第十二幕 ミューズ、決意を新たにす
バーズド退治が終わってから数日後のこと。
「ヴァイン、入るぞ」
という声と同時に俺の部屋の扉を開けたのはエスメルだった。
「いやだからおまえ、勝手に入ってくんなよ……」
「何を言う、ちゃんと声を掛けたじゃないか」
「その声が終わらないうちに部屋に入ってきてたら、ほとんど意味ないだろ」
「細かいことは気にするな。それより一緒に夕飯を食べにいこうじゃないか」
「……まあ、いいけどさ」
相変わらず人の話をろくに聞いていないエスメルに対して溜息をつきつつも、俺はその誘い自体は受けることにした。ちょうどそろそろ食事にしようかと思っていたところだったのだ。
二人して安宿から出ると、夕焼けに染まる繁華街へと向かう。
「何か食べたいものとかあるの?」
「肉! 肉だな!」
俺の問い掛けにエスメルが即答した。
「肉か。じゃあ、この先の角を曲がったところにある……」
近くの料理屋の名前を出し掛けて、俺はハッとした。
「いや待て、エスメル。おまえ、お金持ってるの?」
「ないぞ!」
俺の問い掛けにエスメルが即答した。
「……」
しまった。エスメルがすってんてんなのは容易に想像がついたことだった。この間のバーズド退治の報酬は何ちゃら先生の本に使い果たしており、その後俺たちは一度もモンスター退治に出ていないのだから。
「おまえ、最初から俺にたかるつもりで誘ったのか」
ジロリと睨みながら言うと、エスメルが澄まし顔で応じる。
「たかるとは人聞きの悪い。──ほら、よく言うだろう? ごはんは一人で食べるよりもみんなで食べるほうが美味しい、と。つまり私は、ヴァインの食事が美味しくなるようにわざわざこうしてやって来たというわけだ」
「帰るか」
「待て待て待て。仲間を見殺しにするつもりか。この数日間、ろくに食べていないのだ」
「この数日間って……バーズド退治が終わってからずっとってこと?」
「うむ。キューピス先生の新作に有り金すべてを注ぎ込んでしまったし、食料の買い置きもほとんどなかったからな」
「……」
「とはいえ、ついさっきまでそのキューピス先生の新作に夢中だったので空腹であることすら忘れていたのだが……ふと我に返ってしまってな。それからは猛烈に腹が減ってどうしようもなくなってヴァインのところに来たというわけだ」
「……」
寝食を忘れて読書に耽る。これで読んでいる本がいかがわしいものでなければ感心もしただろう。俺は溜息をつくことしかできなかった。ていうか、耽っていたのは読書だけですか? と思ったがさすがにそれを口にする度胸はなかった。
「まあ、いいや。今日は特別に奢ってやろう」
「おお、さすがはヴァイン。甘い──優しいな」
「……本音はちゃんとしまっておけよ?」
「ワハハ」
俺はもう一度溜息をついてから言う。
「エスメルだけに奢るのも不公平だし、フレッタとミューズも誘おうか。そろそろ次の依頼をどうするのかも話したいし」
「ふむ、そうだな」
──というわけで、俺たちはフレッタとミューズの家を訪ねることにした。ここからそう離れていない場所で、彼女たちもそれぞれ安宿を借りて暮らしているのだった。
ただ一口に安宿といっても、フレッタやミューズが暮らしているのは俺たちのものよりもいくぶんかマシなつくりをしていた。俺にはエーレスへの旅費があり、エスメルには趣味への浪費があるため、その辺りの差が如実に現れているのである。
最初にフレッタ、次にミューズのところにいって声を掛けた。俺の奢りだと聞くとフレッタはすぐに、みんながいくのでしたらとミューズもつづいて誘いに乗った。
様々な料理と酒の匂いが漂う繁華街の一角──目的の料理屋に入ると、俺は主催者として前口上を述べる。
「今日は俺の奢りだ。みんな遠慮して一番安い料理と酒にしてくれ」
「いやちょっと!? そこはみんな遠慮しないでって言うところじゃないの!?」
目を剥くフレッタに、俺は肩をすくめる。
「何となくの流れで奢ることになったけど、俺の懐事情は寒いのでね」
「えー、嘘うそ。エーレスにいくために小金を貯めてるんでしょ? ここでパーッと使っちゃおうよ」
「フレッタさん、あなたは鬼か悪魔ですか? いまの俺の最大の希望は、旅費を貯めてエーレスにいき、そこで新しい変種魔法と契約することだって何度も言ってるじゃないですか」
「その最大の希望ですら仲間のために捨ててくれるヴァインって素敵。お姉さん、感激よ」
「捨てません。なので、一番安い料理と酒でお願いします」
ブーブーとフレッタは唇を尖がらせたが、彼女も本気だったわけではない。すぐに料理の品書きに目を通す。そして、ややあってから次のように言った。
「んー、名前からして脂っこそうな料理ね。ねえ、ヴァイン、自分で少し出すから一つ高いやつを注文してもいい?」
「ああ、そういうことなら別に構わないけど?」
この店の一番安い料理は、その価格のわりに味と量が充実しているので俺は気に入っていた。ただ確かに脂っこいので女性には向かなかったかもしれない。
「で、では、私も自分で少し出すので別のものを……」
ミューズもそう言い出したので、どうぞと俺は応じる。
「なら、私は自分で少しも出さないが一番高いやつにしてもいいか?」
「ああ、どう──いや待てこら。どさくさに紛れて何言ってんだ」
「ワハハ」
「笑ってごまかすな。おまえは俺と同じで一番安いやつだぞ」
俺とエスメルがそんなやり取りをしている間にも他の二人が料理を決め、揃って注文する運びとなった。
それなりに賑わっている店内で、しばらくは四人で世間話をしたり出された料理に舌鼓を打ったりしていたのだが、ふと間が空いた時、ミューズが小さく頭を下げてきた。
「すみません、エーレスへの旅費があるというのにご馳走になってしまって」
「いや、いいさ。たまにはこういうのも悪くないよ」
「──それで、エーレスにはいつ頃いけそうなのですか?」
「う~ん、まだ少し掛かりそうかなぁ。──魔法師として稼げるようになってから三ヶ月経つけど、何せ最初は行き倒れの身だったんでね。貯めるよりもまずはいろいろ揃えなきゃならなかったから」
「わ、解ります。私もそうでしたから」
ミューズが苦笑する。
「行き倒れたあと、すぐにヴァインさんに助けられてこのパーティーに入れてもらえましたけど、まともな生活ができるようになったのは今月に入ってからですから。それまでは何かとフレッタさんのお世話になってしまいました」
「俺たち程度のパーティーが倒せるモンスターはだいたい報酬が高くないやつばっかりだからな。俺も最初はフレッタの世話になったよ」
フレッタは、行き倒れ上がりの貧乏魔法師二人に、無利子・無担保でお金を貸してくれていたのである。俺もミューズも完済しているけど、あれは本当に有り難かった。
二人して感慨深く頷き合っていると、すでに出来上がりつつあるフレッタが絡んできた。
「なーになーに、あたしを褒めてんの? もっと言って言って」
「あー、そうそう、ありがとうありがとう」
酔っ払いをまともに相手にしても仕方がないし素直に感謝するのも癪だったので、俺は適当にあしらった。しかしフレッタはそれでも満足だったらしく「むふー」と変な息を洩らすと、またちびりちびり酒を飲みはじめた。
「──で、エーレスの話に戻すけど、いままでの調子で稼いでいたら、あと一ヶ月くらいで目途が立ちそうではあるんだよね」
「そうなんですか」
「うん。でもそこまでいくと、変種魔法の件をエーレスにある本部まで報告にいっているここの魔法管理局の人たちがそろそろ帰ってくる頃になるんだよね」
アストから王都エーレスまで馬車で二ヶ月──つまり往復で四ヶ月は掛かると言われていた。俺が変種魔法の魔法適性を持っていることが判明し、それをアスト支部の人たちがエーレスにある本部へと報告にいってからすでに三ヶ月が経っている。なので、あと一ヶ月くらい稼いでいると、遠からず彼らが帰ってくるはずなのである。
「アスト支部の方々は、エーレスにある本部に変種魔法の件を報告するだけでなく、ヴァインさんが使っているものとは別の変種魔法が存在するかどうかも尋ねてきてくれる手筈になっているんですよね」
「そうそう。エーレスにある本部は『大魔法図書館』って呼ばれていて俺の超拘束魔法以外の変種魔法もあるはずだって言われていたから、本当はすぐにでもエーレスにいきたかったんだけどね。思いのほか、旅費が貯まらなくって。でもまあ、ここまできたらその人たちの帰りを待って、ちゃんと話を聞いてから出掛けてもいいかなとも考えてる」
「確かに。せっかくですし、そうしたほうがいいかもしれませんね」
ミューズが微笑みながら相槌を打った。ただそのあと、彼女は大きな双眸をふっと曇らせた。
「でも……そうですか、あと一ヶ月でヴァインさんは旅立たれてしまうのですね」
「まあ、よほどのことがない限りはね」
たとえば──魔法管理局の本部にも別の変種魔法は存在しない、という報告でももたらされない限りは。しかしその辺はそんなに心配していなかった。何と言っても『大魔法図書館』と呼ばれているくらいの場所なのだから。
「そう、ですか……」
今度はしんみりと相槌を打ったミューズに、俺は慌てて手を振る。
「いやっ、まあ確かに旅立ちはするけれど、別にそれっきりってわけじゃないし。前にも言ったと思うけど、新しい魔法と契約したらこのアストに帰ってくるつもりだから」
「でも、最低でも四ヶ月くらいはいなくなってしまうんですよね。私、ヴァインさんがいないと……」
「え……?」
俺がいないと──? ミューズの憂いを帯びた口調に思わずドキッとする。
「ヴァインさんがいないと、とても不安です。果たして、フレッタさんとエスメルさんと私だけでモンスターを倒せるのかどうかって……」
「あー……、そういうことね」
「?」と小首を傾げるミューズから目をそらし、俺は的外れの自意識を「んんっ」という咳払いでごまかした。
「何だかんだ言っても、うちのパーティーの要はヴァインさんだと思いますから」
ミューズがそう呟きを洩らしたところ、フレッタが割り込んできた。
「なーによー。ミューズはあたしたちが信用できないっていうのぉ!?」
「そ、そういうわけではありませんが……」
「大丈夫よー。あんたたちが入ってくるまで、あたしとエスメルの二人だけで二年くらいやってきたんだからー」
酒で目がとろんとなっているフレッタが、むーと小さく唇を尖らせた。
「そ、そうですか……」
「そうよー。お姉さんたちにまっかせなさーい」
フレッタがとても任せられないような口調で薄い胸を叩く。
「は、はあ……」
それに対し、ミューズは非常に曖昧に頷いた。
「まあ、そんなに心配するな。もぐ」
量が多いからとフレッタとミューズが分けてくれた料理を頬張りながらエスメルが言う。
「フレッタの魔法はまるで当たらないが、モンスターの注意を引くことくらいはできるからな。もぐ。それで生じた隙を私が衝けば問題ないだろう。もぐ。ミューズは私たちの動きに合わせてくれればいいさ。もぐ」
「は、はい」
「たとえ、それで上手くいかなかったとしても──」
「上手くいかなかったとしても?」
「その時はフレッタを餌にして、私たちだけで逃げればいいさ。ワハハ」
「ワハハじゃないよ。エスメルはまたそんなことを言って……」
俺が呆れていると、その横ではミューズが引きつった笑みを浮かべていた。ややあって、彼女は表情をあらためて言う。
「ヴ、ヴァインさん。わ、私もっともっと努力して、魔法の威力を高めたいと思います」
「お、おう……」
たいそう当てになる先輩たちの姿を見て、駆け出し冒険者の少女は決意を新たにしたようだった。




