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ポケットの中の青空

「しかし停学だなんて、不良だねぇお兄ちゃんも。はい、粗茶ですが」


 そうやって俺を非難しながら、ソファーに座る俺の前、テーブルの上に湯呑みを置いてくる。そして木陰自身も俺の対面に座ると、お茶をすすり始めた。


「あいどーも。お前には言われたくない」


「だから『も』って言ったでしょ。それより一週間も学校行かないなんて、お兄ちゃんには退屈なんじゃない?」


 そうなんだよなぁ。

 家に居て特別やることっていうのがない。


「そういう木陰は、家に居てどうやって過ごしてるんだよ?」


「私は暇してないよ? これでもね。家事は全部やってるし、それに私そもそもインドアだから、家に居て暇ってことがないから」


「だから、その感覚が分からないんだよ。家で出来る暇潰しって何よ?」


「暇潰しじゃないよ。やることがあって暇じゃないの。読みたい本が沢山あるし、観たいドラマもアニメもあるし、やりたいゲームも積んでるしね。私の脳はてんやわんやなんだよ?」


「へぇ、驚愕のIQを持つお前がねぇ。けど確かに、お前は昔から創作の物語が好きだよな。フィクションてやつ?」


 おっと、何故か対面に座る妹が呆れたような目を向けてくる。俺、何かおかしいこと言ったかな?


「あのね、お兄ちゃん――」


 ああ、これはあれだ、いつもの諭されるやつだ。




「この世にフィクションはないんだよ」




 ほう。

 どこか深みすらある言葉に思えないでもないが。


「その心は?」


「心も何も、そのままだよ。例えば本一冊はそれが独立した世界で、その中には文字という時間が流れていて、ページという空間があって、そこに生きている人が居る。それって、この世界と何も変わらないと思わない?」


「うーん、けどさ、結局は人の想像から生まれたもんだろ?」


 無粋ではあると思うが、それがリアルではないだろうか。


「じゃあ、お兄ちゃんはこの世界がそうじゃないって言い切れるの?」


「へ?」


「今ここにあるこの世界が、私達の知能の及ばない存在によって形作られた世界じゃないなんて、証明出来ないでしょ?」


「そりゃあまあ……そんな神みたいな存在知らないしな……」


「同じだよ。物語の登場人物は作者が居ることを知らない。ただ与えられた人生を生きてるの」


 私達みたいに。と、この話の締めくくりであろう言葉を放出して、木陰は小さく溜め息を吐く。

 ふーむ。

 我が妹がそんなこと考えながら生きていたなんて、知らなかったな。

 未知の存在がどうとかは分からないが、確かにこの世界にはまだまだ知らないことが沢山あるのかもしれない。いや、あるのだろう。


「じゃあ、お前は違う世界に生きてる人の人生を見届ける為に、本を読んでるってことか」


 俺はほぼ確信を持ってそう言ったのだが、当の木陰はポカンとした表情をしていた。

 どうやら、俺はすっかり的を外したらしい。


「うーん、ちょっと違うかな。私が本を読んだり、ドラマやアニメを観たりするのはね、この世界の人は心が見えないから」


「心が、見えない?」


「うん。物語の中に生きている人は、心が見えるの。いろんな人が居るのに、そのそれぞれの考え方を客観的に知ることが出来る。だから、私は物語を目撃したい」


 木陰の言わんとしていることが上手く咀嚼出来ずに、無意識に首を傾げてしまう。そんな俺を見て木陰は、更に話を続ける。


「私、悩みがあってさ。誰にも言ったこと無いんだけど……」


「悩み? なんだよ、そんなのがあるならすぐにお兄ちゃんに言えよ」


「えー。お兄ちゃんにどうにか出来るとは思えないからさ」


 うわ、見くびられてる!

 ていうか妹にまったく頼りにされてないっていう事実が、地味に哀しいな……。


「い、いいから話してみなさい……。ほら、『誰かに聞いてもらうだけでも』って言うだろ?」


「うん、まあ、別に言うのはいいんだけどさ。……私ね、人の心を汲み取ることが苦手なの。いや、苦手というより、出来ないって感じかな」


「うん?」


「だからこう、物語の登場人物の内心を知ることで、少しでも人の心を汲み取れるようになればって思って」


「ふうん……」


 何か、俺の心の中に引っ掛かるものがあったのだが、それを上手く言葉に出来ない。

 俺が頭の中に理由の分からないモヤモヤを抱えていると。


「あ、そうだ。せっかく停学になったんだから、お兄ちゃんも本読んでみたら?」


「『せっかく停学になった』っていうのはおかしいけどな……。まあ活字が読めないわけじゃないし、たまには読んでみるかなぁ」


 どうせ暇なのだし。


「そう? じゃあ私のオススメの本を何冊か貸してあげるよ。ちょっと待っててね」


 そう言うと木陰は手に持っていた湯呑みをテーブルに置いて、心なしか慌てた様子で自室のある二階へと上がっていった。

 可愛いやつだ。自分が好きなものを兄に知ってもらえるのがそんなに嬉しいのだろうか。

 などと自信過剰気味に思いながら、無意識に制服にズボンのポケット手を突っ込んでみると、なんか柔らかい物が入っていることに気が付いた。

 しかし、なんだろう。

 俺にはハンカチを持ち歩く習慣がないので、こんな布のような手触りの物がポケットに入っているということがほとんど無い。

 だが現実にこうして入っているということは、どこかのタイミングで入れたのだろう。まあ、取り出してみれば分かることである。

 そして俺は、勢いよくそれをズボンの右ポケットから引き出したのだが、すぐに後悔することになった。


 俺の手に握られていたのは、くしゃくしゃになった淡いスカイブルーのパンツだった。


 ああー……思い出した。完全に。

 というか何故忘れていた、俺。

 これ、輪廻のパンツじゃん。

 え、ていうことは昨日俺がトイレでパンツを脱がさせてから、輪廻はずっとノーパンだったってことか?

 ………………。

 完全にやらかしてる。

 年頃の女の子を、あろうことかノーパンで家に帰してしまうなんて、紳士にあるまじき行為だ……。

 いくら状況がごたついていたとはいえ、そんなのは言い訳にはならない。

 これは、謝らなくては。しかしなんて言って謝ればいいんだ?

 というかこのパンツはどうすればいい? やっぱり、洗って返すべきだよな。

 けど、洗濯機に入れるわけにはいかない。木陰が自分の物じゃない女性下着を見つけてしまったら、何を言われるか。いや、何も言われないかもしれない。そのまま口をきいてもらえなくなるかもしれない。

 それは……嫌だなぁ。

 うーん。

 しかしまあ、こうしてよく見ると、輪廻も結構凝ったパンツを穿いてるんだなぁ。


 目に鮮やかなスカイブルーは淡く光沢を放っているし、前面はレースで花柄をあしらわれている。そしてサイドから後ろにかけては布地が少し薄いらしく、手を入れてみると若干の透け感があった。


 うーん、なんか、エロいな……。

 おっと、いかんいかん。一瞬これを身につけている輪廻の姿を想像してしまった。

 後輩に対して劣情を催すなんて、先輩としてあってはいけないことだというのに。

 これ、なんか、匂いとかするのかな?

 いや別に嗅ぎたいとかじゃないけど。

 だがしかし、これも真理探究の一環ではないだろうか。“未知”を“既知”にすることが真理探究なのであれば。

 そう俺は、停学していても真理探究部の部長なのだ!


 意を決し、俺は自分の鼻先に両手で広げたそれを近づけていく。

 もう少し。

 あと少しで、俺の鼻孔をふわりと甘い香りがくすぐるはずである。

 しかし、その刹那――。


「お兄ちゃんお待たせ。結構奥にしまってあってちょっと時間掛かっちゃった」


「お、おう!」


 あっぶねー!!

 間一髪、木陰がリビングに入ってきた瞬間に輪廻のパンツも俺のズボンのポケットへと帰還した。

 はあ、はあ……。


「ん? お兄ちゃんどうかした? なんか息が荒くない?」


「いや! 全然どうもしてない! それより早く本を見せてくれよ」


 木陰は首を傾げながらも、持ってきた数冊の本の簡単な説明を始めた。

 どうにか誤魔化せてよかった……。


 やはり、悪いことはするものじゃない。


 そう、俺はその真理を知りたかったんだ。




 

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