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狂気の三歩手前

 私は陶器の瓶の中身を、地面にこぼしてゆく。

 その液体は、地面に落ちて小さな水たまりとなって、じわっと広がってゆく。


 そのとき、その私の動きを隙と見たのか、ゴブリンたちが一斉に、私に向かって襲い掛かってきた。

 でも、さほど広くないトンネル状の通路に四体いっぺんに来ようとして、うち二体がごちんと頭をぶつけて倒れた。


「あははっ、バーカ!」


 ちょっとテンションが上がっていた。

 私は瓶を投げ捨てて、同時に、地面に広がった液体にたいまつの炎を近付け、そして一跳び、ぴょんと下がった。


 ──ゴォッ!


 地面の液体──どろっとした可燃性の油は、たいまつの火が移って、一気に燃え上がった。

 そしてその炎は、刃物を振り上げて私に向かってきていた残り二体のゴブリンに、足元から襲い掛かった。


 うち一体は、特に運が悪かった。

 ぬめる油で足を滑らせ、燃え盛る油の上にもろに倒れ込んだ。

 そして、ごろごろと転がったせいで体中に火のついた油を塗りたくる羽目になり、全身火だるま状態になった。


 もう一体には、それほどの効果はなかった。

 でも突然、炎に足元を焼かれてギャッギャと悲鳴をあげ、私から注意を逸らした。


 私はそこに駆け込んで、思いきり蹴りを放つ。

 私の運動靴のつま先はゴブリンの胸板にめきっとめりこみ、同時にその小さな怪物の体を吹っ飛ばした。


 そのゴブリンは、向こうの土壁に激しくぶつかって、そのままずるずると崩れ落ちた。


 するとその間に、最初にぶつかって倒れた二体のゴブリンが起き上がってきた。


 でもそいつらは、洞窟の通路にいきなり現れた燃え盛る炎の壁にひるんで、戸惑っている。


 私がちらと足元を見ると、火だるまになったゴブリンの武器が、すぐ前まで転がってきていた。


 ──いいもの見っけ。

 私はそれを拾って、炎の壁の向こうにいるゴブリンのうちの、一体めがけて投げつけた。


 その包丁ぐらいの大きさの刃物は、投げるのに適した形には、なっていない。

 それでもどうにかうまいこと投げたら、狙ったゴブリンの肩に命中して、深々と突き刺さった。

 そのゴブリンは、ギャアギャアと悲鳴をあげて悶える。


 するともう一体のゴブリンが、私の真似をしてか、自分の持っていた刃物を炎の壁の向こうから、私に向かって投げつけてきた。


 でもそれは、全然投げ方がダメで、私の足元の地面にカラカラと転がっただけだった。


「やーい、下手っぴ!」


 ゴブリンを罵る私。

 うん、私のテンション、だいぶおかしくなってるね。


 それから、足元にまんまと現れたその武器を手に取って、それを投げてきたゴブリンに、お返しとばかりに狙いを定める。

 そのゴブリンは、怯えて逃げ出そうとした。


 投げる。

 私の手から離れた包丁大の刃物は、今度は運よく──そしてゴブリンにとっては運の悪いことに──背中を向けた小さな怪物の首に、ぐさりと突き刺さった。


 そのゴブリンは、そのまま前向きにどうと倒れる。

 そして地面を這うようにもがいていたけど、すぐに事切れそうだった。


 だったら、残りの始末だ。


「よっと」


 私は炎の壁を、ジャンプで飛び越える。

 炎は一見派手だからパッと見でビビるけど、実際にはそんな一瞬で大火傷をするほどの炎じゃないと思ったし、実際そうだった。

 ちょっと熱いっていうのはあったけど、大きな問題なく越えられた。


 そして私は、肩を押さえてもがき苦しむゴブリンに思いきり蹴りを入れて、とどめを刺した。

 それから、広間に戻って槍を拾ってきて、ジャイアントスイングに巻き込まれたゴブリンの左胸を一突きにする。


 ほかのゴブリンたちも、少し待っていると動かなくなり、黒い霧になって消えて、宝石を残した。

 私はその宝石を、回収して回る。


 終わり。

 この場にいたゴブリンは全部退治した。


 …………。


 ……私、やっぱり残酷かな。

 ちょっとなんか、感覚がマヒしてきた。


 でも、しょうがないよね。

 こんなのまともな神経でやっていられるわけがない。


 私は子どもたちが待っているところまで行って、無理やり笑顔を作って彼らに報告する。


「終わったよ。悪いゴブリンは、お姉ちゃんがみんな退治した」


「でも……」


 女の子のほうが、浮かない声をあげた。

 そして彼女が男の子のほうを見ると、今度は男の子が、私に訴えかけてくる。


「サラが……! 別のゴブリンたちが、サラを連れて行ったんだ! お姉ちゃん、サラを助けて!」


 ……そっか。

 そういえば、捕まえられた子どもは、全部で三人いたんだっけ。


 洞窟の途中でトンネルが分岐していたところがあったけど、ひょっとすると、あそこの逆側に、まだゴブリンがいるのかもしれない。


「分かった。そのサラっていう子も、お姉ちゃんが助けてあげる」


 私はそう言って、両腕で二人の子どもを抱き寄せた。


 私がそうしたのは、子どもたちの不安を取り除くためというより、私自身の心の癒しのためかもしれなかった。



 ※ ※ ※



 洞窟の中にずっといると、気分が暗くなるからよくないと思う。

 閉塞感のある空間はよくない。


 ずっとこんなところにいたら、そりゃあ私の性格だって邪悪にひねくれる。

 勇者っていうのはこう、もっとずっと明るいところにいないといけないんじゃないだろうか。


 ……とかいう言い訳を黙々と考えながら、私は土壁のトンネルを走っていた。

 分岐路まで戻って、進まなかったほうの右手側の道へと進んで、今ココという状況だ。


 ちなみに助け出した二人の子どもは、私の背中に懸命にへばりついている。


 本当は連れてきたくなかったけど、たいまつの明かりがない真っ暗な場所で待たせるわけにもいかないし、かと言って一緒に洞窟の入り口まで戻ると大幅なタイムロスになる。

 別のゴブリンに連れ去られたという子どもが、今どういう状況にあるか分からない以上、のんびりはしていられない。


「……ねぇ、シアお姉ちゃん」


 子どもたちのうちの、男の子のほうが声をかけてきた。


「なに?」


「……サラ、大丈夫かな」


「…………」


 私は返答できなかった。


 無責任に「大丈夫だよ」とは言えなかった。

 何しろ、そのサラっていう子が今どういう状況にあるのか、私はまったく知らない。


 あるいは、子どもたちを安心させるために嘘でも「大丈夫」って言うべきなのかもしれないけど、私にはそういう器用なことはできない。

 本当は大丈夫じゃなかったときに、彼らの非難が私に向けられるのが怖いのかもしれない。


 ……私は勇者っていうような綺麗な人間じゃないし、そんな勇気もない。

 どうしてそんな私が、勇者なんて呼ばれて、ありえないぐらいの力をもってゴブリン退治なんてことをやっているのか。いまだに不思議でならない。


 不思議でならないけど、流れに流れて今ここにいるんだったら、私にどうにかできることなら、どうにかしたいって思う。

 私の中の、人並みに誇れる気持ちって、そのぐらいしかないから。


「……ごめん、今サラちゃんが大丈夫かどうかは、私には分からない。でも無事だったら、私は全力でサラちゃんを助けるよ。それだけは約束する」


 私には、正直なことを、できる限り取り繕って言うのが精一杯だった。

 でも一方の男の子のほうも、彼なりに思うことがあったらしい。


「うん、お願い、シアお姉ちゃん……! ……でも、本当は男の僕が守らなきゃいけなかったのに、僕、弱虫で……」


 そう言う男の子の声は、少しぐずっていた。

 それを聞いた私は、「わー、男の子だー」なんて、今の状況に似つかわしくないのん気な感想を抱いていた。


 でもなぁ、弱虫じゃなくても、できることとできないことがあるからなぁ。

 変に暴れたりしなくて正解だったんじゃないかな、なんて思う。


 でも、その男の子な気持ちに水は差したくないから、私は余計なことは言わないでおこうと思った。

 その代わりに、「だったら、これから強くなればいいよ」と、こっそりつぶやいた。

 それが彼に聞こえたかどうかは、分からなかったけど。


 そんな話をしながら赤土のトンネルを駆けていると、やがてたいまつの明かりのずっと先から、キーキーギャーギャーと、ゴブリンのものらしき声がかすかに聞こえてきた。


 この先に、ゴブリンがいる……!


 声の数は、少なくない。

 先の部屋と比べて多いか少ないかは、判然としない。


 でも、そのゴブリンたちの声は、どこか一定のリズムで発せられている気がした。


 それから、カーン、カーンという、金属同士が打ち合わされるような音。

 これもやっぱり、一定のリズムが刻まれているように聞こえる。


 やがて、ぐねぐねと曲がる洞窟をひとたび大きく曲がると、その光景が見えてきた。


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