ポルッカ・ルッカのおしごと
「えい、やっ!」
銀のクモの糸で編んだ丈夫な網を、花を咲かせるようにパッと放つ。
エメラルド色の海にただよう「もやもや」を一網打尽にすると、うんうん言いながら引き寄せて、ポルッカ・ルッカはずっしりとした網をようやっと三日月形の小舟の上に引き上げた。
「重たいなぁ……。今日も下界は大変なんだな」
もやもやは、下界の人たちの「ため息」だ。
実はこれが、下界の空をおおう雲のもと。
網にみっちりつまったもやもやは、ひとつひとつ色が違う。
真っ白もあれば、深いグレーもある。
このもやもやの選別が、雲づくりの新人職人ポルッカ・ルッカのおしごとなのだった。
『ポルッカ・ルッカは、もやもや収集課かぁ。災難だよな。先輩もあの妙な双子だけなんだろう? 早く異動できるといいけど』
『あはは……。そっちは入道雲課に配属だって?』
『そう! 腕が鳴る〜! 最高にかっこいい夏の雲を下界にお届けするんだ。楽しみでしかたがないよ』
花形部署へ配属の同級生に、「おめでとう」と言えた自分はえらかった。
希望を出した「入道雲課」でも「雪雲課」でもなく、よりによって「もやもや収集課」。
長いことふたりのスペシャリストだけで成り立っていた部署が、しばらくぶりに新人を募集したのだという。
先輩二人は歓迎してくれたが、ちっとも気持ちは上がらなかった。
「なんだって、今年に限って新人募集なんて……ハァ」
落ち込んだ気分をのこしたまま、ポルッカ・ルッカはもやもやの浮かぶ海で、毎日船を漕いでいる。
「新人ご苦労!」
「ご苦労!」
もやもや収集課の誇る、スペシャリストにして大ベテラン。双子のアル・ルッカとイル・ルッカに船着場で迎えられて、ポルッカ・ルッカはぺこりと頭を下げた。
「おつかれさまです。今日も、重たいのがたくさんです」
船いっぱいの収穫を見せると、ウサギみたいなふわふわの耳をぴくぴくさせて、ふたりはにやりと悪そうな顔をした。
「今日はあるかもしれないね」と、アル・ルッカが言い、
「あるかもしれない」と、イル・ルッカが続ける。
アル・ルッカとイル・ルッカは用意していた空色のトロッコに、今日のもやもやを楽しそうに積み込んでいった。
◇◇◇
「ないね」
「うん、ない」
アル・ルッカとイル・ルッカのつまらなそうな呟きが聞こえた。
作業場の大きな敷物に広げたもやもやのため息は、ひとまとめにすると重たいけれど、ひとつひとつは息を吹きかけるとぷわぷわと浮かぶほどに軽い。
だから、取扱いには注意が必要だ。
ピンセットで慎重につまみ上げ、特別なはかりに乗せて見極める。
「うわ、これは重量級。雨雲確定」
アル・ルッカがつまんだもやもやをピッと放り投げると、もやもやはダクトにシュッと吸い込まれていく。
規定以上の重さのものは雨雲課に運ばれて、担当職員思い思いのデザインで下界に戻されるのだ。
天井にはニュッと突き出たカラフルなダクトがいくつもあって、それぞれがいろんな雲を精製する部署へ繋がっている。
ここで簡単な仕分けをしながら、ポルッカ・ルッカも頑張っていた。
「うーん、これはわた雲が向いてるかな。あ、これは割とあっさりしてるから、うろこ雲」
製品基準に満たない「もやもや」を送ろうものなら、すぐにクレームがくるから、集中しなくてはいけない。
仕分けは短調だし、下界に悩みのため息が多ければ、遅くまでの残業もある。目も疲れるし、腰も肩もこりにこる。
流れ作業だからといって簡単ではない。
この仕事が好かれないわけもわかる。
「む……。アル・ルッカさん、すみません。コレ、見きわめおねがいします! くもり総合課でいいと思うんですけど」
微妙なラインのもやもやは、先輩に任せるのも大切だ。
「いいよ、ポルッカ・ルッカ。イル・ルッカ、このもやもやどうしようか」
「これは中ぐらいのしょんぼりなもやもやだね。まだら雲向き。くもり総合課に投げといて。いい判断だよ、ポルッカ・ルッカ」
ポルッカ・ルッカは、あまり勉強はできる方じゃなかったけれど、同級生たちの誰よりも目が良かったから、もやもや収集課に見込まれたんだと、新人研修のときに話を聞いた。
特にうれしくない情報を思い出し、ポルッカ・ルッカもため息が出そうだ。
そうはいっても、仕事はしなけりゃおわらない。
ポルッカ・ルッカは、せっせともやもやの山に挑むしかないのだった。
獲ったばかりの純度の高いもやもやからは、いろんな声がじかに聞こえる。
『はぁ……学校行きたくない』
『はぁ、あの上司、なんなん?』
『あぁ…また義理のお母さんが賞味期限切れの食べ物送ってきた……』
どんなもやもやも、仕分けるとダクトを通るときにクリーニングされるので、担当課に届くころには「なんだかゆううつ」な雰囲気がわかる程度になる。
特にうれしくはないが、この声を聞けるのは、もやもや収集課の特権らしい。
「今日も外界は大変だねぇ」
ポルッカ・ルッカは、ちょっともやもやを撫でて言った。
ずーっとずっと、新鮮なもやもやの声を聞いていると、だんだんと気が滅入ることもある。
『あした、頑張れるかなぁ……』
だからポルッカ・ルッカは、微妙な重さのもやもやに「頑張れ」と声をかけてみたりする。そうすると、ちょっぴり重さが減ってフワッとするのだ。
軽いもやもやを扱うわた雲課からは、「そんな天然ものじゃないもやもやなんて!」と文句がくることもあるけれど、たまにはいいとポルッカ・ルッカは思っている。
ちょっぴりでも気持ちが軽くなるのなら、その方がきっといい。
しかし、今日は特別重たいもやもやが多い。
無心にやらなくては落ち込んでしまいそうで、黙々と仕分けていると、アル・ルッカとイル・ルッカがパチンと手を打ち合わせているのが見えた。
「あった!」
「あったね!」
やけにうれしそうでポルッカ・ルッカがわけを尋ねると、双子は顔を見合わせてニヤリとして、だまってもやもやの仕分けに戻ってしまった。
ポルッカ・ルッカは蚊帳の外。
秘密主義な先輩二人にイライラしながら仕事をしていると、不意にふわふわとただよってきたものがあった。
「なんだこれ?」
ポルッカ・ルッカの鼻先に浮かぶ、いつもとちがう薄いピンクのもやもや。
指先で触れるとシャボン玉のようにパチンとはじけ――
『ハァ、夢でいいから、逢いたいなぁ……』
胸のジンとするような少女の甘い声が聞こえて、ポルッカ・ルッカは大慌てした。それを見ていた双子は手を叩いて大笑いする。
「みつけた?」
「みつけちゃった?」
こくこく、とポルッカ・ルッカがうなずくと、アル・ルッカとイル・ルッカはにんまりほほをゆるめた。
「レアだよ。ふつうここに届くまでに溶けちゃうから」
「ほら、今日はもういっこあるよ〜」
イル・ルッカがピンセットで「もやもや」をそっとつまみ、ポルッカ・ルッカの方へふんわり投げる。
すると――。
『電話してもいいかなぁ……。あー、ムリ! できない!』
今度は少年の声だった。
声にこもる甘酸っぱさにポルッカ・ルッカの胸もぷるっとふるえる。
「頑張ってほしいよねー」
「ねー!」
アル・ルッカとイル・ルッカが声をそろえると、ピンクのもやもやは恥ずかしそうにパチンと泡のようにはじけて消えた。
ポルッカ・ルッカは、ほほを赤らめた。ここで仕事をし始めて、こんなに胸がドキドキしたことはない。
「みんなね、おもたーくて、つらーいもやもやしか知らないけど」
「ボク達だけは、あまーくて、とろけるようなもやもやに出逢えるんだ」
雲にならないトキメキにさ!
アル・ルッカとイル・ルッカが腕を組んでダンスする。
今までに見たこともないほど上機嫌だ。
「このお仕事好きになるよ。ポルッカ・ルッカもきっとね!」
「内緒だよ!」
アル・ルッカとイル・ルッカは、ちょっと恥ずかしげな後輩のポルッカ・ルッカに誇らしげに胸を張る。
「ね、ポルッカ・ルッカ。ボクらですこーし背中を押してあげようね」
頑張って! って。
ポルッカ・ルッカがこっくりとうなずくと、
「ポルッカ・ルッカ、ようこそ!」
「ようこそ! 我らがもやもや収集課へ」
アル・ルッカとイル・ルッカは胸にひたっと手をあて、気取ったおじぎをしてみせた。