初めての衝撃
「あら先客がいるのですか? こんな真っ昼間に」
玄関先、リビングで待たせている輪廻の靴を見て、意外な客人が言う。
「おまっ、なんでここに!?」
それはつい昨日知り合ったばかりの美少女だった。
闇のように黒い。
髪も目も、心も。肌だけが異様に白く、そのギャップは不自然に思えるほどだ。
服装が制服であることを考えれば、学校からやって来たのだろうか。
しかしまだ、昼休みが終わったくらいの時間なのだが。
「ふふ少し心を乱しましたね。しかし『なんでここに?』とは随分ご挨拶ですね。忘れたんですか? あなたは私の言うことを3つ、聞かなければいけないということを」
「それは……忘れてねえけど……」
そう、こいつ、雪禰初夏の言うことを聞く、そういう交換条件を飲んだのもつい昨日のことだ。
決して軽い気持ちではなかったし そのおかげもあって木陰が半年ぶりに登校できたのだから後悔はない。
だが、相手が悪かった気はする。すごくする。
「えっとつまり、俺に要求をしに来た、ということか?」
「ま、そんなところです。 その前に一つご報告をしてあげましょう」
「すげー上からだな……」
「今日、天海木陰が登校してきました」
俺の呟きを当然のように無視して、俺が当然に知っている情報を提供してきた。
「おやまあ、肩透かしを食らったような顔ですね。本題はここからですよ」
そりゃあ、まさにここから登校していった妹が登校してきたという情報は、肩透かし以外の何物でもないだろう。
仮に登校してこなかった、と言うなら大分ショッキングではあるが。
「なら本題から入ってくれ」
「せっかちな男性はモテ……なんか昨日もこんな話をしましたね。モテたくないんでしたっけ」
「モテたくないんじゃない。モテたいと思ったことがないんだ。俺はモテることに対して別に拒絶的なわけじゃない」
「なるほど肝に銘じましょう。しかし、やはり前戯は大事だと思いませんか?」
ぜ、前戯? なんの話をしてるんだこいつは。
「あら、得心がいきませんか?」
「いや、得心というか、理解が出来てないんだけど……」
「? まさか前戯という言葉を知らないわけではありませんよね?」
首を傾げる姿はちょっと女性らしくて、不覚にも可愛いと思ってしまった。
「あなただって高校生ですからね、アダルトビデオくらい日常的に嗜んでいるのでは?」
「お前……上品な言葉遣いをすれば下品じゃないと思ってるんじゃないだろうな?」
「あなたこそ、会って間もない女子をお前呼ばわりだなんて、品位と礼節に欠けるのでは? 私のことをお前と呼びたいのであれば、私と結婚してからにしてください」
くそ、ああ言えばこう言いやがる。
こうなったら仕方ない、開き直って下世話な話に付き合ってやろうじゃねえか。
「で、エロビデオがなんなんだよ」
「こう見えても、私も偶然不覚にもエロティックな映像を目にしてしまう機会が多いのですが、ああいうものでも大抵はきっちり前戯の件があるじゃないですか」
「言葉を巧みに使って法を逃れようとするな」
「いちいちツッコミ入れないでいただけますか? あなたは売れないお笑い芸人ですか」
「勝手に売れないって決めつけるな。てか誰がお笑い芸人だよ!」
「ふう、話が進みませんね。まあ良いでしょう、雑談に付き合うのもまた一興です。そもそも、私が法を逃れようとするものですか。だって私は裁かれたいんですから」
「ああ、お前変態なんだっけ……」
「変態、ですか。ふふ、その呼び名は悪くないです」
うわあ、笑って喜んでる……。こいつ本物だ……。
「まあですが、これからのことを考えるとあなたに変態と呼ばれ続けるわけにはいきません。名残惜しいですが」
と、雪禰はよく分からないことを言った。
ていうか名残惜しいのかよ。
「どういうことだ?」
「だって私は今日から、あなたにとっての変人になるのですから」
風の動きが止まった。
寒さすらない。
「えっと、いや、お前は既に変人……」
「ん、ああ、言い間違えました。『だって私は今日から、あなたにとっての恋人になるのですから』でした」
「いやいやいや、字面は似てるけど音は全然違うだろうが。高度な言い間違えをするんじゃない。お前は脳裏に文字を打ち込んでから読み上げるタイプの人間なのか……ってはあ!? こ、恋人!?」
「きっちりツッコミを入れてからリアクションするなんて、あなたは芸人の鏡ですか。いや、芸人としても方向性を見失ってるとも言えますが。しかし――」
言いながら、雪禰の顔は恍惚とした表情に変わり、そしてその薄く白い手のひらを俺の頬に添えると、まるで自分の所有物のように俺の顔をためつすがめつする。
「良いですねぇ、その顔。キツネにつままれたような、タヌキに化かされたような、ハトが豆鉄砲を食ったようなその顔」
「慣用句を3つも持ち出すな。動物好きか」
「嫌いではありません。ただ慣用句の方が好きです」
「そんなやつがいることを初めて知ったよ。で、その慣用句よりも俺のことが好きになったと?」
「いえいえ、それは慣用句の方が好きですし、あなたのことよりは動物が好きです」
「それもう好きじゃないじゃん!」
手を俺の頬から外し、そのまま自分の口許に持っていくと、クスクスと笑った。
「そうですね、好きではないです。ただ興味があるので、今後は恋人という形でお付き合い出来ればと思います」
こいつ。
「正気か?」
思ったことがそのまま口をついて出た。
「ええ、正気ですよ。歪んではいますけれど」
自分で歪んでいることを自覚している分、尚更たちが悪い。
「良いではないですか。私と恋人になるメリットは、あなたにも少なからずあると思いますよ?」
メリットねぇ……。
訝しげに雪禰を見詰める。
「例えば、私の持っている情報を全てとはいきませんが、シェアしても構いません。今の時代、情報は武器になりますからね。あなたも一足飛びで強くなれますよ」
「なるほど、確かに……」
「他にも、復帰したての天海木陰を、私がサポートすることも出来ます」
「信用しろって言うのか?」
「まあ、そうですね。出来れば信頼してほしいですが、人間の感情がそう簡単ではないことも私は知っています。だから面白いわけですし。なのであなたの信用の有無に関わらず、あなたの恋人になった時点から、私は自動的に天海木陰のサポートを開始します」
俺だって木陰のことは心配だ。
だから雪禰の提案は魅力的ではある、が。
まだ疑問はある。
「なんでそこまでするんだ?」
正直、雪禰の側にそこまでして俺と恋仲になるメリットがあるようには思えない。
「なんでと言われましても。恋人の妹なんて私の妹のようなものじゃないですか。将来的に考えれば、の話ですけどね。先のことを考えて根回し出来ないようでは、社会を混乱に陥れることなんて出来るはずもありません」
「なんかさらっとすごいことを言ってるけど……」
「ああ、私としたことが、夢を語ってしまうなどとんだ情報漏洩でしたね。忘れてください」
夢なのかよ。
まあ、俺としても忘れたいところだ。
「うーん……」
「あなたも煮え切らないですね。いいですか? 私は『お願い』をしに来ているのではありません。『強要』しに来ているんです。あなたは私の言うことを3つ、聞かなければならないのですから」
そう、なんだよなぁ……。
つまるところ、選択肢はないのか。
「はー……分かった。分かったよ。お付き合いする。雪禰、よろしくな」
「ふふ、思いの外早く折れてくれて、嬉しい誤算です。これでダメならもう一つのメリットを開示しようかとも思ったのですが」
「え、もう一つのメリット?」
まだあるのか。
どんだけいい女なんだよ、雪禰初夏。
「知りたいですか? 知りたいと懇願するなら教えてあげてもいいですが」
「懇願はしない、お願いはするけど」
「じゃあ条件を出します」
急だなおい。
「今後私のことは『初夏』と呼んでください」
「その心は?」
「名前呼びの方が恋人っぽいので」
可愛い理由だな。
「分かったよ、初夏」
「ふうむ……抵抗が無さすぎて面白くないですね」
本当につまらなそうな顔をしている。
何を求めてるんだ、こいつは。
「生憎だが、人の呼び方で困ったことはないんでな」
輪廻、短冊ちゃん、音無、神代さん。
名前も名字も、ちゃん付け、さん付け、呼び捨てだろうが、4人の後輩で経験済みなんだよ。
「まあいいでしょう。じゃあ私はあなたのことを夕くんと呼びますね」
「……………」
「おや? 今度は表情が曇りましたね。ふふ、なんとも言えない顔がいいですねぇ、夕くん♪」
夕くんは、大分抵抗のある呼び名だが、その理由を初夏に悟られたくはない。
あるいはこいつは既にその理由を知っていて、俺に嫌がらせしている可能性すらあるが。
「まあ……いいよそれで。で、もう一つのメリットってなんなんだよ?」
俺の顔を楽しげにニタニタと見詰める初夏は、どうやら上機嫌のようだ。こいつ、笑えば普通に可愛いんだよなぁ。
「ああ、そうでした。いえまあ、至極単純なことなのですが。私達は恋人なのですから」
「な、なな、なんですってー!?」
そんなすっとんきょうな声を上げたのは俺ではない。
その声は俺の背後から聞こえた。
振り向くとそこには、リビングの扉から顔を覗かせている輪廻が居た。
「あら、先客はあなただったのですか。夕くん、私という彼女がいながら他の女子を家に連れ込むなんて、早々に浮気ですか?」
「あのなぁ、輪廻はただの弟子だし、それにお前と付き合う前から家に居たんだからカウントしないでくれると助かるんだが」
「し、しし、師匠! その邪悪なる中学生女子と恋仲になるというのは真でありますか!?」
輪廻が詰め寄ってくる。
「輪廻落ち着け。口調がおかしなことになってるぞ。一応質問に答えるけど、イエスだ」
「ま、まままま!」
「ま?」
「摩訶不思議です!」
「あー、だよなぁ」
俺だって意味が分からないし。
だって付き合う理由がおかしいもんなぁ。
別に好き合っているわけでもないのに。
「ふふ、あなたはリアクションがいいですね。気に入りました」
輪廻にそう言いながら、初夏は愉快そうな笑みを浮かべている。
「気に入られても嬉しくありません!」
さもありなん、だな。
「気安く『初夏ちゃん』と呼んでもらって構いませんよ、輪廻ちゃん」
「わ、私は人を名前で呼ぶのが、あまり得意ではありません……」
「へえ、稀有な人ですね。生きづらいでしょうに」
それは確かに、初夏の言う通りだな。
というか初耳だ。師匠なのに。
ああ、だから師匠と呼ばれているのか、俺は。
そう考えると、輪廻が誰かを名前で呼んでるような記憶はあまりないな。
とはいえまだ一、二週間の付き合いなのだから、知らないことがあるのも当たり前か。
輪廻だけではなく、短冊ちゃんも、音無も、神代さんについても、俺にはまだまだ知らないことが沢山あるのだろう。
今後知る機会があるのかないのかは、それこそ知らないが。
「では、あだ名で呼ぶというのはどうですか?」
「あだ名、ですか」
なんか、この二人が普通に会話してるのが意外だな。
昨日はあんなに衝突してたというのに。
これが女子ってやつか。
「私のことは親しみを込めて、『ショッカーさん』と呼ぶと良いでしょう」
え、自分でそのあだ名で提案するの?
「ショッカーさん……なんかすごいしっくり来ますね」
輪廻が神妙な顔で言う。
うん、すごいしっくりは来る。なんでかな。
「お前、いつも友達にそう呼ばれているのか?」
「何を言っているんですか、そんなわけないでしょう」
「そ、そうだよなー、さすがにそれはない――」
「私に友達なんて居ませんよ」
「……………」
何も言えなかった。
意外性が無さすぎて。
「じゃあとにかく、『ショッカーさん』で決まりですね。よろしくお願いします、輪廻ちゃん」
俺のリアクションをまったく気にした風もなく、初夏は俺を押し退け輪廻に近寄って手を差し出す。
「よろしくお願いします、ショッカーさん…………ってちょっと待ってください! あなたと師匠がお付き合いすることを、私はまだ納得していません!」
手を差し出しかけた輪廻だったが、慌てて引っ込める姿が可愛い。さすがは俺の弟子だ。簡単には誤魔化されなかったようだ。
「別に、あなたに納得してもらおうなどと思っていませんよ、私は。というか、あなたは弟子の分際で師匠の恋路を邪魔しようと言うのですか?」
「ぐっ!」
どうやら輪廻は痛いところを突かれたようだ。
「いやまあ、別に恋をしているわけじゃないけどな」
俺は本当のことを言う。
初夏の目がこちらに向いた。
「なら恋をしてください」
「無茶なことを言うな。そんないきなり人を好きになれるかよ」
「でしたら」
そう言って、今度は両手で俺の頬を挟み込むと。
初夏はおもむろに、顔を近付けてきた。
「――っ!?」
気付いたときには、もう遅かった。
「なっ! なななっ!」
横で状況を見守っているであろう輪廻の声が聞こえる。
声を発することはできない。
出そうにも、その口からは初夏の吐息が入り込んでくる。
頬に触れる手のひらは冷たいくせに、重なる唇はひどく暑い。
やがて。
「っっ!?」
更なる衝撃が俺を襲った。
初夏の舌が、俺の口内へと侵入を果たし――。
そこから記憶が飛んだ。
気付けば、目の前に人差し指で口を拭う初夏が居た。
「ふふ、キスから始まる恋も、乙なものですよ」
言葉は耳に入っていたが、処理が出来ない。
俺も、輪廻も、声を出すことが出来なかった。
それを見かねたのか、初夏が更に口を開く。
「安心してください、ファーストキスですよ。私は」
なにやら含みのある言い方だったが、深く考えるような余裕は俺にはなかった。
だってさ、いきなりディープキスとか、頭おかしいだろ。




