天使騒動
場所は変わり、再びダイニング。
音無はちゃんと制服を着なおして俺の右隣に、木陰はバスタオル姿のまま俺の向かい側に座っている。
いや、お前も服着ろよ。
と、兄としては妹の不手際をお説教したいところだったが、しかしいかんせん、実際に糾弾される立場にあるのは、残念なことに俺の方だった。
妹に、裸の女の子とベッドに入っているところを見られた。
このシチュエーション的に衝撃を受けているはずの我が妹だが、しかし流石の胆力で冷静に俺達二人をこのダイニングまで誘導した。
そして椅子に座らされたのはいいのだが、これから何をどう問いただされるのか不安で仕方ない。
当の音無はあれだけ寝といてまたうつらうつらとしているので、弁明の助力は期待出来なそうだ。
はぁ……。
自然と溜め息が出る。
しかし肩を落としていても何も解決はしないのだ。
覚悟を決めて木陰の方を見る。
だがしかし木陰の方は、まったく俺を気にしてはいなかった。というか、隣で船を漕いでいる音無を凝視している。
どうしたものかと俺が困っていると。
「お兄ちゃん」
急に木陰が声を掛けてきた。
「お、おう、なんだ……?」
この状況で『なんだ』とは、我ながらとぼけているとは思うが、しかし俺はまだこの状況をどう説明したらいいかが判然としていないのだから、それも仕方ないと言えよう。
はてさて、木陰はどんな風に問い詰めてくるのか。
「この可愛い子、誰?」
「はい?」
えっと、つまりは音無の身分を証明しろということだろうか。
「あー……えっと、部活の後輩の音無禊だけど……」
「え待って、この子私より年上なの? うそ、えー、こんなデザインの女の子が実在するなんて……。うわー……」
デザインて。なんだか木陰の様子がおかしいぞ……。
「お兄ちゃん私……」
「ど、どした?」
「この子飼いたい」
…………………。
ん?
は?
どういうことだ?
「どういう意味だ? 何かの比喩か?」
「何言ってるの? ペットにしたいってことに決まってるじゃない」
いやいやいやいやいや。
何言ってるの? はお前だよ。
「木陰、一端落ち着こう。お前らしくないぞ。音無は人間の女の子でちゃんと人権があるんだ。飼えるわけないだろ?」
「女の子をペットにしちゃいけないなんて法律がどこにあるの? ちゃんと六法全書読みなよ」
「六法全書は読んだことねえけど多分どこにでもあるよ。お前こそおかしいぞ、正気になれよ」
「私は正気だよ。だって、こんな可愛い女の子初めて見たんだもん。妖精じゃん、天使じゃん。ねえその髪とか地毛なの? すごい綺麗……」
「あー……音無はアルビノなんだよ。だから髪とか肌とか真っ白なの。だから別に天使とかじゃないから――」
「何言ってるのお兄ちゃん。人間だって天使になれる時代なんだよ、今は」
ダメだ、木陰のキャラが崩壊している。
「あーもう、本当に可愛い……。マジやばい。ねえハグしていいかな?」
そう言ってそそくさと椅子から立ち上がる木陰。
「待て待て! せめて本人の了解を得てからにするんだ!」
音無に手が届く寸前で、どうにか木陰は思いとどまったようだ。
妹の暴走は、兄である俺が止めなければ……!
「あ、ああ………そうだね。えっと、禊ちゃん、だっけ? ハグしていいかな? いいよね? ていうか、するね!」
「思いとどまってねー!」
かくして意識のない音無に、木陰の魔の手は伸びて、その華奢な身体はぎゅっと抱き締められた。
「ん……なに? しらない、におい……」
流石の音無も、眠そうな目を開いたようだ。
助けてやれなくてすまない、と言うべきか、妹が迷惑を掛けて申し訳ない、と言うべきか。
「わ! 喋った!?」
妹よ、だからお前は音無をなんだと思ってるんだ。
俺が呆れている内に、音無と木陰の目が合う。
「だれ?」
「すまん音無、俺の妹だ。というか、さっき部屋でも見なかったか?」
「ねてた」
「嘘だろ!?」
「うわあ……何この子、声もめっちゃ綺麗だし……。絶対人間じゃない……絶対人間じゃない……」
「あのなぁ木陰、いつからお前の中からデリカシーが欠損したんだよ。音無だってこの外見で悩んでることとあるかもしれないだろ? 少しは気にしろ」
「べつに……だいじょぶ。がいけんは」
「ほーら、大丈夫だって。うわー肌すべすべ。超綺麗……」
「だからと言って頬擦りをするんじゃない。流石の音無だって嫌がってるぞ」
「べつに……いやじゃない。いいにおいだし」
「あ、そう……」
音無のフォローをしているつもりなのだが、ことごとく切り捨てられている気がする……。
え、もしかして俺が邪魔なのか?
「やっぱり……にてる」
誰に言うでもなく音無がそう呟いた。
似てるとは、俺と木陰のことだろうか。だったら断固否定するが。
その時、音無の腹が盛大にきゅるきゅると鳴った。
そうだった、忘れていたが音無に何か食べさせてやるという話をしてたんだった。
「禊ちゃん、お腹すいてるの? ちょっと待ってね、今簡単なもの作るから!」
そう言ってそそくさとバスタオルの上からエプロンを装着する木陰。
いや、マジで服を着てくれないかなー……。
まあ裸エプロンじゃないだけマシだが。
妹の裸エプロンなど見たい兄貴が居るものか。
「ありがと……」
音無は木陰の背中にぼそりと声を掛けると、何気なく俺の椅子に自分の椅子を横付けして、俺の肩に頭を乗せてくる。
お前は俺の彼女かっ!
と、音無の眠り妨げないように内心でツッコミを入れる。
というのも、本当は俺が音無の寝具であると分かっているからである。
寝具が使用者の眠りを妨げるなど、あってはならないことなのだから。
ていうかあれだな、俺も眠くなってきた。
寝ちゃダメだろうか。
いや、少しならいいだろ。
そう思って、肩を貸している代わりに音無の頭に頬を乗せさせてもらう。
軽い身動ぎはあったが、拒絶されることはなかった。まあ、もう寝てるんだろうけど。
音無の髪って、良い匂いなんだな。なんだろう、ミントみたいな……。
そんなことを考えている内に、意識は少しずつ遠のいていった。
* * * * *
音無の食事を作り終えた木陰に音無共々起こされ、音無が食事するのを見守ってから、俺は自室に戻ってちゃんと眠ることにした。
音無はもう遅い時間なので泊まっていく運びになったのだが、木陰が一緒にお風呂に入って、さらに同じベッドで寝たいというのでもう任せることにした。
音無も別段嫌がってる感じではなかったし。
というわけで、俺は自室のベッドに入っていた。
ほのかに音無の匂いがして少し落ち着かなかったが、次第に慣れてくるとそれが逆に心地よく感じるのだから、人間というの不思議だ。 それくらいに音無の匂いが良いということかもしれない。
こうしてようやく、俺は眠りに就くことが出来るのだった。
なんだか、学校に行ってないのに長い一日だったなぁ……。
溜め息を一つ、暗闇に溶かした――。




