第十一幕 ヴァインの救済……?
「はあっ!?」
「なっ!?」
「えっ!?」
俺、エスメル、ミューズから次々と驚きの声が漏れる。
「クワワワワッ!?」
空気を切り裂くような悲鳴を上げながら、バーズドが空中から落下してくる。
この三ヶ月、フレッタの魔法は地面ばかりを吹き飛ばしていたけれど、ついにモンスター相手にその力を証明したのであった。大人二人分の大きさを持つモンスターを一発で落とせてしまう辺り、やはり彼女の魔法は強力であったのだ。
ズドォォン! という凄まじい地響きをとともにバーズドが地上に激突した。
「やっぱり……やっぱりそうだったのね。いままでのやり方が間違っていたのね。心眼──。それこそがあたしみたいに才能ある者にふさわしいやり方」
妙に静かにフレッタが語った。おそらく生まれてはじめてだったと思われる直撃にも浮かれていない様子である。何だか急に彼女が大物めいて見えた。まさか本当に覚醒したとでもいうのだろうか?
「憐れね、いま楽にして上げる」
フレッタがゆったりと右手をかざす。その先には身体の一部から火と煙を上げつつのた打ち回るバーズドがいた。強力な魔法を喰らった上に結構な高さから叩きつけられもしていたが、そこはさすがモンスター、命までは落としていなかったのである。
「バーズド、あんたには感謝してる。おかげであたしは覚醒できたんだから」
フレッタが再び両目を閉じた。俺たちは彼女から少し離れた場所で固唾を呑んだ。
「ファイラッシュ!」
魔法の火炎弾が放たれた。
それは──俺のほうへと飛んできた。
「はあぁっ!?」
目を剥きながらも、俺は咄嗟に身をかばう。
「ゼレの大縮図」によって契約した魔法・発動された魔法は、人体及びそれに付随するものには影響を及ぼすことができない。
従ってこのままフレッタの魔法が直撃しても、バーズドとは違い、俺がケガすることはないし着ている服が燃えることもなかった。俺の魔法陣の中にしょっちゅう入っているエスメルによれば、空気みたいな抵抗や流れは感じるとのことだったがそれ以上のものはないらしい。とはいえ、やはり火の塊が自分に向かってくるのは恐ろしいし、何より問題はもう一つあった。
「あいたたたっ」
フレッタの魔法は俺の横を通りすぎ、かなりの後方に着弾した。しかしその威力ゆえに、いくつかの石くれが俺の背中まで弾け飛んできたのである。
そう。「ゼレの大縮図」が制限しているのは、魔法による直接的な被害だけなのだ。いまみたいな間接的な被害まではさすがに制限の対象になっていないのである。
もちろん、これを悪用することは魔法管理局によって厳しく禁止されているし、そもそも人道にもとる。
ただ、魔法師を交えた激しい戦いの中ではしばしば起こってしまう事故でもあるそうだ。──まあ、みんなが真剣にやっていて、それでもそのような事故が起こってしまったというのなら仕方がないというものだろう。
フレッタの場合は違った。よく解らない勘違いと思い込みの結果なのである。たまったもんじゃない。
「あ、あれ? おっかしいなー」
さっきの大物めいた雰囲気は何処へやら、フレッタが動揺を隠すように頭を掻いた。
しかし俺にしてみれば、おかしなことなど何もなかった。
「『あれ?』じゃないよ!? つまりさっきのただの偶然だったってことだよ! まぐれ当たり!」
「そ、そんなことない。あたしは確かに何かを感じたから! 覚醒したから!」
「だからそれは勘違──」
「ファイラッシュ!」
俺の言葉を最後まで聞かず、フレッタは三たび両目を閉じて魔法の火炎弾を放った。
そしてそれは──エスメルのほうへと飛んでいった。
「まったく何をやってるんだか」
文句を言いながらも、エスメルは素早く火炎弾の射線上から距離を取った。その後、弾け飛んできた石くれも難なくかわす。さすがは卓越した運動神経の持ち主である。しかし、だからといって許してくれるとは限らなかった。
「ミューズ! そこのはた迷惑なヘッポコを取り押さえてしまえ」
「え!? え!?」
「流れからいって、次に狙われるのはおまえだぞ!」
「失礼ね、誰もあんたたちなんか狙ってないわよ。あたしが狙っているのはバーズドだけ──って、何するのよ、ミューズ!?」
「ご、ごめんなさい、フレッタさん」
フレッタが言ったことよりもエスメルが言ったことのほうに信憑性を感じたのだろう、ミューズがフレッタに飛び掛かっていた。
「ちょっ、放しなさい。今度こそバーズドにとどめを刺すんだから」
「お、おとなしくしてください、フレッタさん」
地面の上でフレッタはじたばたとするが、ミューズが覆い被さるように摑んでくるのを撥ね退けられなかった。二人に身長差はなく、平均的な女性と同じくらいである。ただ、全体的にすらりとしているフレッタに比べ、最年少ながら出るべきところは一番出ているミューズのほうが体格的にやや有利であるようだ。
「きいっ、腹が立つ! 押さえ込まれてるのもそうだけど、あたしよりはるかに立派なものを押しつけられてるのにも腹が立つ!」
「へ、変なこと言わないでくださいぃ」
「ヴァイン、鼻の下を伸ばしている場合ではないぞ。おまえはこっちを手伝え」
「の、伸ばしてないよ!?」
「私の攻撃範囲内に落ちてきたのはいいが、あんなにもがかれていては迂闊に手が出さない。──もう、いつもとたいして変わらない状況だ。魔法を外すこともないだろう?」
俺の否定の声には耳を貸さず、エスメルは次の指示を出した。
「お、おう」
何か釈然としなかったが、いまはバーズドを退治してしまうほうが先決だった。俺は標的に向かって両手をかざす。
苦しみにのた打ち回るバーズドは、ちょうど休耕中らしく何も植わっていない畑の中にいた。しかしそこに地面があるというだけで、さっきまで悩まされていた違和感が跡形もなく消えている。やはり知らないうちに変な癖がついていたらしい。
「ホゲホゲペッ!!」
俺は呪文を唱え、そして今度こそ狙いどおりに魔法陣はバーズドを捉えたのだった。茶色いモンスターは魔方陣に近い部分から蒼白い光に包み込まれていく。
「クワッ!?」
という奇声を最後にバーズドの動きが止まった。自らの羽根が抜け落ちてしまうほど暴れていたのが嘘のようである。しかし、その全身を襲っているであろう激痛が治まったわけではない。動けなくなった分、むしろ激痛を感じるようになっているかもしれなかった。蒼白い光からはみ出している尾の部分がこまかに痙攣していた。俺は何となく可哀想になって、エスメルに言う。
「早くとどめを。ホゲホゲペッ。刺してやれよ。ホゲホゲペッ。苦しみは。ホゲホゲペッ。長引かせるもんじゃない。ホゲホゲペッ」
……しんみりとした台詞も、唱えつづけていなければならない呪文のせいで台無しだった。
「ああ、そうだな」
噴き出しそうになるのを堪えつつ、エスメルはバーズドに向かって走りはじめた。
普段なら、対ドーグ戦でもやっていたように俺がモンスターを拘束したあとも、フレッタとミューズは攻撃をつづけているはずだった。モンスターはだいたい皮膚が硬かったり、生命力が強かったりするので、エスメルが到達する前に少しでもそれらを削っておこうという考えである。
俺の超拘束魔法は、直径二メートルの魔法陣とそこから発せられる高さ一メートルの蒼白い光から成る。「ゼレの大縮図」による制限──人体及びそれに付随するものには影響を及ぼすことができないという例外を除けば、その範囲内に入ったものはモンスターだろうと何だろうと動きを止めてしまえる。
この拘束がどれくらいのものにまで有効であるのかは、変種魔法の研究が進んでいないのでまだ解ってはいない。ただ、いまのところ標的としたモンスターのすべてを拘束できていた。あと試してみたら、フレッタたちの魔法にも有効であった。一応資料に「伝説級のモンスターであるドラゴォンでさえ──」と書かれていただけあって、そこそこ強力ではあるらしい。
とはいえ、その超拘束魔法の範囲内からはみ出している部分であれば、普通に魔法は当たるし効果もあった。
ただ、フレッタがそんな限られた場所に当てられるわけがないし、ミューズは当てられるけど威力はないしで、いままで役に立ったことはほとんどなかったんだけど。
だったら最初からやらないほうがいいんじゃないか、という話になりそうだったが、一応、それなりの意味もあった。
いまみたいにちょっと言葉を差し挟むだけなら問題ないが、たとえば咳き込んでしまったりむせてしまったりして一定の時間以上に呪文が唱えられなくなると、俺の超拘束魔法はあっさりと効果を失ってしまうためである。
もしそうなった時、エスメルが単独でモンスターの近くにいたら、彼女に危険が集中することになる。しかし、そこにフレッタとミューズの攻撃もおこなわれていれば、モンスターの注意は散漫になるだろう。少なくともエスメルほどの運動神経があれば、フレッタとミューズの魔法に紛れて身の安全をはかることくらいはできるはずだ。つまり、フレッタとミューズの目的とは違うけれど、その攻撃は万が一の備えとしての意味はあるというわけだった。
ただまあ普段は、モンスターに接近するエスメルの役に立ってはいないけど。むしろ火と水の魔法が周囲に飛んでくるのは彼女の邪魔をしているのかもしれなかった。しかしこの件についてエスメルが文句を言ったことは一度もない。「ゼレの大縮図」による制限で自らに被害が出ないということもあるだろうが、やはり彼女も万が一の備えはあったほうがいいと思っているのだろう。
今回はフレッタたちが地面でくんずほぐれつしているのでその万が一の備えがないということになるが、俺の喉の調子が悪いわけでもないので、まあ大丈夫だろう。
実際、エスメルは何の問題もなくバーズドの眼前に迫り、次のような声を上げた。
「バーズド、いまこの聖剣ホメイロスで楽にしてやるぞ!」
そして、俺が知っているだけでも七、八代目くらいになる大変ありがたみの薄い聖剣がモンスターの脛骨に叩き込まれた。
バーズドの全身は分厚い羽毛に覆われており、それが落下の衝撃をある程度吸収したのだろうが、急所を正確に強打されては為す術がなかったようである。骨の砕かれる鈍い音を一つ響かせたあと、バーズドからは一切の生気が感じられなくなった。
「バーズド、討ち取ったり!」
エスメルが高らかに宣言した。今日はその手に握られた木剣が折れていなかった。いくら分厚いとはいえ、さすがに羽毛相手にどうにかなってしまうほど柔ではなかったようである。
「さて──」
ひとしきり勝利の余韻に浸ったあと、エスメルがフレッタのほうに近づいて、いまし方モンスターの命を断ったばかりの木剣を突きつけた。
「そこのヘッポコ魔法師、よくも仲間に向けて魔法を放ってくれたな。最期に言い残すことがあれば聞いてやるぞ」
「ちょっ、待っ……!? た、確かに迷惑は掛けたけど……」
フレッタが目を剥いた。ミューズに取り押さえられたあともしばらくじたばたしていた彼女であったが、いつの間にか正気を取り戻したらしく、いまはおとなしくしていた。ただ、エスメルの態度に再び落ち着きをなくす次第となった。
「エ、エスメルさん、いくら何でもそれは」
フレッタの横に一緒になって座り込んでいたミューズが慌てて執り成そうとする。それに対し、エスメルは軽く肩をすくめた。
「まあ、いまのは本気じゃない。──ただし、わけの解らん勘違いで仲間に危害を加えかねないことをしたのは事実だからな」
「わ、悪かったわよ。なんかこう、ピンとくるものがあったのよ。実際それで、最初の一発目は当たったし。だからつい我を失ってしまって……」
元々フレッタに余計なことを吹き込んだのはエスメルだったのだが、二人ともそのことはすっかり忘れてしまったらしい。エスメルは偉そうに言い、そしてフレッタはばつが悪そうにごにょごにょと言いわけをした。
「ふむ、反省はしているようだな。しかし、それだけでは犠牲となったヴァインが浮かばれまい。ここはやはり罰の一つも受けてもらわないと」
「いや、人を死んだように言うなよ?」
さっきからエスメルは怒ってそうにも真面目そうにも見えていたが、いまの一言で解った。彼女はふざけているにすぎなかった。
「さて、どんな罰が適切か──。ミューズ、何か思いつくものはないか?」
俺のツッコミは無視して、エスメルはミューズに訊いた。
「えっ、ば、罰ですか!? えーと、えーと、お仕置きということでしたらお尻ペンペンでしょうか……?」
お尻ペンペン。何とも可愛らしい言い方だ。しかし──
「いやいやいや、フレッタの年齢でそれをやられたら恥ずかしいことこの上ないだろう。一種の拷問だと思うぞ?」
俺の言葉に、フレッタがうんうんと何度も頷く。
「ご、ごめんなさい。そんなつもりでは。咄嗟に思いついたのがそれだったというだけで──」
ミューズが焦ったように両手を振った。
「ああ、そうだ!」
俺はポンと手を打つ。閃くものがあったのだ。
「だったら、あれでいいんじゃないかな。今日はそういう流れにならなかったけど、いつもなら俺がやらされているあれを、今回はフレッタにやってもらおうよ」
「あれとは?」
エスメルが小首を傾げる。
「俺の超拘束魔法の名前を言わせるやつだよ。『ヴァインの魔法の名前は何て言うんだっけ?』ていうやつだよ。いつもは俺が答えさせられているけど、今回はフレッタに答えてもらおうよ」
俺としてはちょっとした思いつきを、ちょっとした意地悪を口にしただけのつもりだった──のだが。
次の瞬間、その場は重い空気に包まれた。
ややあって、フレッタが暗い声で呟く。
「あ、あれを言わされるくらいなら、お尻ペンペンのほうがいいわ……」
冗談を言っているのかと思ったのだが、フレッタは本当に四つん這いになり、エスメルのほうにお尻を向けようとする。
「や、ちょっ、ちょっと待って」
その姿に俺はうろたえざるを得なかった。慌てて問い掛ける。
「さ、さすがにそれはないだろう。ここでお尻ペンペンされることに比べれば、超拘束魔法の名前を言ったほうがはるかにマシだよね……?」
しかし──誰も応えてはくれなかった。
「ミュ、ミューズ?」
俺はすがるようにミューズのほうを見たが、ミューズは気まずそうに顔をそむけてしまう。
「エスメル、何とか言ってくれよ……」
俺は救いを求めるようにエスメルのほうを見たが、彼女はすでにこちらに背中を向けていた。
「な、なあ、フレッタ。俺をからかってるだけなんだろ?」
俺はあらためてフレッタのほうを見たが、彼女は四つん這いの姿勢を崩そうとはしなかった。
え……? ちょっと待って。え? そんなに? そんなになの? 俺の超拘束魔法の名前ってそんなになの!? 十八歳の女性がお尻ペンペンされることよりもひどいっていうの!?
いや、確かにできれば口にしたくない類のものではあるけれど……そこまでとは思っていなかった。
しかし三人の反応を見るに、俺の考えのほうが甘かったようである。
「……」
衝撃の事実に、俺は呆然とするしかなかった。
「ごめんね、ヴァイン。あんたの立場になってようやく解った。あたし、かなりひどいことをさせてたんだね。ごめんね」
四つん這いのまま、本当に申しわけなそうな声でフレッタが言った。
「わ、私も無神経でした。いま自分があれを言わなくてはならなくなったらと想像してみたんですが……私、本当に……すみませんでした」
目を伏せて、ミューズが呟いた。
「うむ、確かに悪かった」
背を向けたままではあったものの、エスメルにしては珍しくその言葉には率直さが感じられた。
……あれ、おかしいな。
俺は空を仰いだ。謝罪されたのに。優しくされたのに。どうしてこんなに惨めな気持ちになるんだろう?
その後、何となくうやむやな雰囲気となり、フレッタへのお尻ペンペンは中止となった。
バーズド退治が済んだことを知った村人たちが家から出てきて、おおいに感謝された。
村長の代理人がアストの町まで同行し、俺たちと一緒にバーズド退治の報告をギルドにしてくれた。このため、報酬は問題なく速やかに支払われた。
俺はそれらのことをずっと呆然としたまま眺めていた。
そしてこの出来事を境に、モンスター退治が終わったあと、女性陣に無理やり超拘束魔法の名前を言わされることはなくなるのである。
それはとてもいいことだった。
しかしその一方で、何とも言えないやるせなさを俺の中に残したのであった。




