おはようのキス
話し合ってみれば、木陰と恋藤さんはお互いの感情をすんなりとすり合わせ出来たようで、ともすればやはり、人と人は言葉を交わさなければ分かり合うことは難しいのだと、今回の一件では思い知らされた。
何はともあれ、これで木陰は明日から学校に行くだろう。
思えば半年くらいの期間を木陰は不登校だったわけで、そうなればクラスメイトの反応とか不安はあるが、まあ恋藤さんも居るわけだし大丈夫だろう。
ちなみに勉強面での心配は一切していない。
不登校中も木陰は自主的に勉強をしていたわけで、元来頭の出来がいい木陰はというと、もう学校の授業内容をとっくに通り越して勉強していたのだ。
我が妹ながら末恐ろしい。
さて、これで木陰の不登校の件は片付いて家族としても一件落着で安心、一応部活動としての真理探求も達成と言えよう。
だが残念なことに、俺の問題はまだ解決していなかった。しかも3つも。
恋藤さんが木陰と恋バナをして帰った夜から、今度は俺の問題が立て続けに進行することになろうとは、運命とはかくも皮肉なものである。
* * * * *
「えっと、これでいいのか?」
「だめ、もっとくっついて」
夜、電気を消しカーテンの隙間から差し込む月明りだけが光源となった俺の部屋。
約束を果たすべく、パジャマ姿で髪を下ろした音無と一つのベッドに入った俺の身体は酷く強張っていた。
いつもと違う装いの音無が新鮮で可愛いというのもあるが、もちろんそれが直接の原因ではない。
女の子と一緒に寝るというだけの他愛もないイベントだというのに、情けない限りだ。
しかし自己弁護ではないが、俺が健全な男子高校生であるということを考えれば仕方のないことではないだろうか。
俺だってそれなりに女の子に興味はあるし、それに加え音無は可愛い。
もし音無が守るべき後輩でなかったら、この状況で理性が保てるかどうかはかなり怪しいところだろう。
そうつまり、俺は今後輩を裏切りたくない一心で自分を殺し、音無と同衾しているのだ。
それなのに音無ときたら。
「あの、またぬいじゃったらごめんね?」
なんて恐ろしいことを言ってくれるのだろうか。
この間は完全に覚醒している状態で音無の裸に遭遇したからまだ良かったが、夢現、半覚醒みたいな感じで音無の柔肌を感じてしまったら、無意識下で自分が何をするか空恐ろしい。
「なぁ音無、なんか服を脱がないようにする良い方法はないのか?」
「んん……むずかしい。じぶんでは、むいしきだから……」
「まあ、そうだよなぁ……」
程度は違えど、寝ている間に寝返りを打つなと言われているようなものだ。
人間の無意識的な行動は、起きていても意識的に直すのは難しいというのに、寝ている間のこととなればほぼ不可能と言える。
だがしかし、それを諦めてしまえば俺のしょぼくれた威厳などよりももっと大切なものが、危険に晒されてしまう。
そう、音無の貞操だ。
これだけは命に代えても守らなければ……。
と、俺が最悪死ぬ覚悟までしていたその時。
「あ、いいほうほう、おもいついた」
音無が閃いたようだ。
「あの、ちょっとうでかしてね」
そういって俺の腕を掴んで動かし始めた音無にされるがままにしていたら、仰向けていた俺の体勢はだいぶ変容していた。
身体は右に寝る音無と向き合う形に、右腕は投げ出されその上には音無のちっちゃい頭が乗る。
そして左腕は音無の細身の胴を回って腰にホールド。
俺が唖然としている間に音無の脚が俺の脚に絡んできて、どうやら完成したらしい。
「ね? これならわたし、ぬげない」
「うん……」
確かにこの体勢ならば、音無は簡単に身動きを取ることは出来ないだろう。
しかし……。
「これでお前が脱いじゃうっていう問題は解決したかもしれないけど、別の問題が発生しているよな?」
「え?」
ピュアな音無は思い至らないらしい。
「いや、これさ、抱き合っちゃってるじゃん、俺達」
「ん、そうだね」
「まずくないか?」
「なにが?」
ダメだ。話が通じない。
どうして俺の後輩達はまともな価値観というか、貞操観念を持ってないやつが多いのだろうか……。
「あのな、音無。そもそもなんでお前が脱いじゃうのが問題だったか、理解しているか?」
「え? …………うーん」
音無が考えている姿も珍しいな、と感心して見ていると。
「すー……すー……」
「おい待て音無! 寝るんじゃない!」
「んー……もう、ねむい……」
あー、もうダメだ。
絶対音無はこのまま寝る。
まあ確かに、この体勢であれば音無の脱衣を阻止することが出来よう。
つまりは最悪の事態は免れるということだ。
今感じている音無の破壊的な柔らかさと暴力的なまでの甘さを孕んだ匂いはそれこそ最悪に最高で、気を抜けばもう一人の俺が暴走しかねないが、しかしそれは俺の理性をフルに働かせればどうにかなる、かもしれない。
仕方ない、奥の手を使うか。
「分かったよ、音無。ゆっくり眠れ。そんで明日は、ちゃんと学校に行くんだぞ」
「う、ん…………おやす…み」
「おやすみ」
音無の目が完全に閉じるのを見届けてから、俺は音無の頭を2回だけ撫でた。
* * * * *
ということで、木曜日の朝がやってきた。
ということで、俺は一睡もしていない。
バカみたいだと思われるかもしれないが音無の貞操を守るために、俺は健康的な睡眠を捨てることにしたのだった。
分かったことが一つある。
どうやら俺は、本当に俺を信じていないらしい。
まあそれはともかく。
脱ぎ癖があるという音無のことだから寝相もさぞ悪いだろうと覚悟していたのだが、夜通し見張っていたわりにはなんというか張り合いもなく、音無は俺の腕の中でたまに寝返りを打つだけで、あとはすやすやと穏やかに眠っていた。
普通ならそれは良いことであるはずだが、しかし一晩眠気を耐える身としては多少なりとも暴れてくれた方がありがたかったかもしれない。
さて時刻は6時半、そろそろ音無を起こすとしよう。
「おい、音無、朝だぞ」
「んにゅ……」
「まあ、これで起きるわけはないよな……」
分かってはいた。
その内木陰が起こしにくるだろうから、そしたら音無の面倒を木陰に任せて今度こそ俺は惰眠を貪るつもりだ。だからせめて音無の意識が覚醒した状態で引き渡してやりたいところだが、やはり音無の眠りは深い。どうしたものか。
うーん、さすがに俺がこの間の木陰みたいに変な声を出すわけにはいかないし(というかやってたら他でもない俺が引くし)、そうなると……。
音無の寝顔を見る。
それは無垢で、清廉で、邪気のひとかけらもない。
閉じた瞼も通った鼻筋も、綺麗な色の唇も、こうやって見てみると芸術品のように美しい。
まるで童話のお姫様のように。
白雪姫。
スノーホワイト。
それは純白をそのまま体現した音無にこそ相応しい呼び名かもしれなかった。
きっと音無禊は、白雪姫よりも白い。
そういえば確か、白雪姫も最後、眠っているところを起こされるんだったっけか。
王子様の、キスで。
これは、まずい。
俺の目は微かな呼吸を繰り返す音無の唇に、釘付けになっていた。
いけないこととは分かってる、同意もなく後輩の唇を奪うなんて、していいことじゃない。
けど、魅惑的すぎる。
俺は一晩眠らずにがんばった。
それを言い訳にするのは酷く情けないけれど、情けなかろうが、もういい気がした。
幻想的な音無の前では、現実すら霞む。
意識するよりも先に、俺は音無の寝顔に顔を近付けていた。
音無、ダメな先輩を許してくれ。
もう少し。
あと少しで、唇と唇が触れる。
それは本来起こすためであるはずだが、俺は願う。
どうか、起きないでくれ。
残り、1センチ。
ガチャ!
「お兄ちゃん禊ちゃんおはよー、ってうわぁ!」
あ。
「いや、『あ』じゃないよお兄ちゃん! 何禊ちゃんとチューしようとしてるの。気持ちは分かるけど! でも私より先にするなんて許せない!」
ツカツカと、パジャマで部屋に乱入してきた木陰は俺のベッドに歩み寄り、そして。
「ん、ちゅ」
身を乗り出して、俺を押し退けて、音無にキスをした。
え? どゆこと?
「……ふぇ?」
木陰が顔を離すと、白雪姫よろしく音無は目を覚ました。まあ、王子様のキスではなかったが……。
別に残念とかじゃないし、むしろ良かった。
これで良かったんだ。
「あ、禊ちゃん起きたね。あ、そうだ、お兄ちゃん」
「ん?」
木陰が俺に向きなおる。
そして。
「……ちゅ」
「…………っ!!」
「ふぇ?」
そりゃあ俺は『…………っ!!』ってなるし、音無は『ふぇ?』ってなるだろう。
木陰はなんていうことをするんだ。
「ぷは」
「いやいや、木陰さん……」
「ん、お兄ちゃんどうしたの?」
どうしたの? じゃないよ。
「お前、なんでお兄ちゃんにチューしたんだ……」
怒鳴る気力さえない。
まるで精気を吸われたみたいだ。
木陰はサキュバスだったのだろうか。
「え、いや、お兄ちゃんの代わりに禊ちゃんの唇奪っちゃったからね。間接キスくらいしたいかなって」
「そうか、なるほど、一応理屈は通ってるな」
「うん、でしょ?」
「だがしかしモラルに反する」
「ん?」
「確かに俺は今音無と間接キスをしたが、同時にお前こと木陰こと妹ともキスをしてしまった」
「あー、確かに。まあいいんじゃない? 兄妹なんだし」
「兄妹だからダメなんだよ……」
「うーん、お兄ちゃんはそういうところ頭が固いね。そんなことより、ほら、ご飯できたから降りてきてよね。禊ちゃんも」
「ん……うん」
どうやら珍しく、音無も動揺しているようだ。
そりゃあそうだろう。
キスで起こされ訳も分からない内に、更に兄妹のキスを見せられたんだからな。
俺だって、妹と後輩のキスを見せられて、更に妹に唇を奪われたのだから、似たようなものだ。
「先に下行ってるから、早くね」
そう言ってベッドから降りると、また足早に木陰は部屋を出ていった。
「まったく……悪意のない加害者ほど手に負えないものはないな……」
「ん、わたし……ちゅーされた?」
音無はようやく頭が追い付いてきたらしい。
「一応言っておくけど、俺じゃないからな。というか俺の妹がすまん」
妹の代わりに謝罪するのも、兄の役目か。
というか、木陰のお陰で俺の犯罪は未遂で済んだのだから、あいつにはお礼を言うべきなのか? 複雑だな。
「そか……ん、ちょっと……ざんねん」
音無は寝ぼけているのか、意味の分からないことを口走っていた。




