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シスコンとブラコンの夕餉

「あの……すみません、少し気になることが……。いえ、やっぱりなんでもないです……」


 帰り際にそう言った輪廻のことを、脱衣場で服を脱ぎながら考えていた。

 木陰がお湯を沸かしてくれていたので夕飯前に入浴をすることにした俺は、制服を部屋に置いて脱衣場にやってきた。

 しかしその間、先程目にしたばかりの輪廻の、なんというか切ないような表情がどうにも頭を離れないでいた。

 下着を脱いで、洗濯機に――いや待て。

 ハッとして、パンツ一丁の格好で洗濯機を覗き込む。

 するとやはりそこには、忘れ去られていた輪廻のパンツが存在していた。

 忘れ去っていたのは他でもないこの俺だ。

 脱水を始めたところで後輩どもが押し掛けてきたので、すっかり失念していた。

 危ねー。木陰に先に見つかっていたらどうなっていたことか……。

 俺はほっと胸を撫で下ろす。


 よし、とりあえず持ってきたバスタオルに折り込んで隠しておこう。

 風呂から出たら部屋に持っていけば自然な流れで証拠の品を処理出来る……!


 まるで犯罪者のような思考だが、それは仕方のないことだ。

 兄としての威厳を守る為であれば、時として手を汚さなければいけないこともあるのだ。


 そう自分を納得させて、ようやく俺は浴室へと足を踏み入れた。




 * * * * * 




 風呂上がりの火照った身体で食卓の席に着く。

 部屋着に着替えるついでに無事輪廻のパンツを部屋に持ち込むことに成功し、今は目立たない位置にぶら下げて干してある。

 安心したら人間というものは忘れていた空腹を思い出すもので、ダイニングテーブルの上に並んだ木陰の手料理を見た途端、俺の腹の虫が盛大に鳴いた。


「ふふ、お兄ちゃんは私の料理が好きだもんね。さ、食べようか」


 機嫌良さそうに木陰がそう言いながら椅子に座る。

 本日のメニューは、オムライスとロールキャベツだった。

 そう、俺は世界で一番、木陰の料理が好きである。

 単純に料理の腕が良すぎるというのもあるが、それに加え俺の味の好みにピタリとハマるのだ。

 木陰があえてそうしてくれているのか、それとも木陰の料理を食べている内に俺の好みがそうなったのかは分からないが、とにかく『木陰の料理=俺好みの味』である。

 様々な分野に秀でるあの風原憩さえも料理においては木陰に引けを取ると感じているらしく、普段勉強を教えているのと逆に、料理を木陰に教わっているほどだ。

 というか、憩も木陰も、向上心が高過ぎじゃないだろうか。お互いに得意分野を教え合って、完璧超人にでもなるつもりか。

 やめてほしい、俺の残念さが浮き彫りになってしまうじゃないか。

 そんな情けない想いもありつつも、木陰と揃って『いただきます』を言う。


 スプーンでオムライスを掬い、口へと運ぶ。

 濃厚でありながらもくどさの無いチキンライスと、それを取り巻くように絡み付く半熟とろっとろの卵が口の中で合わさって途方もない旨味を俺の脳の中枢に届ける。

 咀嚼する度に昇天してしまいそうなほど幸福感が俺の存在自体を貫き、油断すれば涙腺がゆるみ涙さえも出てしまいそうだ。


「どうかな、美味しい?」


 夢見心地のところに声を掛けられ、意識が現実に舞い戻ってくる。


「お、おお……いつも通り美味しいよ」


「そっか、ありがと」


 俺のコメントにお礼を言いつつも、木陰はあまり嬉しそうではない。とはいえ、それは特におかしなことではなく、いつものことだった。


「んー、いつも通りかぁ。もっと美味しくするにはどうしたらいいんだろ……」


 と、木陰は自分の味にまだ満足していないのだ。

 俺はもうこれ以上があるとは思えないくらいに木陰の料理を評価しているのだが、木陰は更なる高みを目指している。


「木陰、本当に美味しいって。もうこれ以上美味しくなったら兄ちゃんはおかしくなっちゃうかもしれないぞ」


「おかしくなるくらいじゃなぁ。私の目標はね、お兄ちゃんが『死にたくなるくらい』の味だからさ」


「お前は兄ちゃんを殺したいのか……」


「まさか。『死にたい』と思って欲しいんだよ。私の料理でね」


「いや……同じじゃないか? どっちみち死ぬじゃん、俺……」


「死なせないよ。ちゃんとその時は止めるってば。お兄ちゃんが死んじゃったら、私は誰の為に料理を作ればいいのか分からないし」


 うーん、ここで嬉しいことを言ってくれるのか。

 しかし、そこが木陰の心配なところでもある。


「そりゃあ、結婚すれば旦那の為に作ることになるだろ」


「前から言ってるでしょ。私、結婚願望とかないんだよ」


「そうは言っても、お前はまだ中学生だろ? これから恋だってするだろうし、そうじゃなくても未来のことを決めるのは早すぎるだろ」


「そうかもしれないけど、知らない人と一緒になって生活するなんて、考えられない」


 そうなんだよなぁ。

 木陰は人見知りでもコミュ障でもないが、若干人間不信の嫌いがある。どうしてそうなったのかは分からないのだが。


「ていうかさ、お兄ちゃんは私に、知らない男の人と結婚して欲しいの?」


「はあ? 絶対嫌だよ。誰がさせるか」


 心配な面もありつつ、しかしそれは偽らざる俺の本音だった。やはりたった一人の妹は可愛いのだ。


「言ってること矛盾してるよ?」


 そうやって俺を糾弾しつつも、どことなく木陰は嬉しそうだった。

 やれやれ。


 ブラコンやシスコンだなどと思わないでほしい。

 きっとこれは何処にでもある、ただの兄弟愛なのだ。


 それから、他愛もない話をしながら、二人きりの楽しい食卓は続いた。




 * * * * * 




 流石に食器などの後片付けは俺も手伝った。

 毎度のことながら木陰は「別にいいよ」と遠慮をするのだが、妹に面倒を押し付けてばかりでは兄としての沽券に関わる。誰が気にしなくても、俺が気にするのだ。


 兄妹で仲良くキッチンの流し台に並び食器洗いを終わらせた後、もう俺は寝るだけで、木陰は今から風呂に入るというので、俺は「おやすみ」と告げて二階の自室へと向かった。


 扉を開けると電気を消していたせいで真っ暗だったが、学校には行っていないにも拘らずどうしてかどっと疲れていたので眠る気満々、というわけでわざわざ電気を点けることはせずに歩き慣れた部屋を勘でベッドまで歩いていく。


 予想通りの位置にベッドはあり、ひとまず縁に腰かける。

 掛け布団を手探りで探し、それを軽くめくり上げると身体をベッドと掛け布団の間に滑り込ませる。


 通常、ここまでの行程で安息の時を得て、後はまどろみ、深い眠りに落ちていくというのがいつものパターンなのだが、今日は違った。


 違和感があった。



 何かベッドの中に、大きな物がある。



 俺は抱き枕など持っていない。

 しかし目に見えず仕方なく手でまさぐってみると、どうやらそれは人くらいの胴まわりで、あとやたらと温かみがある。

 それに掌に伝わるこの質感は、まるで人の肌のようだ。

 頭に疑問符を浮かべながら、上へ下へとその謎の物体を撫で回してみると、それはひどく柔らかく、そして本当に人間のような形状をしているということが分かった。

 しかし肩幅などは異様に華奢で、例えるなら女の子のような――身近な知り合いでいえば音無禊くらいだろうか。


 そこまで思い至って何かがフラッシュバックしそうになったその時である。


「う……んんっ……」


 か細いその声を耳にして、完全に思い至った。

 その証拠に、俺の脳は“彼女”を蹂躙していた自らの手を、反射的に引っ込めた。

 不可抗力だ……、俺は悪くない、知らなかったんだ……。

 などと内心で小物の犯罪者のように言い訳をしながら、しかし頭の中では一つ、思い至らないことあった。

 まあ、本人に聞けばいいか……。


「んん…………ん?」


 どうやら眠り姫はお目覚めらしい。というか、俺が起こしたのかもしれない。


「おはよう、音無」


 そう、俺のベッドに存在していたのは、可愛い後輩の一人、音無禊だった。

 短冊ちゃん達め、まんまと忘れて帰りやがったな。

 まあ俺も今の今まで失念していたわけだが……。

 寝起きで虚ろ気味な目が、俺を見ていた。


「あれ……どうしたの? やっぱりいっしょに、ねたくなった?」


「寝ぼけるんじゃない。もう夜だぞ、他の連中は薄情にもお前を忘れて帰ってしまったよ」


「そう……なの。んっ……しょ」


 音無が身体に力を込めて上体を起こそうとするのを、俺は慌てて掛け布団ごと押さえつけた。


「うわっ、待て待て! 起きようとするな!!」


「うぅ……なんで? もしかして……わたしになにかする?」


 切なげな目でなんていうことを言うんだ。短冊ちゃんに毒されたのか?


「なんにもしねえよ」


「そう……。すこしなら、よかったのに……べっど、かしてくれたから……」


「女の子が自分を安売りすんなよな。俺は後輩に手を出したりしない。けど、一応聞くけど、少しってどこまでなんだ……?」


「えっと…………おっぱい……」


 う……さっき揉んでしまったとは死んでも言えない。まあ、言わない方が本人の為だよな、うん……。


「なめる……とか?」


「舐めていいの!?」


「え…………なめたいの?」


「あ、いや! そ、そんなわけないだろ? 俺は先輩なんだから。ちょっと驚いただけだ」


 危ない危ない……後輩に発情するなんて、先輩のすることじゃねえもんな……。


「ところで音無、聞きたいことがある」


「なに?」


 音無はキョトン顔だ。

 しかし、こうして隣に横たわってピロートークしていると、まるでカップルみたいだよな……。

 いや、そんなことを思ってる場合じゃない。


「お前、なんで服脱いでるの?」


 そう、音無の身体をまさぐってみて思い至ったこと。音無はなぜか裸だった。

 下着姿とかではない、

 一糸纏わぬ完全な全裸。完全裸である。

 髪を縛っていたシュシュすらも、どうやら取れてしまっているようだ。


「へ?」


 俺の言葉を受けて、音無は自分の身体を触っているようだ。ということは、自覚は無かったらしい。


「ふわ……ほんとだ……。わたし、いえでねてると、ぬいじゃうの……。……ごめんなさい」


「脱ぎ癖ってことか。けど、なんで謝るんだ?」


「べっど……よごしちゃったから」


「いや、別にお前の身体が汚いとか思ってないから大丈夫だよ」


 ていうか、むしろ俺より綺麗だろ。


「……やさしいね」


「普通だよ」


 なんだよ、照れるじゃねえか。

 俺が顔を熱くしていたその時、どこからか『くぅー』というような音がした。

 寝息のようだったので音無がまた眠ったのかと思い、逸らしていた目を音無の顔に向けるが、瞼はしっかりと開いていて綺麗な目がカーテンから漏れる月明りに輝いていた。


「おなか……すいた」


「ああ、なんだ腹の虫か。そういえば音無、夕飯食べてないもんな。仕方ない、なんか用意するから一階に降りるぞ」


 音無は微笑み、コクリと頷いた。

 そして身体を起こそうとする。


「あーあー! だからそのまま起きるなって! とりあえず服を着ろ服を!」


 がちゃり。

 暗い部屋に、突如無機質な音が鳴り響く。

 それは部屋の入り口からで、つまりは絶望を意味していた。


「お兄ちゃん? お風呂入ろうと思ったらなんか騒がしいから来てみたんだけど――」


 振り向いた俺の目に映ったのは、バスタオルを身体に巻いただけの木陰だった。


「――その女の子は、誰?」


 こんな修羅場的な状況の中で唯一幸いだったことは、部屋の隅に干しているパンツに、木陰が気付かなかったということだった。




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