
「ユニトウモ、どうして住み慣れた場所ではなく、こんなところまで来てしまったのか──。何にせよ、あたしの前に現れてしまったのが運の尽きね。でもせめて、何が起こったか解らないうちに終わらせてあげる」
小岩の上に立つフレッタが、まるで一発で仕留めることができるかのような台詞を吐く。
しかし他の三人の仲間たちは、まったく当てにしていなかった。
フレッタの魔法は、一発どころか何発放ったところでまず命中することはないだろう。──対バーズド戦では何十発目かが命中してはいたが、あれはただのまぐれである。俺たちがいくら大雑把な冒険者パーティーであるとはいえ、さすがにまぐれを計算に入れたりはしない。従って、フレッタの魔法の命中率はヘッポコということを前提にして、次の展開に備える必要があった。
エスメルは木の甲冑が鳴らないようにそっと連なる小岩の向こう側に降り立ち、いつでも走れるように態勢を整えた。
ミューズはフレッタの横で身を屈め、すぐにでも魔法を放てるように愛用している白塗りの杖を握りしめた。
俺は仲間から少し離れた小岩の上に移動しつつ、標的や仲間たちの一挙手一投足を注意深く見つめた。
「大いなる火よ。気高き炎よ。我が求めに応じて敵を焼き払え! ファイラッシュ!」
フレッタが魔法を放った。そしてそれは予想どおりに──というか、予定どおりに外れた。
ただ、その命中率はさておき、フレッタの魔法の威力は高い。そんなものにいきなり狙われれば、大抵のモンスターは混乱し、その場から逃げ出そうとするだろう。実際、ユニトウモは「ホゲェエェッ」という奇声を上げると、大急ぎで走りはじめた。
しかし、それは簡単には許されない。初弾を外したフレッタは、その失敗をごまかそうとしてすぐに魔法の連発をはじめるからである。バーズドのように何もない空中にでもいない限り、彼女に狙われた標的は周囲の地面が次々と弾け飛ぶ状況に思うようには動けなくなるのだった。
もちろんその間、俺たちも指を咥えて見ているわけではない。
フレッタの魔法はあっちこっちに着弾し、モンスターを逃げ惑わせる──とはいえ、もともと彼女本人も含めてその魔法が何処に飛んでいくのかは解っていない。モンスターが逃げ出そうとする先に上手い具合に着弾しないこともある。そんな時、出番となるのが木の甲冑を身にまとった女剣士であった。
卓越した運動神経と身体能力を持つエスメルは、乱れ飛ぶ火炎弾の中でもモンスターの動きを読んで先回りし、その行く手を塞いでしまうことができるのだった。
突然目の前に何かが現れれば、突っ込もうとはせず、反射的に避けようとするのは人間もモンスターも同じである。
エスメルはそれを上手く利用して、標的が遠くへ逃げ去ってしまうことを防ぐのであった。そしてさらなる混乱を来たした末に、モンスターはフレッタの魔法によってつくられた地面の穴か瓦礫で体勢を崩し、隙をさらけ出すことになる……フレッタとエスメルだけでパーティーを組んでいた頃、二人はそうやってモンスターを退治してきたのだった。
このやり方はいまでも基本的に変わっていないのだが──
「ウォーリューム!」
水の女魔法師ミューズが加入したことによって、エスメルの負担が大きく減ることになった。彼女の放つ魔法は正確無比に標的が逃げようとする先に着弾し、その方向を強制的に変えることができるのだった。つまり、以前はエスメルだけでこなしていた作業が、いまではエスメルとミューズの二人でおこなわれるようになったというわけである。
ただミューズの場合、注意しなければならないことが一つあった。彼女の魔法は正確無比だが、だからと言って標的に命中させてはいけないのである。仮に命中させると、その威力のなさがバレて、次から相手にしてもらえなくなる可能性が出てきてしまうからであった。
というか、実際バーズド戦ではそのようになった。
あの時ははじめての空中戦だし、誰も戦い方のコツなど解らなかった。なのでエスメルに「手本を見せてやってくれないか」と言われた時、ミューズ自身もとにかく墜落させられれば何とかなるかと考え、最初から魔法を命中させたらしいのだが……その結果は、すでに示されたとおりである。
せっかく狙いは正確なのに、当てるとかえって面倒臭いことになるなんて何と皮肉なことだろうか。そうミューズに同情する一方で、俺はユニトウモの動きを注意深く見つめつづけていた。
エスメルとミューズは、びっくりするほど早く標的の動きや速度の特徴を摑んで対応することができてしまう。しかし、俺にはそんな才能もなければ自信もなかった。なので状況が許す限り、モンスターの行動を観察してから魔法を放つことにしている。そこまでしなくてもある程度の命中率は有しているのだが、そうしたほうがあの呪文を唱える回数をより減らせるためだ。──そしてこれは、フレッタが勝手に先陣を切ってしまうのを、俺が放置しているもう一つの理由ともなっていた。
幸いというべきか、フレッタが魔法をばら撒きつづけているので、俺はモンスターの動きをいろいろと見ることができる。しかも、エスメルとミューズが上手く牽制をしてくれているので、こちらにモンスターが向かってくる心配もしないでいられるのだった。
時々、そうしている間にモンスターがフレッタの魔法によってつくられた障害物に引っ掛かり、その隙をエスメルが衝いて戦いが終わってしまう──なんてこともある。その場合、俺はまったく仕事をしていないことになるが、報酬はいつも等分すると決めているので問題はなかった。ただ、モンスター退治における証拠品の確保や運搬、冒険者ギルドに帰ってからの面倒臭い手続きなどの事後処理を、ほとんど俺一人でやらされる羽目になるけれど。
ともあれ、今回のユニトウモは慌てた様子を見せながらも地面の障害物に引っ掛かることはなく、いまだに逃げ回りつづけていた。
どうやら俺の出番のようである。観察の時間が取れたおかげで、標的の特徴も摑めてきていた。これなら魔法を外すこともないだろう。あの呪文を唱えずに済むのなら、そのほうがいいんだけど……と自嘲しつつ、俺が標的に向かって両手をかざそうとしたところ──
「さすがユニトウモ、手強いわね」
フレッタが魔法を放つのをやめ、まるで大物に出会ったかのような発言をした。
ユニトウモは希少なだけで、特に強力なモンスターではない。が、俺は余計なことは言わずにおいた。
「仕方がない。あたしの秘策を見せる時が来たようね」
フレッタが自信ありげに口角を上げる。
秘策……。そういえば、さっきそんなことをのたまっていましたね。正直俺は期待していなかったが、やはり気にはなったのでこのまましばらく見守ることにした。
ふっ、と一息吸うと、フレッタはおもむろに片手をかざす。そして──
「朱色の鍵よ、灼熱の門を開きて討滅までの道筋を示せ! ファイラッシュ!」
いままでとは違った掛け声のあとに、火の女魔法師から魔法が放たれた。
燃え盛る火炎弾は空中を駆け抜けて──
ユニトウモとはかけ離れた場所に着弾した。
「? ?」
いつもどおりの的外れに、俺は状況を摑みかねた。
「えーと、秘策って……いつもと何が違ったの?」
「ち、違ったでしょ! いつものより、いまの掛け声のほうが決まってたでしょ!?」
「え……? 秘策って……もしかしてそこ? それだけ!?」
俺は呆然とせざるを得なかった。惰眠を貪る合間に思いついたものらしかったから期待はしてなかったけど、想像の斜め下をいくしょぼさだった。
「な、何よ。大事なことなのよ。魔法の命中率を上げるのは、あたしの気分を盛り上げて集中力を高める工夫が必要なんだから!」
「そうかもしれないけど……命中率はまったく上がってないぞ?」
これはあれだ……一生秘めたままでもよかったんじゃないだろうか。
「ちょっ、ちょっと未完成だっただけよ。次はもっとよくなるわ。──それに安心して、ヴァイン。あたしにはまだ奥の手があるから!」
フレッタが頬を羞恥の色に染めながら喚いた。
「奥の手?」
俺が訝っていると、フレッタが片手をかざして、両目をぎゅっと閉じた。
──って、おい、それは逆に安心できないやつじゃないか!?
「フレッタ、それは奥の手じゃなくて、むしろ禁じ手だ」
「大丈夫! こないだも最初の一発は当たったじゃない。連発しなければいいのよ!」
「いや、その理屈はおかしいから!」
連なる小岩の上を伝い戻り、俺はフレッタを制止した。
「ちょっ、変なトコ触んないでよ!?」
「え? 触ってないだろ。それともフレッタの肩は変なトコなのか」
「嘘、肩よりもっと下だった!」
俺の手を振りほどきながらフレッタが言う。
濡れ衣である。実際、俺はフレッタの肩にしか触れていない。ただ少し強く摑んだせいで、彼女の服が突っ張ったか何かしてそのように誤解してしまったのだろう。
「ヴァインのすけべっ」
「ち、違う。本当に触ってないよ!?」
「もうっ、こんな時に何やってんのよ」
「いや、だから触ってないって」
「あ、あの! お取込み中すみませんが、私とエスメルさんだけでは、これ以上ユニトウモを抑えておくのは難しいですぅ」
俺とフレッタが何やかやと言い合っていると、ミューズが少し焦った声を上げた。
「あ、ごめん!」
それを聞いたフレッタが、すぐにユニトウモのほうへと向き直る。仲間が大変ということもあったろうが、こういうふうにあっさりとこの件を打ち切った辺り、口で言うほど気にしてはいなかったのだろう。
というか、実際俺は潔白なので、これ以上言い掛かりをつけられても困るしかない。
ともあれ、俺もユニトウモへと視線を向け直した。
エスメルとミューズが妨害しつづけていたので、ユニトウモはまだ俺たちから逃げられずにいた。しかし、雨あられと降っていたフレッタの火炎弾がしばらくなかったためだろう、その足取りには先ほどよりも落ち着きのようなものが感じられた。このままでは、逃走を許してしまうかもしれない。
「ユニトウモ、今度こそとどめを刺してあげるわ」
フレッタが自信に満ちた声と共に片手を上げ──そして、両目を閉じた。
やっぱりそれをやるのか!? と思ったが、俺はもう止めなかった。フレッタに構っている暇があったら、自分の魔法でさっさと拘束してしまったほうがいいと判断したのである。
「朱色の鍵よ、灼熱の門を開きて──」
「ホゲホゲペッ!!」
フレッタを遮るようにして、俺は魔法を発動させた。
草原の上を逃げ回っていたユニトウモのその前に、狙いどおり魔法陣が現れ、蒼白い光を放ちはじめる。
「ホゲェエェッ」
突然起こった目の前の異変に、ユニトウモは驚きつつもどうにか回避しようとしたのだが、間に合わなかった。奇声を上げた直後、蒼白い光に突っ込み、そのまま動けなくなった。
「よし、いいぞ、ヴァイン」
そう声を掛けたエスメルが、とどめを刺すべくユニトウモへと駆け寄っていく。
その姿を見ながら、ふと思った。ユニトウモの声を「奇声」と表現してしまったら、それに似ていると言われた俺の呪文をまた「奇声」になってしまうんじゃないだろうか、と。それはちょっとやだなぁ、と俺がくだらないことを考えていたのは──
きっと、油断していたからだろう。
だから、すっかり忘れていたのだ。
一見広々としたこの草原は、実は起伏に富んでいて、死角があるということを。
「エスメルさん、危ないっ!」
最初に気づいたのはミューズだった。しかし、その悲鳴のような叫び声も遅かった。
草原の死角から飛び出した黒い影は、エスメルが周囲を警戒し剣を抜くよりも前に、その懐へと頭から突っ込んでいたのである。
それは、もう一体のユニトウモ。大きな二本の角を持つモンスター。
バキキッ!
木の甲冑の砕け散る音が、草原に鳴り響いた。




