母校凱旋
“哀愁”という言葉の意味を、俺はこれまでの人生で真剣に考えたことはなく、ただ漠然とエモーショナルな雰囲気を感じていた。
というのも、これまでそういう曖昧めいた認識でいても何も不都合は無かったのである。
何せ俺はまだ高校2年生なわけで、“哀愁”などという人生の黄昏時に身も心も沈めるなどという経験は、まだ無かったのだから。
まだ無かったし、まだ無いと思っていた。
しかし人生とは驚きの連続である。
いつ何があるともしれない。
そう、俺は今日こそ、“哀愁”の言葉の意味を身を持って知ることになる。
木曜日、時刻は午前9時過ぎ、俺――天海夕陽は母校である命帝大学附属中学校の校舎裏に立ち尽くしていた。
* * * * *
時間は遡って午前7時30分。
俺は通いなれた高校と家の丁度中間辺りに位置する割りと大きめな公園のベンチに座――
「天海さん、遅いですよ!」
――ろうとしたところで後ろから声を掛けられた。
その凛とした声には聞き覚えがあって、だから振り向くまでもなくその人物が分かる。
故に俺は、その大和撫子然とした少女に気付かれないように小さく溜め息を吐いてから、さわやかに振り向いた。
「やあ、おはよう神代さん」
「『おはよう』じゃありませんよ。全然お早くないです」
なんでこの人はいつも俺に対して怒っているのだろうか。
「いや……ほら、ちゃんと時間通りに着いてるだろ?」
そう言いながら、ポケットから取り出したスマートフォンの画面を見せる。そこにはきっかり予定通りに『7:30』と表示されている。
「はあ、天海さんは本当にアホなんですから」
「おい、アホって……俺は先輩だぞ?」
「良いですか? 『時間通り』だからこそ遅いと言ってるのです。15分前行動は社会人の基本ですよ?」
俺の指摘を華麗に無視した神代さんが、そんなことを言ってくる。
いや俺社会人じゃねえし。学生だし。
「つっても仕方ないだろ? 俺だってもうちょっと早く出るつもりだったけど、ほら、これがなかなか見つからなくてさ」
そう言って俺は、自分が着ている“少し窮屈な服”を神代さんに示した。
「まあ、忘れずにそれを着てきたことは辛うじて褒めるに値しますが。しかし、そんなものは前日に用意して順風満帆にすればいいのです」
順風満帆ねぇ。
きっと準備万端って言いたかったんだろうなぁ。
まあ、意味的にはあながち状況に外れてはいないから、訂正する必要は無いか。
「さて、もう少し天海さんを糾弾したい気持ちはありますが、寝坊助な天海さんのせいで時間が押しています。さっさと行きますよ」
言葉とは裏腹にしっかりと俺を糾弾しながら、神代さんは俺の窮屈な制服の袖を引っ張った。
「え、あれ、輪廻と短冊ちゃんは?」
「昨日の話を聞いていなかったのですか? 二人は方向が逆なので、現地集合ですよ。なので残念ながら、天海さんと二人で行くしかないんです。残念ながら」
残念残念って、どんだけこの子は俺のことが嫌いなんだろうか……。
そんな風に少しテンションを下げながら、神代さんに引っ張られつつ俺達は公園を後にした。
感想が遅れたが、いつものブレザーの制服も似合ってはいるが、セーラー服の神代さんもなかなかのものだった。
* * * * *
かくして、俺と神代さんは学校へ到着した。
といっても現在籍を置いている命帝大附属高校ではなく、俺にとっては一昨年、厳密には去年の3月まで通っていた命帝大附属中学校である。
昨日、星宮議長によって強行裁決された『実地調査』をするため、俺達は現役の中学生達に紛れて、昔着ていた制服で変装までして潜入したのであった。
「で、昇降口まで来たけど、どうするんだ?」
「さあ? 星宮さんにはただ『中学校集合ね!』と言われただけですので……」
いやいやいや、結構凄いことしてるのに適当過ぎるだろ!
「とりあえず、中入りますか?」
「そうだな…………」
と神代さんに頷いて見せて靴を脱ぎ始めたところで、俺は気付いた。
「ちょっと待て 、上履きねえじゃん!」
「はい?」
神代さんはというと、持っているカバンからちゃっかり中学の上履きを取り出していた。
「天海さん……まさか持ってきて無いんですか?」
「持ってきてるわけないだろ……。だって昨日そんなこと言ってなかったし……。てか、神代さんはなんで持ってきてるの?」
「いや……中学校で実地調査するんですから当たり前じゃないですか? はぁ……これだから馬鹿は嫌なんですよ」
「おいおい待て待て、しれっと馬鹿とか言うんじゃない。俺は先輩だぞ?」
「先輩らしいこところを見せてから言ってください」
くそ、神代さんの心底呆れたような顔が腹立たしいが、残念ながら何も言えない……。
どうしたものかと、俺と神代さんは立ち尽くすことしかできない。
その様子が不審だったのか、どんどんと中に入っていく中学生達から注目を浴びているようだ。
「ちょ……まずいですよ天海さん、早くなんとかしてください!」
「なんとかつったって……」
「偶然ポケットに入っていたりしないんですか?」
「上履きがか? それが偶然なんだとしたら、それはきっと仕組まれた偶然だよ。そんな都合良く入ってるわけないだろ」
「おかしいですね、私の知っている常識だと、困った時にはポケットから状況に即して都合の良いアイテムが出てくるはずですが」
「それは、かの有名な未来の猫型ロボットが身近に居る場合の話だ。幸か不幸か、俺の子孫は貧窮に喘いで過去を変えようとは思わなかったらしい。俺の未来は明るいってことだな」
「現状が最悪ですけどね」
まあ、その通りなんだが。
神代さんと会話をしていても、何も生産的なアイディアは生まれてこない。
と、頭を悩ませていると。
「ちょっと、何してるんですかこんなところで」
後ろから声をかけられた。
あーあ、遂に職員室に連行か……と観念しかけたのだが、良く見るとその女子は短冊ちゃんだった。
神代さんと同じ、この中学校指定のセーラー服姿が眩しい。そのすぐ後ろに控えていた輪廻もおそろいだった。
女子の襟元のリボンや男子のネクタイは学年毎にカラーが違う。輪廻達、つまり俺の一つ下の学年は青、俺の学年は赤色だった。ちなみに輪廻達の更に下の学年――木陰の学年は白色である。
「星宮さん、おはようございます。あのですね………天海さんが上履きを忘れたようでして」
俺の過失を告げ口しながら、神代さんが頭を抱える。
だがしかし、
「ふーん。まあ先輩のことですから、それくらいは想定していましたけどね」
と、あっけらかんとしている。
「まあとりあえず、校舎裏で会議しましょ。私達に行く教室は無いんですから」
至極もっともな意見だった。
確かに俺も神代さんも、校舎に上がった後どこに行くかまでは考えていなかった。
ふむ。
正直なことを言おう。
「だったら最初に言っておいてくれ……」
しかし俺の嘆きは、若者達の喧騒に掻き消されるだけだった。




