いつもと違う朝
その日は夢なんて見なかった。
疲れていたせいで、眠りが深かったのだろう。
そのお陰で寝起きの気分はすっきりだったのだが、どういうことか起きてから夢のような光景を見てしまった。
『夢のような』というか、『夢であって欲しかった』景色だ。
瞼を開けるよりも先に、身体に感じた異変で意識が覚醒した。
仰向けで横になっている俺の身体に覆い被さるように、なにか心地よい位の重さの柔らかい物が乗っかっている。
鈍感と言われがちの俺も、流石に『まさか』と思った。
そして恐る恐る目を開けてみると、まあ、そのまさかだった。
「くー……くー……」
俺の胸の上で、音無が気持ち良さそうに寝息を立てている。
「なんでこんなこと……」
ついつい呟いてしまう。
いやほんとに、どうしてこうなった。
こいつは確か、木陰と一緒のベッドで寝たんじゃなかったか?
それがどうしてここに居る。
しかも――。
少しだけ、音無の身体に掛かっている布団を捲ってみる。
ああ……やっぱり。
また脱いじゃってんじゃん。
もうね、完全裸。
どうりで柔らかさが生々しいわけである。
頭を抱えずには居られない。
どうすんだよこれ……下手に動けねえじゃん。
ていうか、木陰のやつは何をしてやがるんだ。
まさか、音無が居ないことに気付いてないわけじゃないだろうし。
壁に掛かっている大きなデシタル時計を確認すると、丁度そろそろ木陰が俺を起こしに来るじかんである。
ガチャッ!
ほらね。
「おーい、お兄ちゃん朝だよー。起きてご飯にしよー……ってうわ! もう起きてる! 珍しー」
「驚き過ぎだろ。ていうか、何故だか音無がここに居るんだが、事情を知ってるか? それとおはよう」
「そりゃ驚くよ。お兄ちゃんがひとりでに起きるなんて、年に1回あるかないかじゃん。あー、禊ちゃんね、朝起きたら寂しいことに居なくなってて、まあお兄ちゃんの部屋だろうなと思って1回見に来たんだけど、寝顔が可愛すぎて起こすに起こせなくってね。それとおはよう」
「いや起こせよ。俺の精神衛生的に良くないだろうが」
「そんなの、禊ちゃんの可愛さの前ではどうでもいいことでしょ。禊ちゃんの貞操が、っていうなら心配だけど、でもお兄ちゃんはチキン野郎だから大丈夫でしょ」
ひでえ……それが血を分けた妹の言うことか。
「まあでも、流石に起こさないとだよね。お兄ちゃん停学中だからいいけど、禊ちゃんは学校行かなくちゃいけないんだし」
「『停学中だからいい』とか言うな。兄軽視が過ぎるぞ」
「禊ちゃん重視なだけです。ほら、禊ちゃん起こすから、お兄ちゃんは目をつぶっててね」
「お、おう」
まあ、そこに異存はない。
自分でドギマギしながら起こさなきゃならないかと思っていたので、正直ありがたい。
言われた通りに目を閉じると、すぐに木陰の声が聞こえてきた。
「禊ちゃん、起きて。もう朝御飯出来てるよ。学校遅刻しちゃうし、ね、起きよう?」
優しっ!
「う……ん、……あと、5ふん」
微かに音無の声。
現実にそんなマンガやアニメのようなことを言うやつが居るとは……。
「分かった、じゃあ後5分したらまた起こしに来るね」
「甘っ!? いやいやちょっと待てよ!」
「目え開けない!!」
「あ、すみません……。じゃなくて! 起こせよちゃんと!」
「んん……うるさい……」
「あーもうごめんね、お兄ちゃんがうるさくして。ほら、お兄ちゃんは黙ってよ」
「いやいや、待ってくれ待ってくれよお願いだから。この状態で後5分は辛いんだって。俺だって男なんだぞ、分かってくれよ」
「え、お兄ちゃんてそんなに見境ないの? まさか……お兄ちゃんの下半身は今……」
「言うんじゃない! それは朝だからだよ! 決して音無に発情してるわけじゃなくってだな――」
「禊ちゃん! 危ないから起きて! 本当は後5分寝かせてあげたいんだけど、それだと禊ちゃんの身が危険なの! だから、ね?」
「起こしてくれるのはありがたいけど、同時に誤解を生まないでくれるかな!?」
「う、ん? あぶない……?」
「そうだよ、危ないんだよ。今にもお兄ちゃんの本性が姿を現して、禊ちゃんのことを食べちゃうかもしれないの。だから、起きて私が作ったご飯食べよう?」
本性って言うな。せめて本能だろ。
「ごはん……わかった」
のそりのそりと、音無が起き上がっていく感触がある。
寂しくもあるが、ようやく俺は自由の身になれるようだ。
ん?
はは……バカだな俺は。
寂しいだなんて、あるわけないだろうが。
まったく、朝からどうかしてる。
* * * * *
結局、音無は学校を休むことにしたらしい。
木陰の作った朝食を食べた後で、自分で学校に連絡をしていた。といっても、「きょう、やすみます」と言っただけだが。理由とかは聞かれないのだろうか。音無のクラスは担任が適当なのかもしれない。
というわけで、今日は一日、音無と木陰と3人で過ごすことになった。
いや、俺としては朝イチで音無を家に送っていこうかと思ったのだが、木陰が「好きなだけゆっくりしていって!」と圧力的に言ってきて、音無も別に嫌そうではなかったので、今日は一緒に遊ぶというか、特に何かすることがあるわけではないのだが一緒に居ることになった。
ちなみに、音無は制服姿から木陰に借りた可愛らしい部屋着に着替えていて、よりリラックスしている。木陰よりも音無の方が小さいので若干ダボっとしているのだが、それが逆に可愛らしく見えるのだから、女の子っていうのは得だよな。
朝のニュース番組が流れているテレビを横目に、俺はリビングのソファーで昨日に引き続き、木陰に借りた本を読んでいた。
そして音無は、ソファの空いたスペースにコンパクトに身体を納めて、勝手に俺に膝枕をさせる。
まあ重くないし、いつものことだから別に良いんだけど。
ただ、家事をしている木陰が合間にちょこちょこ音無の寝顔を見に来るのが鬱陶しかった。
ほとんどの家事を任せておきながら『鬱陶しい』とは我ながら不遜だとは思うし、そもそも木陰に対して鬱陶しいと思うことが生まれて初めてくらいなので、俺としても複雑な心境だった。
木陰はよっぽど、音無を気に入ったらしい。いや『気に入った』では表現がぬるいか。既に溺愛している。
まあそんなことがありながらも、音無と木陰と3人で過ごす時間は非常に穏やかで、嘘偽りなく居心地が良いと言えた。
願わくはこの尊い時間が、嵐の前の静けさでないことを、祈るばかりである。




